宿題代行業とは呆れ返る。
親がお金で依頼する、インチキそのもの。
教えてもらう、助けてもらう、一緒にやってもらう、というのではなくて、
作文や工作や絵や自由研究を、まるまる全部他人にやらせる。
その事業!?が繁盛している。
もう、終っているでしょ。人間の元が腐っているでしょ。
これほどヒドイ話に賛否両論がある、と報じるマスコミやネットに、言葉もない。
デタラメ・インチキ・ゴマカシは、安倍政権の特許ではなくて、子育てまで。
これで日本万歳!
宿題代行業とは呆れ返る。
親がお金で依頼する、インチキそのもの。
教えてもらう、助けてもらう、一緒にやってもらう、というのではなくて、
作文や工作や絵や自由研究を、まるまる全部他人にやらせる。
その事業!?が繁盛している。
もう、終っているでしょ。人間の元が腐っているでしょ。
これほどヒドイ話に賛否両論がある、と報じるマスコミやネットに、言葉もない。
デタラメ・インチキ・ゴマカシは、安倍政権の特許ではなくて、子育てまで。
これで日本万歳!
憲法を守ろう、とか、9条を守ろう、という会は政治的だから、市民の「国分寺まつり」には不適当とのことで、毎年出してきたブースを禁止とのこと。
憲法を守れ、という主張が政治的でよくない????北朝鮮以下ですね~~~。その国の憲法を守ろうという意見が禁止されるとは、北朝鮮でもないことでしょう。わが日本という国は、国家の基本すらない、役人とウヨク政党(自民党など)の行為は、あえて「キチガイ」という表現で非難するほかありません。
ちなみに私は、「護憲主義者」ではありませんが、憲法で縛られるはずの国家公務員(政治家や役人)が、憲法順守義務(99条)を放棄して、護憲を訴える市民活動を抑え込むというのは、間違いなく、民主制の根源否定です。
私の意見に反論できる政治家や役人が存在するなら、名乗り出なさい!!
武田康弘
従軍慰安婦の問題、
18日に、泥憲和さんの論文を「白樺教育館」ホームページにまとめて出した(pdf)ことをお知らせしましたが、その時、どなたか英訳して頂けませんか、と書きました。
それに応えて、アメリカ在住の三枝恭子さんが、コメント欄で「引き受けます」と仰ってくれました。
大変な作業なのに、快くお引き受けいただき、とてもありがたいことです。感謝です。
戦後処理で、アメリカの世界戦略と日本の旧支配階級の利益が合致したために、戦争への反省が曖昧、とりわけ「思想的反省」はしないまま69年が経ってしまいました。それゆえに異常な事態が続きます。
従軍慰安婦問題は、「日本の常識は世界の非常識」である一象徴ですが、泥さんの論文は、日本の政治家や官僚や御用学者たちの次元の低さと、名もなき民間人の次元の高さを示す見本です。
日本は、今も昔の「民高官低」です。ペーパーテストしかできない愚かな「私」ではいけません。知の教育改革が必要です。
脱線しましたが、11月末に三枝さんが一時帰国するときに、お会いすることになりましたので、遅くとも年内にホームページで発表できると思います。
日本の「民」の良心を世界に向けて発信できます。国連本部と人権部会にも送ります。
実は、この件で、わたしは喜びが込み上げてくるのを抑えられません。ネットが生み出すつながり、自由で平等で、内容だけで互いを評価でき、協力しあえる、う~~~ん、なんという幸せ。
再び、まだ見ぬ三枝恭子さんに感謝です。
武田康弘
泥憲和氏の論文英訳について
三枝恭子 2014-08-24 16:31:32
はじめてお便りします。米国コロラド州在住の日本人です。そのつもりで米国に来たのではないのですが、永住してそろそろ40年になります。「70年代」にベトナム反戦、そしてウーマンリブなどを経験した世代です。事情があって長い事活動しておりませんでしたが、やっとこのごろまた平和運動などに首を突っ込むようになりました。一応米国翻訳者協会の英和および和英の検定資格を持つ翻訳者です。いますこし大きな仕事を請け負っているので、どのくらい時間が掛かるか分かりませんが、1部あるいは全部、泥さんの論文の翻訳をお引き受けしてもよろしいです。お役に立てるようでしたら幸いです。
『恋知』第3章の(1)に寄せられた声です。
本当に、心から凄いと思います。私にもわかりやすい言葉を使い 理解させること!有り難うございます。初めてお会いしたとき(17年前)、世間的にどうみられるかは問題ではない。自分が考えて、と仰るのを伺い生き方が楽になって 自分が考えて生きてきました 楽になってちょっと長生きしてしまいましたが やっぱり、先生にお会い出来たことを感謝しております。
明治政府により、天皇を神格化、全体主義的な教育が進められ、多くの国民は洗脳され片棒を担ぎ、侵略戦争への道をまっしぐらに走りましたが、そんな中で、数少ないですが、政府の政策に異議を唱え、侵略や戦争に反対し、抵抗した人たちがいました。残念ながら、ほとんどの人たちが「治安維持法」違反で逮捕されたり、 最前線に送られたりして命を落とし、戦後の日本の民主化の場で活躍できた人は少なかったようです。
先日の「恋知の会」の中でも話題になりましたが、確かにそういう人たちに共通点を探るのは難しいと思います。育った環境がまったく異なり、教育、宗教、家族構成、様々な条件がまったく違うので、外的な共通の要因を求めるのは無理だと思います。
しかし、武田さんが提唱される「恋知の生」に ついて書かれたものを読む時、戦争遂行に国家が目の色を変えている時に冷静に状況を判断し反対する見識と勇気を持ち合わせていた人は<自分の頭でよく考 え、深い納得を得られる普遍的な正しさを求めた人><イデオロギーや宗教や既定の価値観に従うのではなく、自分から出発し、得た知識を自分の生活の中に意 味のある知として位置付けることができた人><善美に憧れ真実を探求する座標軸を心の中に持った人>であったのではないかと思います。
第三章を読みながら、”タケセン”を中心とした白樺教育館の活動が、これからの日本にとって、どれだけ大切なことかと改めて感じています。
読んでいてゾクゾクッ! 古林 治
私(実存)という個人とそれを活かす社会(民主制)の問題を明晰に捉えた思想・哲学は私の知る限り、なかったと思います。
1章と2章のまとめもきわめて簡潔・明晰でわかりやすく、同時にまた、一般性・絶対性・普遍性の問題もそこに位置付けられてますので、とても 重層的で深みが生まれています。
それにしてもペリクレスの演説にはまいります。
ギリシャ文明は正真正銘の奇跡的存在だったということですね。
振り返って現実のこの国を見ると、いや、見ちゃいけないのか(笑)。
というのはジョーダンですが。
なお、公共哲学の学者たちと竹内芳郎さんに会って以来、とても強く感じることですが、以下の文章には本当に同感です。
『人生や社会のさまざまな出来事の意味と価値をふつうのことばで考察する「恋知」の活動が活発にならないと、民主制(市民主権による自治政治)をほんとうに機能させ発展させることは出来ないと思います。』
『人生や社会のさまざまな出来 事の意味と価値をふつうのことばで考察する「恋知」の活動が活発になら ないと、民主制(市民主権による自治政治)をほんとうに機能させ発展させることは出来ないと思います。』ーーーーーソクラテスもブッダも親鸞も普通の言葉で語ったのでしたね。
自らの頭で、ああでもない、こうでもないと、考えた人でないと、書けない文書ですね。すばらしい。
私もいろいろな哲学者を見てきましたが、この様な誰でもわかる言葉で、語れる人は稀有です。それも「大哲学者」の学説を語るのでなく、自ら考える、思うことを、根拠から語る。
普通の言葉で語ることは、誠に難しい、ごまかしがきかない。自らの血となり肉となった思考の成果を感じます。
普通の言葉で語る武田哲学は、言葉に頼りすぎない哲学であると感じるのです。もちろん体験を大切にすることは、言うまでにないことです。
ただ言葉はミラーボールですので、一つの単語でも文脈によりいろいろな輝きを見せます。武田哲学は、抽象的な曖昧性を排します。誠に難しい作業です。言葉の概念を絞り込み、普遍性を高めます。ここの働きが、学者には難しい。学者にというより、自分の頭で思考出来る人、学説や文献に頼ろうとしない意志のある人でないと出来ない。概念をどうしても駆使したがる。そんな風に思うのです。
もっと申し上げたいのですが、夏バテバテで頭が働きません。いつもですが(笑)。
放送作家の百(ひゃく)田(た)尚(なお)樹(き)の発言=「国家があって個人の幸福がある。国家のために死ぬ生き方を思い出そう」 に対して、
清水光子さんがコメントしていますので、ご紹介します。
※百田尚樹は、「永遠の0」の作者で、安倍首相と同じ「戦前の日本主義の思想」をもち、首相の肝いりでNHKの経営委員になった人。
ちょっと過激かもしれまさせんが 清水光子
昭和天皇はエイキュウ戦犯が、靖国神社に祭られてからは、参拝されていません。本当はご自身が戦犯の、第一人者ですのに。
最近、小学校からの友人と会話で、彼女も、講和状約のあと天皇は、悪かったと、責任を取るべきだといって、私たち同じように思っておりましたことがわかり、すっきりしました。
戦前から戦後、大事な人が戦死しても名誉に思っておるふりをし、食べるもの着るもの、本もない、貯金は封さ、インフレは凄く、母がいたから、生きて来れたと思います。
政府、政治家は国民のことは「使い捨て」でした。
今は、私たちに、主権があるのです。個人の主権を、しっかり守りましょう!
(※写真は、今年(2014年)5月14日・白樺教育館で 光子さん84歳・わたし62歳 。クリックで拡大)
清水(旧姓・福田)光子さんは、今年84歳ですが、福田良三の実娘です。
福田良三は、旧海軍中将 正義感に溢れる軍人。昭和天皇にも近い人で、敗戦時は、台湾の警備府長官でした。東京裁判では、「尖閣列島(魚釣群島)は自分(台湾州)の管轄区内であった」と証言しています。
戦時中の1943年に勲一等瑞宝章受章を授賞、戦後はB級戦犯として1946年12月から1952年まで6年間獄中に(光子さんが16才から22才まで)。
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以下は、私のコメントです。
清水光子さんの文章=コメントは、光子さんの人間としての卓越性を表すものです。
わたしたちの多くは、自身の出自に囚われて、無自覚であれ、自分をゴマカシて生きています。残念なことに、われわれ日本人は、世俗の価値(東大が偉い・大企業が偉い・皇室が偉い)を超えて、一人の人間として「善美に憧れ求める」人生を送っていません。
精神世界をつくる恋知(ほんらいの哲学)がないので、「世俗の価値」が絶対という平板で底の浅い生き方に陥ります。テレビを見れば、恐ろしく単純な価値意識が支配しているのは誰でも分かるでしょう。有名な人や物が偉い!?
社会批判を述べる人も、直接話をすると、そのホンネは同じ「知歴財」の所有で「自分を飾っている」のが分かり本当にガッカリします。『存在』そのものの魅力ではなく、知識や、財産や、履歴や体験歴の『所有』で胸を張るのです。
清水光子さんは、「戦前のエリート族」の家系でしたが、そこにとどまれば、なにが出来た(優秀さを示せた)ところで、「裸の人間としての価値」は持ちません。しかし、自らの出自の価値を相対化して、自身の赤裸々な内部の声=出自と戦前思想の双方を超えた考えをもち、それを表出された為に、大きな価値が生まれました。
その発話行為で、出自・時代・状況に埋もれない「光子さんの実存」が輝き、自身の人生を意味あるものとしたのです。見事です。「一人の人間」として生きる!
いやいやタイへン。
昨日のおやすみを利用して、「第39回式根島キャンプ&ダイビング」の写真L版100枚のアルバム、完成!ーーわたしと染谷君と西山君の写真をプリントして編集しました。
日曜日に完成させたA4のコラボ写真集と一緒に写真をアップします。
日を置いて、一日中、900枚の写真と格闘、出来たものを見れば簡単に思えるでしょうが、
実は、膨大な時間と神経を注がないといけないのです。裏の努力努力、努力あるのみ。
神経と体力をとっても消耗させる(しかし、よろこびがある!)キャンプダイビングから帰り、その後の写真の整理と作成、タイヘンでもこれが終わらないとダメ。ふり返り見ないとね、です。 A4の拡大写真も20枚、A3は一枚。「白樺教育館」でミニ写真展を開催中!!
コラボ写真は、白樺教育館のホームページで見ることができます(クリック)
以下は、10年前、2004年に書いたものです。本音がそのまま出ています。
「キャンプ・ダイビングーほんものの教育」 武田康弘
教育今年も真夏の炎天下、式根島の大浦キャンプ場―斜面地の美しい自然の中のキャンプ地に行ってきました。(数年前地震で渡航禁止になった年を除き)28年間連続の海辺でのキャンプです。手付かずの自然―ほとんど誰も来ない美しい岩礁地帯でのシュノーケリングと磯遊びは、何よりも深く楽しい遊び=学びです。夜は、雲かと見まがう天の川、微光星で全天が埋め尽くされる太古の星空です。
わたしは、そうとは意識せずに、こどものダイビング指導のパイオニアの役目を果たしてきました。1977年からのシュノーケルダイビングの模様は、1980年から10年間に渡って月間「マリンダイビング」誌上で紹介され、それがもとで、各地のスイミングスクールでのダイビング指導が始まったのです。
初体験の子どもも、すぐにスイスイとシュノーケラーになってしまいますが、実はわたしはいつもほとんど「教えない」のです。黙ってやらせておいて勘所をひとこと言うだけです。「マニュアル」!?があると妄想するような人たちには理解しがたいことでしょう。肝要なのは、目の前のこどもたち一人一人を見ることですが、どうも独りよがりな「観念」や意味のない「常識」に縛られて目の前の現実が見えない人が多いようです。
ダイビングの楽しみと安全のために必要なのは、紋切り型で単細胞の体育会系の人間とは正反対の思想・態度をもつことです。子供の心身から硬さが消える環境をつくることができれば、生き物として自然な注意力が自ずと働き始めます。自由でしなやかな心が何よりも安全を生むのです。
わたしは今年で52歳です。24歳のときに始めた「子どもたちのキャンプ&ダイビング」は、初めの頃、「武田先生、こんなこといつまで続けるの?」と言われたものです。
今まで、先天性の心臓病の子も、ひどい喘息持ちの子も、学校で一番の問題児といわれた子も参加しました。しかし28年間一人として発病した子、大きな問題を起こした子は出ていません。ガラスのかけらを踏んで足をけがした子、転んで足をすりむいた子はいましたが、大事に至った子はひとりもいません。
でも確かに、このキャンプ中の100時間、とくに美しい岩礁の海で自由に泳がせている時間=何よりも素晴らしい体験を子どもたちがしている時間、私の全感覚神経は、人間に可能な最高レベルにあるようです。笑いながら、ふざけながら、でも心身は120パーセント燃焼し続けています。帰ってから数日は、意識は「真っ白」です。
断言します。子どもの教育―人間を育てることは、全身全霊でなければできません。どんな生き物もそうです。子育ては命がけなのです。そういう緊張感を失ったとき、人間は終わってしまいます。政治も、芸術も、学問も、実業も、子育てー人間の教育という営みに比べれば、はるかに下に位置するものです。魂を育てること。心身と頭脳の全体を、全身を使って育てること。それ以上に価値のあることはありません。これは私の「意見」ではなく、人間の生の原理です。ついでに言えば、これはソクラテスの哲学の原理でもあります。
タケセンのパワーはすごい!とか、いつまでも変わらないですね、とよく言われますが、実は、私は幼いころから内臓が弱く20歳まで闘病生活をしていました。幼稚園児の時には肝臓病で40日間寝たきりになり、小学生の5年生~6年生の時には胃潰瘍で2年間苦しみました。中学2年生から20歳までは十二指腸潰瘍を患いました。自律神経失調症で、勉強も20分間くらい集中したら休みを入れないとすぐ胃が悪くなってしまうのです。11歳の時から10年近く「虎ノ門病院」の専門医の世話になりましたが、結局、20歳の時、家の近くの「鴎外図書館」で見つけた「導引術」の本を読み、自分流に心身の改造を始めたことで、ようやく長い間の闘病生活から解放されました。小中学生の時は、とても50歳までは生きられないだろうと思っていましたが、ありがたいことに50歳を過ぎても元気です。
生まれつき病気がちであったとしても、他人のつまらない価値観などに惑わされず、よい考え、優れた考えを自分の中に育てていけば、人生は充実し、豊かなエロースはやってくるものだと思います。
権威ぶったり、財力で人の上に立とうとしたり、肩書きで威張ったり、人を見下したりするいかがわしく、下劣で、生きる価値のない人間はまだまだ多いですが、これからの子どもたちには、本物のよさをもった人間になってもらいたいと、私はいつも念じていす。
財力や権力や学歴や肩書きや・・には頭を下げることなく、自分の中の善美を育て、それに従うことのできる価値ある意義深い人生を生き抜く力を育てたいと思っています。自由でエロース溢れる人間。よく思索し付和雷同しない人間。優しくて芯の強い人間。美しく愛らしく真っ直ぐな人間。そんな素敵な人間を私は育てたいのです。
自然にとけこむ100時間、島での自炊―キャンプと自然のままの美しい海でのダイビングと降るような星空の下での宇宙の実感。とってもハードで、自由で、楽しいー言葉にはできない体験。「システム・マニュアル・情報」という世界とは対極にある全細胞で生きる時間。みんなを変えてくれるこのすばらしい底知れない自然には、ほんとうに深く感謝です。
(2004年8月8日)
緻密にして 全体的、木を見て森も見る 痒いところに手が届くーー素晴らしい説得力をもつ泥 憲和さんの「従軍慰安婦問題」の論文が、白樺教育館のホームページで、pdfファイルになり、とても読み易くなりました。
日本中に広げてください。英語への翻訳の労を誰かとってもらえませんか? 国連の人権部会で世界各国の言語に翻訳してくれればよいのですが。
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori157.htm
武田康弘
『恋知』 第3章 「民主制・公共思想」
はじめに 1章と2章の結語をもう一度。
1章と2章で、わたしは、人間のよき生の原理を提示しました。
それは、人の顔色を見て「場」の空気に従うという日本的な生き方、一言では、「集団同調主義」ではなく、その逆に、強い宗教=一神教に帰依するという宗教者としての生き方でもありませんでした。周りに合わせることは、「一般的なよい」に従う生き方ですし、一神教に帰依するのは、「絶対的なよい」を求める生き方ですが、
まったく正反対に見えるこの両者は、実は一つメダルの表裏で、一般的なよいに従う生き方が挫折すれば、絶対的なよいを求める心が生まれ、超越神への信仰に向かいます(ここでいう挫折とは、内的な精神世界における挫折と、外的な世間価値を得ることへの失敗=挫折の双方を含みます)。
正反対に見える「一般的」と「絶対的」は、共に自分の具体的経験に照らして自分で考える営みとは無縁で、「自分の頭を使って考えない」という点では同じ態度です。
人生でのヒドイつますきや、あるいは、ロマン世界を現実に求めてしまう心に支配されると、絶対的な正しさを得たいという欲望が生じ、超越神を受け入れやすくします。宗教には関心が薄く科学好きの人は、科学的な真理を絶対と思い込みますが、これも形を変えた「絶対的なよい」を求める生き方です。科学は、認識する対象を狭く限り、できるだけ数量化して事象を表すことで一定の正確さ・客観性を獲得しますが、その方法ゆえに全体的・総合的な判断はできません。総合判断は、「人間のよき生のイメージ」に支えられなければ不可能ですから、主観性の知である恋知(哲学)の営みが必須です。
(注)主観性の知については、第二章の18~20ページをご覧ください。
「人間のよい生とはなにか」の探求なしには、科学的認識を含む人間のさまざまな営みは宙に浮いてしまいますので、実人生に根が張れません。
そうだからこそ、ソクラテスは、自然哲学からの180度の転回を果たし、善美に憧れ、真実を求める人間的な生の「問答による探求」に生涯をかけたのでした。自然哲学(自然の研究)を括弧に入れ、まず第一に取り込むべきは、人間の生き方(生の意味と価値の問題)であるとし、その営みをギリシャ語でphilen(恋愛)+sophia(知)=フィロソフィー(恋知)と造語したのです。
ソクラテスの求めた「正しさ」とは、みなが言うからという「一般的な正しさ」ではなく、また、「絶対的な正しさ」でもありませんでした。それは、善美に憧れ真実を求める生き方がつくる正しさ=深く納得できる見方の提示でした。善美のイデアを神ならぬ人間は知ることができない、ただ、憧れ求めることができるだけだ、と言い、問答的思考法(ディアレクティケー)により、「普遍的な正しさ」=深く納得できる見方と考え方を生みだす努力を続けたのです。誰であれ人間は、絶対の真理を得ることはできないが、真実や善美のイデアに憧れ、探求することは可能で、それが最も優れた人間の生き方であると言いました。
わたしもその通りと思います。私自身の子どもの頃からの経験と、40年近くにわたる多くのこどもたちとのホンネでの付き合いから、人間のよき生とは、善美に憧れ、心身の内側からの律動(リズム)と和声(ハーモニー)にもとづいて旋律(メロディー)を奏でることにあると思っています。あらゆる事象を判断する究極の座標軸は、善美に憧れ真実を探求する私の心にある、これは、人間の生の原理中の原理、と確信しています。
繰り返しますが、集団同調による「一般的正しさ」ではなく、宗教的信念による「絶対的正しさ」でもない、第三の道である善美に憧れて深い納得をもたらす「普遍的正しさ」を求める営み、それが恋知(フィロソフィー)です。
だいぶ前のことですが、この三つの「正しさ」を小中学生向けに書いたことがありますが、これは、とても大事な三区分です。
1.絶対の正しさ 誰がなんと言おうとぼくの考えは絶対なんだ。とか、偉い人(または神様)が言ったことだからゼッタイなんだ。
2.一般的な正しさ だいたいこんなところが正解だよ、みんなもそう言っているし。とか、千人からアンケートをとった結果このようになりました。
3.普遍的な正しさ なるほど、そうだなあ、と深く納得する・腑に落ちる。
哲学(恋知)で言う正しさとは、3の普遍的な正しさです。哲学(恋知)では、1の絶対の正しさというものは認めませんし、2の一般的な正しさでは満足しません。
3の正しさをつくるためには、疑い、試し、確かめること、自分の頭でよ~く考えたことを他の人に示すこと、これを何度も繰り返す必要があります。だんだんと皆が深くナットクする〈考え〉にきたえていく営みを「哲学(恋知)する」と言うのです。
また、科学的な正しさとは、この3の一部分です。
では、以上の簡明な生の原理を踏まえて、第3章ではわたしたちの近代市民社会を支える民主制と公共思想について記します。
民主制の最初は、古代の大帝国ペルシャを打ち破ったギリシャ都市連合の中心であったアテネで、その最高実力者・ペリクレスの施政にあります。彼は、人々の「自由な気風」こそを第一として民主政治を宣言しました(最初の民主制は紀元前508年だが、ペリクレスにより強まる)。
有名なペリクレスの演説(紀元前443年・52歳)から一部を記します。
「我らの政体は、他国を追随するものではない。
人の理想を追うのではなく、人をして我が範を習わしめるものである。
その名は、少数者の独占を排し、多数者の公平を守ることを旨とし、民主政治と呼ばれる。・・・・・
我らはあくまで自由に公共につくす道をもち、また、生活において他人の猜疑心を恐れることなく、各々が自由な生活を享受する。・・・・
また、戦いの訓練においても我らは、敵側よりも優れている。我らは、何人にもポリスを開放し、決して遠方の国の人々を追うことはない。
敵に見られては損をするという考えをもっていないので、学問・知識を人に拒んだことはない。なぜなら、我らが力と頼むのは、戦いの仕掛けや虚構ではなく、事を成さんとする我ら自身の敢然たる意欲をおいて他にはないからである。
教育においても同様。彼らは、幼くして厳格な訓練を始めて、勇気の涵養に努めるが、我らは、自由な気風に育ちながら、彼らと対等な陣を備えて、危険にたじろぐことがない。ともあれ、過酷な訓練ではなく、自由の気風により、規律の強要によらず、勇気の気質の涵養による・・ここに我らの利点がある。
我らは、質朴たる「美」を愛し、軟弱に堕することなき「知」を愛する。我らは、富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。また、身の貧しさを認めることを恥としないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる。
我らは、国政の進むべき道に十分な判断をもつように心得る。我らのみは、公私領域の活動に関与せぬ者を閑を楽しむ者と言わず、ただ無益な人間と見なす。そして、我ら市民は、決議を求められれば判断を下しうるのはもちろん、提議された問題を正しく理解することができる。・・・
また、我らは「徳」の心得においても一般とは異なる考えをもつ。我らのいう徳とは、人から受けるものではなく、人に施すものであり、これによって友を得る。・・これに反して、他人に仰いだ恩を返す者は、積極性を欠く。相手をよろこばせるためではなく、義理の負い目を払うに過ぎない。こうして我らのみが、利害損得にとらわれずに、自由人たる信念をもって、結果を恐れずに人を助ける。・・・・
我らポリスの一人ひとりの市民は、人生の広い諸活動に通暁し、自由人の品位を持し、己の知性の円熟を期することができる・・・・
我らは、今日の世界のみならず、遠き末世に至るまで、世人の称賛の的となるであろう。」
なお、ペリクレスの愛人で、才色兼備のアスパシア(自然哲学発祥の地・ミレトスの出身)が開いていた知的サロンには、若きソクラテスが出入りしていたと伝えられます(ペリクレスの演説はソクラテスが26歳の時)。ソクラテスの師は、わたしの知るところ、他にはプラトンの主著の一つ『饗宴』で、「愛」について教えを受けたというディオティマ(ピタゴラス派の哲人)で、二人とも女性でした。
「恋知」(philosophia)がソクラテスによる造語(それ以前は自然哲学)であったのと同じく、その少し前に生まれた「民主政治」もギリシャ語による造語です。demos(人々)+cracy(支配する)→デモクラシーで、両者は共に古代アテネの都市国家で生まれ、ほんらいは相互補完的な関係にあります。民主制と恋知(哲学)とは支え合うことで発展し現実性を持つのですが、ペリクレス死後に民主制が堕落して愚衆政治となったアテネでは、ソクラテスを刑死させるという愚を犯しました。
近現代史では、民主的なワイマール憲法下からヒトラーが誕生しましたが、世界で最も「理論哲学」が盛んだったドイツは、あっけなく堕ちたのです。壮大な体系・難解な理屈の山・堅固な理論的構築物としての「哲学」は人間に有用な思考をさせず、かえって問題の所在を見えずらくさせます。人生や社会のさまざまな出来事の意味と価値をふつうのことばで考察する「恋知」の活動(子どもほど得意)が活発にならないと、民主制(市民主権による自治政治)をほんとうに機能させ発展させることは出来ません。
それにしても、必然の神・アナンケを打ち破ったのが恋愛の神・エロースであったというギリシャ神話は、とても示唆に富むエピソードです。規律・掟を絶対とする「厳禁の精神」と人間味に溢れる「恋知と民主制の精神」とは対極です。
(続く)
以下のコメントは、20代の青年、染谷裕太さんのものです。
靖国神社が何故これほど物議を醸すのか。
それは靖国が戦前の天皇現人神とする国家神道の宗教施設だから。そして今もなおそうだから。
その施設に、戦争に駆り出され亡くなった人達を軍神として祀り崇めるというのは、どういう意味を持つのか。
国体思想のもと、洗脳教育を受け、戦争で亡くなった方達は、反省をしない政治権力者によって、死んでなお国体思想で縛り続けられている。
なんで同じ犠牲を二度と出さないと言えないのか
なんでもう戦争はしないと誓えないのか。
浮かばれない。ほんとうにこのままでは浮かばれない。
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/cf24fb21b67710ff371145bec0d99553
わたしは、マレイ・ペライアの演奏について、踏み込んだ独自の見方を提示しましたが、白樺派・柳兼子さんのただ一人の内弟子であった大島久子さんから、全面的に賛同する旨のお手紙を頂きました。とても嬉しいです。大島さんは90歳ですが、衰えを知りません。さすが兼子さんのお弟子さんです。
・・・・・・・・
ペライヤーの演奏に関する御感想、‘‘全くおっしゃる通り‘‘ と申し上げる以外にございません。
それからよくぞ、このような文章におまとめになりました! と。
十一月十三日の演奏会でモツァルト二十一番が聞けるなんて、至福の限りです。
お教え頂いて有難うございました。
・・・・・・・・
八月十三日...
大島久子
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/2653d60da1e2d25e97f40caf6236941b
「マレイ・ペライアの深い普遍性の秘密。過去の巨匠も現代の技巧派もかなわない訳。」
『靖国神社』とは、明治政府が、従来の日本の伝統を壊して新たに政府がつくった新宗教=天皇教の施設で、明治2年に「東京招魂社」として建てたものを、10年後になし崩しに「神社」と改名したのです。
東京招魂社(靖国神社)は、官軍=天皇側だけを祀る施設で、それまでの敵味方なく祀るという神道の思想を逆転させました。
なお、多くの戦争体験者が証言しているように、 「靖国で会おう!」などはヒドイ嘘であり、兵士はみな、故郷を夢み、先祖が眠る故郷の墓に入ったのです。当然ですが、靖国には誰の遺骨もありません。
以下は、4年前の8月15日に出したblogです。
靖国神社の思想と近代民主主義の思想とは二律背反です。
いうまでもなく、主権在民を原理とし自由と平等の理念を掲げた『日本国憲法』と、『靖国神社』の掲げる宗教イデオロギーは、まったく相いれません。靖国神社(明治政府がつくった国家神道)の思想を認めるならば、日本はもう一度、天皇主権の『大日本帝国憲法』時代に戻る他なくなります。
靖国神社は、
天皇大権を当然のこととし、明治以降の日本の戦争はすべて「聖」なるものと主張し、
韓国・中国への植民地支配はなかった!と主張し、
敵と味方を峻別し、天皇陛下のために斃れた者だけを祀ると主張し、
個人の信教の自由を否定して、兵士は日本の軍神=集合神だと主張します。
このような靖国神社の掲げるイデオロギーは、現代の日本国家をつくっている基本理念=近代民主主義の原理とは二律背反ですが、同時に、多神教の『神道』を天皇神格化により疑似的な一神教へと変えた明治政府の所業(神道の国家神道化)は「古き日本」の伝統とも大きく異なりますので、日本の悠久の歴史を主張する人々もまた「靖国思想」には反対しなければならないはずなのです。
明治政府は、富国強兵政策を進めるために、古来の「神道」を「国家神道」へと変えましたが、その思想の下では、一人ひとりのかけがえのなさは否定され、公(おおやけ)とは滅私奉公のことだとされたのです。このような国家主義=靖国思想に縛りつけられたままでは、兵士たちの霊は永久に浮かばれません。
彼らは、戦争のない平和な日本を夢見、差別のない、一人ひとりが大切にされる社会を夢見たはずです。天皇を神として崇め、それに従う人生をよしとしたのではありません。天皇の官吏(官僚)が治める自由のない日本をよしとしたのではありません。軍人が威張る日本をよしとしたのではありません。互いの自由を認め合い、皆でつくる平等なルール社会を夢見たはずです。
死してなお、靖国思想に縛りつけるのは、戦死者への冒涜でしかないのです。政府の絶対の責任として千鳥ヶ淵の拡張整備を行わなければなりません。
65年間、その義務を怠ってきた政府に対して、わたしは激しい公共的な怒りと憤りを感じています。
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以下は、『靖国神社』の遊就館で売られている宣伝パンフレットからの抜粋です。
小堀桂一郎(靖国神社の理論的柱、東京大学名誉教授)の談・1999年8月
「靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり政府側のために命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考えで出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として捉えられているという日本特有の事情があるのです。 「私」というものを「公」のために捧げて、ついには命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。
この「忠」という精神こそが、・・日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから・・命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義を尽くして斃(たお)れた人々の霊であるということでよいと思います。
靖国神社の場合は、・・王政復古、「神武創業の昔に還る」という明治維新の精神に基づいて、お社を建立しようと考えた点に特徴があるといってよいかと思います。
あの社は天皇陛下も御親拝になるきわめて尊いお社である。微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。つまり、非常な励みになったわけです。
国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。言ってみれば、人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです。
実は総理大臣が何に遠慮して、参拝に二の足を踏んでいるのか不思議でならないんです。
中共が総理大臣の参拝に文句を言ってくるのは、何も彼の国民感情が傷つけられたなどという話ではまったくない。あの国の民衆の大部分は靖国神社の存在すら知りません。・・外に問題を設けて反対勢力の目をそちらに向けさせようという国内政治の力学が働いている程度のことであって、まともに相手にすべきことではないんですね。
だから私はこの問題でも総理が断固として参拝されるのがよいと思うんです。そうすると直ちに北京から文句を言ってくるでしょうが、適当にあしらうなり、知らぬ顔を決め込むなり、いくらでも対処の仕方がある。
総理が北京からの苦情を無視して何度でも繰り返し参拝すれば、そのうち向こうも諦めて黙るに決まっている。
総理の参拝が実現し、やがて天皇陛下の行幸もできたということになると、私は国民のモラルに非常によい影響を与えることができると思うのです。」
憲法の基本理念さえ行政府の意向で変えてしまう前代未聞の安倍自民党とは、「公共悪」そのもので、近代民主制の原理を反故とする許しがたい集団です。これは、旧ドイツのヒトラーと同じ手法ですが、麻生副総理の「ヒトラーの手法を真似ればいい」という言葉を実行したもので、良識ある人は、みなが反対しています。
「集団的自衛権」を行使できるとする安倍首相以下自民党国会議員とその追随者は、アメリカ軍に「国を売る者」であり、戦争の惨禍を繰り返す者であり、テロの標的となり国民を危険な状況に置く者です。公共悪であり国民悪であるとしかいうほかありません。
この安倍首相の子分・土屋正忠衆議院議員(東京都選出)は、長崎県の平和宣言に対して恫喝(昔から自民党議員の常套手段)を加えるBlogを出しましたが、「市長をやめるべき」という言説は、許しがたいもので、長崎県の県民の大多数の意思を反映した市長の「平和宣言」に与党の議員=権力者として難癖をつけるのは、県民全体への恫喝行為に等しいのです。
このような脅し・恫喝などの暴力性をもった圧力は、自民党という政党の常套手段で、毎度毎度繰り返されます(原発に反対する主婦を安倍首相のSPが脅し、職場にまで通報した等)。彼らは、近代民主制(対等で自由な存在である個人が互助としてつくるルール国家)をその本心では否定していますので、自立した個人を忌嫌うのです。
即刻辞めなければならないのは、長崎市長ではなく、違憲行為を繰り返す安倍自民党内閣であるのは、明白です。それを支持して愚かなblogを書いた土屋議員、あなたも反省を態度で表すためには、議員辞職するほかないでしょう。
わたしは、主権の一人として、また、元「参議院行政監視委員会調査室」の哲学講師として、近代民主制の原理を壊す自民党は、解党的出直しをするほかないと考えています。
政治家の皆さん、以下に、民主制国家原理の基本を簡潔に記しておきますので、繰り返し読んで、よく理解してください。この原理を踏まえないのでは、公共悪に陥ります。
長崎平和宣言にぜひ賛同のクリックを!
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/index.html
平成26年長崎平和宣言 |
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69年前のこの時刻、この丘から見上げる空は真っ黒な原子雲で覆われていました。米軍機から投下された一発の原子爆弾により、家々は吹き飛び、炎に包まれ、黒焦げの死体が散乱する中を多くの市民が逃げまどいました。凄まじい熱線と爆風と放射線は、7万4千人もの尊い命を奪い、7万5千人の負傷者を出し、かろうじて生き残った人々の心と体に、69年たった今も癒えることのない深い傷を刻みこみました。 |
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2014年(平成26年)8月9日 長崎市長 田上 富久 |
昨晩帰宅、39回目のキャンプ&ダイビング。
船待ち。式根島 野伏港
テント前からの星空
中央少し左の上端に見えるのは、アンドロメダ星雲(銀河系とは別の小宇宙ー200万年以上前の光がいま届いた、というわけです)
寝ぼけてピントをオートフォーカスのまま撮ったため少しだけピンズレ。手前の木は外灯に照らされて明るく写っています。
左側は薄雲。
iso6400 絞開放(f2)露出20秒
帰宅~~~。最高に充実のごくろうさま。ジュースで乾杯!
泥憲和さんの従軍慰安婦についての一連の論考(Facebook)は極めて優れたもので、巷にあふれる右派の嘘・歪曲を元から絶つものです。
そこで、泥さんの了承を得て、以下にその一連の論考をまとめて掲載することにしました。
じっくりお読みください。
なお、レイアウト、色付け等は、当方(古林)にて適宜調整しました。
【従軍慰安婦の真実】 目次
1. 慰安婦は性奴隷だったのか 1)
2. 慰安婦は性奴隷だった 2)
3. 慰安婦業者と官憲の行為は、どのような国内法に違反したのか
4. 元慰安婦の証言に信ぴょう性はあるのか
5. 従軍慰安婦という名称は間違っているという批判について
6. 敗戦後の日本人慰安婦たち
7. 慰安婦の働き方と報酬額 1) 慰安婦業者の契約書を確かめる
8. 慰安婦の働き方と報酬額 2) 日本軍の契約書マニュアルを確かめる
9. 慰安婦の働き方と報酬額 3) 秦郁彦説を批判する。
10. 慰安婦の働き方と報酬額 4) 文玉珠(ムン オクス)さんの貯金通帳
11. 慰安婦の働き方と報酬額 5) 文玉珠(ムン オクス)さんの送金など
12. 日本は韓国に賠償金を支払ったからそれでいいのか? 1)
13. 日本は韓国に賠償金を支払ったからそれでいいのか? 2)
14. 「なぜ何度も謝罪しなければならないのか?いい加減にしろ」という意見について
15. 慰安所は戦地強姦を防ぐことが出来たのか
16. 最終回