思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

四者四様の感想ー「民知ー恋知と公共哲学」ー感謝です。

2005-09-30 | 教育

昨日まで3回に分けて発表した『民知ー恋知と公共哲学』を使っての授業=土曜日の「白樺教育館・ソクラテス教室」で、四人の生徒の方が感想文を書いてくれましたので、以下に載せます。


『民知-恋知と公共哲学』を読んで 中野牧人

 僕はタケセンの塾に通い始めて12年目になりますが、最近になってタケセンが言わんとしていることが分るようになってきました。塾に入ったばかりの頃は、タケセンの言葉の中の多くに違和を感じていました。「行儀なんてどうでもいいんだよ」(行儀は大切だーと教えられて、頭や心が固くなっていた幼いころの僕を見ての言葉だったのだと後になって分かりましたが、その時の僕にとってはかなりショッキングなものでした。)とか、「大学の哲学科に行くのはやめたほうがいい」転じて「日本の大学はどうしようもない」など、当時の僕には刺激が強いものが多くあって、違和感があったのだと思います。

最近になってようやくその言葉の裏に、「本当に大事なものは何か?」、「本当の学問もあり方とは何か?」という意味を読み取れるようになったのです。
 いま僕は、「タケセンの塾」を本当に勉強ができる場、「大学」を塾で得たものを何らかの形で表現していく場と位置づけています。予備校・大学の勉強は、それまで机に向かうことの少なかった僕にとってかなりの量の知識を与えてくれましたが、自分の芯にある考えかた、生き方といった基本にはほとんど影響がありませんでした。

対して、塾での毎週の勉強はその多くが自分の芯まで届き、同時に簡単に理解できるものではありませんが、確実に考え方、生き方に大きな影響を与えてくれました。塾での勉強は、予備校・大学の勉強にある狭さ(他のフィールドでは全く役に立たない!)がありません。広く、同時に深いためにあらゆる事を考える上で、基本になってくるのです。こうして、いま僕が考えている塾での勉強が、タケセンのいう哲学(恋知)であり全体知なのだと思います。
 
中野牧人 明治大学二年(21)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「民知―恋知と公共哲学」を音読しての感想 成毛孝行

「偉い人」の言葉を信じるのではなく、深い納得をもたらす考えを自分の頭の中で創り出すことが「日課」になった。
書物の知はあくまでも一つの手段で、肝心なことは自分の頭で考えること。

この文を読んで、自分がどこかで引っかかっていたものが一つ取れた感じがした。
今の「教え」はどうも洗脳というか、動物のすり込み?みたいなものが感じられて嫌だった。でも、教えてもらっていることは間違っているわけでもないし、妥協するのも嫌だった。

全部を鵜呑みするのではなく、大切なのは自分の頭で考えること。自分なりの結論を出すように心がければ、たとえ結論を出すことができなくても、考えたことが自分を支える骨になるんだと気付かせてもらった。そういう行いをしなければ、女学生の質問にも答えることのできないダメ人間になってしまうのも深い納得をした。

成毛 孝行(22)家業の造園業の手伝いをしながらアルバイトで社会勉強中。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

民知‐恋知と公共哲学を読んで 中西準也

 初め、この文章の分量を見たとき、なかなかの長さだと思いましたが、読み終わってみるとさらに続きが読みたくなる内容の濃さと面白さでした。

 具体的には、“書物の知は、あくまでも一つの手段でしかなく、肝心なのは自分の頭で考えること”や“意味を探求しない「事実とやり方」だけの「知」には喜びや面白みがありません”や“情報が多ければ~死んだ頭‐紋切り型のパターン人間になってしまいます”などの実際に私たちが陥っているがよく考えれば納得でき、しかも「本質」を突いている所を中心に歓心を持って読み進められるため、そこから連なる「民知の方法~実践」まで強い関心を持ち続けたまま読み終わりました。

 本当に必要なことは「人間も含めた世界」をある視点で分析することではなく、そうした世界を生活レベルで分析すること、つまり、生活(日常)に即した上での物事の理解や判断であり、専門知主体の受動的な学習から、意味をつかむ生活に根ざした学習へ構造をシフトすることで、それが可能になるから「民知」の精神をこれから実践していきたいと思いました。

 中西隼也(21)青山学院大3年
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

民知ー恋知の必要性 染谷裕太

民知―恋知という「知」のあり方は、現在の日本を根本から変えるのに不可欠だ、と最近特にそう思う。
税金、教育、靖国、様々な問題がある。以前はこういった問題を、それはそれとして捉えていた。「ソクラテス教室」の授業で「ほんとうのこと」を知るたびに、問題は複雑に絡み合っていて、どう考えたらいいのか?分からなかった。
けれども最近になって、民知―恋知の意味が少し分かってきた。そのせいか政治家や評論家のいう改革案は、小手先のものに過ぎないのではないか?問題の根っこはもっと深いととろにあるのではないか?と感じるようになった。
その深いところから変えていくには、どうしても、民知―恋知の考え方が必要になると思う。

染谷裕太(19) 東洋大学一年
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は、以上の四者四様の感想をとてもありがたいものとして読みました。ますます民知の実践に勇気百倍!です。 武田康弘




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民知ー恋知と公共哲学ー第3回完結(公共哲学と民知.民知の実践)

2005-09-29 | 恋知(哲学)

「民知ー恋知と公共哲学」の3回目ーこれで完結です。

?・民知と公共哲学

現在、東大出版会から出ているシリーズ「公共哲学」(全15巻)や公共哲学叢書1~8巻等の「公共哲学」関連の書の内容に触れることは、この紙面では無理ですし、また私の話の文脈からも外れてしまうので、ここでは、「公共哲学」の思想の原理とスタイルについて思うところを書いてみます。

公共性とは、「開かれている」ことでしょう。陰で誰かが牛耳る、組織が裏で決定する、という従来の日本社会の閉じた陰湿さとは対照的な、個人の輝き・悦びを生む、開かれた明るさー公明正大の精神を指す概念だと思います。

一例ですが、私と山脇直司さん(ちくま新書「公共哲学とは何か」の著者で、東大大学院教授)は、かなり踏み込んだ思想的なやり取りを私のブログ「思索の日記」で公開しています。お互い実名で遠慮なく意見を交わしていますが、生き生きとした対話の公開は、真の公共性をつくり出すには必須の営みではないでしょうか。スタイルを変更しなければ内容も変わらないのです。

