思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

君たち、安倍首相、自民党議員、よく聞きなさい!現代の偉人=中村医師の言葉を!! 遺言となったハレンチな安倍首相への根源的批判です。

2019-12-04 | 社会批評

以下は、安倍首相と自民党を厳しく批判する4年半前の中村医師のことばです。

訃報を前に、わたしは涙を止めることができません。同時に、安倍晋三という男=国家を私物化し悪業の限りをつくす首相への激しい憤りの感情=公共的怒りをもちます。
安倍を支える自民党の議員の猛省を促します。

君たち、安倍首相、自民党議員、よく聞きなさい!現代の偉人=中村医師の言葉を!!

2015-02-06 | 社会思想

現代の生ける偉人=中村医師は、アフガニスタンで「」のように尊敬されています。

愚かな日本政府の人々よ、自民党や右派の政治家たちよ、心して聞きなさい!

彼は、誰よりも何よりも、アフガニスタンの大勢の命を救うことで、同時に日本と日本人に貢献しているのです。

日本政府からは1円の援助も受けず、その奇跡のような大事業を為し続けています。

戦前の「日本主義」にとらわれた人々よ、いい加減に目を覚ましたらどうですか!

深い感動なくして中村医師の言葉を読むことはできないはずです。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員調査員 国会職員に哲学と憲法の哲学的土台を講義)

http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php 
(太字・色字は、武田による)


中村

 それでも、いまでもほかの国に比べたら、日本への感情はとても親しいものです。この感情を大事にしなければならないと思うんです。湾岸戦争のときに、「日本は血も汗も流さずお金だけばら撒いて、しかも国際社会から何の感謝もされなかった。それが、トラウマになっている」なんて、自民党の議員さんたちはよく言うようですけど、なんでそんなことがトラウマになるんですか。「お金の使い方が間違っていた」と言うのならいいのですが、「もっと血と汗を流せ」という方向へ行って、とうとうイラクへは自衛隊まで派遣してしまった。僕は、これはとても大きな転回点だったと思っています。
  これまでは、海外に軍事力を派遣しない、ということが日本の最大の国際貢献だったはずなのに、とうとうそれを破ってしまったんです。これは、戦争協力ですよね。そんなお金があるんだったら、福祉だの農業復興だの何だの、ほかに使い道はいくらでもあるというのに。

編集部

 ほんとうにそうですね。お金をどのように使うか、国際貢献とか国際援助とかいうのなら、最初に中村さんがおっしゃったように、まず「生存」のために使うべきですよね。

中村

 日本は、軍事力を用いない分野での貢献や援助を果たすべきなんです。現地で活動していると、力の虚しさ、というのがほんとうに身に沁みます。銃で押さえ込めば、銃で反撃されます。当たり前のことです。でも、ようやく流れ始めた用水路を、誰が破壊しますか。緑色に復活した農地に誰が爆弾を撃ち込みたいと思いますか。それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情はすぐに戻ってきます。それが、ほんとうの外交じゃないかと、僕は確信しているんですが。



9条は、僕らの活動を支えてくれる
リアルで大きな力

編集部

 そう言えば、雑誌『SIGHT』(07年1月)のインタビューで、「9条がリアルで大きな力だったという現実。これはもっと知られるべきなんじゃないか」とおっしゃっていましたね。

中村

 そうなんですよ。ほんとうにそうなんです。僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。でもね、向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。

 武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。

 
編集部

 その体で実感した9条を手放すことには、どうしても納得できない。

中村

 具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさをつくづく感じるんです。日本は、その9条にのっとった行動をしてきた。だから、アフガンでも中東でも、いまでも親近感を持たれている。これを外交の基礎にするべきだと、僕は強く思います。

編集部

 お話を伺って、中村さんたちの活動は、それこそ「ノーベル平和賞」に十分に値するものじゃないかと、とても強く感じました。これからも、ほんとうにお体や健康にお気をつけて、素晴らしい活動をお続けください。

 本日は、長時間、ほんとうにありがとうございました。
中村

 はい、こちらこそありがとうございました。第2期用水路建設に向けて、もっと日焼けしてきます(笑)。

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「こんなバカな政権はない。憲法に従う義務はあるが、政権に従う義務はない」 現代の偉人=中村医師のことば。

