思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「20万人が国会包囲!」深い感動。高校2年生からの43年間―逆流に抗し続けた人生が走馬灯のよう。

2012-07-30 | 私の信条


(クリックで拡大)

 わたしは、1976年に「東大病」による官僚支配を変えるための教育=暗記主義ではない【意味をつかむ頭と心の自立】をうむための教育を目がけ、それをチラシで宣言して小さな私塾(「我孫子児童教室」・現「ソクラテス教室in白樺教育館」)を立ちあげましたが、今年で37年目になります。

 わたしは、高校生の時(1968年・69年)に、小田実さんの提唱する「ベ平連」のデモに連続して参加し、都立向丘高校(文京区)の3年生のときには、わたしの働きかけによりクラスの半数もがデモに参加しました。アメリカ政府によるベトナムへの無差別爆撃と自民党政府の北爆支持の言動にハラワタの煮えくりかえるような怒りをもっていたわたしは、『渦巻』という名のガリ版印刷の新聞を学校の輪転機で印刷し、毎週校門前で全生徒に配布していました。文章もガリ版刷りも印刷もすべて一人で。配布は友人が手伝ってくれましたが。

 高校紛争が荒れ狂う中で、わたしは2年生(1968年)の後半から3年生(1969年)の前半まで丸1年間、生徒会を発展させた自治会組織=『全学学生会議』の代表=議長となり(各クラスの学級委員の全員一致により選ばれた)、(1)校則の大幅な自由化=生徒の個性の尊重と(2)授業仕方の改革(生徒と教師の共同でつくるゼミ式授業の導入)を、学校側との二カ月に及ぶ話し合いの末に実現させました。それは、だいぶ経ってからNHKが5回連続して「進んだ都立校高校」として詳しく紹介し、大きな話題となりました。

 高校の改革は「話し合い」(校長室で、生徒側はわたし一人、先生側は3人というおかしなカタチ・笑)により成就したわけですが、その時からわたしは、話し合いによる民主主義が日本には少なく、政権党である自民党と一体化した官僚集団が決めたことに従うほかないわが国には人権思想(憲法10条―40条)に基づく【自由】(自己決定)がないことを痛感していました。クラブ活動は「社会問題研究会」に所属しましたが、それは、どのように考え行為すればこれを解決できるのか、という問題意識からでした。

 しかし、日本全体の「東大病による官僚主義」という閉塞状況の中でも、校長先生らとの話し合いで高校改革を成功させたことは大きな希望とよろこびがえられました。その経験から「自由対話に依拠する民主主義」をひろげることが、日本を変える(=人々の考え方と生き方を変える)ことになる、との確信をもったのです。どんなに遠く思えようとそれ以外の方法はない、との考えは今日に至るも同じです。

アメリカ政府や日本政府の行う大きな「悪」を正すためにも、自分の日々の経験を大切にし、自分の頭で考える生き方・勉強仕方を身に付けることが何よりも大切なことだとの【明瞭な直観】を持ちました。その直観から想像力が刺激され、さまざまなイメージが広がり、現実的な創意工夫と臨機応変の言動が生まれたのです。

 成人してからのいくつもの社会的・公共的な活動を成功に導いたのは、新たな知―勉強仕方の模索・実践(単なる「事実学」から「意味論」へ)が支えたのです。それなくしては何も成し得ませんでした。わたしのその広義の教育活動=哲学する実践に直接影響を受けて人生が変わった人は、政財官の中にもいますが、原理的思考の力は、人と社会を変えるのです。

今朝の東京新聞一面を見て、わたしは、高校生時代から続く活動(文字通り「逆流」に抗した43年間)を走馬灯にように想起させ、震えるような感動を覚えました。「民」、この世は「小さな人間」が支え、つくっています。「主権在民」とはそういうことなのです。

 

これから、山のような荷物を担いで、37年目のこどもたちの式根島キャンプ&ダイビングに出かけます。無重力の海中。生物が溢れる磯と、大海原。満天の星の下で眠る4日間。管理主義とは無縁の「自由な時空間」は皆の心を解き放ちます。

 

武田康弘

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今年の式根島・こどもたちのキャンプ&ダイビングは、30日(月)~3日(金)