そもそも哲学(恋知)とは「主観性」につくことであり、「客観学」ではありません。対話=問答によって主観性を深めていくことで普遍的な共通了解をつくりだそうとする営みです。哲学(恋知)の核心は、生きた話ことばによる問答であり、書き言葉はその陰に過ぎないのですが、その発祥の意味を忘却すれば、ただの理論―理屈に陥ってしまいます。どのような言説であれ、私というひとりの人間が思い、考え、主張しているのであり、そこからしか普遍的な共通了解はつくれないのです。これは原理です。世俗的な権威や宗教的な絶対が人の心を支配すれば、哲学(恋知)は死んでしまいます。

繰り返しになりますが、個人の思い・関心・欲望に根ざしている人間と社会についての知は、自然科学という客観学とは根本的に異なります。例えて言えば、その知は、音楽や彫刻や絵画などを「知る」ということに近いのです。幾度も反復して聴く、触れる、眺める、いろいろな角度から、いろいろな心模様で、よく感じ知るという知り方以外には知る(了解する)ことができません。音をグラフ化し、絵の具を化学分析し、芸術史を学んでも、それは知識を得たー知解したにすぎず、その作品を知った(了解した)ことにはならないでしょう。それと同じです。自分の生き方を考え、どのような社会がよいかを思案するためには、民知(恋知)という全体知による以外はありません。生活世界の中で、全体知の働きを強めるための工夫―努力が何より大切!です。

もちろん、誠実な学的営為=「公共哲学」が現在まで進めてきた、法学、政治学、経済学などの個別の学問を学際的なものに広げていく営みはおおいに評価できますし、民主制を広げる新しい概念の創造もとてもよいと思います。専門知が果たすべき、本来の役割を自覚し、民知(恋知)という全体知を強めるためのサービスを提供していることは、当然とはいえ、素晴らしいことです。

この学際的な公共知は、専門知のありようを変えていくと思います。しかし、このよき公共性をもった「公共知」を真に「哲学」(恋知)の名に値するものとして鍛えていくためには、現象学という認識論を意識することが必須です。

少し前まで、社会理論―哲学として歴史上最も大きな力をもったマルクス思想が「主義」として教条化してしまった深因は、認識主体と価値問題の意識化に失敗したところにある、と私は見ています。
哲学(恋知)の基盤である認識論は、原理上「観念」を先立たせなければ成立しません。したがって「唯物論的認識論」とはそれ自体が言語ー概念矛盾です。だからマルクスは認識論が書けず、ヘーゲルのそれに拠るしかなかったわけですが、そのことを彼が自覚できづにいたために、政治・経済・法などの多分野にわたる社会思想が「理論」として固定化して「客観学」に陥ってしまったのでしょう。そのために、主観性から普遍的な了解をつくりだしていく営み=哲学(恋知)にはなれなかったのですが、国家主義を批判し、シチズンシップに基づく市民社会を目がける「公共哲学」は、マルクス思想の致命的な欠陥をよく自覚すべきだと思います。

関連するので、ついでにもう一つ。巨視的な話になりますが、学知や理論が偉いという想念の始まりは、哲学(恋知)の神学化にあります。アリストテレスが物事の説明に「目的因」(雨が降るのは、植物の成長に必要だからだ)を導入したことは、「物語」としての理論を先行させる「説明の体系」をつくりだし、思考を逆立ちさせる元凶になりましたが、この知をキリスト教会が援用したのです。哲学(恋知)が神学の下に置かれ、スコラ(=学校)哲学にされてしまったわけですが、「部分の知の総和―体系」に「恋知という全体知」が従わされるという不幸から、現代もまだほんとうには抜け出せていません。世界的に見ても人間の思考は大きく歪んだままのようです。専門知という客観学による支配-生活者の生む全体知(民知-恋知)が専門知に従属させられるという逆転が続いています。

核心となるのは、心の世界のみならず、私たちの目の前に広がる世界は、人間にとっての「意味としての世界」であり、単なる事実とか、物自体=客観そのものを措定するのは無意味だということです。「学知」が客観や真理だ、と信じる愚かな妄想から解放されないと、理論があって人間が存在しているかのような逆立ちをいつまでも正すことができません。

結語です。
「知」の問題の核心は、西洋哲学史を踏まえた言葉では、現象学という認識論をバックボーンとしてもつことと言えますが、もっと一般化して、経験的な次元に引き上げて言えば、全体知としての知である「民知」(恋知)を〈地〉とし、部分知としての専門知(学知)を〈図〉とする意識です。専門知の存在価値は、民知(恋知)を深め強める事に役立つところにのみあるわけです。学知を含むあらゆる知の出発点は、生活世界の知=民知であり、その目的は、民知という全体知の豊饒化にあることを自覚したとき、学知は初めて「意義の花」を咲かせることができる、というわけです。生活世界の問題を解決し、人間的な悦びを生み出すことが「知」の本来の役目なのですから。民知とは、「偉い」のではなく、面白く有益な全体知なのです。

?・民知の実践

私が主宰する『白樺教育館』(小学1年生から大学生までの学習=授業、成人者向けの講座、行事、研究会等を行っています)には、「腑に落ちる知―全身でつかむ知の実践」を結語とした標語―「民知―恋知の実践」が貼ってありますが、民知とは、ほんとうの知を目がける運動の理念です。それは、民主主義と同じで、内容が予め決まっているのではなく、土台や枠組みの提示です。人間の生の中身―内容を豊かにするための知の実践運動であり、実体ではなく、動詞としての名なのです。個々の教科の学習に取り組んでいるときも、専門知に取り組んでいるときも、そこに自閉するのではなく、生活世界の体験=直観に照らし合わせながら全体の意味を志向することーその方法を身につけることです。
それは、実は、人間や社会問題を考え・知ることに留まらず、数学や自然科学を含むあらゆる分野の学習の基本となる態度だと思います。そのように知を遇すること、それが私の29年間にわたる教育実践の基本理念です。民知の内容を日々豊かにしつつ、その運動を大きく広げて行きたいと考えています。ぜひご参加を!(了)

武田康弘。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民知ー恋知と公共哲学 第2回(部分知と全体知.民知の方法)

2005-09-28 | 恋知(哲学)

☆昨日のつづき・『民知ー恋知公共哲学』の2回目です(明日で完結)。

?・部分知(専門知)と全体知(生活知)

私たちは誰でも、ある人がどんな人であるかを知るのは、「専門知」によって?ではありません。学知で了解し、判断を下すことは不可能です。特定の分野の知見ではなく、生活世界の経験が生み出す「知」、私が「民知」と呼ぶ全体知によって了解するのです。よき社会のありようを考え、社会問題を解決するのも実はこれと同じです。政治学や経済学や法学、社会学などの知見によって判断し、解決するのではありません。日々の生活の中で培われる全体知=民知の力によるのです。専門知は、判断のための材料を提供するだけです。

