思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

人間の自由を尊重する思想と、自由を抑圧する思想は、等値でしょうか? 「私」がよりどころ。

2015-11-30 | 恋知(哲学)



できるだけ子どもの自由ー自発性を尊重したい、という思想と
子どもの自由はわがままに過ぎないので認めるべきでない、という思想とは、
どちらも等価でしょうか?

自発性を尊重したいという思想は、人間は意識存在だという存在論の原理に合致した考え方ですが、
自発性を認めないという思想は、人間の自然性とは遠く、力による抑え込みの思想です。

これと同じで、社会問題でも市民的自由に基づく政治形態(市民自治)に向かおうとする思想は、自然です。
しかし、市民的自由ではなく国家の伝統に従うことが第一である(国家主義)とする思想は不自然です。

自分の考え方についても同じで、自分の頭でよく考えて納得のいくように生きる、というのは自然ですが、
特定の書物や人物の言葉=思想に従って考え、生きる、というのは不自然です。

不自然な思想を広めるには、絶えず、布教という思想宣伝行為が不可欠になるでしょうが、
自然な生き方は、それを明瞭に説明すればふつうの人は了解できるでしょうから、布教は必要ありません。

ただし、不自然の側が強力に布教=宣伝を進めている場合(いまの安倍派の政治や教育思想などはその一例)は、傍観は出来ず、活発に活動しなければならなくなります。

その場合、不自然に不自然で対抗するのは、それこそ不自然ですから、人間の自由に基づく自然な考え方・生き方の提示と実践が大切、というのがわたしの考えです。特定の主義や宗教に依らずに、わたしは、私のフィロソフィ(等身大の思想)により生きる練習が必要不可欠とおもいます。

ただし、それが無理な人が宗教的信念で生きることは、認められて当然です。しかし、自分の信じる〇〇宗教こそが偉い、というような考え方はとても不味く、不幸と混乱の元です。

「自然性」とい考え方は大事なキーだとおもいます。ありのままを見て、受容し、肯定する「心」がまず何よりも大切で、それがなければ、後は何をどうしようとも、すべて砂上の楼閣に過ぎないはずです。

武田康弘

 

 

コメント

モデリアーニ弦楽四重奏団演奏会ーフランスデー、王子ホール 熱い情感と凛とした美音と個人性の豊かさ。

2015-11-27 | 芸術

昨晩のフランスのモデリアーニ弦楽四重奏団演奏会は、粋な美音と情熱的な音楽に全身が熱くなりました。
銀座の王子ホールは、素晴らしいホールで、彼らの凛とした美音にピッタリです。

fbに昨晩出した記事、彼らの写真と共にどうぞ。

以下は、4人のサインです。
わたしは、彼らの演奏にゾッコン惚れ込みました。来年も来日するので、必ず聴こうと決めました。モデリアーニは、技術も情熱も高く、新しい世界を拓く凄い四重奏団です。目(耳)が離せません。大注目!

 

武田康弘

 

コメント

橋下市長&安倍首相“野党潰し”の密約ーーいよいよ「戦前回帰」に向けてのカウント・ダウンが始まった。

2015-11-25 | 社会批評

(マイヨール「悲しみ」パリ・撮影・染谷裕太)


わたしは、以下の「日刊ゲンダイ」の見方と全面的に同じです。

いま、市民主権の民主政を元から終わらせる=明治政府のつくったニッポン主義に戻る可能が高いのです。自立する個人は消去されます。ニッポンと日本人の自覚が薄い者は、外され、排除され、不利な目に合わされることになります。普遍的な「人間性」は二の次にされ、「日本人性」が優先される戦前の狂気思想の復活です。

このままでは、必ずそうなります。

「戦前回帰」(明治維新政府の思想=国体主義)という恐ろしさを自覚し、それとの思想的闘いが必須です。凄まじい現実は、すぐ目の前です。
豊かな人間性をつくる【フィロソフィ】を持たなければ、必ず負けます。その日に向けてのカウントダウンが始まっています。国体思想という公共悪への強い自覚を!!


武田康弘

ーーーーーーーーーーーーーーーー

大阪W選勝利で加速…【橋下市長&安倍首相“野党潰し”の密約

日刊ゲンダイ / 2015年11月25日 9時26分
橋下徹
大阪維新の会

【「安倍首相とは考えが合う」とヨイショ】日刊ゲンダイ

 ダブル選挙で2勝した「大阪維新」。さっそく強気の姿勢を見〉せている。松井一郎府知事は来夏の参院選に全国規模で候補者を擁立する方針を表明。政界引退を表明しているはずの橋下徹・大阪市長とともに戦略を練るという。この先、大阪維新はどう動くのか。安倍官邸との密約説も流れている。

 今回のダブル選、自民党は候補者を擁立したものの、支援体制は“形だけ”だった。

 終盤劣勢が伝えられ、党幹部を投入したが、「安倍首相や菅官房長官が入らないんだから本気じゃなかった」(自民党議員)。一方の橋下市長も街頭演説で「安倍首相とは考えが合う」とヨイショしまくり、安倍首相―橋下市長の蜜月が強調されるばかりだった。