2016-10-30 | 社会批評

 

アフガニスタンで大変な尊敬を集める日本人=現代の偉人としてNHKでも幾度も紹介されている医師の中村哲さんは、たった一人ではじめた大灌漑事業で、水を引き、砂漠の緑地化に成功し、それによりアフガンニスタンの多くの人の命を救いました。彼のめまいがするほどの大事業は、日本人への多大な尊敬の念を生みました。

それをもとから破壊してしまうのが、いまの安倍自民党政権で、海外派兵への道を拓くために、違憲の法改定を数の力で次々と行っています。歴代自民党総裁も言葉を失う稀代の悪行ですが、それを平然と進めています。彼の戦前日本への郷愁=ウヨク思想は自身の行為を正当化しますが、そのような言動は日本の良心を元から消去してしまいます。

以下は1年前の中村医師の講演録です。
安倍首相以下の閣僚、自民党員、その支持者の方は特によく話を聞き、反省する必要があります。反省しないなら、国を台無しにする「非国民」になりますよ。

中村医師は、「こんなバカな政権(米軍との一体化を目指す安倍政権)はない。安倍政権がアフガニスタンに出現したなら、私はもう何十回か暗殺されている。憲法に従う義務はあるが、政権に従う義務はない」と話しています。



以下は、全文です。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/ahuganisutanniinotinomuzuwo.html



※実は、この中村医師の言葉には、近代憲法に対する誤解があります。
中学の公民の教科書にも明瞭に説明されている「立憲主義」とは、為政者に対して主権者である人民(国民)が、政治統治の理念を示し、守らせるものですので、
主権者の国民が守る、という言い方は、ほんとうは間違いなのですが、中村医師の心情はよく伝わります。
その点は誤解なきように。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員調査員 国会職員に哲学と憲法の哲学的土台を講義)

 

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天皇ismはもう終わりにしましょう。型ハマリの日本人から、豊かな理性と溢れる愛情をもつ人間になるために。PDFファイル

2019-11-30 | 学芸

天皇という記号がもつ不幸を自覚できる小冊子をつくりました。どう生き、どういう国をつくればよいかの骨子も示してあります。

本文はわずか14ページで、話すように書きましたので、ぜひご覧ください。ここをクリックすれば、PDFファイルが表示されます(両面印刷すれば本になります)。

共和制へのスムースな移行は、皇族を含めて、みなの幸福の可能性を広げます。

 
なお、ファイル化、小冊子のデザイン・レイアウト、及び、印刷・製本は、すべて白樺同人の古林治さんによります。とても感謝です。

武田康弘

 

 

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宝篋山(宝の箱の山)ハイキング・「ソクラテス教室」(3歳11か月~67歳6カ月までの写真)今年で43年間です。

2019-11-29 | 教育



43年目、今年の「ソクラテス教室」のハイキングも、最高のお天気、快晴・無風で暖かい。いつも天が味方してくれる~~(嬉)

11月17日(日)の写真の一部です。fbにはたくさん写真があります。

登りは4km、下りは3km 幼い子もみんな、楽しく歩きました。自由でのびのびできると、子どもはなんでも出来ま~~す。
大人は後について見守るだけ。

43年続けている式根島キャンプ(誰もいない海で自由に泳ぐ遊ぶ)も病人はゼロ。事故もゼロ。小さな怪我や転ぶことを大人が恐れないことが、最高の安全をつくるのです。
管理主義とは正反対!

(この写真は古林治さん撮影)

 

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シャルル・トレネ=シャンソンのイデア! 3枚組の愉悦がなんと1070円!