このことは、少し反省してみれば誰でもすぐに分かります。社会の問題を例えば政治学者(専門家)が解決するわけではありませんし、ある法律の適否を法学者が決めるわけでもありません。その判断をするのは生活者の全体知=民知によるわけです。専門家は、判断のための資料づくりをしたり、過去の事例を整理して示したり、いろいろな人の見解を分かりよく紹介したりすること・・しかできません。なぜなら、専門知とは、部分の知であり、領域を狭く限定して精緻な言説を可能にする知ですが、「判断」というのは元来、総合的―全体的なものであり、全体知としての民知による他ないからです。次元、位相が異なる話なのです。

誤解なきように付け加えますが、専門知をたくさん集めても全体知=民知にはなりません。専門=部分の中で概念化し、精緻化していく作業と、全体を見ることとは、頭の使い方が根本的に異なるからです。部分の和はどこまでもいっても部分の和であり、全体像ではありません。

したがって人間や社会の本質的な問題を考えるためには、自然科学の探求仕方とは全く異なる方法が必要です。対象を対象として突き放して見る「客観学」的手法は無意味です。私という認識主体の観念のありようと共に思考する態度が不可欠です。まず何よりも先に求められるのは、主観性を主観性のまま掬い取るように見る直観=体験能力の開発ですが、それには、特定の見方・理屈によって枠付けをし、規定するのではなく、自他のありのままの心を知ろうとする日々の練習が必須です。「こうあるべきだ」「こうあらねばならぬ」という先入意識を排除して、心に浮かぶ事象を虚心に見ることです。

人間の認識のありようーその意味と価値についての原理を解明する「認識論」(現象学)を基盤にしなければ、理論は哲学(人間の生にとって意味のある知=恋知)にはならず、只の理論に留まるという理由は、人間や社会の問題は、認識主体である人間の観念、価値意識等の問題と深く絡まっているからです。(なお、「現象学」の最も優れた解釈は、竹田青嗣さんの一連の著作だと思います。ご参照下さい。)

ただ、ここで一つ注意しなければならないのは、この営みは、瞬間前の今までの意識=心を見ることですが、本来、人間やその社会について考え・知る主要な目的は、「未来に向かう今」についての見方をつくるためであり、そうである限り、ありのままの意識を知ろうとする営みは、あくまでそのために必要な前提作業だということです。目的をただ「知る」ことにおいてしまうと、受動性に支配され、生きた能動的な知の働きが抑えられてしまいます。要注意!です。人間や社会問題を考え、知ろうとするのは、知的興味に留まらない実践的な課題があるわけで、そのことを明晰に意識しなければ「知」は宙に浮いてしまいます。試験のためにだけ取り組むか、オタク的な趣味として取り組むかしかなくなるのです。

?・民知(恋知―全体知)の方法

では以下に、「民知」の方法について書きましょう。それを一言で言えば、「意味了解の反復・反芻」です。

民知とは、意識的な「学知」の世界につくことでも、無意識的な「身体性」の世界につくことでもありません。何がほんとうに「よい」ことなのか?-心身全体に深い納得がやってくるような考え=生活世界での思考と実践から生まれる「よい」につくことです。

個別の学知がもたらす「部分合理性」の世界の下に広がる広大な「人間性」の領野―生活世界の「よい」の基準は、五感全体による深い納得に基づくもので、その「よい」が「学知」を含むあらゆる事象を判断する最終根拠となるのです。これは「認識論」の原理です。

では、生活―経験に根をもつほんとうの「よい」はどのようにしたら得られるのでしょうか?「人間性」に応えるこの「よい」の世界は、行為であれ思索であれ反復・反芻することが喜びとなるような世界です。キーワードは「反復」です。反復に耐えうるまでに鍛えられた「知」は、無意識―身体にまで届き、それと融合する知、「部分合理性」を超えた知であると言えるでしょう。

単に概念的な知―言葉上の知にとどまらず、深く心身に届く知とは、意味了解の反復によってつくられる世界です。機械的な反復ではなく、意味を追いながらの反復には、豊かで確かな喜びがあります。それが知の上滑り=知が先立つこと=主知主義の厭らしさ=言葉上の理屈の世界を超え、知と心身・魂と肉体の統合を生み出すのです。
意味了解の反復に耐える確かな内容をもった考えや行為とともに生きることは、人生最大の幸せです。不動の確信―自信が自ずとやってくるからです。民知とは、直観=体験に基づく根のある知なのです。

専門知という部分の知は、なにかしらの特定の目的があって造られたもので、その目的を果たす限りもちろん有用な知ですが、それは、民知という全体知を深め広げることで生活者の役に立たなければ意味を失います。価値的に言えば、民知としての全体知が最上位にあるわけで、またそれは、個々の専門知の絶対の基盤ともなっているのです。
ついでに言えば、専門知に取り組む場合も、常にこの民知の方法を踏まえることが必要でしょう。学知(専門知)の追求をしている場合も、その意識の底を「全体の意味」がたえず通奏低音のように流れていなければ、その知は人間の生にとって無用なものになってしまいます。

武田康弘
(明日は三回目ー最終回です。)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民知ー恋知と公共哲学 第一回(今日から三日間連載)

2005-09-27 | 恋知(哲学)

民知‐恋知と公共哲学  武田康弘

(「公共的良識人」紙10月号の原稿です。長い(11000字)ので今日から3回に分けて載せます。)


?・私の原点―小学校の「政治クラブ」と胃潰瘍(この部分のみ9月4日のブログに発表んしましたが、再録します。)

私が小学5年生(文京区立誠之小学校)の時、初めて学校に「クラブ活動」が導入されました。社会問題に興味が強かった私は、友人と共にクラブ活動担当の先生に「政治クラブ」をつくってくれるように頼み、実現しました。

そこでは「日本国憲法」と「大日本帝国憲法」の比較や、アメリカ合衆国とソビエト連邦との違い、優劣等について学び、考え、議論をしました。私は、新聞の社説を読み、政治談議をする小学生で(笑)、日本も政権が交代する二大政党制にならないと民主主義とは言えない、などと生意気な主張をしていたものです。6年生の最後のクラブでは、人間の幸福とは何か?のテーマで話し合いましたが、アランの幸福論などを前にどうにも整理がつかなかった思い出が残っています。もう40年以上も前のことです。

