「恋知対話」ー2-6(通算22)
武田様 2007年6月23日 金泰昌
【官僚学者=御用学者を嫌った宇井純先生のこと】
今日は東大安田講堂で開催された「宇井純を学ぶ」という集まりに行ってきました。2002年に『地球環境と公共性』(シリーズ『公共哲学』第9巻:東京大学出版会)を一緒に編集出刊したこともあり、その前後に直接、お会いしていろいろ議論したことも何度かありましたので、改めて、追悼の気持ちを胸中に込めて参加しました。2000名程度の老若男女の方々がいらしゃっていました。
生前の宇井先生は、現場主義と反権威主義、そして、生活者=市民の立場に徹した衛生工学者でありました。欧米からの輸入学問に頼らず、どこまでも問題発生の現場状況と、そこから立ち上がる市民=住民の自主的調査研究を重視し、それを手助けするというところで、専門学者の存在理由を確認していた市民学者でありました。宇井先生がお嫌いだったのは官僚学者=御用学者でありました。
わたくしの考えでは、武田さんとわたくしの共に哲学する対話・共振の原点は、生活の現場から物事を捉え、考え、そこから出来れば、思考・探索・行動の新しい次元=地平を開くという欲望の共有でありました。しかし、それは、武田さんとわたくしの間にズレ=差異=距離がないということではないという、共通理解に基づいてのこことでありましたね。
と、申しますのは、いままで生きてきた状況・条件・環境が違いますし、そこから生じた問題意識や体験学習もかなり異質なものであったということを考慮しますと、互いに食い違うところがあるのが当然でありますね。私が考える対話の意義というのはズレ=食い違いをなくすることにあるのではなく、それを明確にしながら、その不同が不和の原因になるよりは、共振・共働・開新の原動力になるように努力するところで活かされるということです。
わたくしは「公共(するということ)の源泉」を自我と他者との出会いとそこから出で来る対話と共働と開新への相互連動に見出すのです。自分の心の中で思ったことや気づいたことを他者の方に向かって延長・投入・推測するのとはまったく違うということです。仮にそのようにして他者の心の中に自分の心の中にあるものと同じものを感得したとしても、それは他者を自己に同化したということでしかないわけです。そこには、もしかしたら、「共同」(性・体・時空)が生成するということがあるかも知れません。勿論、共同性も大変大事なことです。しかし、わたくしとしては、共同性とは違う「公共」(すること)のいみとその重要性を明確にしておきたいのです。わたくしに同化できない、わたくしへの統合・一致・合一を拒む他者との出会いを貴重な機会と捉え、自我と他者とのあいだから展開する無限の新地平を共に充実化していくことが「公共」(するということ)であると考えるのです。そういう理解に基づいて行動・実践・活動するということです。
わたくしは武田さんのことを山脇直司教授から聞き、武田さんのことをもっと知りたいという思いで、武田さんにわたくしの意思・願望を伝えた最初のときを思い出します。まったくの未知の他者であった武田さんは、わたくしのいままでの体験学習の範囲=世界の外部で―それはわたくしがいままでなじんできた学校=大学=制度とは距離を置いた、自立・自律・自給の時空間を自力で設立し、そこで―制度知化された「官知」とは違う生活者たちの生活知を育み、それをもって生活世界の自立とその質の向上を目指す哲学の実践活動に全身投入してきたという、その情熱と愛情と希望を学びたかったわけです。
わたくしは生れて死ぬときまで一生学び続けることに幸福を実感しております。ですから、わたくしにとっての他者とは、教師=先生=師匠という姿で現れる場合が多いのです。わたくしはできれば一生涯学生=学び続ける立場に立つ人間でありたいのです。他者とはわたくしの理解・認識・判断を超える存在ですから、まず、そのありか=ありかた=考えを教えてもらうしか接する途が無いのではないかと思うわけです。勿論、わたくしにとっての他者から見れば・考えれば、このわたくしこそ、彼・彼女・彼ら・彼女らにとっての他者になるわけですから、わたくしから学ぶということもありうるとは思いますが、そのような確実性は誰も保障できません。しかし、ここでわたくしが申し上げたいことは、武田さんを通して大学教授が大学で教えている哲学とは違う哲学の学習現場を目撃することが出来たということの大きな意味です。そこから公共(する)哲学の新しい可能性を実感することが出来たからです。武田さんがわたくしに見せてくれた=教えてくれたのは、まさに白樺哲学館という名の哲学実践の現場です。それは、わたくしが過去10余年間続けてきた対話と共働と開新の哲学実践の現場と似ているところもありますが、違うところもありました。そのような意味で改めて考えさせられたこともたくさんありました。
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「恋知対話」2-7(通算23)
2007年6月24日 金泰昌様。 武田康弘
【内と外の「同化」 / まとめ】
わたしは「他者を自己に同化させる」という考え方ほど嫌らしくおぞましいものはないと思っています。かつて、わが日本は、朝鮮を天皇直属の朝鮮総督腑によって植民地支配しましたが、その思想・手法は、「朝鮮を日本に同化する」というものでした。白樺派の柳宗悦は、1920年にここ我孫子の地から「朝鮮の友に贈る書」」(虐げる人々の方が死の終わりに近い、として日本政府の同化政策を痛烈に批判)を書き、雑誌「改造」、読売新聞、東亜日報、The Japan Advertiserに載せましたが、柳家は官憲に監視されることとなりました。
「同化」とは、言語に絶する狂気の蛮行であり、謝っても謝っても謝りきれない恐ろしい政策でしたが、それを支えた八紘一宇・大東亜共栄圏をスローガンにした国体思想=天皇教とは、わたし自身にとっても不倶戴天(ふぐたいてん)の仇敵という他ないのです。なぜなら、明治の山県有朋らによってつくられた近代天皇制が廃棄された今もなお、個々人の意思を超越した国家という共同幻想を置く思想は強く生き残り、個人の自由と責任の具現化を阻害しているからです。この人間を底なしの不幸にする様式宗教は、外的価値を個人の内面価値の上に置き、型・様式によって生きている生身の人間を支配する「思想」です。金と物がいくら溢れても、「私」の心の充実=悦・愉・嬉が湧き上がることのない仕組みを生む源泉が、この日本主義というイデオロギーだと思っています。様式による意識の支配ーあるべき型が存在するという想念は、主観を消去するシステムをつくり、個々人から立ち昇るエロースを断ってしまうのです。わたし自身幼い頃から、この「同化」(上位者の意向に沿って個々人を同一・一色の集団と化する)の巧妙な詐術と無言の圧力=集団同調をつくり出し、個人の意識・言動を金縛りにするという環境の中でずっとそれと闘い続けてきました。
だから、キムさんの書かれた「宇井純さん」の存在は、わたしにとっても大きな心の支えでした。
「生活世界の現場から考え、そこから新しい地平を拓く」というキムさんと共通する哲学の原理を持ちつつも、その上で、ズレ・差異があるのは、とても生産的なことだと思います。新しい世界を拓く「共感・共鳴」が生むエネルギーは、「差異・ズレ」がなければ湧き出ることがないのですから。
キムさんの呼びかけで始まったこの「恋知対話」(命名は私ですが)は、一月余りでずいぶんな量になりましたが、このような内容での往復書簡による対話が出来たのは、もしかすると何かの始まりを告げる「事件」かもしれません。哲学の民主化―「哲学する主体は市民である」という理念を具現化していくための試みは、いまようやく緒についたばかりで、ここからはまた道なき道を進むしかありませんが、金泰昌さんという優れた異邦人との出会いは、わたしに限りない勇気を与えてくれます。共に哲学する友を得たことはとても嬉しいことです。キムさんとわたしとの出会いをつくってくれた山脇直司さんにも改めてお礼を言います。どうもありがとう。