2019-11-29 | 芸術

 

トレネの名盤を格安で入手! Amazon

 古きよきフランスの香りでクラクラ。

 トレネのシャンソンは、シャンソンのイデアと呼ぶべきもの。

 これを聴いて悦びを持たない人はいないでしょう。

 素敵な曲を飄々と生み出し、歌が止まらない。なんという天才。

 古い録音ですが、大音量にしなければ聞き苦しさはなく、楽しく美しい。


武田康弘

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今や、霞が関は無法地帯 「私は関与していない」と総理が言えば、「関与を示す文書は出すな」というメッセージとなる。行政のガバナンスの完全崩壊だ。

2019-11-26 | 社会批評

 
 今や、霞が関は無法地帯。証拠隠滅してもお咎めなし。全てのルールは安倍総理が決める。「私は関与していない」と総理が言えば、「関与を示す文書は出すな」というメッセージとなる。行政のガバナンスの完全崩壊だ。もちろん、文書がなければ、国民の代表たる国会議員も、政府をチェックできない。政府に対する国民のガバナンスが全く機能しない異常事態。日本は、民主主義国家の名に値しない国に成り下がってしまった。

 さらに言えば、その根本にあるのは、国民の規範意識の崩壊だ。本件について、「どうしていけないの?」「たいしたことじゃない」という声がネットに広がり、それを公言する「有識者」まで出る始末だ。追及する記者や野党議員へのバッシングさえ行われる。

 総理を筆頭に、政治家、官僚、検察、裁判所という支配層だけでなく、民主主義を支える国民の倫理規範までが歪んでしまったとしたら、この国の危機は臨界点に達していると言わざるを得ないのではないか。


(週刊朝日 2019年12月6日号より)

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天子(天皇)の即位の儀式とは、虚飾=不善の最大のもの、有徳の士は、無視して進め。 老子第62章

2019-11-24 | 学芸


老子62章
道者,萬物之奧,善人之寶,不善人之所保。美言可以市尊,美行可以加人。人之不善,何棄之有。故立天子,置三公,雖有拱璧,以先駟馬,不如坐進此道。古之所以貴此道者,何也?不曰求以得,有罪以免耶,故為天下貴

故に天子を立て

三公を置くに、

拱璧の以て駟馬に先だつ有りといえども、

坐して此の道を進むるに如かず。


老子は、虚飾をとても嫌いました。虚飾の最大のものとして、天子(天皇)の即位や大臣の任命の儀式をあげています。それらは、虚飾の行為=不善の行為である。そういうものは無視して、自分の道を進め、と言います。

武田康弘

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2020年ベートーヴェン生誕250年最高の演奏会=とてつもない天才リフシッツによるベートヴェンピアノソナタ全曲(嬉)

2019-11-19 | 芸術

来年のベートーヴェン生誕250年、すでに素晴らしいCDも出始めていますが、

演奏会の真打ちは、キャッチコピー通りの「とてつもない天才 」=コンスタンチン・リフシッツによるベートーヴェンピアノソナタ32曲全曲演奏会です。

なんと8つの異なる会場での演奏会で、大ホールあり小ホールあり、ピアノも各会場で異なりますが、そんなことはものともしないのが、恐るべき天才=余裕のリフシッツです。

すでに所沢ミューズの4番、11番、29番(ハンマークラヴィーア)の演奏会のチケット、ボックス席を入手、教え子の小学生も連れていきます。

他の日も検討中。みなさまもぜひ。リフシッツの自由さと深みは、他にかけがえのないもので、テクニックはありすぎ(笑)。

2年前のバッハ、イギリス組曲全曲、フランス組曲全曲、パルティータ全曲、すべて1日で全曲演奏を暗譜で弾きましたが、かつての天才グールドも美音のペライアも超えて、はじめて聴く多様で深く豊かで自由な演奏に呆然となりました。ファンタジーに溢れています(わたしが聴いたのは、所沢ミューズでのパルティータ全曲と東京文化会館でのピアノ協奏曲弾き振り)。西側とは異なる土着とモダンの融合で、これぞホンモノと実感。

 


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政府がマスコミへ要請→「陛下と呼称するように」 民主制社会とは二律背反のことば= 「陛下」の意味を知らないマスコミ人

2019-11-15 | 社会批評

戦後はずっと、天皇陛下という呼称はしませんでした。明治の天皇主権の「大日本帝国憲法」から国民主権の「日本国憲法」に変わったからです。

しかし、戦前思想のウヨク政権(安倍政権)ができてから、次第におかくなり、今は、安倍官邸と宮内庁は歩調をそろえて、天皇に陛下をつけ、天皇陛下と呼ぶようにマスコミに要請し(その他の皇族への尊称の徹底も要請)、マスコミはそれに従って、「陛下」と呼ぶようになりました。