社会科の勉強は算数と共に大変好きで、知識はたくさん持っていましたが、しかし、いくら調べても考えても、「ほんとう」のことは、少しも分かりませんでした。日本は、「天皇主権の国家主義」の社会から人間の自由と平等に基づく「民主主義」社会に変わったというけれど、天皇家に生まれた子どもは、どうして生まれながらにして特別待遇なのか? 世襲の一人の人間がなぜ私たち全員を統合する象徴なのか? なぜ、天皇という一人の人間の死で「時代名」まで変わってしまうのか? 法の下の平等という憲法14条との関係はどうなっているのか? 旧・憲法下では、主権者で、軍隊の統帥権を持ち、その軍隊は「皇軍」と呼ばれ、現人神(あらひとがみ)であった天皇が戦争責任をとらない!とは一体どういうことなのか? 図書館の本で調べても、先生に聞いても腑に落ちる答えはどこにもありませんでした。

分かったことは、大人は少しも「ほんとう」のことは考えていない、ということです(笑)。そういう本質的な問題については何も考えず、何も知らなくてもテストでは100点を取れることも学び?ましたが、私の場合は、父が私の質問に乗って、一生懸命に「問答」をしてくれたことが幸いでした。「考える」ことは、ワクワク・ドキドキする悦びでした。
どの科目も、ただの「がり勉君」になれば、好成績が得られることも体験から知りましたが、そういう面白みのないインチキな勉強はすぐにやめました。自分がニセモノの人間になっていく、と感じて心がとても苦しかったからです。

多感で神経質、集中力の強いストイックな性格のせいでしょうか、5年生の後半から私は胃潰瘍を患い、その後十二指腸潰瘍となり、以後20才まで長いこと苦しめられました。しかし、がんの疑いから胃カメラを使っての検査もした「闘病」は、死への恐怖から「生きることの意味」を問う心を育てました。いわゆる「偉い人」の言葉を信じるのではなく、深い納得をもたらす考えを自分の頭で創り出すことが「日課」になったのです。だから私は、哲学史上の「実存主義」とは全く無関係に、はじめから実存主義者でした。

いまに至る私の「知」の探求仕方は、この時決まったようです。書物の知は、あくまでも一つの手段でしかなく、肝心なことは自分の頭で考えること。自分の目でよく見て確かめる実践的な思索こそがほんものであること。「試験知」に乗った学者や批評家としてではなく、深い納得を求めて生きる「思考する一人の人間」としての生を貫くこと。

その後、大学で「哲学」に集中的に取り組むようになってからは、西周(にしあまね)によって無粋な訳が与えられてしまった「哲学」-philein(恋する)sophia(知)、本来は『恋知』と訳される言葉の初心に帰ること=キリスト教という一神教誕生後の「ヨーロッパ」哲学以前のギリシャのソクラテスが提起した『恋知』(「パイドロス」の後半を参照)を貫くことが何より大切、そう考えるに至りました。

? なぜ?どうして?何のため? 教育の核心は、考える力をつけること

 ごく最近の話ですが、「談合はなぜいけないのですか?」というある女子学生の質問に、日本の高名な政治学者で法学者の大学教授は、「それは法律で決まっているからです。」と答えたということです(笑)。わが我孫子市の中学校の教師が、「なぜ、ワンポイントがある靴下は禁止なのですか?」という生徒の質問に、「校則だからです。」と答えたのと同じですが、こういう本質とは無縁な、意味のない形式的な言説を吐く人が教師では、間違いなくこの社会は終ってしまいます。まるで昆虫社会!

 いまの日本は、情報と反射神経で動く生きる悦びを持てない人間が増え、濃やかな抒情や深く大きな思索力とは縁のない社会になっています。あるのは学歴と肩書きによる序列意識だけ。内容空疎で、悦びがありません。

なぜ?どうして?何のため?という意味の探求を放棄した只の「事実学」に依拠した社会は、人間を幸福にしないのです。これは原理です。私は、「知」の基本形は「恋知」(わたしの造語では「民知」)だと確信していますが、それは、幼い子どもたちの「なぜ?どうして?」という初発の問いにつくことから生まれます。

 以下に、私のブログ・「思索の日記」に発表した「なぜ?の意味論(民知―恋知)が人間をつくるー実存の源泉」を載せましょう。

 ?なぜ?という問い

 幼い子供は、なぜ? どうして? とうるさいくらいに問いを発します。
そのとき、大人がどういう態度をとるかで、子供の未来は大きく変わります。
なぜ? というのは、言うまでもなく「意味」を問うことです。
ただの知識―事実ではなく、その事実には、一体どんな意味があるのか?を知りたいのです。

 何より大切なのは、そのとき大人が、子供の問いに対して一緒に考えようとする態度をもつことです。答えられなくてもいいのです。「不思議だね?」とか「なぜだろう?」と一緒に考えようとすることが、人間的なよき心と頭を育てるための条件です。

 でも、残念ながらわが日本の現状は、そうはなっていません。むやみに「もの」を与えるのと同じように「事実」―「知識」を与えてしまいます。「なぜ?」を共に考えることをしません。問い=疑問・質問を喜ぶ態度が見られません。しばしば嫌な顔をして「問い」を遮り、上からの決まり文句で終わりにしてしまいます。考えることを一緒に楽しむのではなく、やり方と答えばかりを教えようとします。手っ取り早く覚えさせることを知育だと信じています。

 こういう環境で育つと人は、答えばかりを求めるようになります。日本では問いと答えを繰り返す「対話的思考」が育ちません。哲学までも「問い」ではなく「正解」!?の集合になってしまいます。「できること」や結論だけに関心が行き、考えるプロセスと答えがひとつの全体をなしていることを理解している人は少ないのです。いつも目先の「正解」ばかりを求めるために、薄っぺらな世界しか与えられません。

 意味の探求をしない「事実とやり方」だけの「知」には喜びや面白みがありません。
「なぜ?」「どうして?」という子供の初発の問いにつくこと、
それが人間の心と頭の底力ー実存の魅力を生み育てる源泉になるのです。

 ?自我=自芽の成長

「なぜ?」「どうして?」という意味論ぬきの「事実学」の積み上げは、人間の生からエロース、喜び・悦び・歓びを奪って、つや消しの世界を生んでしまいます。「人間を幸福にしないシステム」の大もとは「意味論」(民知―恋知)の欠如にあるのです。

 生きるよろこびとは、自分の世界が広がり・深まることですが、自我の成長がないと外側の価値に振り回される生き方しかできなくなります。存在そのものの成長・魅力ではなく、知識・履歴・財産の所有を追いかけるだけの人生に陥ります。

