ただ、覚悟という感じともちがい、いつも生をふつうに楽しでいたのです。野心もないですし、卑下もないです。ブッダの言葉通り、だれもみな等しく尊いのですし、上も下も中間もありません。だからいつも静かでしたが明るいのでした。天皇制のように偉い人がいるという観念とは無縁で(親鸞の浄土真宗大谷派でしたから)、みな平等です。いつも機嫌よく、まあ、習慣です(笑)死もふつうの続きでした。
ただ、覚悟という感じともちがい、いつも生をふつうに楽しでいたのです。野心もないですし、卑下もないです。ブッダの言葉通り、だれもみな等しく尊いのですし、上も下も中間もありません。だからいつも静かでしたが明るいのでした。天皇制のように偉い人がいるという観念とは無縁で(親鸞の浄土真宗大谷派でしたから)、みな平等です。いつも機嫌よく、まあ、習慣です(笑)死もふつうの続きでした。
自己承認に至るには、自己の経験を土台にしつつ、しかし、それを絶対化する愚を犯さず、近代的自我の確立というイデオロギーに囚われず、「自我の武装解除」が必要です。自由で伸びやかな心身と頭は、自己防衛とか他者攻撃という発想からは生まれません。
武田康弘
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日本人は、会社員も公務員も主婦も政治家も学者・・・もみな明治政府が創作した「天皇教に基づく天皇制度」に心が呪縛され、そこから抜け出せません。それがどれほどの不幸を生み出しいるかを自覚できません。
「天皇教と東大病と官僚主義の三者一体」による支配は、人々の無意識領域まで管理して、みな腑抜けの状態にさせられますが、
保守主義=国体思想の政治家には、これほど有難いことはなく、政治支配はどこの国よりも楽です。
哲学までも、ヘーゲルの最初の著作「精神現象学」に依拠して、「他者承認の哲学」こそ哲学の最高到達点だという竹田青嗣と彼のグループが人間を羊化させることに努力するありさまです。
深く「自己承認」できるためには、どう考えどう生きるか、こそ哲学の使命であり意味であることを忘れ、日本的集団同調主義(天皇教・東大病・官僚主義) をソフィスティケートするのですから呆れます。
天皇教の序列絶対主義は、エリート職業の人の精神的拠り所となるために、「天皇教と東大病と官僚主義の三者一体」による支配は、永続化してしまいます、個々人の人間としてのパワー・良心・魅力は元から消し去られ、型が優先し、儀礼が優先し、社会的価値に縛られ、個人は死ぬのです。この序列主義を元から断たない限り、永遠に日本は不幸です。実存の生=個々人からの出発は、はじまりようがありません。
駐留米軍のトップであったマッカーサーの発案で、天皇をシンボルとして天皇制を存続させることで、日本を永遠に支配する=個々人の精神的自立をさせないで、日本人を「天皇教という集団同調主義」で一つにさせ、アメリカの属国のようにすること。天皇家に特権を保障することでアメリカに好意を持たせ、日米同盟の永続化を果たす、という大戦略は見事なまでに成功し、人間家畜化の日本国ができあがりました。
人々を騙す底から嘘の大学教授(直接体験のない書物だけ人間)の書く本に踊らされるのを止めない限り、思想や哲学が民衆の力になり現実の花が咲くことはないのです。公共哲学などという東大哲学は、支配のためのごまかしで、トップに韓国人を据えるなど用意周到ですが、関係者自身も騙されているのは、滑稽でさえあります。
武田康弘