思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「問われるべきは、意味のない法律の方です」 スバル、日産問題で、大手オーディオ店から正鵠を射るメール。役人天国

2017-10-31 | 社会批評


 最近、日産とスバルが、
「国が定めた方法で完成車の検査を行っていなかったこと」が
大きな問題になっています。

 あらゆるメディアは「日本車の信頼が失墜」などとかき立てていますが、
それは事実ではないと思いませんか?

 なぜなら、国が定めた方法で行っていなかったにもかかわらず
「重大な事故や故障は一度も起きていない」からです。

 「日本車の安全は事実が物語っているのです」から、
問われるべきは「国が定めた法律」でしょう。

 この法令に漏れず、私たちの周りには「無駄な基準」が多すぎます。
そして、その基準を満たすための検査機関は「退職役人の天下り先」になっているのです。

オーディオに関係するのは、電気用品安全法や電波管理法などですが、
無意味な基準や規則が多すぎます。

それをクリアする検査も、めちゃめちゃ高額な上に、
検査を通過していても「裁判では安全性が保証されない」のです。

 意味が分かりません。安全のために行う検査に合格しても、
トラブルが起きれば企業は一から安全性を立証しなければならないのです。

 それなら、何のための基準であり、検査なのでしょう。

 日本は、役人天国。

 事故を起こさなかったメーカーが責任を追及され、

生徒を自殺に追い込んだ教師を見て見ぬふりをしていた管理職に
「法外な退職金」が支払われ、

法の番人であるはずの警官が法や規律を破っても大甘の処分。
「お上の側」と「平民の側」で、こんな不公平がまかり通る。

本当に頭にきます。


以上は、
大手オーディオ店からのメール(メルマガ)。



☆本来、公務員は国民みなの奉仕者なのですが、そうではなく、彼ら独自の論理で動き、組織の利益を優先してしまうのは、ほんとうに困った問題です。

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「国は、」という言い方は、明白な間違えですが、いつまでも訂正されません。怖いことです。

2017-10-31 | 学芸

 主権者を市民・国民とするのが民主政治ですが、民主政社会における国(国家)とは、主権者であるあなたやわたしの意思(「一般意思」)により、つくるシステムのことであり、それ以外ではありません。

 政治レベルの話とは異なる、言語とか歴史とか生活習慣という意味での国は、ネーションであり、それは文化的レベルでの話です。また、故郷という意味での国は、カントリーで、気候風土など自然レベルの話です。

 政治レベルにおては、責任の所在を明確にすることが何より重要ですから、きちんと、政府は、官邸は、〇〇省では、と言わなくてはいけません。国は、という曖昧な言い方は、とても不味いのです。問題の所在を不分明にする詐術になってしまいます。

 政治レベルの話でしかないもの(国のありようについての特定の見方や主張や解釈を含む)に、文化や風土レベルの話ダブらせて、まるで日本という実体(物)が存在するかのように思わせるのは、怖い話です。

 これは、明治の維新政府がつくった日本の悪しき「伝統」で、国家神道ないし国体思想とよびますが、まさにシステムを実体化させてしまうのですから、「国体」です。政治的なレベルの国(政府の思想)が、体になり固定化されて惰性態となるのです。知らないうちに個々人の自由を大元から奪う言葉です。

  クリックで拡大・明治天皇が所持していた伊藤博文の写真(狡知な表情)ー宮内庁が公開

武田康弘

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ポール・ルイスのベートーヴェンはいつ聴いても、何度聴いても、気持ちいい。マイベスト。

2017-10-28 | 芸術

外連味(けれんみ)がなく、音が透明で美しい。ほどよく鋭い打鍵で快適。そして、都会的な感覚でお洒落。

ポール・ルイスのベートーヴェンはいつ聴いても、何度聴いても、気持ちいい。

2年半前に称賛の批評を書き、Amazonにも出したが、再録しよう。

来月29日(水)に銀座王子ホールでピアノ独奏会がある(その前の週には歌曲のピアノ伴奏も)。とても楽しみだ。


 

見事なベートーヴェン・ピアノソナタ全集に出会い、興奮! ポール・ルイス

 2015-04-01 | 芸術


まず、16番から聴き始めたのですが、一瞬にして引き込まれました。
流麗で、テンポ感がよく、美しい音。若々しく、みずみずしく、気持ちよい。

その後、次々と聴きましたが、1番2番3番の初期のソナタからして、一曲一曲の違いを丁寧に弾き分け、すこぶる充実した音楽で、ベートーヴェンは、最初から驚くほど内容の豊かな音楽を書いていたのだな、と認識を新たにしました。あの天才グルダの演奏が一本調子に聞こえてしまう!

後期の3曲は、抒情的な優しさを感じ、洗練された響きで淀みなく流れますが、細部まで実によく考え抜かれた演奏で、爽やかで充実感があります。軽やかに躍動するリズムが、後期の曲は難しいというイメージを完全に払拭。

どの曲も、洗練された聴きやすい表現ですが、軽薄さとは無縁。続けて聴いても飽きることがないのです。
ポリー二のような情緒の不足は微塵もなく、固い響きもありません。
ブレンデルのような教科書風の退屈さとも無縁で、流れが止まり、音楽が澱んでしまう箇所は皆無です。ブレンデルは、テンポを落とすと音楽が止まりがちですが、ルイスは、グッと腰をおろしてスローにしても音楽は動きを止めません。

荒い打音はありません。「熱情」も素晴らしい迫力で、技巧も高いですが、柔らかみをもち、キツい音にはならず、上質さを失いません。独創的かつ普遍的で感嘆するほかありません。どの曲も打鍵に余裕感があり、品位が高いのが特徴ですが、その品位は、貴族趣味やエリート臭さとは無縁で、健康な近代的市民の品位なので、誰しもが好感をもつでしょう。それに、身体の大きさ(?)からくる余裕の強音は、なんとも気持ちよい。

