思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

リフシッツの再録音、「ゴルトベルク変奏曲」は、豊かでみなに開かれた普遍性をもつ最高のバッハだ。

2018-04-21 | 芸術



豊かで、多面多色、幸福感に満ちたバッハ。

伸びやかで自由、自己に閉じるのではなく、皆に開かれた音楽。

人間味豊かで自然。リフシッツはグールドのような沈み込みがなく悦ばしい。

しみじみと優しく、一音、一フレーズに情愛がこもっている。

リズムがよく、パワフルで推進力が強く、実に気持ちが良い。

 

これは、みなが納得する大きな普遍性をもった最高のゴルトベルク変奏曲で、

リフシッツが、18歳(17歳の最後)のときに録音してから20年が経った2012年、36歳時の再録音です。



 

 

 

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かつての名演が色を失う、恐るべきノット・東響のブルックナー9番(2018.4.15)

2018-04-15 | 芸術

正直言うと、今日の演奏会は、あまりに凄過ぎて、感想の書きようがない。

マーラーの最後の作品となった10番のアダージョから始まった。透明で凝縮された美しさだが、硬質さは全くなく、情愛に満ちた名演。

次にブルックナーの最後の交響曲9番。これはかつて聞いたことのない超ド級の名演で、二楽章のスケルツオの剛毅かつ柔軟な迫力には開いた口がふさがらない。心臓が高鳴り、感動から涙が出そうになった。スケルツオで泣けるとはどういうことなのか。

3楽章アダージョの強靭さにも舌を巻く。なぜこんなにも豊かで、触れるような実在感があるのか。9番は4楽章を完成する前にブルックナーは死去して未完成だが、これでよいと強く感じた。シューベルトの未完成と同じで、このアダージョの後には何も付け足してほしくない。

 司祭の息子なのに(だからか?笑)ノットは、神を志向したブルックナーから神を消して、人間への愛の音楽に変えてしまった。宇宙でもなく、神でもなく、人間。心身全体で生きる人間への賛歌だが、それは眩い輝きを放つイデアとしての人間、あるいはニーチェがいう超人のようでもある。善美に憧れ、強く豊かな肉体をもった人間への賛歌で、その美しさのエネルギーに呆然となった。

 これほど深く大きな感動をもった9番の演奏はかつて聞いたことがない。間違いなく歴史に刻まれるであろう超名演の中にいる自分の幸せをひしひしと感じた。

(昨日のサントリーホールでの演奏は、NHKが収録したとのことですし、今日の川崎ミューザの演奏は、オクタヴィアレコードが収録していましたので、SACDで発売されるはずです。)

武田康弘

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ウソでも恥じることなく堂々と。どのようにして安倍晋三という人間はつくられたのか?

2018-04-13 | 社会批評


安倍少年と祖父の岸信介


 東条英機と共に国家神道に基づく政治家の代表者であった岸信介の孫が安倍晋三ですが、彼は、幼いころから両親の愛情に飢え、お爺さんの岸信介を敬愛して育ち、小学校からエスカレーターで成蹊大学へ進みましたが、小学生のころから勉強嫌いで宿題はお手伝いさんに任せていました。

 宿題はお手伝いさんがやってくれる、という幼いころの経験は、ズルしても平気、黙っていれば分からないという心をつくります。進学もエスカレーターですから気楽です。大学に赤いアルファ・ロメオで乗りつける、とは学友たちの話ですが、複数の成蹊大学教授は、彼の勉強嫌いを困ったものと話しています。ただし、鼻っ柱だけは強く、お爺さんの岸の話を信じて他者をやり込める攻撃性は幼いころから。

 加藤節成蹊大学名誉教授が公言しているように、一度も授業に出ず「不可」となりましたが、それでも留年することなく裏口卒業で、大学を出ました。家系に権力があれば、なんでもOKという体験を繰り返せば、ウソもウソとは思わず、堂々としていられる人間が誕生するのは当然です。

 周りの人が自分に気をつかって、なんでもやってくれる、そういうものだ、という心。忖度されるのは慣れっこですから、何か不都合なことが起きれば、それは忖度した人間が悪いのであり、自分は関係ない、となるのです。非を認めず【情】がないと、お父さんの晋太郎さんはいつも嘆いていたとのこと。

 彼は、多くの人は、中身・内容を検討するのではなく、顔つきや態度で物事を判断すること(内容ではなく形式が大事)を育ちの中で学びましたので、しゃべり方で乗り切る、相手を恫喝しつつも好感の得られる態度はどういうものかを学び、論敵には形式上の言い方や態度を問題にすることで優位に立とうとします。悪しき日本人文化の見本です。日本人は精神的自立のない人が多数ですから、エリート家系の人間や上位者に恫喝されると手もなく従うのです。哀しき性。

 民主政とは本質的に相いれない「戦前思想」(=国家神道)への傾倒から、戦前思想を流布するお友達、八木秀次麗澤大学教授を各種諮問委員に任命して活躍させているのは安倍首相の本質をよくあらわしています。八木は「日本国憲法」を否定し、「明治憲法」を称揚します(『明治憲法の思想』PHP新書)。また、戦後日本をダメにしたのは、欧米がつくった人権思想であり、われわれ日本人は「人権」という言葉に怯えず「国民の伝統と常識」に戻るべきとして『反人権宣言』(ちくま新書)を書いています。

 また、今年1月に自殺したウヨクの論客・西部邁に傾倒し、大きな影響を受けましたが、当の西部は遺言で対米追随主義の安倍首相を痛烈に批判しています(余談ですが、29年前=1989年に彼が我孫子に来たとき、200人の聴衆の前でわたしが西部さんを論難し立往生させたのは、よい思い出ですーこの直後に日本オラクル初代社長となった友人の佐野力さんは一部始終を見ていた証人)。

 中曽根康弘首相時代に官房長官を務め、カミソリとあだ名された後藤田は、「安倍君だけは総理にしてはいけない」と言いましたが、それが至言であったことは、いま、誰の目にも明らかになっています。民主政治にとって最悪の首相がいまもなおその座にいます。彼がウヨク思想に学び身に付けた「日本の伝統」というアナクロニズムの思想を自分の宗教として政治を行うのは、個々人の対等性と自由の相互承認に基づく「近代民主政社会の原理」に反する悪行であり、これを許すなら、日本は民主国家をやめて神道国家へ逆戻りするほかありません。文科省がその意向を受けて進めている愛国思想に基づく道徳教育により、幼いころからの馴致(洗脳)教育が進んでしまいます。日本人の個人としての精神の自立はますます得られなくなります。


武田康弘

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「安倍君は、不可なのに、裏口卒業」ーー成蹊大学名誉教授・加藤節

2018-04-11 | 社会批評
以下は、fbよりシェア。
 
奥田 ころこ

裏口入学は聞いた事あるけど、
裏口卒業は初めて聞きました😅

多胡賢二さんよりシェアしました😌

今日もいいお天気で👌です。
ところで❗️森友学園への国有地売却に関する決裁文書の「捏造」という言葉に関わって一つ思い出しました。
安倍首相は成蹊大学法学部政治学科を成績表を捏造してもらって卒業してたんですね。

在学中から安倍を知ってる加藤節成蹊大学名誉教授は、次のように公言されてます。「安倍くんは必修科目の政治学の授業に一度も出席していなかったので、卒業できないと思っていた。ところが、安倍くんは留年もしないで卒業したんですよ。裏口入学あるのは知ってましたが、裏口卒業というのがあるのを知って、驚きました」そして、さらに「安倍くんには早く総理を辞めてほしい」とも言っておられます。

加藤教授が安倍の政治学の成績を「不可」で出されているのに、大学に安倍晋太郎またはその秘書から圧力がかかってので、大学の事務職員が「可」またはそれ以上の成績に捏造したようです。

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リフシッツ、1994年、中等学校卒業の17歳時に録音されたバッハのゴールドベルクにブラボー!

2018-04-10 | 芸術

 

コンスタンチン・リフシッツ、1994年、モスクワの音楽大学付属中等学校卒業時に録音されたバッハのゴールドベルクのCDを聴きました。


有名なグールドのゴールドベルグとは世界観がまったく異なり、明るく開放的で、はちきれんばかりの若さに溢れ、聞いているとどんどん元気になります。心身にパワーが漲り嬉しくなるバッハです。瑞々しくたまらないほどエネルギッシュで、ブラボー!と叫びたくなります。なんて素敵なピアノなのでしょう。あっという間に80分が過ぎてしまいます。

このジャケットの写真は17歳時ですが、
3月25日に所沢ミューズで聴いた「パルティータ全曲演奏会」の時の顔と同じです。
楽譜は置かず、視線を上にして遠くを視る、そして、正面や横を向くときは、目を閉じて弾きます。

リフシッツ、名前すら知らずに聴き、衝撃を受け、唖然・呆然。自然態で、自由で、多面多色で、呆れるほどの上手さで、パワーに溢れ、快感!
でしたので、帰ってから慌ててネットで調べ、このCDを購入しました。17歳にしかできない見事な演奏です。ゴールドベルグは最近の再録音もありますが、それは未聴です。



武田康弘

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モモを取り巻く世界は、時間泥棒の「灰色の男たち」というきみょうな病菌におかされています。学校時間も労働時間も世界一の日本。

2018-04-09 | 社会批評

「モモを取り巻く世界は、「灰色の男たち」というきみょうな病菌におかされています。
びとは「よい暮らし」のためと信じて必死で時間を倹約し、おいたてられるようにせかせかと生きています。
子どもたちまで遊びをうばわれ、「将来のためになる」勉強を強制されます。
この病気の原因に気づいて警告しようとする人は、ベッポのように狂人として精神病院に隔離されるでしょう。
夢に生きているジジは、この世界では巨大な情報産業におどらされる操り人形のような作家になります。
こうして人々は時間を奪われることによって、ほんとうの意味での「生きること」をうばわれ、心の中はまずしくなり、荒廃してゆきます。それとともに、見せかけの効率のよさと繁栄とはうらはらに、都会の光景は砂漠と化してゆきます。」(『モモ』訳者あとがきー大島かおり)

 ミヒャエル・エンデが1972年に出した『モモ】は、本国ドイツのみならず、世界中で大ベストセラーとなりましたが、この童話がきっかけとなって、ドイツでは労働時間短縮の国民運動がおこり、いまのドイツがあります。

 わが日本は、労働時間もこどもたちの学校拘束時間もダントツ世界最長です。おどろくほど非人間的な環境で人々は生きていますが、羊のようにおとなしい(そのように教育で馴らされた)日本人は、声もあげず行動も起こしません。そうなので問題は改善されるどころか、裁量労働という名の残業代ゼロ法案を通すことに、安倍内閣はいま燃えています。

 自然児の少女モモは、いまどこにいるのでしょう。日本人にも心があると信じたいですね。


武田康弘

 

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愛国心の育成とは、道徳を破壊してしまう教育なのです。

2018-04-06 | 教育

道徳を可能とする条件は、自分以外のものへの想いを馳せる心があるか否かです。

他者を愛する心のない自分への愛は、エゴイズムに陥るだけのことですが、

他国を愛する心のない自国への愛は、おぞましい思想と生き方をつくるだけです。

愛国心を育てるという教育は、道徳としては不成立なのです。

自分の国を愛することが道徳となる条件は、他国を愛する心があることです。

それは、自分を愛することが道徳となるには、他者への愛が不可欠なことと同じです。

こういう基本を押さえないと、戦前の愛国主義と同じ思想教育にしかなりません。

政府と文部科学省の人々は、人間とは何かというフィロソフィー(存在論)を知らなければなりません。

そういう努力のない道徳教育ほど危険なものはないのです。

 
武田康弘

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明治維新がつくった精神は、エゴイズムです.今年で150年.

