人と人との関係で何よりも一番大切なのは、民主的であることでしょう。
これからの社会に一番求められるのは、自分に正直な心、ほんとうの自由対話、それによる決定、です。忖度する・空気に従う、というのではなく、ふつうに正直に、自然に無理なく、自由にのびのびと考え、話すこと、その練習です。その営みが褒められる環境づくりです。
いま流行りの「他者承認」(ヘーゲル哲学の用語)を気にして生きるというのは、一番ダメな生き方です。批判、特に上位者や大きな組織に対しては、ものを言わずにダンマリを決め込む、また、批判する者を「クレーマー」というような差別用語で非難する。それでは自分自身の魅力は減じ、組織あるいは社会問題の解決はさせず、沈滞を招くだけです。
経済も、大企業が中小企業をイジメる、企業運営が上位下達である、というのでは、会社は伸びません。一人ひとりの人間が生き生きとし、楽しく充実して、意味深く生きることなくして、優れた仕事ができるわけがないのです。善美を想うことのない人間=エゲツナイ利害損得しか考えない人の集まりは、必ず敗北しますーーー30年前にこのわたしの基本思想を大激論の末に受け入れ、実行した佐野力さんは、「日本オラクル」(株)を成長どころか、爆発させることに成功したのでした。
自由対話、無礼講でなんでも言える状況をつくり出すことが「はじめの一歩」なのです。
それは、子育て、子どもとの関係からはじまり、すべての人間活動の土台です。いまの安倍政府(「戦前思想」=その象徴が「教育勅語」礼賛)の思想では、個々人も社会もダメにしてしまいます。個人の自由と責任=精神的自立を強めるではなく、組織や国家という全体を優先する思想は、人間存在のありようの自然性とは相容れず、原理上、間違いなのです。
人間は、必ず「私」です。組織や国家の一員である前に「私」であり、その「私」から出発するというのは、覆しようのない事実であり真実です。「私」が尊重される。「私」こそが、一切の基準=座標軸であることがしっかり了解できてはじめて、普遍性のある考え、みなに共通する利益を考え出すことも可能になるのです。
未来を拓く条件は、民主的であること。どこまで民主性・民主制・民主政を広げられるか、発展させられるか、それが勝負=根源的な勝負を決めるキーです。
「民主的」を支えるわたしの『恋知』の思想は、公平・公正で普遍性豊かな人間と社会を生みます。教育はもちろん政治でも会社運営でも、わたしの思想は、すでに豊かな成果をあげてきましたし、役人(官僚)にも強い影響を与えてきました。繰り返しますが、未来を拓く鍵は、「民主的」の拡張と深化にあります。これは間違いありません(笑・ホントウ)
あっ、とても大事なことを書き忘れていたので、追加。
民主政(制)社会とは、互いの自由を認め合うことが柱となっていますが、この「自由」を、「法律に反すること以外なら自由だ」という消極的自由とすると、「民主的」が空気を読むという受け身の忖度文化に落ち込んでしまいます。積極的な自由への意思=能動性の精神を持たないと(育てないと)、自由の名の下に、結局は、国家主義あるいはまた管理社会を容認ないし正当化する論理→感情を培養してしまう愚に陥ります。要注意です。
(写真はトルコのアソス=今年4月に染谷裕太君撮影)
武田康弘