「悲愴」、「月光」というポピュラーな曲も実に新鮮に聞こえます。大変な名演です。最大の難曲、29番「ハンマークラヴィーア」は、これまで満足な演奏に出合いませんでしたので、おそるおそる聴きましたが、杞憂でした。力まずに豪快、カッコよくて痺れます。2楽章は軽やかで楽しく、長大な3楽章はチャーミング、終曲はとてもスケールが大きい。

 これは、一押しの全集です。

古い名演、バックハウスは動きが鈍く面白味が少ないですし、ケンプは抒情性の豊かなところは共通ですが、感覚の洗練や知的な解釈、それに技巧で劣ります。グルダの見事な演奏も全曲が色が同じで飽きがきます。アシュケナージは音楽職人で面白みがありませんし、ポリーニはイタリアの大理石でベートーヴェンの豊かな感情世界とは無縁です。最近ではシフの演奏は優れていますが、頭でつくられた感じが残り、うまく乗れません。バレンボイムのは外側からつくられた音楽で興ざめですが、対してルイスは、内側からの音楽で、感じ切っています。誠実・真心に満ち、自己顕示がなく、落ち着きがあります。

偉大なベートーヴェン、音楽の帝王という過去の像ではなく、豊かな人間ベートーヴェン、若々しく健康で美しい新しいベートーヴェンです。今まで聞いたことのない独創の塊なのですが、とても自然なので、違和感がまったくありません。知情意と想像力の四つのすべてに満足ですし、スケールの大きな打音には生理的快感があります。音楽の意味と構造を俯瞰的に捉え、三次元的な広がりと大きさをもち、音は凛として立ちますが、これは超一流の証。多色多彩、パレットに色がたくさんあり、次々と変わりますーまるでホロヴィッツのようですが、ベートーヴェン演奏としては、ルイスの方により普遍性を感じます。

強靭でかつ抒情的、心優しく爽やかで、軽薄とは無縁の軽さ。音も和音も透明。何度でも繰りし聴きたくなる名演ばかり。ルイスは、誠実で内面世界が豊か、こころから感じ切っています。音楽への純粋な愛があり、コンクール主義とは無縁な稀有な存在と思えます。幼いころから芸を仕込まれた〇〇という感じがなく、自立する人間=芸術家そのものです。

まったく知らずに出会ったポール・ルイス、3週間毎日聴き続け、感動!興奮!  お さ ま ら ず。

 

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山尾さんへのバッシングは、「狂気」のレベル。公私の区別もできない日本のメディアは、後進国の証。

2017-10-27 | 社会批評

いまさら言うまでもないですが、

政治活動という仕事とプライベートの話は別次元です。

公私を混同させたメディアの山尾さんへのバッシングは、あまりも酷く、裏に政治的意図があるのは明白でしょう。

この程度のことで「人物破壊」(小沢一郎さんバッシングの時に欧米メディアが日本の異常性をそう呼んで批判)を行うのは、日本の後進性の証でしかありません。

いつまでこのようなレベルの低い報道が続くのでしょうか。

ほんとうに恥ずかしい限りです。

少しは、大人にならないと、日本がみっともない。

彼女のような有能な女性に活躍してもらうことは、わが国の大きな利益になります。


武田康弘

 

 

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「北朝鮮の完全な破壊」(トランプ大統領) 「日本本土の完全な破壊」(ポツダム宣言)

2017-10-26 | 社会批評

    日本は、「満州国から撤退せよ」との国連決議を蹴り、国連を脱退しました。それによりABCD(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)包囲網で窮地に追い込まれ、破れかぶれの対米戦争に突入しました。対米戦争に反対していた近衛首相は辞職し、代わりに昭和天皇のお気に入りだった東条英機(安倍首相の祖父の岸信介とのコンビ)が首相となり、戦争に突入したのでした。

 半年してからは、どうにもならない負け戦を3年も続け(生きた神である天皇のいる日本は負けるわけがないので)、ついには、硫黄島玉砕、悲惨極まる沖縄戦(全住民の四分の一が死去した生き地獄)、東京大空襲(1945年の3月10日だけでも死者は10万人以上)、もう手も足も出ない状況でも、白旗を上げることは許されず、「一億玉砕」と言われて戦わされ、ついには広島、長崎に原子爆弾を落とされて、ようやく敗戦に。『ポツダム宣言』(イギリス・中国・アメリカによる)を受諾したのでした。

 『ポツダム宣言』には、「日本がまだ戦争を続けるならば、連合国は、日本全土を壊滅させる。」と書かれていました。

  いま、北朝鮮は、国連に留まり、どこの国も攻撃していませんが、トランプ大統領は、「北朝鮮の完全な破壊」と言っています。北の独裁政権の悪はその通りですが、しかし、それで破壊や壊滅が許されるわけはありません。

 わが国は自身の過去をふり返り、冷静で現実的な対応をとることが必要です。北が攻撃をしないのに、戦争を仕掛けることは絶対悪ですが、そういう行為で一番損をするのは、矢面に立たされる日本です。アメリカは遠いのです。安倍首相らの違憲の安保法案で、集団的自衛権 (米軍が起こした戦争に参加できる権利)を行使できるとなってしまった今、アメリカ軍と自衛隊は一体とみられています(現実にそうです)から、戦争になれば、日本が矢面に立たされるのです。

 

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員、フィロソフィーの基礎と「日本国憲法の哲学的土台」を国会職員に講義)

 

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マルクス主義に依拠しないリベラル政党の誕生は、民主性・民主制・民主政の基盤。