 では、どうしたら、自我はよきものとして成長するのでしょうか?
私は、自我を「自芽」と考えるとよいと思います。自分という芽は誰にでもあるわけですが、自芽が豊かに生育し、花を咲かせ、実をつけるためには、内的なエネルギーが必要です。外側から弄(いじく)れば、芽は枯れてしまいます。意味論なしの「事実―知識」の注入は、根腐れをおこさせ自芽を生育させません。自芽の成長の条件は、「なぜ?」「どうして?」の意味論=内的エネルギーにあるのです。

 意味論(民知―恋知)がなく、事実学だけという精神風土の中では、情報が多ければ多いほど、学歴が高ければ高いほど、本を読めば読むほど、死んだ頭―紋切り型のパターン人間になっていきます。ほんとうには何も見えず、何も分からず、ただ言葉上の理屈だけで生きる人生に陥ります。現実問題の現実的解決とは無縁な実力のない「口先人間」にしかなれません。

 中身の豊かさ、魅力、意味充実の世界への扉を開くこと=自芽が成長・開花する条件は、「なぜ?」「どうして?」という意味を問う全体的な知の探求にあるのです。それを私は、民知(恋知)と名づけています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の一番好きな相撲取りは、朝青龍。6連覇!実にうれしいです。

2005-09-26 | その他

朝青龍6連覇!おめでとう。

私は幼いころから相撲ファンでしたが、子どものころは、やっぱり大鵬が好きでした。

朝青龍が関取になってからは、ずっと彼のファンです。

なんといってもあの笑顔がいですね。気迫、やる気を表に出すところ、真っ直ぐ、正直で、かっをつけないところ、自然体の闘争心、全てが見ていてとても気持ちいい!
こちらまで元気になります。
邪心がなく、「よっしゃ」、とガッツポーズ。
陰湿さ、暗さがないのがいいです。思い切りがいい!
何よりも「横綱らしくない」のが最高です。いつも挑戦者の気概!
明るく楽しく、エネルギッシュに、相撲界のエロース革命!を期待します。

個々の内容に留まらず、「枠組み」そのものを変えていくパワーを持たなくては未来は開けない、何事にも通ずることですね。

9月26日 武田康弘




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「哲学館」と井上円了ー文部省の弾圧に屈せず、初心を貫いた先達

2005-09-24 | 恋知(哲学)

「哲学館」(後に東洋大学)の創設者、井上円了(えんりょう)は、哲学は「思想練磨の術として必要なる学問」で、人は肉体を練磨するために運動や体操をするように、精神を練磨するために哲学を学ぶ必要があると考えていました。

 つまり「哲学館」では哲学を教授するとはいっても、「哲学学者」を養成しようしたのではなく、一般の人々が哲学を学ぶことによって、「ものの見方や考え方の基礎」を身につけることを教育目的としたのです。

 浄土真宗・東本願時派(大谷派)の出である井上円了は、1881年(明治14年)東京大学の文学部哲学科に入学しましたが、その年の哲学科入学者は、彼ひとり。「哲学」という訳語自体、その7年前に西周(にしあまね)によってつくり出されたばかりでした。

 在学中の井上円了は、哲学研究会をつくり、カント、ヘーゲル、コントの研究討議を行い、友人の三宅雄二郎、棚橋一郎と共に哲学の「学会」を創る構想を練りました。1884年(明治17年)に、井上哲次郎、有賀長雄を加え、神田錦町の学習院内に本部を置き、第一回会合をもちましたが、この会には、日本に哲学を導入した中心人物たち・加藤弘之、中村正直、西村茂樹、外山正一らも参加しました。
 
卒業後の彼は、森有礼文部大臣からの文部省への就職を断り、また、東本願寺からの教師教校への教授就任要請も断りました。俗人となって民間人として哲学教育を行う強い意志を固めていたからです。

彼は、29才のとき、1887年(明治20年)に「私塾の精神」に基づく『哲学館』を創設しましたが、その目的は人間の精神活動を活性化するところにありました。
「帝国大学(東大)においてすらも教師はただ生徒の頭脳になるべく多くの知識を注ぎ込まんとし、生徒もまた試験に及第せんがためになるべく多くのことを暗記せんと勉めておるのである。そもそも大学なるものは知識を与うるところであるのか、そもそも知識を得るのみちを教ゆるところであるのか」と言い、
「哲学館」の理念を、注入主義ではなく、開発主義においたのです。ひろく哲学・思想を教授しましたが、その際には「自由討究」を重んじました。

《思想や精神は決して自然に発達するものではないので、身体を鍛えるのと同様に精神を鍛える必要がある。それが哲学を学ぶことである。したがって哲学はふつう教育として、思想練磨の学として万人に必要なものなのである》という思想に基づく『哲学館』は、16才以上の男子ならば(ここには時代性が現れている)誰でもが入学でき、活気に満ち、大変な人気を博しましたが、1902年(明治35年)に文部省の陰湿な弾圧を受けます(「哲学館事件」)。このとき井上は、不退転の覚悟を持ちつつも、激することなく、冷静に粘り強く事に対処し、権力に頭を下げず、新たな道を模索することで難局を打開していきました。

井上円了は、1912年(大正元年)に二度叙勲を辞退し、「無位無官」、権力の門に屈しない在野の学者・教育者としての生を貫きました。

彼は自分の学問を「田学」と表現しています。
「紳士が田舎にいれば田紳(泥臭い紳士)という。それならば学者が田舎にいれば田学といわれるべきである。これに対して、都会に住み、位階を帯び、官に雇われている学者は、官学とよばれるべきである。・・・鯛の刺身は貴人の膳に上るけれども貧民の口には入らない。しかし、豆腐の田楽は田学に通じ、その調法なることは鯛と比べものにならない。田楽は田学に通じる。自分は田学となり、学問の料理を貴賎貧富を問わず供給することを本文とする」と。

以上は、東洋大学刊の「井上円了の教育理念」-歴史はそのつど現在がつくる、 によりますが、文責は私(武田)にあります。なお、私は東洋大学とは何の関係もありません。念のため。

困難な大事業を、どこにも何にも依存することなく成し遂げたこの偉人=裸の個人に、わたしは深く親鸞(浄土真宗の始祖)の影を見ます。蘇らせるべき日本の伝統とは、このような精神であると思います。明治政府がつくった「近代天皇制」などではけっしてありません。