2012-07-27 | 教育

写真は一昨年(クリックで拡大)。

今年、第37年目の式根島キャンプ&ダイビングは、7月30日(月)から8月3日(金)です。

小学生11名をわたしと大学生の西山君で引率です。
今年は人数が少ないですが、気合いの入り方は一緒です。

こどもたちにとって自然の海で自由に遊ぶのは何より素晴らしい経験。

以下は、一昨年の様子です。
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori124.htm

 

 

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欧米コンプレックスは、マザコンと同じ。不幸を生みます。

2012-07-26 | 社会思想

マザーコンプレックス(和製英語で俗語ですが)がなぜ忌み嫌われるのでしょうか?
「マザコン」と聞けば女性はみな一様に眉をひそめます。

 それは、二人で「新たな家庭」をつくっていくことを困難にする男性の精神構造を象徴する事態=言葉だとおもわれるからです。一人の人間としての精神的自立が弱いために「健全な家庭」をつくることが困難になると直感されるのです。

 わが日本人の「欧米コンプレックス」もこれと同じで、欧米への従属意識(俗に「西洋かぶれ」と言われ、アメリカやヨーロッパと聞くとボーッとなる・笑)が強く、精神の自立がないのです。自分の生きている現場をよく見・感じ知り・体験することで、「私」の個性を活かし、豊かな普遍性をもつ一人の人間として生きることを阻害する精神の病と言えます。

いわゆる「マザコン」が女性の共通の敵と見なされるように、「欧米コン」は日本人の共通の敵と言えます。それは、パートナーに対する裏切りであり、同時に自分自身の存在に対する裏切りだからです。裏切りほど酷い罪はありませんので、深い不快感を生み、不幸をつくります。
欧米コンプレックスは、「私」の人生とわれわれの社会をよくしていくことの双方を阻害する深因ですので、これを克服するのは必須の課題です。

武田康弘

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みんな一緒病の人には、イジメは止められません。

2012-07-19 | 社会批評

誰であれ、勇気ある生・覚悟を持った人生を歩む人のいうことは、聞かざるをえません。人間&自然愛の精神をもち、断固とした態度で「悪」に臨むことでイジメという極めてオゾマシイ行為は消えますが、そういう言動をとれる人はほんとうに少なくなりました。

自己の目先の利益を中心にすることが当然のような風潮、それに抗して生きる人をバカ者とするような想念は、何も行動しないことを自己弁護する言い訳の哲学=「書物主義」の哲学が生み出したものではないか、とわたしはずっと思ってきました。「言葉」に逃げる行為を正当なものとする手の込んだ言い訳は、ほんとうに始末に悪いものです。

わたしは、他者排除を正当化するリクツ=言説に終始する大学教授たちの態度は、右も左も同じだな~、とつくづく実感しますが(生々しい体験だらけ・笑)、イジメというオゾマシイ行為はどこでも日常化していて、それをみなが許容しています。わたしのように「イジメる者」たちを逆に窮地に追い込む言動をする人間(「煮ても焼いても喰えない」と言われます・笑)は、被害を被害とも思いませんが、組織人や社会的に優位に立てる人間は、【手強い個人】に対しては、徒党を組んで排除するのが習わしです。ソクラテスの刑死はその象徴です。排除することが正しい!

こういう「集団同調主義」が暗黙の思想となっている社会では、集団同調を批判するのも権威に頼ることになります。ますます【裸の個人】として生きる覚悟をもつ人間が少なくなるので、間違いなくイジメというオゾマシイ悪は増え続けていくでしょう。彼らは、自分たちが特定の者をイジメていると自覚することなく日常化させていますので、「事件」にまで発展しなければ、何事もないかのようにずーと続きます。

「人間&自然愛の精神をもち、断固とした態度で『悪』に臨むこと」を、これからもわたしは実践し続けますが、小さな勇気をもち、周りの悪評(笑)に屈せずに生きる人間が一人でも多くなったらいいな、といつも思っています。

まずは、悪を悪として認識できるようになることが必要です。

 

武田康弘

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今日7月16日は、官僚政府の為政者が仰天する「記念日」になるでしょう。