2017-10-24 | 社会思想

 明治維新政府の天皇現人神(国家神道=靖国思想=国体主義=廃仏毀釈)という思想に対する自由民権派は、凄まじい弾圧を受け、伊藤博文・山県有朋らの国権主義の政治家により壊滅させられました。

 それに対して、庶民の側にたち、市民精神を育てるために奮闘したのが、白樺派の援助者にして同伴者であった実業家の太原孫三郎(中国電力やクラレの創設者)であり、日本における経済統計学創始者の高野岩三郎(東大教授・後に辞する)やその教え子たちでした。大原と高野は、1919年に官僚政府や既存のアカディミズムに依拠しない民間の「社会問題研究所」(現在も存続)を立上げて、労働問題の研究と改善に奮闘しました。

 彼らは、マルクス主義に依拠するのではなく、主権者を国民とする民主主義思想でしたが、これは今の言葉ではリベラリズム(自由主義)ともいえます。

 一人ひとりの人間につき、公共人=市民としての自覚をもつ人々によりつくられる政治を目がけるのがリベラル政党ですが、遅れた民主主義国である我が国では、それが育たずに、国家神道を是とする靖国主義者の右派とマルクス主義に依拠する社会主義者の左派という両極に分かれてしまいました。

 ある偶然から追い詰められてではあれ、いまようやく市民意識をもつ主権者を基盤とする『立憲民主党』ができました。これは、日本の民主化(正常な理性ある政治)のためには大きな第一歩です。戦前の「日本主義」(明治政府作成の天皇教)やマルクス主義による「共産主義」というイデオロギーによらず、一人ひとりが感じ・想い・考えるところにつき、そこから妥当な線を見出す民主政治のためには、自由と理性を重んじるリベラル政党が大きな力をもたないと困ります。

 みなで応援し、育てていきましょう。
日本の国・社会に、民主性・民主制・民主政を花開かせるために。戦前思想(国体主義)はもうたくさんです。一人ひとりから出発し、一人ひとりによる、一人ひとりのための社会をつくるのです。それがほんとうの公共性。


 武田康弘 (元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員。フィロソフィの基礎と「日本国憲法の哲学的土台」を国会職員に講義)

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各人が「民主性・民主制・民主政」を考え、つくり、実行しよう。戦前思想との決別を果たそう!立憲民主党(祝)

2017-10-23 | 社会批評

 


 

 

 立憲民主党の大躍進。素晴らしい!主権在民の国づくりを今日から始めたい。民主性・民主制・民主政をあらゆる分野で追求しよう~~~生き方革命。

国体思想=戦前回帰の現政権を批判し反対しない者は、人間としての良心に欠けます。黙っているのは、公共人としての権利を行使せず、義務を果たさない人です。恥ずかしい限り。

皆で、立憲民主党の党員になりましょう!!サポーターでも。それが、民主性・民主制・民主政の勝利につながります。地道にしっかり民主主義の道を。民権派が新しい日本をつくる。

 自民党の天敵は山尾さんでした。彼女を消すことは、自民党天国(超がつく利権集団)のために必要で、小沢一郎さんの人物破壊に続くもの。しかし彼女は勝った。感動だ!

 

fbでのわたしの選挙語録をまとめました。


武田康弘

 

 

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「希望の党」は、選挙後に「立憲民主党」に協力すべき。そうでないなら、小池さんに党首をやめてもらいましょう。

2017-10-20 | 学芸

 

 

 希望の党は、人材もお金も民進党が最大勢力ですから、安保法案に賛成することはできないはずです。そもそも「安保法案は違憲」という法曹界の総意に従わないなら、民主政党ではありません。

 あまりに当然ですが、安倍晋三にせよ小池百合子にせよ、憲法学者の総意に反する政治は、国民主権の民主政の社会では許さていないことを自覚しなくてはなりません。それが民主制国家の原理です。

 安保法案による「集団的自衛権」とは、他国(アメリカ)の軍隊と共に戦争ができる権利のことですから、いまの北朝鮮情勢を見ても、危険が著しく増大したことは明白です。もし、アメリカと北朝鮮が戦争状態となれば、米軍の友軍として戦うことができるので、北から見れば、アメリカ軍と日本の自衛隊は融合した存在であり、日本本土を直接攻撃する可能性が高くなります。遠いアメリカは被害を受けず、矢面に立たされて大被害を被るのは日本です。、

 これが、2年前であれば、日本は「個別的自衛権」のみの行使ですから、アメリカ軍の戦争には参加せず、もしも、日本に被害が及ぶ場合のみ自衛隊が出動します。今の状況と比べて、日本本土への被害が及ぶ確率は、各段に低かったのです。それでも、もし北が自爆のような戦争をしたら?その場合は、同じです。米軍の世界戦略上、多くの米軍基地が日本にあるのですから(しかも世界一の高額を日本は負担)、米軍は米軍のために全力で戦います。

 希望の党は、安保法案に賛成などと寝ぼけたことを言っていないで、日本を危険に陥れる可能性が高い「集団的自衛権」に反対している立憲民主党と同じ歩調を取るべきなのです。そうしないなら小池党首を解任するか、それができなければ、前民進党議員は離党すべきです。最大勢力が抜けて小さくなれば、希望の党が存在する意味は消えます。

 

武田康弘

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11月23日(祝) 『飛天の響』フルート&ハープ 二宮玲子作曲「昴天女~インド古謡による」全曲演奏会

2017-10-17 | 芸術

以下のコンサートは、延期になりました。


浄土宗の道住寺で、とても興味深い音楽の催しがあります。

わたしの友人で、作曲家の二宮玲子さんが、インド古典とクラシックを融合させた作品を完成させましたが、その全曲演奏会です。

以下は、二宮玲子さんのfbからです。

11月23日(木・)14時開演

泉岳寺駅徒歩1分の来迎山道往寺の本堂
大学の後輩のフルート・中瀬香寿子さんと
ハープの堀米綾さんの
『飛天の響』と題したデュオコンサートがあります。
(前売り 3000円 当日3500円)