しかしこれは、自由と平等を前提とする主権在民の民主制社会では、してはならぬことなのです。

今のウヨク政権は確信犯ですが、マスコミ人は、陛下という言葉の意味も知らないために、醜態を演じています。

言葉の語源や意味を知らないまま国民洗脳の政府の戦略のお先棒を担いで、恥ずかしくないのでしょうか。少しは自分の頭で考えるべきです。

ニューヨークタイムス元東京支局長の言う通り、「これほど異常な民主政国家はみたことがない」です。

【陛下】とは、階上の天子=天皇に上奏するには階下の護衛=役人を通さないければならないという意味の言葉です。デモ クラシー(民主政治)の国でこの言葉が生きて使われるのは、ありえないこと。

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員として哲学と日本国憲法の哲学的土台を国会所属の官僚に講義)

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厳戒体制を敷かないと祝賀パレードもできないのは、おかしなことを強行している証拠です。

2019-11-09 | 社会批評

東京は厳戒体制とのこと。
厳戒態勢を敷かないと、パレードもできない祝賀とは、不思議というか、驚きですね。
天皇制とはそれだけおかしなシステムで、無理なことを強引に続けている、という証拠です。
スムースに共和制に移行して、天皇は国事行為から解放され、伝統や文化的象徴、とすればよいのに、
ウヨク政治家(安倍首相を筆頭に自民党や維新の会の人々)は、天皇教利用を続けます。実に愚かな国です。

 

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右も左も天皇陛下というビックリの国!!

陛下】とは、階上の天皇に上奏するには階下の護衛=役人を通さないければならないという意味の言葉です。民主制とはまったく相いれないのですが、皆さん知らないようです。

日本人は、頭の悪い人ばかりの集まりなのかな?
いまだに
国民主権ではなく、明治政府がつくった国体国家!(呆)

 

武田康弘

 

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公共国家(市民国家)としての日本をつくるための「憲法改正案」の核。1条ー5条 大統領が国事行為を行い、天皇の人権を回復する。

2019-11-01 | 学芸

 明確な理念をもち、その理念のもとに政治を行うことがないと、必ず「世俗主義」に堕ち、混沌となります。立憲民主をはじめ、野党には、日本国をどうするかの明確な理念=土台がないために、表層的な正さのレベルに留まり、脆弱です。
【国民国家】(自民党のいう天皇を中心とする《国体国家》)ではなく、
【公共国家】(シチズンシップに基づく実存者としての市民がつくる《市民国家》)を目がけるという理念=根源思想が求められます。

 そのための出発点は、【憲法改正】です。
 米軍が主導でつくった憲法は、人間が人間を象徴するという意味不明の1条(マッカーサーが天皇制を利用するために作成)に矛盾が象徴されていますが、3条では、天皇の国事に関する言動は「すべて内閣の助言と承認を必要とする」とし、天皇家は、時の内閣に政治利用される仕組み=制度となり、天皇から完全に人権を奪っています。


 以下に核となる1条から5条までを記します。骨子です。


1条、日本国の主権は、公民にある。

2条 元首は大統領で、公民の直接選挙で選ばれる。大統領は国事行為を行うが、政治権力はもたない。ただし、首相の国会解散への拒否権をもつ。

3条 皇室は、伝統と文化の象徴としての役割を担う。住居は京都御所とする、

4条 戦争放棄 日本国は、武力の行使、武力による威嚇を行わない。専守防衛に徹する最低限の軍事力は持つが、いかなる理由でも海外への派兵は行わない。

5条 人権の尊重 個人の思想と行為は、公共の福祉に反しないかぎり、最大限に尊重される。・・・・・・・・

(個々の人権規定は現日本国憲法を踏襲し、さらに徹底させる。在日外国人の人権保障も加える)


武田康弘

 

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萩生田大臣は、ドイツならば、まちがいなく公職追放です。

2019-10-29 | 学芸

 萩生田光一文部科学省大臣は、戦前思想を掲げるウヨク団体「日本会議」と大変に関係が深く、議員会館に「教育勅語」(明治天皇から臣民に与えられた言葉)を掲げていました。