「参院選に向け、両者の水面下の連携はますます強まるでしょう。6月に安倍首相、菅長官、橋下市長、松井知事の4者で会食した際、『憲法改正に維新が協力』ということで話ができているといいます」(前出の自民党議員)

 今後、大阪維新は何を仕掛けるつもりなのか。

 まずは野党連携つぶしだ。維新の党の分裂騒動は訴訟にまで発展し、収束のメドが立っていない。橋下サイドがこのゴタゴタを引っ張り続けているのは、その間は松野維新が野党再編に踏み出しにくくなるという計算がある。

 さらに参院選の全国規模での候補者擁立は、野党の“選挙協力”をつぶすのが目的だという。

「敗北覚悟で1人区に“捨て駒”のような候補者を立てる。いま野党は、統一候補を立てて、自民VS野党の戦いにする構想を進めていますが、大阪維新の候補が与野党対決に割って入れば、結果的に与党を利することができるわけです」(官邸事情通)

 トドメが橋下市長の政界復帰・国政転身だ。来夏が衆参ダブルになれば衆院に出馬し、参院選単独だとしても、その後の鞍替えを見越して、出馬する可能性もあるという。

「6月の4者会談で橋下さんが安倍首相に国政転身を誘われた、というのが大阪維新内の共通認識です。なんやかんや言って、橋下さんは不完全燃焼。都構想も実現できていないし、国政政党としても、石原慎太郎氏と組んだ結果、中途半端に終わった。橋下さんの性格から考えても、国政リベンジはある。大阪維新が2勝したことで、自信を強めているはずです」(大阪維新関係者)

 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう言う。

「大阪維新は憲法改正を含め安倍首相に協力するのですから、実質は与党です。しかし、来夏の参院選までは、野党の票を食うために、『是々非々』で野党色を打ち出していくのでしょう。参院選後に安倍首相寄りのスタンスを強める戦略なのだと思います」

 大阪維新は間違いなく自民党の補完勢力だ。狡猾なまやかしに有権者はだまされてはいけない。

コメント (1)

空爆は、無差別大量殺りく。愚かで罪深い行為。憎悪を増すだけ。

2015-11-21 | 社会批評

空爆は、事実として【皆殺し】でしかなく、「白人の命の重さを思い知らせる」ということにしかならず、ますます憎悪を増すだけのこと。
カナダは親米政権が総選挙で負けて新政府が出来、空爆から撤退しましたが、これが正しい選択です。
攻撃しない国にはISは何もできません。

もともと中東を大混乱に陥れたのは、イギリスを中心とするヨーロッパ諸国なのですから、いまの事態は自業自得とさえいえます。空爆をして街もろとも破壊し、住民を殺す権利などあるはずがありません。空爆は、【無差別大量殺りく】という恐ろしい仕業です。

フランス政府は、さらに空爆を強めると言いますが、愚かの極みですし、この事件を機にイスラム教徒を迫害しているフランス警察は理性を失っています。

空爆で10万人以上の人(イラク空爆
以降、幼児も子供も女性も)が殺されている現実をなぜ、TVはきちんと報道しないのでしょうか。【快適な高度文明生活を満喫する自分たちの命】だけが命なのでしょうか?


写真は、シリアの空爆で (Chicago SunーTimes シェア)





コメント (3)

水野ゆうき県議による事件ねつ造と言論の自由の否定----福嶋浩彦(中央学院大学教授)

2015-11-19 | 社会批評

 

このブログは、水野ゆうき千葉県議(選出区:我孫子市)との裁判に関する一連の状況を、利害関係者である福嶋浩彦が広くお知らせするために立ち上げたものです。
(クリックで表示されます。)


上は、福嶋浩彦さんが立ちあげたblogです。拡散を希望します。



武田康弘

 

なぜ、こういう酷い嘘をつくのか?
なぜ、自らの非を認めず、相手を非難するのか?しかも大きな恩を受けた福嶋さんを中傷して裁判を起こし、敗訴が分かると取り下げる。
自分しかいない、現代の自己中心主義の見本のような水野ゆうき県議、若い女性ならいい?ということにはなりません。
福嶋さんは、愛妻の夏子さんの看病を続け付き添っていましたが、昨年末に別れがきました。
それを知らない水野ゆうきさんは、自分の推薦人に死者である夏子さんの名を使い、それを指摘されたら「逆ギレ」したのです。若くして妻を失い、悲しみにくれる彼を、自己正当化のためにウソをつき訴えるというのは、政治家としてのみならず、人間として到底許されるものではありません。...
わたしは、怒りと憤りでいっぱいです。武田康弘