拙作『昴天女~インド古謡による』が初演されます。

道往寺は江戸33観音の27番目札所に指定された
お月見の名所。
大学の後輩の建築家・小川真樹さんの設計の天井からの響を持つ御堂で、天の音楽に浸りませんか。


二年前、道往寺のお月見コンサートでの『月光天女~インド古謡による』の初演以来、
二人のためにインド古謡による「天女の四季」として『暁天女』『走馬天女』を書き下ろしてきましたが、
今回の『昴天女』で、春夏秋冬が完結します。
今回は全曲演奏。(『昴天女』、昨日の晩にようやく書き上げました)


三十年前、まだうら若き作曲家の卵の頃、インドのラーガに魅せられて、カルカッタに北インド古典声楽を春、夏、五回に渡り習いに行きました。
グルからの口述伝承で、取り合えず10の基本タート(音階)を習得。(写真は横浜美術館でのロビーコンサート。懐かしい面々が写ってます)

インド古謡シリーズ、酷暑の中でマスターしてきた北インド古典音楽の妙なる響の数々を西洋クラシック音楽の技法と融合させ、
これからもフルート&ハープの飛天の為に、還元できればと思っています。
皆様、どうかお楽しみに


延期になりました。

作曲家の二宮玲子です


先日告知いたしました、11月23日 『飛天の響き』in道往寺のコンサートは、フルートの中瀬さんが指の骨折で、緊急に手術を受けることになりまして、大変申し訳ありませんが、来年に延期となりました。
以下は中瀬さんからです。

『9月15日夜に仕事から帰ってきて自宅前で転倒、右手人差し指を骨折しました。
すぐに救急で処置したんですが、幸い綺麗に付いたので手術なしで固定しました。
10月に入り経過も良いので固定を外してリハビリを開始、同時に練習も少しづつですが始めて問題がないようでした。
一つだけ、人差し指の第二関節が曲がったまま、動きが悪い以外は。
スリの手つきみたいになっていましたが、リハビリでなんとかなるだろうと言われていました。
ところがおととい再診で骨が曲がって付いてしまったらしく、多分練習開始して思いの外骨が動いたらしいのですが、昨日大学病院に回され再診、手術を言い渡されました。

 本当におとといまでは順調に回復している実感から、確実に演奏会は大丈夫だと信じていたので、たくさんの方々に結果的にご迷惑をおかけすることになってしまいました。

今年年末までの仕事や演奏会はすべてキャンセルしました。
今年中は充分養生して、来年改めて同じプログラムで道往寺の演奏会を開催したいと思います。
丁寧にさらいたいと心から思っています。

本当に申し訳ありません🙇‍♀️

日程決まりましたら改めてお知らせいたします。
どうか宜しくお願いいたします。


 

 

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ノット・東響 オペラシティ第100回。ただ感嘆するのみ。モーツァルト39番はかつてない名演。

2017-10-17 | 芸術

 昨日の演奏会、あまりの名演奏に、感想を一日おいて書きます。

ハイドンの交響曲86番
      チェロ協奏曲1番
(アンコールにバッハの無伴奏チェロソナタ3番からサラバンド)
モーツァルトの交響曲39番

 
 ハイドン86番は、最初はさすがに午後2時開演ということもあり、オケが少し目覚めていませんでしたが、じきに本調子で、終楽章の面白さと迫力に大満足。鳥肌が立ちっぱなし。ハイドン交響曲全集をつくりあげたアダム・フィシャーの名演とは異なり、場面の変転が大きく、たくさんの登場人物がいるような演奏で、とても楽しめました。

 次のチェロ協奏曲は、大変な名演。踏み込みが深く、大きく豊か。わたしはこの曲が好きで、長年、ヨーヨー・マとマイスキーのCDを聞いてきました。彼らの演奏は、それぞれの個性が際立つもので、ヨーヨー・マは楽々と奏し流れるようですし、マイスキーはロマンの香り豊かですが、マインツの演奏は、ハイドンの本質を抉るような強さと大きさを持ち、王道のチェロで、圧倒されました。ノットの指揮は伴奏というのではなく、交響曲の続きのような立派なもので深く満足。マインツは、ソロパート以外はオケのチェロパートを弾いていて、やすみはなし。やる気満々、闘士にあふれ、ノットと意気投合して互いに顔を見合わせてにっこり。

 アンコールのバッハは、柄が大きく豊かで、余裕感のあるもの。身体はとても大きく、音楽も本格的でパワフル。見事な技巧ですが、技巧が際立たず、音楽のゆたかさが優先します。

 さて、休憩。もう十分に満足して、これで終わってもOKのような気分でしたが、
モーツァルトの名曲、39番の音が出たとたん、唖然! もう一段次元が上がり、感激で声が出そうに。

 まるでいま生まれたばかりのように新鮮で、音は生き生きと跳ね、音楽は躍動します。生き物の魅力的な姿を見るよう、震えるような感動で、もう、終曲まで鳥肌が立ちっぱなしになり、金縛り。

 いままで大好きだったアーノンクールの演奏も一面的だと気付かされました。また、ワルターからはじまる(カラヤンは論外)過去の巨匠たちの名演より、はるかに面白く、血湧き肉躍るモーツァルトでした。ヨッフムの名演とは共通性がありますが(39番は聴いていませんが)、わたしの半世紀を超えるモーツァルト体験(39番)のベスト。楽譜の深い読みによる多彩な表現が身体性のよろこびと結び付き、興奮。ずっと続いてほしいと願いましたが(笑)、おわりがきました。押さえていたのですが、思わず「ブラボー!」と声が出てしまいました(フライングブラボーではありません)。