なお、井上円了については、大変な誤解があり、彼を「国粋主義の中心人物」という仰天するような評価などはその最たるものでしょう。最新刊のちくま新書「哲学者の誕生」(納富信留著)は、大変よい本ですが、この点に関してはひどく無理解で、増刷の時には訂正する必要があるでしょう。東洋大学内にある「井上円了記念学術センター」へ問い合わせれば、上記の本は、非売品ではありますが、入手は可能です。繰り返します。井上の理念は、強制の排除、感性と人間交流の尊重という「私塾の精神」であり、「自由議論」であり、「官学ではなく田学」でした。

9月24日 武田康弘

中野区にある井上円了構想の「哲学堂公園」については、以下をクリック。
中野区ホームページ内の案内。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「目的因」は、ほんらいの哲学=民知・恋知の息の根を止める。 (付・山脇さんコメント)

2005-09-20 | 恋知(哲学)

大多数の人にとって、「ヨーロッパ哲学の歴史」、それも、キリスト教をバックボーンとする「近代の西ヨーロッパ」が、自分たちのために整理し、価値付けた思想の歴史など現実生活には何の関係もないでしょう。

ただし、キリスト教とはほとんど縁のないわが日本も、明治維新以降、その文化を輸入し学問と学制をつくった以上は、その思想の遇し方を知らなくては「混乱」を招くことになります。

あらゆる権威、世俗社会での序列とはまったく無関係に、自分の頭で考え、生きた対話による思索を宣揚したソクラテスの「恋知」(哲学)は、当然キリスト教とは無関係です。出自は、古代インドと共通です。この思想は、世界のふつうの多くの人々にとって大きな利益をもたらす、と私は考えています。

ところが、現代に至る「学」の起源とされるアリストテレスは、哲学は、「事物の変化の究極の原因」を知るための学だと考え、存在の原因として「目的因」(雨が降るのは植物の成長に必要だからだ)を導入しました。神=事物の存在の究極の目的を認識することで最高の幸福が得られるという思想は、その後、キリスト教会の「神学」に援用されたのです。

わたしは、この「目的因」という思想は、内在的にものごとを考えていく道を閉ざし、ソクラテスの「恋知」(哲学)の息の根を止めてしまう考えだと思っています。「目的因」という発想は、現代でもいろいろな形に変奏されて生き残っていますが、この発想は、必ず「客観」や「絶対」を求める思想を生んで、生きた心、しなやかで自由な精神を殺してしまいます。

わたしが提唱する「民知」を広げるためには、こうした絶対的なものを求める思想的ヒステリーを生む「発想」を元から断たなければいけません。主観を掘り進めていくことで普遍的な了解をつくる本来の恋知(哲学)=「主観性の学」を「客観学」へと変貌させてしまわないようにくれぐれも注意しなければならないと思います。油断するとすぐに転落してしまいますので。

(注・アリストテレスの学問には価値がない、という意味ではありません。念のため)

☆「民知宣言」 (8400字) クリック縮小版は、(1000字) クリック

9月19日 もう20日 武田康弘


以下に山脇さん(東大大学院教授)のコメントと私の返信コメントをコピーします。

[山脇直司(本名)] [2005/09/21 00:11]

武田さん
いつもいつも、情熱的な見解を拝見しております。
それで、アリストテレスの「目的因」に関してですが、私は少し違う見方をしています。すなわち目的因を、作用因のような説明原理としてではなく、「存在の自然なあり方を問い了解する思考様式」として理解しています。人は「何のため」に生きるか、それは「幸福に至るため」というようにーー。この見方でいくと、ガリレイVSアリストテレスという見方も可能です。この点に関しては、私たちが20年近くも前に訳した私のミュンヘン大学時代の恩師シュペーマン他『進化論の基盤を問う:目的論の基盤と復権』(東海大学出版会)が参考になるでしょう。また、フォン・ウリクトの『説明と了解』(産業図書、ただし品切れ)は、ガリレイ的な伝統とアリストテレス的な伝統を対比した名著です。
以上、私なりの見方をコメントしました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

タケセン] [2005/09/21 01:29] [ MyDoblog ]

山脇直司さん、コメント感謝です。
「何のため」に生きるか、については、「私は何のために存在しているのか?」と問うことは背理なのですーという2004年11月19日の2本目のブログに私の見解があります。
本題ですが、私がここで言いたいのは、キリスト教哲学=神学が用いた(援用した)アリストテレス思想の意味です。文脈からもお分かりでしょうが、アリストテレス研究が主題ではありません。
ただし、ここで山脇さんが示された見解と研究成果の書籍は、アリストテレスその人の思想を学ぶ上では、おおきな価値をもつものと思います。
ご教示、ありがとうございます。
武田康弘



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小泉首相は「いい人」なの?かも知れませんが、政治家としては「失格」です。

2005-09-15 | 社会思想

小泉首相は、「公人」としてはとうてい認められない存在です。

友人Aは、とてもいい奴です。優しくて真っ直ぐで頭もよく、皆に好かれます。私の40年来の親友です。でも政治について語ると「個人的な思い」のレベルを超えられません。
議論ができないのです。自分の信条以上には出ず、スケールが小さいのです。一つのことに拘るために、公共的な思想を構築することは不得手です。明晰なのですが、狭く、思想的ヒステリーなのです。日本人に多いタイプです。個人的に付き合うにはとてもいい奴なのですが。

こういうタイプの人間は、友達として長く付き合えますが、政治家にしてはいけません。自分の「個人としての信念」に頼り、「政治技術的」に事を運ぶだけになるため、国の進路を冷静沈着に見つめ、未来を拓くよき空気をつくりだすことができないのです。

政治家は公人であり、個人的につきあう友達ではありません。深い意味での国益を実現するのが仕事です。国政の最重要課題は、外交と予算です。小泉首相は、個人レベルの信念に固執して「国益」をおおきく損ねています。

アメリカ一辺倒の外交、近隣諸国無視の靖国参拝、自衛隊のアメリカ軍との共同行動・作戦推進、どれもこれも日本のよき独自性を失わせるものばかりです。テロの標的にもされかねません。
地理的条件も、歴史的条件も日本とは正反対のアメリカに追随するのは、あまりに無謀です。
戦後60年の今もなお、明治政府つくった国家神道(=天皇教)の総本山「靖国」に戦死した兵士たちを祭り、「公立墓苑」の計画はストップさせたまま。
全く「未来の市民社会」を拓く思想=理念がありません。

こういう選択しかなかった日本は不幸です。私は、もうしばらく不幸に耐え、新たな希望の哲学の原理を揺るぎなきものとして創り出す営為に励みたいと思います。

結党以来、私は主張し続けていますが、政治思想がない「民主党」は、解体修理が必要でしょう。なぜ、新しい市民社会(それは、明治以前の日本のよき伝統を活かすことにもなります)の理念を堂々と掲げることが出来ないのか?
明治政府がつくった「近代天皇制」をきちんと批判し、新たなシチズンシップに基づく社会像をトータルに示せないのか? それが出来なければ自民党を乗り越えることは不可能です。これは原理だと思います。