 戦前思想=全体主義の思想をもつ者は、ドイツでは公職にはつけません。大臣どころか議員になることはできませんし、役人になることもできません。公職追放ですし、そもそも戦前思想(全体主義)自体が禁止です。

 ところが、戦後、民主主義に反するとして衆議院でも参議院でも全会一致で廃棄された「教育勅語」を、国会という公の場に掲げた萩生田光一を、安倍首相は文部科学大臣としたのです。
世界基準では、決してありえない事態です。欧米から危険なウヨク政権と断定されるゆえんです。

 教育勅語とは、現人神である天皇が、臣民である国民に与えた道徳律ですが、「忠」という日本精神(上位者への恭順)こそ正しいとする思想を下敷きとして、その上に、個々の戒律が示されていますので、一つひとつの戒律の意味は、「忠」という土台となる精神=思想から解釈されなければなりません。切り離してしまえば、意味を変えてしまいます。「滅私奉公」、自分を滅して公=天皇に奉仕するという「忠」の道徳から切り離された個々の戒律は、意味をなさないのです。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員調査員=国会職員に哲学と日本国憲法の哲学的土台について講義)

 




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人間への愛に目覚めよ。国家主義や天皇制というツマラナイものではなく、わたしの存在の偉大さを知れ。

2019-10-28 | 恋知(哲学)

人間への愛に目覚めよ。
自分の中にある善美の座標軸を基に生きよ!
「国家」や「天皇」とは、外部にある価値の低いものだ。
わたしが存在するという奇跡を知れ。
個人こそ宇宙なのだ。

至高なるものは、わたしの内にある。

みな、天上天下唯我独尊として生まれてきたことを

忘れるな。


 

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パトリシア・コパチンスカヤの行為に震えた。故郷の黒く暖かい土に歓声。

2019-10-26 | 芸術

 「東欧の採音譚」(さいおんたん)と題して東ヨーロッパの音楽事情を紹介している伊東信宏(音楽学者)さんは、いま、世界で最も注目を集めているヴァイオリニストのコパチンスカヤに誘われて、彼女の故郷・モルドヴァへの旅を共にしました。

 その様子が今月の「レコード芸術」(2019年11月号)に記されていますが、そこに紹介されているコパチンスカヤの或る行為にわたしは震え、涙しました。以下に書き移します。コパチンスカヤは商業主義を否定する天才指揮者クルレンツィスの最高の同伴者でもあります。

 

 「旅をしていて、一番印象に残ったのは、コパチンスカヤがモルドヴァの土にこだわっていたことだ。街を出るとあたりは草原や林、そして畑になるのだが、その畑の土がとても黒い。フカフカしていて、暖かそうで、素人目に見てもとても肥妖な土地であることが伝わってくる。彼女は車の窓から見えるそんな土地に歓声を上げて、車を止めた。現代の音楽会の紛れもない寵児であるコパチンスカヤが、故郷の土の黒々とした肥妖さに声をあげ、土を掴むような仕草をするのを見て、筆者はわけもなく動かされた。彼女のルーツがモルドヴァにある、というにはわかっているつもりだったけれど、それは「郷愁」とか「民族性」とか、そういう観念的なものではなくて、もっと具体的なもの、たとえば土の黒さとか暖かさの感覚といった、手触りのはっきりしたものなのだ。その結びつきが具体的であるからこそ、我々は彼女のう演奏に揺さぶられる。ベルリンフィルで協奏曲を弾くほどに成功しても、この土地との結びつきを決して手放さないことこそ、彼女の最も大きな才能だろうと思う。」(レコード芸術11月号 56ページ)

 

 コパチンスカヤの演奏を聴いたことのある人には、深く合点がいく話だと思いますが、裸足で演奏する彼女の都会的な表層美とは異なる究極のチャーミングさの秘密を知るおもいです。「都会のモダン性にはファンタジーがない。ほんとうのモダニズムは土着文化に根差している」というクルレンツィスの言葉とピッタリです。これぞほんものです。現代の商業主義は、人間性の豊かなエートスを抜きとってしまうのです。金もうけ主義が跋扈する世界は生きるに値しません。

コパチンスカヤは、
今年、2月に初来日したクルレンツィス+ムジカエテルナの最高の同伴者。
クルレンツィスとは一心同体のよう。
写真は、2月11日、墨田トリフォニーホールで、
チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲演奏後に武田撮影。
超絶の名演に狂気する観客と。

武田康弘

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テンノウヘイカバンザイ!    ー即位・大嘗祭違憲訴訟に向けて     石川逸子

2019-10-23 | 学芸

 

テンノウヘイカバンザイ!