 この場にいる自分の幸せ、愉悦感で、なんとも高揚する気持ち抑えることができません。

 わたしのこの感想がウソでも大袈裟でもない証拠は、CDでぜひお確かめください。録音されていましたから、半年後くらいには発売されると思います。わたしが「日本のウィーンフィル」と呼ぶ東響の弦の美しさも聞けるでしょう。

  マインツさんのサイン会の後で、写真も撮りました。

 



 マインツさんと並ぶと、177㎝のわたしが小さく見えます。


武田康弘

 

 

 

 

 

 

 

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日本人のやることはすべて嘘。 外面、比較、他者との競争でしかない。

2017-10-16 | 恋知(哲学)

学校に行けば、勝ち負け、何番で、比較ばかり。

音楽や美術も、楽しいから、わたしがやってみたいから、という心の内側からのものではなく、比較、競争、コンクール主義。 勝ち負け、うけるか否かの世界。
NHK交響楽団の人たちの固くこわばった顔、内から湧き上がるよろこびとは無縁の演奏。
それを公共放送という名のテレビで流し続ける。まるで洗脳のよう。

生きること自体を問う「恋知(哲学)」の文化はなく、学校ではそういう時間はゼロ。代わりに「道徳教育」とは恐れ入る。自己存在に向き合い、人間とはなにか、人間の存在と存在仕方について思考する、繰り返し問い直すという生きる上で一番大事な作業はしない、ので、

「そんなの分かんな~~い」「話が長くてつまんな~~い」「要するになんなの?」「時間の無駄!」「どうでもいいから出世して儲かる方法教えてよ」「善悪の一覧表でも作って」というような笑えない笑話の次元の人が続出で、それで当然という風潮。

言葉ではいいことを言う人も、本音(日々の生活仕方・価値観)は、五十歩百歩です。

「日本に哲学なし」とか「日本人は生まれながらに哲学とは無縁」といわれて久しいですが、目の前主義で「外面人間になる努力」以外は知らないで生きる人の集団が日本人だとしたら、言葉を失うほど悲しいこと。

 日本にあるのは、ただの事実学の累積と技術知だけかもしれません。
哲学までもその延長で、西ヨーロッパの近代哲学(キリスト教化された視点から解釈されたギリシャ哲学も含む)の書物の読解が哲学と思われているようです。それでは、大学教授の職業テツガクにすぎません。

自分が感じ想うところから、自分の頭で考えるという人間の人間的な生がフィロソフィー(恋知)なのに、その基盤・土台が脆弱なために「情報」や「書物」に頼り知ったかぶりをするのはヒドイ話です。これを読んでいるあなたも要注意! フィロソフィー(恋知)なしに生きるなら、それは人間の人間としての生ではありません。いまの暗記とパターン知のテストで満点を取るような人は、この基盤がない証拠です。

恋知とは、知識ではなく、誰でもがもつ自分の固有の精神世界を豊かにしていく日々の実践です。自分が感じ、想い、考えるのですから、誰でもいつでもできますが、その方向(沈思と自問自答)への教育がなく、個人の努力がありません。それなくしては意味のある対話は成立せず、ただ、相手に勝つ話法と部分知識ばかりの不幸な世界。豊かな人間、人間味ある人間、内から湧き上がるものをもつ人間にはならず、比較、競争、勝負、受け狙い(「他者承認」に怯える強迫神経症者)の外面人間になるだけです。

それならば、「日本人のやることはすべて嘘」になります。心の内から湧き上がるものがないままに「優秀」な人になる!?芸術家になる~???みな「芸を仕込まれたアシカ」になるだけです。なんともヒドイ話ですが、相当程度現実です。人間、人間、人間になりたいものですが、右派(もうほとんど右派?)の政治家たちは、「人類や人間という抽象的な話ではなく、日本人としての自覚を持たせる学校教育」と言い、そのための教育改革を進めています。

ますます「日本に哲学(=個々人の豊かな独自精神)なし」。 変えましょう、まずは、自分から。「エリート」と呼ばれる人ほど、恋知(自分の精神世界)を持ちませんが、それに無自覚です。人間になりたいものです。


  武田康弘 2017.10.15

 

 

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安保法制による劇的大変化=日本は矢面・最前線に。安倍首相の決断。

2017-10-12 | 社会批評

他国の戦争に参加できる権利を【集団的自衛権】という名で呼ぶわけですが、その権利(米軍の行う戦争に日本も参加できる権利)は、従来は憲法9条により出来ませんでいた。

しかし、安倍首相の決断で、憲法を変えなくても、米軍の戦争に参加できることになりました。それを可能にしたのが安保法制と呼ばれるものです。米軍と共に戦争をするためには、たくさんの法律群を全部まとめて一度期に変え、その種々の法律の集合によって、憲法9条を実際上ないものとするという方法です。麻生副総理が安倍首相に言った戦略(=ナチスドイツを真似て、外堀を埋めて憲法を骨抜きにしつつ変える)が、「安保法制」という名の法律まとめ替えのなのです。

では、違憲の法律群=安保法制により、何が変わったのかというと、いままでは、米軍の戦争や作戦行動と日本の自衛隊は別ものでしたから、米軍が戦争を他国に仕掛けても、日本は仕掛けられた国の直接の「敵国」とはなりませんでしたが、今は、違います。日本の自衛隊は、米軍の友軍となり、米軍と一緒に戦争をする可能性があるのですから、アメリカの敵となる国は、日本も敵とするわけです。