「皇族の人権と市民精神の涵養」をぜひご覧下さい。

9月14日 武田康弘




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分をチェンジ。社会をチェンジ。

2005-09-10 | 私の信条

情報を集め、整理し、羅列するだけの「ノッペラボウ」。

他者の意見を誠実な議論なしに自分勝手に解釈する「独断自閉」。

様子を見て、強そうな方につくだけの「ドレイ根性」。

社会問題を自分の頭で考え、批判的意見をもつことができない「家畜人生」

そういう生き方をしていて、幸福ー悦びが得られると思うなら、それは極限的な「愚か者」です。

「天皇・靖国」という国家宗教的な象徴。
「東大・官僚」という現実権威的な象徴。
「自民党」という政治的な象徴。
「読売巨人軍」という娯楽的な象徴。
「IT成金・土地成金」という貨幣の象徴。

こういう外なる価値を崇拝するヒステリー=内面世界の豊かさ・強さのない外面追っかけ人生と「幸福」とは二律背反ですね。「遊んで暮らせる富」を得ることができれば、「幸福もどき」の生活は可能ー何でも金で買える?ーですが。いや、一番不幸の生に転落するかな?

おとなしい人、いい人、ただの常識人、傷つくのを恐れるためのうそつき人(自分を騙す「自己欺瞞」を続けると奈落の底に堕ちますよ)、そういう「人」から抜け出ないと、「出口なし」です。

わが日本人よ!とりわけ若者よ!
はっきり、きちんと、堂々と主張する練習をせよ!どうでもいいような「おしゃべり」しかできないテイタラクから自分自身を解放せよ!とあえて怒鳴ります。

「受動性の想念」に縛られていることが「カッコイイ」とでも思っているなら、お笑いでしかありません。ああ、勘違い!あなたは「昆虫的な人間」?としてしか生きていないことになります。いつも周囲にあわせるーでも人間ですから合わせきれなで時々「狂う」「切れる」-なんだか惨めもいいところ。

明日は選挙、それにしてもいつまで「自民党」なのでしょうかね。ずーと同じ政権、息が詰まるような閉塞感。昆虫的人間から脱却するはじめの一歩は、選挙に行き、「変える」意思を示すことです。自分をチャンジ、社会をチェンジ、それが一番「かっこいい」と思うのですが。


9月10日 武田康弘


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二次元の世界の住人は、自分を変えません.

2005-09-09 | 私の信条

金泰昌(キム・テチャン)氏から依頼された原稿・「民知―恋知と公共哲学」(11000字)を書き上げて、頭が疲労ぎみです。 「公共的良識人」紙の7月号に書いた民知宣言ー「出会いと民知と公共哲学」に続く第二弾です。

ボーっとしながら一言。
つくづく思うのは、日本人(だけではないでしょうが)の勉強好き?のマジメな人の頭=思考回路が二次元(平面)的だということです。

情報を多く集め、一見、整合的な理論をつくり、しっかりしているように見える。いろいろと考えていそうだ。専門知の知見を拠り所に「近代的自我」を持ち、自信もあるようだ。本もたくさん読んでいる。

でも、全部? 立体から見れば影に過ぎない「事実学」を積み上げているだけです。どこまでも平面の拡張に過ぎないようです。

それにしても、書き言葉は、どうしても平面になりがちです。なかなか難しいものです。というより、もともと「書き言葉」とは写真のようなもの。平面なので、工夫して元の立体を想起させることしかできませんが、ほとんどの人がそのことに無自覚なので、書き言葉に依拠した「インテリ」ほど文字世界に呪縛されて二次元世界に堕ちてしまうというわけです。

三次元の頭になる?ことは、可能です。変な教育を受けていない子どもは、三次元です。「なぜ?どうして?何のため?」と質問攻め!平面から見れば矛盾だらけーでも立体交差ならぶつかりません。 しかし、すでに自我意識を強くもつ大人の男性は、「一度死んでやり直す」ほどの覚悟が必要?「自我のよろい」ほど厄介なものはありませんから。「全身で思考する」練習をしましょう!

あなたも文字言語が偉いと思う「自我」の人? 
「我」は強く「思考」は弱いのが日本人のようです。いやですね。

私は、堂々と「あっけらかん」と自分を主張することで、「マジメな底意地の悪い自我」を消去!という生き方をしています。自分の「存在」を深く肯定できれば、自他の幸福をつくらないいやらしい「自我」は消えます。(ついでに言えば、「天皇家」の存続を第一に考える!?というような想念は、極限化された自我主義ですー皆を不幸にします。)

存在感は強く、大きいーでも自我は弱い。そんな人間になりたいもの。


9月8、9日 武田康弘




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザ・ベスト・オブ・スイング・ジャズ―UCCU 1055

2005-09-05 | 趣味

デューク・エリントン、 カウント・ベーシー、 ベニー・グッドマン、 グレンミラー、の往年の名曲の名演が一枚で聴けます。
これはほんとうに「得」する一枚です。 
思わず「笑み」がこぼれます。なんというリズム感ースイング。
おおきくてかつ繊細、痺れる名演の連続です。
おまけにとして?サラ・ヴォーンの「ラヴ」とルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」もついてます。
録音時期は1930年代から90年代と幅が広いですが、音もよくてゴキゲン!買わないと損?かな。
今年3月の発売です。UCCU・1055 定価1995円




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の原点―小学校の「政治クラブ」と胃潰瘍

2005-09-04 | その他

(以下は、執筆中の依頼原稿「民知ー恋知と公共哲学」ー20枚の導入部分です)

私が小学5年生(文京区立誠之小学校)の時、初めて学校に「クラブ活動」が導入されました。社会問題に興味が強かった私は、友人と共にクラブ活動担当の先生に「政治クラブ」をつくってくれるように頼み、実現しました。

そこでは「日本国憲法」と「大日本帝国憲法」の比較や、アメリカ合衆国とソビエト連邦との違い、優劣等について学び、考え、議論をしました。私は、新聞の社説を読み、政治談議をする小学生で(笑)、日本も政権が交代する二大政党制にならないと民主主義とは言えない、などと生意気な主張をしていたものです。6年生の最後のクラブでは、人間の幸福とは何か?のテーマで話し合いましたが、アランの幸福論などを前にどうにも整理がつかなかった思い出が残っています。もう40年以上も前のことです。