   ー即位・大嘗祭違憲訴訟に向けて     石川逸子

 

テンノウヘイカバンザイ!

二度と聞きたくなかった 言葉

1990年11月12日

その言葉を聞いて あっけにとられた

あろうことか 現天皇の即位式のとき

海部首相がはるか高御座に坐る天皇を仰ぎ見

テンノウヘイカバンザイ! と三唱したのだ

 

そのテンノウの名によって

徴兵された 将兵たちが

「テンノウヘイカの おんために」

朝鮮に 中国に 東南アジアに攻め入って

殺戮・強かん・略奪・放火

ありとあらゆる暴虐をはたらいた事実を

忘れたとでもいうのだろうか

いわれなく殺されたアジアの死者たちが

バンザイ三唱を聞いて

地の底から憤怒の声をあげるのが

聞こえないとでもいうのだろうか

 

台湾からフィリピンの「慰安所」に連れていかれ

日々 殺すといわれて強かんされ

日本軍とともに山へ逃れ

たった一人生き延びた女性は

日本軍に撃たれて死んだ友の遺品に

今も 毎日供え物し 祈りながら

その償いを テンノウにこそしてほしいと

つい先ごろ 日本へ来て訴えている

 

皇国教育にまるごと染められ

テンノウヘイカバンザイ!

叫びながら 

原爆に体ごと焼けて本川をながれていった

私と同年の広島二中一年生もいた

 

テンノウヘイカバンザイ!

その言葉をさらに

2013年 4月28日 ニュースで聞いた

サンフランシスコ講和条約締結日を祝う式典で

退席しようとする天皇夫妻に

安部首相以下出席者一同が万歳三唱したのだ

アジア・太平洋戦争でヤマトの捨て石にされた沖縄を

今度はアメリカに売った その日

沖縄県民にとっては 屈辱の日だというのに

 

なぜ 主権者となったわたしたちが

テンノウに平伏する儀式を営まねばならないのか

なぜ アジアのひとたちを逆なでする儀式を強行し

なぜ 退位の礼並びに即位の礼で

テンノウに感謝し

テンノウから「お言葉」を頂かねばならないのか

なお霧に包まれた 大嘗祭行事に付きあい

そのために 多額の税を投入しなければならないのか

 

テンノウといえば よみがえる苦い記憶

奉安殿への最敬礼をうっかり怠って

教師に いやというほどぶんなぐられた友人

白木の箱を捧げ 眼を伏せた遺族が先頭に立つ

町中の暗い行列

満員電車であろうと 皇居前にさしかかると

帽子を脱いで乗客全員 体をよじって最敬礼していた

滑稽な日々

「畏くも」と教師がいえば

(あ 次はテンノウヘイカという言葉が来る)と察知し

さっと 姿勢を正さねばならなかった子どもの日

 

テンノウヘイカバンザイ!

など二度と云いたくない

そんな光景を二度と見たくない

バンザイ!を唱えることで

わたしたちの主権は侵され 

バンザイ!を唱えることで 権力を得

利を得るものたちが 跋扈する 

世が 

再来しているではありませんか



石川逸子さんの著作-Amazon



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天皇とは? 小説の神様・志賀直哉(学習院・白樺派)の見方と わたしの結語。

2019-10-22 | 社会思想

 

 以下は、小説の神様・志賀直哉が113年前(1906年 明治39年)に記したものですが、
江戸っ子の直哉は、長州藩の吉田松陰のつくった天皇教をとても嫌っていたことが分かります。

(志賀直哉は、1910年に親友のの武者小路や年下の秀才柳宗悦ら学習院の仲間たちと同人誌【白樺】を立ちあげ、やがてそれは白樺山脈と呼ばれる日本最大の文化運動に発展しました)