こういう劇的な変化をもたらしたのが、安保法制です。安倍首相の違憲を承知の決断により、アメリカの敵国はストレートに日本の敵国となり、朝鮮半島の問題では、地理的にすぐ隣にいるわが日本は、矢面に立たされることになったのです。アメリカ大統領の心一つで、日本は最前線に立たされることになります。まさに劇的な大変化ですが、それがよかったと思う方は、よほどの方だな、と思います。

米軍と一体化するという権利獲得=安保法制で、なにか得があるのでしょうか。国防に有利なのでしょうか。よほどの米軍命という方、米軍のためならなんでもしますという考えの方以外は、みな答えは「ノー」のはず。

 

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)

 

 

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安倍首相が嘘つき全開!森友・加計問題 TBSの党首討論で。

2017-10-11 | 社会批評

安倍首相が嘘つき全開!森友・加計問題は「選挙で説明する」と言ってたのに、選挙になったら「国会で説明する」

リテラ / 2017年10月10日 23時59分

 

 国民の批判からトンズラし続ける安倍首相。選挙第一声は、なんと関係者以外立ち入り禁止のひとけの少ない田んぼの真ん中であげた。国民に約束したはずの森友・加計問題についての「丁寧な説明」とやらは、いったいどうなったのか。

 実は安倍首相、昨晩、『NEWS23』(TBS)で放送された党首討論で、またもとんでもないことを言い出した。安倍首相は解散発表時、森友・加計問題について「国民のみなさまに対してご説明もしながら選挙を行う」と述べていたのに、今度は「国会で説明する」と反故にしたのだ。

 昨晩の放送は、これまで以上にこの森友・加計問題にスポットが当たったが、相変わらず安倍首相は「先の閉会中審査で、前川さんも含めて誰も私から指示を受けていない、あるいは私が関与したということを明確に述べた人は誰もいないわけであります」「ワーキンググループ等のプロセスはすべて公開されている」などとテンプレートの回答ばかり。

 さらには、日本のこころの中野正志代表が「今治市は15回も獣医学部新設を申請してきた」「加戸知事さんの証言はメディアで取り上げられない」などと、やはり安倍首相のこれまでの主張を展開。他の党首討論でも中野代表は安倍首相の「第二スピーカー」状態だが、ここでも安倍アシストの役割で立ち回った。

 そんななか、共産党の志位和夫委員長は「国家戦略特区になったら(今治市が)スッと進んだ。これが問題になっているわけですよ」と指摘。さらに「選挙で丁寧に説明する」と言っていたにもかかわらず、安倍首相が街頭演説で森友・加計問題に一言もふれていないことに言及し、「説明する意思はないんですか?」と尋ねたのだ。

 だが、安倍首相は「街頭演説というのは15分くらい」と言い(別に法律で時間が決まっているわけではなく自己配分でしかない)、「北朝鮮問題は緊迫化している」「少子高齢化は12月にパッケージをまとめなければ手遅れになる」(少子高齢化は何十年も前から問題だったのだが)からこれに時間を割くのは当然という見解を述べ、こうつづけたのだ。

「森友・加計問題については、私はもうかなり十分説明をしてきています。ですから、こういう場で質問されればこうやってお答えするわけですが、街頭演説でですね、これをもう私としては説明するというよりも、また国会がありますから、その場で問われれば説明させていただきたいと思います」

 世論調査でもはっきりしているように、国民からしてみれば「十分説明」などまったく聞いていないんですけど!という話だ。それを「選挙で説明するから」と言って解散した挙げ句、「もう説明したから街頭演説では言わないし、国会で質問して」ときた。国民との●星キャスターに証拠文書の開示を迫られ、安倍首相の口から出たトンデモ発言

 だが、安倍首相はこの党首討論で、さらに耳を疑うような発言をおこなったのだ。

 安倍首相が「国会で説明する」と国民との約束をあっさり反故にしたあと、『NEWS23』はあるひとつのフリップを出した。星浩キャスターが、情報公開の問題として今治市が開示した資料を提示したのだ。2015年4月2日に今治市職員が首相官邸で獣医学部設置に関する協議をおこなったとする出張記録である。

 このとき、今治市職員は官邸で柳瀬唯夫首相秘書官(当時)と会談したとする証言を今治市関係者がおこなっており、これが事実なら、今治市が国家戦略特区に獣医学部新設を提案する2カ月も前に総理側近が直々に協議していたこととなる。しかし、首相官邸はこの日の訪問記録はすでに破棄されたと言い張り、今治市の記録でも市職員が会談した相手は黒塗りとなっているのだ。

 つまり、安倍首相が情報公開のあり方を見直すというのなら、いますぐにでも今治市に対しこの黒塗りを開示するよう求めればいい。それこそが「丁寧な説明」であるが、それを安倍首相は頑なにしない。そのため、星キャスターは「なぜそれをしないのか。やろうと思えば明日にでもできる」と問いかけようとしたのだが、ここで安倍首相は驚くべきことを星キャスターに対して口走った。

「イヤホンちょっと大丈夫ですか」

「イヤホンって何のこと?」と戸惑った視聴者も多かったことだろう。これが何を意味するのか、先月25日の解散発表後に安倍首相が同番組に生出演した放送に遡る必要がある。

 この放送で安倍首相は、やはり同じように森友・加計問題について「国会で何度も丁寧に説明してきた」と強弁。しかし、同番組は、籠池泰典理事長(当時)側と財務省側との交渉を記録した音声データを取り上げ、決定的証拠を安倍首相に突きつけた。だが、安倍首相は「籠池氏は逮捕され、詐欺罪で起訴されました」と繰り返すだけ。籠池前理事長が起訴されたのは補助金不正受給の問題であって国有地の不当取引とはまったく関係ないのだが、安倍首相は籠池氏を"詐欺師"と印象付けることでそのすべての罪をかぶせようとした。