2012-07-16 | 社会批評

今日、代々木公園で、名もなき市民のパワーが示されるでしょう。40年ぶりに「私」・「個人」のパワーの膨れ上がり、【主権在官】(「東大病」患者らによる官僚主義)を打ち破るために、直接民主的行動が大きなうねりとなる。今日、2012年7月16日は、その記念日となるはずです。

「海の記念日」と「市民精神の記念日」の重なりは実に素晴らしいことです。
代々木公園は、【市民の海】と化すでしょう。

 闘いなくしては、人生も社会も拓けません。これは原理です。
右にせよ左にせよ、本質的に卑怯な特権者(既得権者)が大手を振るう現実を変革するためは、直接行動が必要です。

 マスコミは、また小さな扱いで無視かな?テイタラクたちが支配する国ではお終いです。立ち上がりましょう!!

武田康弘

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「吉野作造と石橋湛山」(NHK)を見てー哲学思想への不案内    内田卓志

2012-07-12 | 恋知(哲学)

内田卓志さんからの個人メールですが、わたしもまったく同感で、公表する価値があると思いますので、ご紹介します。

※以下の内田さんのメールにある田中王堂の著作は現在中古を含めて入手困難ですが(学術出版会から2年ほど前に著作集6巻が出ましたが10万円近くします)、わたしは、だいぶ前に内田さんからコピーを送って頂きました。内田さんは、早稲田大学で哲学を講じた自由人・田中王堂の弟子であった石橋湛山と同じく早大の哲学科卒です)

なお、有用に哲学するという実践性に立つ田中王堂は、由緒正しきドイツ観念論(笑)・カント主義者の東大哲学科教授であった桑木厳翼(くわきげんよく)と激しい論争を行いましたが、桑木は、吉野作造と組んで「文化主義」の運動をしたので、哲学的には、NHKの番組のように吉野作造と石橋湛山を並列化して紹介するのは「非常識」なのです。

それを知らない番組担者や松尾尊さん増田弘さんと案内役の姜尚中さんらは、哲学には不案内なのでしょう。東大教授たちの啓蒙主義と、「民」を主体者=実践者と位置づける早稲田の田中王堂→石橋湛山とは、哲学思想の大元が異なるのです。これは極めて大きな違いですので、ご注意ください。

(NHK・日本人は何を考えてきたか第6回「吉野作造と石橋湛山」)

 

武田先生

 

 石橋湛山を評価する人は、最近多いです。

ただ、なぜ石橋さんが、明治以来最大の言論人だったか、

そして戦後は総理大臣までつとめた政治家になったのか?

そこのところを考えないとダメだと思います。

 石橋さんは、原理から思考することができる稀有な人

だったのです。つまり、思想家であり哲学者だったのです。

 田中王堂から哲学することを学び(哲学ではなく)、それを

現実の生活に活かすことができた人でした。

 哲学者と称する人は、世に数多いるでしょう。ただ、本物の

哲学者は少数です。戦前・戦中の京都の偉大な哲人より、石橋

さんの方が、偉大な哲学者だったと思っています。

 断言しますが、石橋さんは、近代の日本人の良識の頂点です。

私たちは、そんな人を一時でも宰相に持ったのです。この体験は

世界的に稀な出来事です。

                          内田

 

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小沢問題で、嘘を書くな 。 (リーフ♪)

2012-07-11 | 社会批評

 

以下は、マイミクのリーフ♪さんの記事です。ご紹介します。

 

嘘を書くな 全体に公開2012年07月10日12:29

■岩手政界の分裂も深刻…残留組「小沢氏に失望」
(読売新聞 - 07月10日 07:58)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2076516&media_id=20

嘘を書くな!

2011年3月28日、岩手県庁で達増拓也知事と会談し、
小沢氏は
「(国が)莫大(ばくだい)な予算を投じないと復興できない」
と述べ、
支援に向けて政府に働きかけていく考えを示し

「被災した自治体が額と使途を自由に使えるような仕組みを(政府に)考えてもらいたい」
と強調したニュースが流れている。
http://ceron.jp/url/sankei.jp.msn.com/politics/news/110328/stt11032810390001-n1.htm

「東日本大震災が起きても、地元に帰ってこない小沢氏に深く失望した。それがすべてだ」
などと、デタラメな記事を書く毎日と言うメディアに、主権者国民は失望どころか、激しく怒っている。それでもメディアか。
国民は知らないと思って嘘を書くな足


だれのおかげ?
国会議員は主権者国民の為に存在しているのだ。

利益誘導の駒ではない。

菅のようにヘリを飛ばして危機管理のトップが最前線を回遊のポーズをとれば
満足?