 

2018-02-11 | 恋知(哲学)

 


対米戦争を決定した二人
=岸信介(安倍晋三の祖父)と東条英機
「戦前思想」(天皇現人神という国家エゴ
イズム)の政治家の代表者。


 何がよいのか、ほんとうなのか、と問うことなしに、
自己の利害損得、家族の利害損得、所属する組織や団体(学校・会社・役所・組合・サークルなど)の利害損得、自国の利害損得、に固執して、「閉じた」世界に生きれば、それはエゴイズムです。

 個人エゴイズム、家族エゴイズム、組織エゴイズム、国家エゴイズム。

 明治政府の富国強兵政策は、一人ひとりの私の欲望を愛国主義のもとに国家への欲望として統一し、滅私奉公を合言葉にしましたが、これは、広く世界に開かれた関心・興味・欲望ではなく、日本に閉じた関心・興味・欲望でした。
 日本国家という概念は、あくまで言葉=概念ですから、それを目に見えるものとする必要が、天皇とその家族=皇室でした。日本を象徴する特別な人間・家族を置くことで、国体という概念を子どもにも分からせようとする政策で、小学1年生から天皇像を毎日拝ませ、日本国への忠義の心=愛国心を養ったわけです。

 「閉じている」というのがエゴですが、個人のエゴを開かせるのではなく、閉じたまま国家レベルに拡大するのが「国家エゴイズム」です。明治以降、よく「日本に哲学なし」といわれるのは、私を開いて、普遍性のある「よい」を探求する営みがなく、私を国へと拡大して利害損得を求める日本のありようが必然的に生みだす精神です。

 だから、公(おおやけ)と呼ばれる国家(天皇や皇族はそれを象徴する役割を担わされている)と、閉じた私(エゴ)はセットですし、
開かれた私(普遍性を目がけるわたし)と公共性(市民みなのという意識がつくる社会性)はセットです。

 私を活かさないと(開かれた私でないと)公共性はつくれませんし、逆に、公共性を生むためには、開かれた私である必要があります。

 後者を現実のもとのするには、幼いころより自分で考え・意見をもてるようにする子育てが必要です。自分が何かをした、どこかに行ったという「事実」ではなく、自分はどう思い、いかに考えるか、それをどのように語るか、という「意味」充実の世界がつくれないと、「はじめの一歩」が歩みだせないのです。

 戦前の国家エゴイズムは、戦後は個人エゴイズムになりましたが、このエゴイズムの不毛性からの脱却は、これからの最重要な課題と思います。
明治維新の深く大きな負の遺産を清算しないと、日本の未来が開けませんし、一人ひとりの幸福はつくれないでしょう。



 

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西側から東側へ? バッハ演奏にみる文明の転換点 グールドからリフシッツへ

2018-04-02 | 芸術

 

グールドのバッハは、その玉を転がすような美音による沈潜で、麻薬的な効果をもち人を虜にします。神経を病んでいる現代人の癒し。

ペライアのバッハは、美しい絵画を見るようで、豊かな和声による美音で惹きつけます。洗練されたエンターティナーが奏でる贅沢な一時。

でも、昨日の文化会館と先週の所沢ミューズで聴いたリフシッツのバッハは、素朴で自然、かつ圧倒的なまでに多面的で多色、音楽の豊かさは驚くほど

 

うがった見方をすると、西側の最高峰が東側の大きさ・パワーと精神的な深みに負けているのではないか。
いま、人類文明が転換点に入ってるのかもしれない。東側のコパチンスカヤにしろクルレンツィスにしろ、自由さとスケールと精神の自立において桁違いの人間と音楽だ。


   


武田康弘

 

 

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