●党首討論の場で、ネトウヨ受けネタをぶちこむ総理大臣

 このように『NEWS23』は、その後も加計問題含め、安倍首相本人にもち上がっている疑惑の数々をぶつけていったのだが、これにネトウヨが大反発。星キャスターのイヤホンから「2人でもりかけ」というディレクターの指示の音声が漏れていたことを、鬼の首をとったかのように騒ぎ立てたのだ。

約束を何だと思っているのだろう。

時間が限られている生放送でダラダラと自分のPRだけやろうとした安倍首相に対し、番組側が少しでも国民が注目する部分に話をもっていこうと努力するのは当たり前のこと。だいたい安倍首相自身が「丁寧に説明する」と言って憚らないのだから、偏向報道でも何でもない"お墨付き"の話題であるはずだ。それをあたかも不正がおこなわれたかのように騒ぎ立てるのはいかにもネトウヨらしい行動といえるが、なんと昨晩、あろうことか安倍首相本人が「イヤホンちょっと大丈夫ですか」と星キャスターに言い、生放送でネトウヨの指摘を"実行"してみせたのだ。しかも、党首討論という国民が注視する場で、である。

 恥も外聞も無いこの態度には、ただただ言葉を失うしかない。それは星キャスターも同じことだっただろう。星キャスターは突然飛び出した安倍首相の言葉に苦笑いを浮かべ、だが怯むことなく「加計問題も安倍総理のリーダーシップによっては国民の納得できる情報公開はできるが」と質問した。

 しかし、安倍首相はその質問には答えることなく、「いちばん大切なことは私が指示したかどうかですが、私から頼まれたと言う人は誰もいない」と、またも同じ話の繰り返し。都合のいい話を一方的にまくしたてた。

 それでも星キャスターは「国民の素朴な感覚からすると、国家戦略特区という新しい枠組みができて、そこで認可されたのが安倍総理のお友だちの学校でした、というのを国民が見て『なんかこれヘンじゃないの?』という意識を国民がもっているということじゃないでしょうか。国民がそういう意識をもつのは、不自然ですかね?」とさらに質問を重ねた。

 だが、ここで安倍首相はおかしな行動に出る。「私が言っても」と口にし、意見しようと挙手していた日本のこころの中野代表に発言を譲ったのだ。そして、中野代表は「(国民が不信感をもつことは)ほんとうに不自然ですよ」と断言。国会の議論も「8割がもりかけ」だと憤慨し、「ちゃんと説明してるでしょ、安倍さんが! にもかかわらずそっちのほうにわざと質問を誘導してですね......」と安倍首相を代弁したのだ。

●都合の悪い質問に安倍首相は自分で答えず、日本のこころ代表に代わりにキレさせる

 自分で答えればいいのに、他党の代表を「鉄砲玉」にして答えさせる。「丁寧な説明」もへったくれもない、なんたる茶番だろう。

 しかし、この中野代表の発言に対しては、立憲民主党の枝野幸男代表が「8割の根拠を出していただきたい。8割は事実と違うとはっきり申し上げたい」と反論。また、「不自然なのは政府の側の対応」だとし、今治市の出張記録の黒塗り部分が情報公開法の非公開事由にあたるとは思えないこと、官邸にいた人間として"面談記録が残っていないということ自体があり得ない"と一刀両断。「ほんとうに後ろめたいことがないなら、なんでこんなに隠すんだ。これで国民のみなさんは不信に思っている」と述べた。

さらに、志位委員長も「いちばん肝心なキーパーソンである昭恵さんと加計孝太郎理事長が口を開いていない」「証人喚問も拒否する。安倍総理が2人を間接的に代弁している。これでは納得できない」と指摘。すると、森友・加計問題についてあまり深く追及することはなかった希望の党の小池百合子代表までもが「疑問で言うならば、開校時期はなぜこの時期になったのか」「ご本人に訊くのはひとつ」とツッコミはじめたのだ。

 こうした指摘に答えるべきはもちろん安倍首相だ。ところが、またも中野代表が「証人喚問に呼ぶなんちゅうこと軽々に申されますけど、国会の傲慢ですよ、こういう発言は!」と安倍首相を代弁。しかし、籠池前理事長のときは野党からの再三の要求を拒否しておきながら、寄付金発言があって一転、「首相に対する侮辱だ」と言って自民党は証人喚問を決めたのだ。総理を侮辱したかどうかで証人喚問を決めることこそ「傲慢」と呼ぶべきだが、安倍首相は最後まで、昭恵夫人と加計理事長の国会招致を約束することはなかった。

 自分の都合のいい説明しかおこなわず、さらには選挙で疑惑について説明することを放棄し、「黒塗り部分の公開」「昭恵夫人と加計理事長の国会招致」という疑惑を晴らすための提案にはけっして応じない。その一方で、ネトウヨが騒いでいるだけのトピックに食いついて「イヤホンちょっと大丈夫ですか」などとキャスターに迫る──。この党首討論における森友・加計問題をめぐる議論は、はっきりと「総理にふさわしくない」と断言できる、そういう内容だったのである。

 この放送の安倍首相の発言は、ひとりでも多くの有権者が投票の材料にするべきだろう。
(編集部)

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なぜ滅私奉公=忠の道徳に支配され、いまなお明治維新がつくった天皇カルト教が続くのか?