センチメンタリズムの浪花節を聞きたければ、芸能番組でも聴いてればいい。

小沢一郎に何ができるというのだ。

座敷牢に入れられ、権力を与えられず、役職を奪われ、手足を縛られ。

警察検察司法官僚に叩かれメディアに包囲され、権力者野田ら、民主党クーデター派に包囲占領され。

それでも、2011年3月28日、岩手県庁で達増拓也知事と会談しているのだ。



民主党残留組などと言うのは、
寄らば権力の陰で、
どんな邪悪なクーデター権力にでも、すがりついている蛭(ひる)のようなものだ。

蛭議員の分際で、
蛭メディアの分際で、
日本国民の舵きりをしようとする小沢一郎に後ろから鉄砲撃ってるなどというのは
ほんとうに見下げた蛭議員に、蛭メディアだ。

こんな自民党や公明党という官治主義と一体化した民主党など
まともな国民はもはやだれも支持していない。

腐った部分を斬り捨て、主権者国民の政権を作らなければ、
東北は、復活しない。


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「パンダに尖閣とか名付けて中国に返してやればいい!」―石原慎太郎という男の発言

2012-07-09 | 社会批評

 これには、論評は要りませんね。

 こういう男に大きな顔をさせておくのがわが日本人とは悲しいです。

 日中の友好を世界的展望にたち実現するために尽力した石橋湛山のような立派な政治家=人間とはあまりにかけ離れていて、言葉もありません。

 

武田康弘

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コメント

  • よしくんぱっと

    よしくんぱっと2012年07月09日 03:03 削除
    パンダの賃貸条件とか、それによって支払われたおカネがどんな風に使われているか、というような諸々をご存知ですよね?
  • タケセン

    タケセン2012年07月09日 11:11 削除
    当然ですが、何事にも賃貸条件はあります。報道で知っていますが、それが石原都知事のヒスリックな言動とどういう関係があるのですか?
  • よしくんぱっと

    よしくんぱっと2012年07月09日 16:05 削除
    私にはヒステリックにはぜんぜん思えませんでした。普通に笑いをとっただけなんでは。
  • 平源太

    平源太2012年07月09日 22:17 削除
    > よしくんぱっとさん

    相手がどんな国家だろうが、笑いの種にするのは、己の品性が知れると言うことだろう。 
  • タケセン

    タケセン2012年07月09日 23:57 削除
    ひきつった顔としゃべりで、笑いをとる言い方とは到底思えませんでした。少しドモリながらの発言でした。品性に欠けることだけは確かです。わたしは、憤りと共に呆れかえりました。他国に対して無礼極まる態度です。
  • レッサーパンダ

    レッサーパンダ2012年07月10日 06:37 削除
    石原氏は中国が日本より劣ると考えているのでしょう。今までの三国人発言などからそう考えるのが妥当でしょう。
    また、石原氏は弱いものや自分より劣ると考えたものに対する態度が非人間的です。[子供の産めない女性は生きている価値がないと言ったり]
    。このような人物が行政のトップというのは、恥ずかしいと考えるもので、笑いを取るものではないと思います。
  • タケセン 2012年7月10日 13:37 削除
    わたしも全くその通りと思います。
    戦前の男権主義者がいつまでも政治の表舞台にいるのは、わが日本の「異常性」を象徴しています。
    人間的に優しく豊かあるゆえに、権力の弾圧にひるまず・権威に頭を下げず・ブレず揺るがず・不退転で「対等と自由に基づく人権」と「平和外交」を追求した石橋湛山のようなほんものの人間でありたい、と強くわたしは思います。
     
    • よしくんぱっと

      よしくんぱっと2012年07月11日 02:39 削除
      >このような人物が行政のトップというのは、恥ずかしいと考えるもので、笑いを取るものではないと思います。

      この「笑いを取る」は私が書いたものに関連していると思いますので反応しておきますが、「恥ずかしいと考える」と「笑いを取る」とでは主語が違いますよ。

      私がここで言うまでもありませんが、完全な善人も完全な悪人もいません。石原というだけでどんなことでも悪く取るだけの反応というのは恥ずかしいと思いませんか?