社会科の勉強は算数と共に大変好きで、知識はたくさん持っていましたが、しかし、いくら調べても考えても、「ほんとう」のことは、少しも分かりませんでした。日本は、「天皇主権の国家主義」の社会から人間の自由と平等に基づく「民主主義」社会に変わったというけれど、天皇家に生まれた子どもは、どうして生まれながらにして特別待遇なのか? 世襲の一人の人間がなぜ私たち全員を統合する象徴なのか? なぜ、天皇という一人の人間の死で「時代名」まで変わってしまうのか? 法の下の平等という憲法14条との関係はどうなっているのか? 旧・憲法下では、主権者で、軍隊の統帥権を持ち、その軍隊は「皇軍」と呼ばれ、現人神(あらひとがみ)であった天皇が戦争責任をとらない!とは一体どういうことなのか? 図書館の本で調べても、先生に聞いても腑に落ちる答えはどこにもありませんでした。

分かったことは、大人は少しも「ほんとう」のことは考えていない、ということです(笑)。そういう本質的な問題については何も考えず、何も知らなくてもテストでは100点を取れることも学び?ましたが、私の場合は、父が私の質問に乗って、一生懸命に「問答」をしてくれたことが幸いでした。「考える」ことは、ワクワク・ドキドキする悦びでした。
どの科目も、ただの「がり勉君」になれば、好成績が得られることも体験から知りましたが、そういう面白みのないインチキな勉強はすぐにやめました。自分がニセモノの人間になっていく、と感じて心がとても苦しかったからです。

多感で神経質、集中力の強いストイックな性格のせいでしょうか、5年生の後半から私は胃潰瘍を患い、その後十二指腸潰瘍となり、以後20才まで長いこと苦しめられました。しかし、がんの疑いから胃カメラを使っての検査もした「闘病」は、死への恐怖から「生きることの意味」を問う心を育てました。いわゆる「偉い人」の言葉を信じるのではなく、深い納得をもたらす考えを自分の頭で創り出すことが「日課」になったのです。だから私は、哲学史上の「実存主義」とは全く無関係に、はじめから実存主義者でした。

いまに至る私の「知」の探求仕方は、この時決まったようです。書物の知は、あくまでも一つの手段でしかなく、肝心なことは自分の頭で考えること。自分の目でよく見て確かめる実践的な思索こそがほんものであること。「試験知」に乗った学者や批評家としてではなく、深い納得を求めて生きる「思考する一人の人間」としての生を貫くこと。
その後、大学で「哲学」に集中的に取り組むようになってからは、西周(にしあまね)によって無粋な訳が与えられてしまった「哲学」-philo(恋する)sophia(知)、本来は『恋知』と訳される言葉の初心に帰ること=キリスト教という一神教誕生後の「ヨーロッパ」哲学以前のギリシャのソクラテスが提起した『恋知』(「パイドロス」の後半を参照)を貫くことが何より大切、そう考えるに至りました。

9月2日 武田康弘

(この続きはなかなか刺激的で、面白いのですが、新聞の発行後に発表します。)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「東大病」についての説明です。誤解なきように。

2005-09-02 | その他

「東大教」とか「東大病」というのは、「受験知」を基準とする『序列意識』と官僚制度を支える東大法学部を中心とする『エリート意識』を指す言葉です。

東京大学が他の大学よりも劣るとか悪いという意味ではありません。

受験知だけを追い求める日本の教育を支える思想―想念、私はそれを「東大病」と呼んでいるのです。東大生や東大教授が必ずしも「東大病」という訳ではありません。「東大に行けなかった人」により重症の東大病患者がいます。


(実際には、例えば、戦前も東大教授の自由主義者、牧野栄一・美濃部達吉・末弘厳(いず)太郎らは、時の天皇制国家主義の権力者と対峙したのです。そのため鳩山一郎文部大臣や政友会の代議士たちによって東大を追放されました。1933年、慶応大学の右翼思想の教授―蓑他胸喜(みのたきょうき)が彼らを「赤化教授」として訴えたのがきっかけでした。)


受験知に基づく序列意識が「病気」を生むのです。
「意味論」や「本質学」が後景に押しやられていること=「事実学」でしかない知のありようが「大問題」なのです。

「公共哲学とは何か」(ちくま新書)に著者で、東大大学院教授の山脇直司さんとのメール交換をご参照下さい。(クリック) 山脇さんと私は、実存の問題を基底にすえて「公共哲学」を考え、進めて行こうと考えている同志です。

「象徴が支配する」もぜひご覧下さい(クリック)

9月2日 武田康弘




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小泉自民党は、いま最も危険な団体ですー「ネオ国体イズム」

2005-09-01 | 社会思想

国の政治の主要問題をすべてネグり、分かりよく、面白い、たった一つの問題に絞り込む。小泉首相は、いま「小泉郵政法案」が通らなければ改革?はストップするのだ、という子ども騙しのような言説を信じ込ませることに大成功!しているように見えます。

「国民皆のための殉教者」を見事に演じ、反対者はすべて「守旧派」だと信じ込ませる演技力は、この4年間で更に磨きがかかりました。この「目くらまし」の天才!?の前にマスコミも背後に潜む危険―巨悪を抉り出すことができません。「東京新聞」は数少ない例外ですが。

このままでは、小泉、安部を中心とした「ネオ国体イズム」が勝利しそうな形勢ですが、ソフト化した天皇教の下に、国民を一つに纏(まと)め上げ、アメリカ軍との共同作戦を遂行する『自衛軍』という名の軍隊を組織する。戦争で亡くなった人々の鎮魂の施設=「公共墓苑」の創設を封印し、明治政府がつくった天皇現人神(あらひとがみ)=国家神道の総本山(靖国神社)を永続化する。アメリカイズムと天皇イズムの合一は、戦後、マッカーサーと裏取引をしたヒロヒト(彼の想念はただ一つ=「天皇家の存続」が全てに優先する、でした)の路線そのままです。小泉「現代右翼」の尖兵たちが、「旧・右翼」の中曽根たちと折り合いが悪いのは、近親憎悪にすぎません。

「情報」と「情緒」がすべてでは悲しいです。パターン思考と機械的暗記の頭脳をチェンジしないと市民精神による民主制は、永遠に不可能です。民知=恋知による「考える頭」の育成にみなで取り組もうではありませんか。アメリカイズムに取り込まれた日本主義による「おぞましい」社会を創っても、多くの日本人は幸福にならないと思います。

9月1日 武田康弘





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする