思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

酔って夜中に裸になったら、逮捕・監禁・家宅捜査。狂っているのは誰か?

2009-04-24 | 日記
これは、もはや論外です。
酔っぱらって、夜中に裸になったら、注意して、服を着せればいいのです。
警察、政治家、マスコミがこんなことで大騒ぎ。「正常」な判断力を失っていますね。
逮捕、監禁、家宅捜査、なんだか恐ろしい国になりました。わたしは、言い知れぬ「気持ち悪さ」を感じます。
どこまで「狂って」いるのでしょうか。この国は。
バランスのとれたまっとうな判断の出来ない人間の集合体になってしまった原因はどこにあるのでしょう。
書くのも愚かしい話です。いい加減に目覚めよ!とだけ言っておきましょう。

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以下は、ミクシーブログでのやりとりです。


ヨッシー 2009年04月25日 05:58


 まったくその通りと思います。

 通常だったら、一晩勾留の後、厳重注意で解放です。

 有名人だったから、ということ以外に理由はないようにも思いますが、現在、公安の鼻息の荒さと無縁であって欲しいと願ってます。

 ではでは ヨッシー
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フリーデン 2009年04月25日 13:51


ご無沙汰しています。

この出来事で特に問題だと思ったのは、祖父の七光で総務大臣を務めている総務大臣の発言です。政治的な日和見主義者であるこの人物が法務大臣の時発言した「乱数表とかで死刑執行を決めたらよい」という暴言は、忘れるべきではありません。こういった人物を追及しないメディアの責任も大です。
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タケセン 2009年04月25日 13:52


ヨッシーさん

悪未来の「管理社会」のようにも思えます。

人間をタイプ別に分類し、「一般化」する。一般化の圧力に抵抗する者は、価値なきもの・狂えるものとして社会的に抹殺するーソフト化した村八分。

ふつうの人々の「没思想」の生が、それを生みだしてしまう。
はみ出たもの・規格外のものを認めない社会は、活力を失い、一般化の海に沈み、生きるよろこびが消えていく。

人間=生物にとって一番大事な、内的エネルギー・パワーが失われてしまう、このところの「社会の超管理化=個人から発する思想の無視」を見ていると、そんなことまで考えてしまいます。
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タケセン 2009年04月25日 13:59


フリーデンさん

いま、ヨッシーさんへの返信を出したら、同時にフリーデンさんのコメントが入りました。

わたしも鳩山総務大臣(元法務大臣)の所業を並べて書こうとも思ったのです。ただ、具体的に書くのがバカバカしくなるほどの話なので、ごく簡単なブログにしたのですが、フリーデンさんのご指摘はその通りだと思います。



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よい趣味こそ人生最大の得ーわたしの半生

2009-04-22 | 日記

ここで、わたし自身のことを少し書きます。
わたしは小学生のころから「好きなこと」が多く、いくつもの趣味をもっていました。考えること=物事のなぜを考え、何がほんとうなのかを追及し、生きるに値する人生とはどういうものかを思案するのは、幼い頃よりの習い性でしたが、同時に、いつも好きなこと=趣味を追求してきました。

幼少からの【動物】好き、小学3年生からの【写真】撮影は父親の影響でしたが、5年生からは【社会・政治問題】を知り考えることに興味を持ち、小学校に「政治クラブ」をつくってもらいました。また、6年生のときからは【天文】に関心を持ち、中学1年生のときに買った貰った反射望遠鏡を担いで、親友と二人で高尾山に幾度も登りました。神田神保町の本屋で天文関係の本を立ち読みするのが楽しく、習慣になりました。中学2年生のとき父親に頼んで入手した一眼レフ(PENTAX)での写真撮影は、ドキドキする楽しみでした。写真部の暗室で現像や焼付・引伸しもしました。【カメラ】に凝り、友人と各社のレンズの撮り比べをするのも面白いことでした。【音楽】は幼い頃から好きで、幼稚園の時に音楽映画の主役となりましたが、中学3年生の時からは、レコード(LP)を買い集め、ブラスバンドでトロンボーンを吹きながら、よい音を聴きたくて【オーディオ】にはまりました。秋葉原の視聴室に入り浸り、オーディオ工作に明け暮れたのでした。また同時に【哲学】書を読む習慣ができ、高2のおわりに『資本論』を哲学書と見立てて読み(第一巻のみ)、感動しました。また、幼い頃から海好きでしたが、大学に入ったころからは【ダイビング】を趣味とし、一人で伊豆の海などで素潜りを楽しんでいました。後に月刊『マリンダイビング』誌に依頼されて、日本ではじめて「子どもたちのキャンプ&ダイビング」について連載するようになったのは、そのせいです。【山登り】も好きで、定期的に奥多摩や秩父に行き、北岳など南アルプスも数回、主に単独行で登りましたし、また【サイクリング】で房総半島や奥武蔵などへのツーリングも楽しみました。

これ以降の大人になってからの趣味は記しませんが、これで、わたしが受験勉強(=うんざりするほど意味のない丸暗記やパターン知)を嫌悪する理由も分かって頂けると思います。自分で好きなこと、興味のあることを学ぶのは、深く意味を探究することになり、物事の核心に迫る最良の方法です。ほんらいの哲学と通底するものと言えましょう。通り一遍の知ではなく、深く、かつ実用性を持った知の追求が【趣味】のもつ素晴らしさだと思います。

なお、ここで注意が必要です。それは、「趣味の人」と「オタク」とは全く異なることです。オタクは、閉じた「私」の世界ですが、趣味は、公共性への通路をもった開かれた「私」の世界で、普遍的なよきものを目がけるのです。ものごとを表層的に知るだけの「一般性」のレベルを突き抜けて深く知り、「普遍性」を獲得しようとするのがほんらいの趣味の世界だと言えるでしょう。まさに、<楽しさ・深さ・実用性>の融合なのです。オタク的な知り方は社会性を持ちませんが、趣味の知力は、豊かな公共性を拓くにも大いに役立ちます。

よい趣味を持ち、しっかり追求している人は、自分の仕事や公共性が必要な場面に「私性」(嗜好)を忍ばせるようなことはしません。自分の好き嫌いを他者に押し付けるほど厭らしことはありませんが、よき趣味を追求している人は、私性(嗜好)、一般性、普遍性の次元の相違をわきまえています。もし、この次元を混同すれば、公共性の世界に私性(嗜好)をそのまま持ち込むことになりますが、日本人はよい趣味を持つ人が少ないためか、こういう愚を犯しがちです。

もう一度言いますが、
一般性に縛られず、「私」から出発して普遍的なよき世界をめがけるのがほんらいの趣味人です。一般的な「よい」しか追求しない人は、魅力のない一般人にしかなれませんし、逆に、オタクは閉じた「私」の住人でしかなく、社会性・公共性を持ちません。
しばしば、一般人として生きてきた人が年を取ってから趣味を持つと、開かれた趣味にならず、オタク化しがちです。言うまでもありませんが、「一般人」と「オタク」の両者を行ったり来たりでは、よき世界を拓くことができず、外見だけの不毛な世界に陥ります。内側から湧き上がる魅力=よさ・美しさを持てないからです。

よき趣味をもち、それを追求をすることは、人生最大の得であり、よろこびです。わたしは、これからも「私」から始まる「普遍性」の探求を続けていこうと思っています。最後にひとこと。趣味が力を発揮する条件、それは「粋」であること=俗的価値観から解放されていることです。


武田康弘 4月21日
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白樺文学館創成ー誕生秘話(1)『志賀直哉文学館』から『白樺文学館』へ

2009-04-20 | その他
白樺文学館創成ー誕生秘話(1)
『志賀直哉文学館』から『白樺文学館』へ


ちょうど10年前の1999年2月に『志賀直哉文学館』の創設が始まり、それから丸2年、2001年1月に、それが『白樺文学館』として落成を迎えるまでの間、および開館後の数ヶ月間は、わたしの生涯の中でも最も多忙な時期でした。

今年2009年4月1日、その『白樺文学館』は、オーナーで二代目館長である佐野力さんから我孫子市に寄贈され、市が運営することになりました。初代館長であるわたしは、この機会に、文学館創成の過程を振り返り、検証し、その意味を明確にする必要と責任があると思いますので、『白樺文学館創成ー誕生秘話』をシリーズとして順次発表していくことにします。


1999年2月6日(土)、前日に「日本オラクル」の株式店頭公開を果たし、巨額の資金を手にした佐野さんは、わたしの家を訪れ、「武田先生、事情が変わりました。お金があるのです。なにか面白いことを一緒にやりませんか。志賀直哉の文学館をつくるのはどうでしょう。武田塾の教育を広めるにも役立つと思うし。つくるにあたっては、理念も中身もすべて先生にお任せしたい。」と言いました。わたしは笑いながら即答しました。「いいですね。やりましょう」

わたしは、馴染みの神田神保町(神田生まれのわたしは、神保町の大型書店や古書街でいつも遊んでいた)にある「八木書店」に依頼して資料の収集をはじめ、土地を購入し、理念をつくり、建物のコンセプトを考え、定期的に志賀直哉の勉強会を開き、奈良の志賀直哉邸を佐野さんと共に訪ね、・・・・私塾で子どもたちの勉強をみながら、そんな多忙な日々を送って7ヶ月が経過したある日、「週刊朝日」(99年9月10日号)に載った佐野さんの発言で『志賀直哉文学館』の構想を知った志賀直吉さん(注1)から、「父の遺言により、記念館の類をつくることは一切お断りします」という手紙が日本オラクル(株)に届いたのです。

9月なのに真夏のように暑い土曜日、佐野さんは困惑した様子でわたしの主宰する私塾『ソクラテス教室』を訪れました。「武田先生、どうしましょう・・・」と言うので、わたしは即答しました。「佐野さん、何の問題もありませんよ。『白樺文学館』とすればいいのです。志賀は柳に誘われて我孫子に来たのですが、かれは同人誌「白樺」を代表する文学者であり、思想・文学・美術・音楽・教育等の白樺文化運動の一翼を担った人なのですから、ひろく白樺派を顕彰する文学館とし、その中に志賀直哉に関する資料を展示すればOKです。」と。佐野さんは安堵し、その場で『志賀直哉文学館』は、『白樺文学館』になったのです。

私は内心、「よかった」と思いました。というのは、私小説作家である志賀直哉ひとりを顕彰する文学館ではどうしても趣味性が強くなり、未来を開き、公共性をつくることが難しいからです。

白樺派は、白樺山脈といわれるほどの大きな影響を各分野に与えた日本最大の文化運動ですが、活動があまりに多岐にわたった為、その真価・核心を思想的に明らかにすることは未だに不十分です。そのため、白樺派を顕彰する文学館(注2)をつくるとなれば、困難の度は飛躍的に高まりますが、その価値もまたはるかに大きなものとなります。「これは、やりがいがある仕事になったな。」わたしは、そう思ったのです。

しかし、これが後に佐野さんとわたしとの別れを生む深因ともなりました。志賀直哉という一人の作家に拘る佐野さんは〈私性―趣味性〉に傾き、白樺派の精神を現代に活かそうと発想するわたしは〈公共性―未来性〉に傾くのです。『志賀直哉文学館』から、白樺派を顕彰する『白樺文学館』とした時点で、佐野さんの最初の、そして赤裸々な「想い」を貫くことは出来なくなったのです。誰が計ったのでもなく、これは「運命」としか言いようがありません。


(注1) 志賀直吉さんは、志賀直哉の次男(長男は生後すぐに亡くなったので実際上の長男)で、岩波書店の専務を勤め、定年退職)
(注2) ほんとうは、名称は『白樺文芸館』の方がよいのですが、『志賀直哉文学館』としてスタートしたため、『白樺文学館』という名称になりました。


2009年 4月16日  武田康弘
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広大なイメージの世界に想いを馳せつつ言語を用いること

2009-04-09 | 恋知(哲学)

言語とは、広大なイメージの世界に支えられてはじめて使用可能になるものですが、どうも、言語を習得した後では、人はそのことを忘れ、言語を自立的なものと見がちです。言語の扱い方が、固い規則(ラング)主義になってしまいます。

言語の便利さに慣れ、さまざまな事象を言葉に閉じ込めるー言語化することで「安心」してしまうのでしょう。言語以前の広大無限のイメージの世界―心身全体で感得するよろこびの世界を忘れがちです。

近代以降の文明は、人間が固い言語の世界に呪縛され「言語至上主義」に陥り、生のよろこびの直接性を失っているように見えます。表情、身ぶり、動作、言葉にならぬイメージの広がり、行為・・が無視され、価値の低いものとされています。

言語による「一般化」は、あらゆる分野を侵食し、ほんらいは、それに抗う世界である音楽・美術・詩歌(「一般言語」を超え出ようとする営み)などもみな「一般的な美」の領域から出られません。個人の生の実感・生活の現実に根を持ち、その地点から飛翔する「個性的にして普遍的な美」をめがける豊かな精神は消え、通り一遍の「美」=一般的な美に支配されています。

わたしは、言葉を用いる時、それを生みだした源イメージの世界を喚起するようにたえず努めています。そうしないと、自分の頭で考える=哲学することができないからです。書物に頼り、また情報の収集と整理ばかりしている頭脳は、機械化してしまい、一般化の海に沈みます。そうなると、「私」からはじまる生のエロースは得られず、一般的な善美をナゾルだけの存在に陥り、「私」(実存の生)は消えるのです。それは「根源的不幸の生」でしかないと思います。

あらゆる分野の「一般化」の陥穽から逃れるための第一条件は、イメージの世界に想いを馳せつつ言語を使う習慣をつけること、わたしはそう確信しています。人間文化を可能にした「言語」には偉大な特権性があるゆえに、その用い方を変える(=イマジネーションを刺激・開発することに努める)ことが「文明転換」に直結する、そうわたしは考えているのですが、みなさんはどう思われますか?

武田康弘

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