「天皇とは一体なんだろう?どうして何の為に出来たのだろう?誠に妙なものだ。こんな奇妙なものがなければならないのかしら?天皇というのは恐らく人間ではあるまい、単に無形の名らしい。その名がそんなにありがたいとは実に可笑(おか)しい その無形の名の為に死し、その為に税を納めて。その名の主体たる、一つの平凡なる人間を及びその一族(交際する事以上何事も知らぬ。交際せんが為に生まれて来た人間)をゼイタクに遊ばせて加えてそれを尊敬する、何の事か少しも解らぬ、そういう人から爵位をもらって嬉しがる、嬉しがって君のためなら何時でも死す、アア、実に滑稽々々(こっけい こっけい)。・・・・・・・・」

   奇妙なもの  人間ではあるまい、単に無形の名らしい。

 という言い方は、さすがというほかありません。文学者の鋭い直観力で、見事にひとことで近代天皇制の本質を穿(うが)っています。中身・内容のない単なる「名」」であるゆえに「形」も定まらない。だから、人間ではなく、単なる無形の名に過ぎない というわけです。

 天皇とよばれる人は、その人固有の性質をもった一人の人間 (実存)ではなく、明治政府によって作られた近代天皇制というシステムにはめ込まれた人で現人神(あらひとがみ・生きてる神)と規定されました。

 これは、吉田松陰が、後期の水戸学や国学を用いてつくりあげた【天皇教という国家宗教(国家神道)】で、そのイデオロギーに感化された長州藩の若者(下級武士)たちの過激な思想と暴力を支えた「主義」です。

 したがって、天皇というのは、個性をもった一人の人間ではなく、「単に無形の名」なのです。現代の言葉でいえば、「記号」です。記号化された人間ですから、奇妙なもの、であるわけです。気の毒とも言えますが、その名により、数々の戦争や残虐が行われたのですから、評しようもない話です。

 「記号学」という学問は、政治に利用され、人々を特定の方向に導くための研究に使われたりもしています。電通などの大手皇国代理店ではなくて(笑)広告代理店において企業や政党(自民党など)のCMづくりに用いられます。人間は、ある言葉や動作、儀式や空間、音や音楽などを見聞きしたとき、自動的に脳は、さまざまなシンボルをつくります。そのシンボルをもとに思考は進みますので、記号学では、どのような言葉や儀式や空間や音をつくれば、特定のシンボルを脳内に生じさせることができるかを研究します。イメージの世界を支配する方法とも言えます。

 現代に生きるわたしたち日本人も、明治政府が考え決めた「一世一元の元号制度」(明治以前にはなかった新制度)により、日々、自動的に天皇と一体となっている時代名を使います。わたしの生まれは、昭和〇〇年で、今年の5月からは令和元年、平成という時代は云々だった、と言いますが、ほんとうは、時間がブツギレになり、まるで物の存在のように実体化されるのは、おかしな話です。日本だけに固有の時間ー時代がある、というわけですが、そういう意識を生じさせるのは、元号という記号のおかげ!です。そこから、「日本人」という特別の存在がある、という思いも生まれます。

 あまたの記号で、日本最大のものが、「天皇」という言葉でしょう。即位の礼と大嘗祭という儀式を行い、天皇という役を担うことになると、個性をもった一人の人間は天皇という記号へと変わります。この記号は、おそろしいまでの力を放射し、日本人は、この言葉=記号を聞くと完全な思考停止になります。天皇という概念や天皇制について考えることはタブーとされ、マスコミも天皇制の検討は一切しません。人々は、この記号により無意識領域まで管理されてしまい、思考は無となります。

 では、なぜ、天皇という記号が、これほどまでの威力をもつことが可能なのでしょうか。
 それは、天皇教という儀式宗教が、内容をもたないからです。特定の内容はなく、三種の神器という秘密めいた品があり、万世一系という神話(もちろん真っ赤な嘘)があり、さまざまな秘密の儀式があります。天皇は1年間に200以上の儀式を行い、その多くの核心部分は秘密です。このようにたくさんの儀式があり、中身がないのが天皇教の特徴です。