コメント

従来の自民党政府ならば、日本はテロとは無縁の国。愚かな安倍違憲政権の恐ろしさ。

2015-11-17 | 社会批評

小泉政権から変わりだし、安倍政権で大きく右に傾いたわが日本は、テロを心配しなくてはならない国になりました。

親アラブで、アメリカとはその点で距離を取り、独自外交をしてきた旧自民党時代ではありえなかった事態になったのです。

イスラム国のテロ行為は許しがたいものですが、その原因つくり培養したのは、イラクでのアメリカ軍を中心とする無差別の空爆=巨大な暴力行使であることは確かです。

人質事件の真っ最中にイスラエルを訪れ、武力主義の首相=ネタニヤフと握手し、テロとの戦いを宣言した安倍首相は、過激派だけでなく一般のアラブ人までにも悪感情を植え付けました。

これほどまでに愚かな政策を実行してきた背景には、戦前の大日本への回帰を希求する「日本会議」のウヨク思想がありますが、日本国家主義のイデオロギーに囚われると、現実的に国民が損害を受けるだけでなく、その歪んだ想念に支配され、人間的自由や幸福が奪われていきます。

実に愚かで、危険です。得も徳も失います。

安倍首相の罪は計り知れないほど大きなもの。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員)

コメント (2)

なんで?不思議においしい森修焼の器ーーーわが家はこればかりになり。

2015-11-17 | その他

 1年ほど前に妻が「我孫子生活センター」で買ってきた森修焼のカップ、なぜか、これで飲むとなんでもよい味なる。どうして?

 不思議なこともあるものだ、と思いましたが、その説明書がありました。以下です。わずか5分でも置いておくと味が柔らかくなり、甘み=旨みが増すのです。これは体験してみないと分からないでしょうが、その変化はかなり驚きです。

 食器ひとつで味が変わるとは。


 我が家の森修焼
 クリックで拡大

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 陶器の絵柄をきれいにみせるためなどに使用する鉛やカドミウム等の有害物質は体内に蓄積され、様々な健康障害を引き起こす原因になると報告されています。
「健康の基本は食事なのに、食器に有害な物質が使用されているのは問題」という思いから「森修焼」は誕生しました。

「森修焼」は鉛やカドミウムなどの有害物質を一切使用せず、長年の石の研究による独自ブレンドの高純度天然石を釉薬とした安全な陶器です。「森修焼」がお届けする陶器の数々を毎日の健康生活にお役だて下さい。

  森修焼はマイナスイオンを発生させ、さらに備長炭より高い遠赤外線効果をもっています。だから、料理を食べる時や水を入れて飲んだ時に「いつもと違う!」と言われるほど美味しくなるんです。使っていてリラックスするのも、マイナスイオンのお陰かもしれません。

 森修焼陶器の特長であるマイナスイオン・遠赤外線発生の効能には有効期限がありません。ずっと長い間お使いいただけます。
ただし、陶器ですので割れる場合がございます。お取り扱いには十分ご注意ください。もし割れたり、破損した場合には観葉植物プランターの土に入れて下さい。割れてもマイナスイオン・遠赤外線の効能がそのままですので、植物が元気になります。


 

 

コメント (3)

今更ながらですが、人間の活動は、すべて「性的」な力を土台としています。

2015-11-14 | 恋知(哲学)

簡明な真実を見ないふりをする人が多く、「性的」であると言って非難する言い方が流行っていますが、性的な臭いがする、と非難するならば、何かしら魅力ある営なみは、芸術はもちろん学問も仕事もすべて「性的」であると言って非難されることになります。

魅力あると感じるあらゆる物品・事象・営み、そして人間存在は、すべて「性的」です。

こんな当たり前のことすら分からない人が多く、自分は性的でないイコール正常といわんばかりの言説で溢れます。呆れ返ります。それは、わたしは灰色でなんの魅力もありません、と言っているのと同義です。

その昔、フロイトがあんまりほんとうのことを言うので、ウィーンでは貴婦人!?たちが「なんてイヤらしい!」と非難しました、わたしはイヤらしくないのよ(笑)と。こういう自己欺瞞=お笑いレベルの話が今日も続く。 ああ、恥ずかしい限り。

 
 クリムト (ウィーンの孤高の天才)


武田康弘

コメント (1)

個人レベルでは、状況に応じた「不道徳」や「いい加減」は、とても大切です。

2015-11-13 | 恋知(哲学)

いま個人の趣向や癖、個人の個人の人間関係までをも規制するかのような思想=発言が、相次ぎます。
えっ、なんでニュースになるの?ということが語られ、書かれるので、日本中、頭おかしいんじゃないの?とわたしは思います。

高校生と付き合う学校教師云々!?それがなんでニュースなのか?二人が合意していれば問題などあるはずないでしょう。
ニュースというのは、公共的な話を伝えるべきです。

個人的な領域にまで「正解」を求めるのは、人間性を抑圧するファシズムの思想であり行為です。
違憲政府がのさばっている現実に厳しくすべきなのに、個人的レベルの話をスキャンダラスにニュースにするのは、個人抑圧の根源悪です。

そもそも個人レベルで、適度な反社会性や不道徳やいい加減さがない社会は、不健全な恐怖社会です。
厳禁の精神こそが狂気の国家を生みます。
ギリシャ神話(プラトン「饗宴」)では、固い規律、厳禁の神であるアナンケを、恋愛の神であるエロースが打ち破ったので、神々の間に平和が訪れ、やわらかな秩序ができたと言われます。

固まじめは、自他を不幸にし、かえって内的な善美への憧れを育てません。状況により、不道徳と思われることや羽目を外すことも必要です。
自他のありのままを認め、自分も他人もあまり「追い込まない」ことが大切です。

頭と心が型ハマりの日本を変えなくては、です。
他人の目に怯えず、もっとおおらかに、もっと伸び伸びと!!


武田康弘

コメント (3)

戦後70周年、町内会の「回覧」に見る、戦死者の差別の仕組み。

2015-11-12 | 社会批評

あえて、日本人のことだけに限定して書きますが、

もうあまりも遅い戦争終結のために、
沖縄戦で言葉にできぬ悲惨な死を遂げた人々。

東京大空襲や各地の空襲で、
広島と長崎の原爆で爆風と放射能で死ななければならなかった人々、

彼らの死と、皇軍兵士の死との間には、大きな断絶=差別があります。下の町内会「回覧」を見れば一目です。

断絶=差別は当然なのでしょうか?

戦争は肯定されます。兵士たちの行為は称賛されます。真善美ではなく、政府に従えばよいのです。
われわれはいつまでこういう思想と行為を続けるのでしょうか?

皇族を含めて、戦争を起こした権力者たちの遺族は、いつまでも「エリート」で、いつまでも「支配的政治家」で、いつまでも「高級取り」です。このような社会にはどこにも「善」はないでしょう。真も美もありません。

最高責任は、東条英機ひとりにあり。なんという酷い嘘で固められた日本国であることか。国家レベルでは、ウソ偽りとゴマカシで押し通してきたわが国でどうしたら道徳が成り立つのか。鉄面皮を続ける限り、どこまでも精神は腐り続けます。



コメント

マイヨール「河」の写真ー作品の意味が不分明な「世界美術大全集」と染谷裕太君との比較。

2015-11-12 | 学芸

fbでの染谷裕太君のページでのやりとりです。

武田康弘
以下は、最高の美術全集といわれる小学館の「世界美術大全集」第二十三巻 280ページの写真だ。

マイヨール81歳の傑作=「河」だが、
このアングルだと、足が重なってしまうために「流れ」が感じられず、「躍動感」「立体感」も乏しくなる。べたっと平面的。写真にうるさかったマイヨールが見たら怒るよ。
 写真家が作品の意味が分からずに撮っているからだよ。監修者もこれでよしとしたのでは、彫刻が見えていない証拠。

 
 小学館の「世界美術大全集」第二十三巻 280ページの写真


裕太君の写真は、意味をつかむ目=頭脳の持ち主によるものであることが分かる。さすがタケセン直伝!(笑)


裕太君撮影の写真

 

染谷裕太
そう!僕も何枚も撮ってる中で脚が重なったらダメだと思いました。加えて顔と身体のラインもしっかりと見えるような彫刻の「正面」を探して撮ってました。確かにこの写真だと重たくなってしまう。


武田康弘
やはり自覚的に構図ー角度を決めたのだね。意味論としての写真撮影が身についている。素晴らしい!日々の努力の賜物。

 

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

前後しますが、以下のやりとりが先にあり、上に続きました。


武田 康弘
それから、パリでは、ぜひ、ルーブル美術館の近くにあるカルーセル庭園で、マイヨールの一八体の彫刻群(豊かな女性像)を。写真で見せて!

これらの彫刻は、マイヨールが72歳の時に最後に出会った美しいモデル・ディナ・ヴィエルニ(当時まだ15才でマイヨールを敬愛し、彼の死まで10年間を共に過ごした)により後年寄贈されたもの。かのアンドレ・マルローの大いなる支持を受け、すばらしい庭園に林立しているはず。

そのディナ・ヴィエルニが、マルローの全面的な協力をえて建てたのが、小さいが内容の濃いマイヨール美術館です。ここはどうしても行ってほしいな~~
内側からの湧出、内的充実の極みのマイヨールは20世紀最高の彫刻家だとわたしは確信しています。 

染谷 裕太
マイヨールの彫刻は一応予定に入っていましたが、分かりました。必ず行きます(笑) パリには少し滞在するので美術館の方も。一応明日到着予定です。楽しみだな~(笑)

------------------------------------

染谷 裕太さんが新しい写真28枚を追加しました

タケセンリクエスト、マイヨールの彫刻。
 室内のはオルセー美術館にのもの。屋外のは全てカルーセル庭園。マイヨール美術館は10時過ぎに行って閉まっていたので休館かと思ったら、後で調べたら10時半開館だったので出直し。
 写真を簡単と思ったことはないけど、いやしかしこれは撮るのが難しい(笑)

 

コメント

武田 康弘
いや~~~~素晴らしい!!
マイヨール彫刻群、よく撮ってもらい感謝だ!!
美術図鑑や本(「マイヨール」評伝)にある写真では印刷が悪く、ディテールが表現できていないので困っていたが(唯一、小学館の世界美大全集は優れているのだが、少ししか写真がない)裕太君の写真ではじめて全貌が明らかになり、とても嬉しい。
構図や光線もよく、ロダンと異なり写真になりにくいマイヨールのすばらしさが伝わる。内的充実の極み、内側から湧出する力が!!

染谷 裕太
おお、良かった(笑) カメラの良さに非常に助けられてます。流石史上最高のコンパクト。マイヨール美術館の方は今から行ってきます。あと少し調べたらマイヨールの出生地にも美術館があるのですね。ボリビアで会ったフランス人に会うために予定変更でローマじゃなくスペインのマドリッドからエジプトに飛ぼうと思っているので、そちらも訪れてみようと思います。

 
武田 康弘

裕太君の「河」の写真、発表されている写真(美術全集とネット上)でダントツの1位だ!いま西山君も比べて、「おお!」と感嘆。
で、いま授業中で、今日は、宗教表象の問題から深く面白い話をしたよ、写真送るよ。


染谷 裕太

一位!なんか気分よいです(笑)
授業は相変わらず充実して楽しそう! いま内田さんとやっている超越性原理の問題ですね。宗教を超えられるか否かの核心点と思いますが、うん、面白そう(笑)

マイヨール美術館の方ですが、いま閉館中で来年の9月に再オープンのようです。なんとも残念。たぶん出生地の方の美術館はやっているでしょうから、そちらでよいものがあれば買って送ります。

 
武田 康弘

うん、どうもありがとう。いろいろ収穫あるね、ありすぎのフランス(笑)。
出生地はギリシャに似ているとのこと(マイヨール本人談)。たのしみ~~。

宗教を超える話、面白いよ、みな興味津々。わくわく。

染谷 裕太
なるほど。確かにスペイン国境沿いだからピレネーの山々を後ろに、正面は地中海ですから、山がちなギリシャと似ているのかも。

武田 康弘
「河」だけではなく、「山」も「とらわれの」二枚も他にないよい写真だし、ヴィーナスをこのように撮った写真もない。す ば ら し い~~~

染谷 裕太

晴れ予報でしたがそう上手くはいかなかった(笑)


武田 康弘

3人のニンフ、理想化しない美ー自然法爾にという親鸞の言葉を思う。

武田 康弘
イル=ド=フランス (フランスの国土を象徴する古典的名称)、

少し広角のレンズで近くからなので、その「誇らしい美」が際立つ。
凱旋門と重なりいかにもフランス=パリ。

武田 康弘
写真は、1944年、マイヨールの死の年(82歳・交通事故)にディナ・ヴィエルニ(25歳)と。
彼女は15歳の時からモデルとしてマイヨールに尽くしたが、彼の死後にアンドレ・マルローの全面的な協力を得て、マイヨールの彫刻群をこの公園に設置。また、マイヨール美術館を建造して運営にあたった。

染谷 裕太
あの3つの作品が75歳からという高齢でつくられたのは、最後に最高の出会いがあったからなんですね。それにしても、あれを70過ぎてから創るのか。信じがたい。人間の、外からでなく、内から溢れてくるエネルギーの成せる業ということでしょうか。

武田 康弘
「河」は81才、なんとも信じ難いが、ネオテニーとしての人間そのものだ。人間賛歌じゃ! 日本の型ハマりー「〇〇らしく~」という人間性抑圧文化と正反対。「エロースの生」は死んでも死なない人生を与えるのだ!!

 染谷 裕太
人間賛歌は、まさに古代ギリシャ!
彫刻のタイプは全然違っても確かにマイヨールはギリシャに通じるものを感じます。世俗的じゃなくて理念的。

武田 康弘
うん、ルネサンスも飛び越えて古代アテネに直結するような、だね。女性の肉体という理念化しにくい(男性より自然性が強く、肉感的なエロスをもつ)対象を、草木や空や海や川・・の自然物を丁寧に見る=詳細に観察し感じ入る、そこから理念化する。だから、古典のアテネが現代になったのだ。すごいことだよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

染谷 裕太さんが新しい写真7枚を追加しました。

もっとよく写ったものを撮りたいと思い、カルーセル庭園に性懲りもなく通っているのだけど、写真を撮っていると、彫刻(マイヨールの山)のおっぱいを触りながら写真を撮って喜んでいるムッシュ達がいた。その滅茶苦茶楽しそうにしている様子を見て僕も笑っていたら、「ウヒヒ。お前も好きだね」と言わんばかりの笑顔を向けてこちらをゆび指してくる。聞いてみたらパリでデザイナーの仕事をしているらしい。陽気で明るくてこっちも楽しくなるな。そして同時に、黒人の歴史を想うと逞しいよなと思う。

あと、アフリカ行きの日取りが決定した。
12月14日、スペインのマドリッドからエジプトのカイロへ飛びます。初めは、チケット安めなのと旅情的にローマからエジプトへ、と思っていたけど、トゥールーズ(フランス南西部)でボリビアの宝石の道で出会ったフランス人に会いたいのでスペインからに変更。残りひと月ちょいで南仏とスペインでは時間が全く足りないと思われるので、たぶんスペインはほぼバスだな。

エジプト古代最後の都アレクサンドリアから大河ナイルに沿ってサハラを南下、エチオピアで山岳を越え大地溝帯(グレートリフトバレー)へ入る。赤道をまたぎサバンナを抜けると再び沙漠。最後は大西洋を望みながらケープタウン、喜望峰までの長い旅路・・・。うーむ、こりゃーロマンだな。なんて凄い体験ができるんだ。今からワクワク!

 

コメント (1)

明日の水曜日は、恋知の会。(1)「一神教」を超えるという課題。(2)マイヨールの彫刻について。

2015-11-10 | 学芸

明日の水曜日は、恋知の会

(1)「一神教」(キリスト教などの超越的な思想)を超えるという課題。明治政府がつくった天皇教も疑似的な一神教です。
    「自然」と「自分の存在という宇宙」(=内的な善美の座礁軸)を基に生きるフィロソフィ=恋知の大切さ。

(2)外なる世界や超越ではなく、内側からの塑像、内的充実の象徴=マイヨール彫刻について。+マイヨールの人物像も。
   ちょうど染谷裕太君がパリから彫刻群の写真(わたしの依頼で撮影)を送ってくれたところです!!

白樺教育館で、1時開場。1時30分開始です。

写真は、裕太君が3日前に送ってくれたルーブルと凱旋門近くの公園に林立する18体のマイヨール彫刻群からです。最後の写真 「河」は、81才の作品。




武田康弘

 

 

コメント (2)

名前のついているものしか分からない。内からの湧出が幸福の条件。

2015-11-08 | 恋知(哲学)

名前のついているものしか知らない=分からない人が多いようです。

運動をするのは、競技スポーツ。〇〇△と名前がついていることをする。
勉強は、決まっているプログラムを進行させること。受験勉強しかしらない人がほとんど。
大人になったら、〇◇教養講座。エクササイズを教えるなんとか教室。

内発的といわれても何のことか分からない。

20世紀最高の作品をつくったマイヨール(ロダンは驚嘆・嘆息)が本格的に彫刻を始めたのは、50歳近くになってから。内側からの湧出そのもの、内的充実の象徴です。
小説の神様とまで言われた志賀直哉は、「文法は知らず(実際、試験では最低点)、わたしは、自分自身の律動で書く」と言いました。
アインシュタインは、赤点で高校中退、大学も落ち、数学の才能を認められて拾われたのです。いつも光速で旅したら世界はどう見えるか?と考えて(夢想して)いました。

こういう例は限りなくあり、あげたらきりがないのですが、
どういうわけか、心の奥深くまで既存の価値評価に囚われて、自他の評価が恐ろしく紋切型。

自分が想うことを育てる方法を知らず、いつも名前のつくこと、名前がよいと言われることをする。既存の価値を超えようとする人は、別の名前(権威)を追い、従う。

名前のつかないことー心を見、心の声を聴き、心の赤裸々な想いを知るー名前に囚われない言動を知らないと、死ぬまでイノベーション(内発的変容や発展ではなく、外なる価値を内面化させてそれを追いかける)という名の罠に嵌ったまま。
永遠の遁走。いつもいつも忙しく逃げ回る(笑)そして、永遠に幸福が来ない。


武田康弘

コメント

宗教対話Ⅱ 「超越性」という発想はすでに無効。「宗教表象」による現実への応答は限界に。

2015-11-05 | 恋知(哲学)

 続いての質問です。 内田

 

  私 は、フィロソフィーとは、みなが深く納得できる【普遍的な考え方】を提示する普段の努力という基本思想に共感致します。先生のフィロソフィーとは、世俗の価値を否定するのでなく、世俗の世界の只中にありそれを包括して普遍性の価値に引き上げていく行為だと伺いました。まず、三点ほどご質問します。

①竹内先生が言う、「超越性原理を持て」という考え方は、宗教に限定してのご主張ではなかったのでしょうか?フィロソフィーにも竹内先生は、超越性原理を求めておいでなのでしょうか?

② 普遍宗教の超越性原理とは、武田先生の考えるフィロソフィーとどのように違うのでしょうか?私は仏教徒なのでゴーダマ・ブッタが説いた思想について考えま す。ブッタは、普遍的な原理ともいえる「自灯明・自帰依」及び「法灯明・法帰依」を主張したとされています。この思想は、普遍的であると共に、超越的であ るとも言えます。決して絶対的な真理を言っているわけではありません。生活世界で苦から脱し、よく生きるとは、何であろうかという、原理的な問いについ て、ブッダが考えた思想であり姿勢でありました。ブッダの悟った生き方の実践とその継続、心身を通して自覚的に内在化させていく行為や働きが仏教の説く、 超越性原理であると思っています。ブッダの言った超越とは、内在的な超越であり、「解脱」を求めるということでしょう。本来の自己に目覚めること、そこに 一つの神、神そのものをも必要としない仏教の超越性が、普遍性を求めるフィロソフィーと、共通の地平が開けるのではないでしょうか?私は、武田先生いう主 観性の知の問題と関係すると思い、仏教徒としての私の考えるブッタの思想に関する私見を申し上げました。この考えが妥当するかどうか及び、他の普遍宗教に ついては、わかりませんが。

③ 最後に先生のフィロソフィーでは、「対立」がキーワードと考えます。私も共鳴しておりますが、宗教では、「対立」は必ずしも必要ないと思うことがありま す。例えば、親鸞や良寛の思想、親鸞でいえば「自然法爾」という思想がありますね。親鸞思想の到達点と言われておりますが、対立を超えたところに宗教的な 救済があると思うのです。フィロソフィーと宗教の違いかもしれません。親鸞を敬愛する武田先生は、如何に考えられますか。

専門用語を多く使いましたが、武田先生フォローして頂ければ、幸いです。

======================================


お応え  武田

 内田さん、 共感、嬉しいですが、
「世俗の価値を否定しない武田哲学」という点が③の質問とも関係しますので最初にお応えします。

  わたしは、世俗の価値を「否定」しませんが、世俗の価値と「対立」することは多々あります。「対立」することではじめて「一面的な世界」が変わります。対立がないと、のっぺらな平板で、同一の価値観で染め上げられたエロースのない世界に陥ります。それは、人間を幸福にせず、灰色で淀んだ空気を生むだけです。

 善美への想いを座標軸として日常を生きると、世俗の価値と一致しないことがありますが、その時は、明確にその理由を述べ、「対立」することが必要です。その営みなしでは、世界は色づかず、活気づきません。これは人間的なよき生の原理なのです。

 ーーーーーーーーーーー

 では、①について。

 竹内芳郎氏の超越性の概念は、「宗教に限定したもの」ではまったくありません。

 わたしが27年前に企画し主宰した我孫子市民会館での講演会『盗まれた自由』(1988年10月9日)の模様は、『ポストモダンと天皇教の現在』(ちくま書房刊)の冒頭論文になっていますが、そこには以下のようにあります。

「日本人の集団同調主義に対するに『個人の自立』は大切だが、それだけでは不足で、『超越性の原理』をもつことが必要だ。それは世俗の価値を相対化する原理なのだ。」(要旨)と述べ、超越性原理をもって現実を生きることの必要が力説されています。

そこから強い超越性原理をもつキリスト教への高い評価が出てきます。

したがって親鸞思想を評価しつつも、超越性の程度において劣ると言います。阿弥陀仏という人格神を絶対神として立てているが、その思想は法然という人間への信頼→帰依であり、中途半端である。キリスト教は、「生き生きとした人格神を絶対他者=超越者として定立する」ことにおいて徹底しているゆえに世界的な普遍性をもった、というのが竹内芳郎氏の見方です(詳しくは『意味への渇き』5章D)。

 以上のような宗教の見方と価値評価は、いまでは有用性があまりないと思います。人間の生のありようを宗教表象を基にして考えるということ自体にわたしは賛成しません。そういう役割を宗教がもった時代はすでに終わっています。

ーーーーーーーーーー

 次に②ですが、

 わたしの「私の善美への憧れを座標軸」に生きるというのは、生活世界の中に「善美」を見たり感じたりすることですが、それは、子育てをする中で、あるいは、他者との会話の中で、あるいは、音楽を聴き、絵画や彫刻を見る中で、あるいは、本を読む中で、あるいは写真を撮る中で、あるいは散歩する中で、感じ知ることを基に思考して得られる視座です。

その中に、仏典や聖書を読むという営みが入ってもよいわけですが、それらが特別な地位を占めることはありません。宗教書もさまざまな体験・経験の中の一つに過ぎません。

わたしの場合は、とりわけ幼子→こどもたちとの交流の中で見聞きすることが深い思考を誘発し、善美への新たな視座が開けることが多いです。なまの経験が頭を刺激するのです。また、音楽を聴きながら思考することもありますし、いつもの手賀沼遊歩道での散歩中に新たな見方・考え方・生き方の発見もします。

 ブッダの内在的普遍性の追求→到達点と、わたしの恋知との異同についてのご質問ですが、それはどうでしょうか。何が同じで何が違うかは、判然としません。わたしは釈迦の思想や親鸞の思想にも感じ入ってきましたが、直接わたしのフィロソフィと関連させようという考えはありません。

 ーーーーーーーーー

 では最後の③です。

「対立を超えたところに宗教的な 救済があると思うのです。」(内田)
と言われるときの心=意識=精神は、宗教的な境地でしょう。

  わたしは、人間の現実(もちろん理念やロマンの世界などの非現実を含みますが)について話しています。人間は言葉により世界を分節化し、意味づけ、思考していますから、「対立」は意識するとしないとに関わらず必然です。明暗、軽重、動静・・・・という事象をから、善悪、美醜・・・という価値を表す言葉、男と女、こどもと大人、生徒と教師、すべて「対立」する言葉です。

  対立がなければ世界はのっぺらぼうです。現実の人間関係でも、こどもの言い分と大人の言い分は食い違いますし、社長と社員の言い分も異なることが多いでしょうし、男と女の意見の相違は永遠(笑)でしょう。そういう対立があるから世界は動き、色づき、活気にあふれ、立体化するのです。対立を恐れたら、生気のない死んだ世界になってしまいます。否定は元も子もなくしますから困りますが、対立は何より大切です。

武田康弘

 =========================================



武田先生

  お答えありがとうございます。少し考えてまたメールします。武田哲学と宗教の差異性が分かりました。

 

 以下の点を確認できました。

①竹内先生の超越性原理について承知しました。(解放の神学を高く評価していました)

→宗教の原理を人間の生の原理に適用するのは反対、有効ではない。

②先生の「私の善美への憧れを座標軸」に生きるというのは、生活世界の中に「善美」を見たり感じたりすること、子育てをする中で、あるいは、他者との会話の中で、あるいは、音楽を聴き、絵画や彫刻を見る中で、あるいは、本を読む中で、あるい は写真を撮る中で、あるいは散歩する中で、感じ知ることを基に思考して得られる視座でということである。哲学書を読んだり、宗教書を読んだりするのもその経験の一部分であり、特別な位置をしめるものでない。

③人間の生の現実において、「対立」は必然であり、必要なものである。対立があるから生活世界のダイナミズムがある。対立がなければ、生気のない死んだ世界となる。

 

 以上の①②③により、武田フィロソフィーと、宗教や宗教の論理との相違を確認できました。それは、人間の生の現実において、よく生きるための知について、またよく生きるための方法についてのことでした。もはや、生身の現実社会の中では、宗教的な超越性原理の有効性はなく、それとは異なる普遍性の探求こそ必要ということだと思います。私は、この提案は非常に重要なことと思います。現実の世界は、宗教紛争や民族紛争が基に、目を覆うばかりの悲惨や悲劇が繰り広げられています。そこから脱出するヒントがあるかもしれません。

 

私はブッダの「自帰依」の思想は、主観性・個人の尊重を基にしており、私見として、武田先生の主観性の知の思想に近いものを感じています。→私が引き取って考えていきます。


内田卓志

 

コメント

女子の独白ー政治なんて関係ないし~、でも日本人は日本人。強い安倍さん、カッコいい!やっぱり自民党よね

2015-11-04 | 学芸

政治や国のありようなんて、わたしなんかが考えてもしょうがないし、関係ないし~~、で、そんなこと気にしないのが当たり前でふつうの人でしょ。
意見はいろいろで、分かんなーい、から、どっちでもいいしーー。
学校のテストに関係ないのに、意見なんか言っている人って、変人よね。

政府に逆らったら損ばかり、バカよね。
みんな日本人なんだから、政府と国民は一緒よ。自分の仕事に頑張ればいいのよ。昔から身分を弁えるのがニッポン人の美徳でしょ。
民主主義って欧米のものだし、日本は日本主義で、餅は餅屋。政治は政治の専門家に任せればいいのよね。

やっぱり天皇陛下が居て皇室が3000年も続いているから素晴らしい国、世界のどこにもないよい国よ。
ニッポンちゃちゃちゃ、ニッポンはアジアで一番、中国なんて、アメリカ軍と一緒にになって抑えつければいいのよ。いうこと聞かなきゃ、やっつけるだけよ。
安倍さんの強気、かっこいいわよね。悪い国をやっつけるには、強い軍隊にして戦争準備が大切って、安倍さんの本にそう書いてあるそうよ。
大きな国、強い国に!!

いやな人は出ていけばいいのよね、そういう人は「非国民」なんだから。
教育も変えるそうよ、人権なんてことばに怯える必要ない、日本人は天皇中心の国だからって、『反人権宣言』って本出した安倍さんの親友の八木さんが書いてるって。ニッポンはニッポンの常識でやれば良いんだって。そうよね。これからは、学校で子供たちに日本人の自覚を持つように教育するんだって。日本人っていう自覚に一番大事なのは、日の丸と君が代で、「君が代」はあの偉い明治天皇に捧げられた歌。すごいわよね~~~

日本は天皇中心の国だし、日本人は日本人。これって当然よね。
考えが違う人は、日本では不利な目にあっても仕方ないのよね。だって、「日本人は一致団結しないとダメ!」って、自民党の一番偉い人も言ってるしーーーーー。

 


安倍さんと自民党と、強いものと大きなものが何より好きな女子の独白(武田作)、すばらしい!って思われる方、多数かな?(笑)


ちなみに、現天皇と皇后、皇太子夫妻は、日本をそのような天皇中心の国とはまったく考えていません。
なお、安倍さんの本とは、「美しい国へ」と改訂版「新しい国へ」(題名だけの変更で中身はほとんど同じ)。
安倍さんの親友とは八木秀次麗澤大学教授で、「反人権宣言」(ちくま新書)や「明治憲法」(PHP新書)を出している右翼の社会思想家。スウェーデンなど人権先進国・高福祉国を目の敵にする人物で、政府の教育再生実行委員会の中心メンバーです。
自民党の偉い人とは、谷垣幹事長。

 

 

 

「戦前回帰」は必読本。右派の人にもお薦めです。

 

 

 

 

 

 

コメント