2017-10-06 | 社会思想


(昨日)

小学生のとき、自由でのびのび輝いていた子も、中学に入ると、にごってしまう。

に対して、fbにとても多くのコメントが寄せらましたが、最後の谷藤さんの質問へのわたしのお応えを載せます。みなさまにとても感謝です。

谷藤 賢一

谷藤 賢一
高度成長期はうまく機能したのでしょう。
でも44年前に終わってるのに、
教育のシステムはそのままなんですよね。
 
武田 康弘
武田 康弘
人間の赤裸々な想い、心を抑圧して、いいことなどありません。非人間的なことがよいとされるなど、原理上認められません。
 
谷藤 賢一
谷藤 賢一
原理上認められないのに、それが正しい、幸福であると信じて、なぜ日本人は突っ走ったのでしょう?
あの時代、私は子どもだったのでよく分かりません。
滅私奉公こそ人の生きる道である、と親から教育されましたが、
そんなのあり得ないと、徹底反抗して生きてきました(今もあり得ないと思っています)。
70オーバー世代の若い頃の、喜んで滅私奉公するモチベーションが知りたいです。
 
武田 康弘
武田 康弘
滅私奉公の「公」とはもともとは天皇家をさすことばでした。
天皇陛下のために尽くし、ついには命さえ差し出すことは、支那にはない日本独自の道徳で、「忠」という。その「忠」の精神こそ日本を強い国にした大元である】、と東大名誉教授で靖国神社の理論的重鎮の小堀佳一郎は書いています。

日本人である限り、天皇ー皇室を崇拝・敬愛するのは当然であり、そうでないなら非国民である、ということです。日本人として生きる資格がないのです。そういう人は社会的に抹殺ないし無視されで惨めな人生を送るのです。

こういう明治維新の思想は、とても根深いために、普遍性を求める心、公平・公正を追及する力、損得を超えた善美を求める精神が育ちません。「日本人に哲学なし」といわれるのは、個人固有の精神世界がなく、周囲に合わせて(本音としては)利害と損得しか考えないからです。いわゆる改革派といわれる人の多くも、政府批判はしても、自分の時間とお金を使って公共・社会のために尽す(市民的公共をつくる努力をする)人が少ないのはそのためで、「正しそうな」理屈だけを言い、身銭を切ることはしません。

心がケチで自分と自分の家族のことしか考えない人であっては、市民的公共世界など拓けるはずがありません。ウヨクとか保守主義者が勝つのは当然です。日本は再び明治維新の精神(国家神道に基づく国体主義=靖国思想)に戻り、ニッポン万歳になるのでしょう。みなが本気を出さない限り、まちがいなくリベラル(自由と理性)派やブッダやソクラテスの「私」から始まる生は、ごくごく一部の人のもので、後はみはニッポン人として集団同調で生きるのです。生命体であり人間・人類であり個人であることは二の次で、まず何より日本人という意識が優先する、というわけです。戦前アメリカの駐日大使・グルーの言う通り「日本人には個がなく、アリやハチと似た属性をもつ人々の集まり」が続くのでしょう。

滅私奉公=の道徳こそが日本人の証です。忠臣蔵、忠犬ハチ公、忠儀を尽す、が、みな大好きですし、三島由紀夫も言いました「天皇陛下万歳!」と。


以上のような、東大名誉教授や三島由紀夫に代表される思想、天皇を神格化し、皇族を神の系譜とするあまりにも愚かなカルト思想、および、強い一神教がなければ社会(国)はまとまらず、個人としてもよく生きることはできないというイデオロギーを大元から消去したのが、わたしの恋知という考え方=生き方です。
(※もちろん、こうした天皇主義の思想を現天皇の明仁さんや美智子さん、皇太子夫妻は、忌み嫌っています)


武田康弘
 
 
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学問は嫌いで、無知。国を私物化する首相は、みんなの迷惑です。

2017-10-05 | 社会批評

小学生から勉強嫌いで、大学時代は、赤いアルファ・ロメオで得意気に通学し、まじめに勉強せずに教授からも呆れられ、いまだに簡単な漢字も読み間違え、憲法学の常識も知らず、現行憲法の内容を聞かれても答えられず、近代国家の基盤である立憲主義にもまったく無知で、これを否定する発言まで行う。

書きだしたらキリがないですが、ただ、戦前の対米戦争の決定者であった祖父の岸信介を敬愛し、祖父の名誉回復という一点に凄まじいばかりの情熱をかけ、歴史も戦後民主主義を否定して、戦前思想(明治維新の国体主義)に基づいて「日本は正しかった」という認識をこどもたちに浸透させようとする。公正公平な見方を養うのではなく、愛国心という思想教育に心血を注ぐ。

いわゆる西側諸国のジャーナリズムからは、右翼を通り越して極右というレッテルをさえ張られる。

こういう人間が首相を務める国が、よい国、すぐれた国であるはずがありません。面白くなくていいので、ちゃんと学問に通じ、人のいうことに耳を傾け、強引なことをしない人が首相になる国であってほしいとわたしは切に願っています。金正日やトランプと似た人はごめんです。

地味でも頭のよいまじめな人、最近では福田元総理のような人、政策がわたしの考えと一緒でなくてもよいので、強引な人、差別する人、人を切る人ではなく、きちんとした人を求めます。受け狙いは上手ですが、思想は極右の小池さんは恐ろしい人物ですので、とても支持できません。

わたしの選択肢は、できたばかりの「立憲民主党」か極小でもうじきなくなる「社民党」かです。わたしは、自由主義(改革資本主義)ですが、共産党との共闘も大切です。共産党が大幅に議席を伸ばしても共産主義など今さらあり得ないので、心配ありません。なにより彼らの政府への追及力は貴重です。

大阪のおばちゃん、辻元清美さんや、まじめの代名詞、厚生労働省の年金ごまかしから国民を救った長妻さんらへのエールを贈ります。「国家主義」の横暴は必ず国民に大被害を与えます。歴史が証明しているように、威勢のいい強面は、大損をするのです。人権思想に基ずく「主権在民の民主主義」政治をいまこそ!


武田康弘

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