 内容・中身がないのですから、批判のしようがなく、対立もおこりません。「型」=「単なる無形の名」(名だけがあり内容を伴う形はない)があるのです。
 厳かな仰々しい儀式があり、その儀式の型は、代替わり、死去、米の豊穣、安心・安全、及び紀元節の祝いや神武天皇を実在の人物とする儀式などですが、儀式の真の目的は、天皇という記号の神秘性と権威性を示すところにあります。天皇とは吟味・検討を許さない超越的な存在であるという想念を人々に浸透させ、有り難いものと感じるように導くわけです。内容は、その時々の世俗の価値に合わせて変わりますから、戦前は皇軍の顔で戦争のシンボルでしたが、今は平和の象徴です。柔軟!?でなんにでもなれます。

 「どのような言葉を使い、所作をし、儀式を行えば神秘性と権威性を高められるか」その追求に特化して生き延びてきたのが天皇家ですから、ずっと昔から記号学の実践的研究に取り組んできた家系(血のつながりは途切れているが)といえるかもしれません。また、天皇家にしか使われない数々の特別な言葉=敬語をつくることで、世俗を超越した天皇というイメージをつくり出し、無言のうちに人々に頭を下げさせます。さらに、戦後の象徴天皇制においては、親しみをつくる言葉や所作や行為を追求し、その基盤を強める努力もしてきました。

 この方法はとても優れていて、上位者は、上位者であることを示せば、自然に勝てる仕組みとなりますから、日本ではみなが用いています。そのために、中身・内容の追求はおろそかになります。生き方の探求や実存の冒険がなく、わたし固有の意味充実の世界を拓く営為がひどく乏しくなります。個々人から立ち昇る精神の自立がなく、組織の中で決められた役割を果たすのが人生の意味となるのです。これは、人間管理の究極の形態と言えます。内容は乏しくとも形式だけが立派という生き方に誘導されます。

 恋知(フィロソフィー)の営み=実存としての生はありません。 

 明治政府がつくった近代天皇制は、いまもなお象徴天皇制として生き残っています。天皇という役を担う人の人権を奪い、その代わりに超がいくつもつく特別待遇をし、皇族と呼ばれる一族を縛り、一人の人間として生きる道を閉ざしています。思想や発言の自由はなく、参政権もなく、個人の尊重もありません。数々の権利がない分、義務もなく、多額の収入(すべて税金)はありますが、納税の義務は果たしません。それは、天皇は国籍を持たないからです。苗字はなく、住民登録もなく、日本の法律(実定法)は適用されませんので、法的には日本人ではなく、宙に浮いた存在です。

 こういう説明不能の天皇という存在が日本人全員を統合する象徴!? この理不尽なシステムを維持するには、永遠に「単に無形の名」である記号に頭を下げ続けさせる努力=染脳・占脳を続けるしかありません。

 

 天皇を国事行為から解放して一人の人間としての人権を保障し、文化的行事への貢献者とし、いまの数々の国事行為は、近代市民社会にふさわしい形に簡略化し、大統領(元首であり、政治権力はもたないが、首相の国会解散への拒否権はもつ)が行うのです。天皇制から共和制へのスムースな移行です。市民精神にも基づく話し合いで、混乱なく天皇を「単に無形の名」から解放し、明治以前の日本の伝統に戻し、同時に現代にふさわしい自由な生活を保障するのは、日本の名誉革命(市民革命)になります。住まいは、徳川家の城である江戸城ではなく、ほんらいの京都御所となります。それに伴い江戸城(皇居)は、公共の公園として国民みなのオアシスに変わります。首都東京=千代田区の真中に自然がいっぱいの広々とした公園がある国は、世界に誇れる民主主義=市民主権の国です。なんと素敵なことでしょう~~~~~~

 天皇教の呪縛から解放された国民と天皇家は、自由・平等・友愛の精神を現実に自らのものとし、生き生き伸び伸び、型ハメ、束縛、上下意識から自由になり、みながそれぞれの個性を大胆に肯定して生きる国へと変わります。

 ※天皇家にのみ伝わる宗教=儀式をどのようするかは、最終的には天皇家の人々の判断です。簡略化したり、不要と思われるものを廃止したり、あるいは、盛大に行うか、それは、信教の自由で、天皇家の問題です。ただし、税金を用いるのは、日本国憲法に反しますから、不可能です。(憲法第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない)

 
武田康弘
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