      それから、中国の一党支配の醜さはそうとうきつくなってきています。中国人と話をしてみてください。
      私が関西人だからかもしれませんけど、国家を笑いの種にしてもぜんぜん問題ないと思います。
    • 平源太

      平源太2012年07月11日 09:04 削除
      > よしくんぱっとさん

      人間と同様に、完全に良い国もなければ、完全に悪い国もない。 
タケセン 2012年7月11日 10:48 削除
中国の共産党一党による政治のありようを「よし」とする人は、近代民主主義社会の国民にはいないでしょうが、政治の問題があるから、その国に対する侮蔑的発言(石原都知事が従来繰り返している)が許されてよいはずはありません。中国は世界最大の人口をもち、古代文明から現代まで途切れることなく続いてきた唯一の国であり、古代からの歴史で、わが国への影響が最も大きな国であった同時に、近代には1931年から始まる15年戦争(皇軍による日本の満州支配)で少なく見積もっても1000万人以上を殺害するという「とんでもない」犯罪を犯してしまった相手国です。
冷静に巨視的に見る目のない政治家、また自己反省のない政治家は、日本の国民益を損なう根源悪の存在に過ぎない、とわたしは見ています。
 
 
 リーフ(♪)
リーフ(♪)2012年07月11日 15:50 削除
 
石原は、スケールが小さいですね(笑)

私は岸信介の政治思想には辟易しますが、
しかし、それでも石原に比べたらはるかにスケールが政治家として大きい。

一般的に岸信介は中華民国に近く、中華人民共和国には敵対していたと受け取られていますが、現実には、中華人民共和国と岸信介は一定の信頼関係を保っていたと聞いています。

中華人民共和国が、「岸先生」と丁重に岸信介の訪中を願って来たとき、
岸は娘婿の安倍晋太郎を訪中させたということです。自分は表立って行く事はできないからということで。
岸の秘書も中国で客人として丁重にもてなされたといいます。

一般に政治の舞台は露骨な敵同士のような関係に見えても、それぞれの国の為政者たちは互いに人間としての礼節を尽くし、信頼関係を持ち続けることによって、両国の絆を保ち、安定を保っていますね。

ことに隣国同士の付き合いともなれば、こうした配慮は為政者としては不可欠と思います。

パンダに、相手国民を逆なでするようなあだ名をつけて送り返せばいいなどというセリフを平気でメディアを前に吐く男に、とてもじゃないが政治家としての素養もスケールもない。

為政者が隣国民に対して煽動的な発言や挑発的な態度をとるというのは、いかにも破廉恥な、卑しい、恥ずべきものと思います。

      

タケセン 2012年7月11日 19:01 削除
 
「石原は、スケールが小さいですね(笑)」リーフ(♪)

彼は「小心さ」を権力で補う言動をする人間ですが、それは、本質的に卑怯でズルイ生き方だと言えます。裸の個人としての善美とは対照的です。
 
 
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ラトルの『ブルックナー交響曲第9番』(4楽章付き)--内的充実の世界に外面的音楽を接ぎ木。

2012-07-07 | 趣味

Symphony No. 9

輸入盤のジャケット・国内盤より音がよいです。

 

ラトルのブルックナーはモダンで艶やかな演奏。過去の「ブルックナー臭い」名演とは異なり、実にチャーミングで色っぽい。うっとりするほどのベルリンフィルの名技にも支えられ、迫力満点。やはり、ラトルは現代最高の指揮者だな、と思います。

ところで、ブルックナーの9番は未完で第3楽章までですが、ラトル盤では第4楽章が演奏されています。以下は、ベルリンフィル・アーカイブのコピーです。

「 ブルックナーは、死の直前までこの作品に携わり、1896年に死去した時には、第4楽章を作曲している途中でした。残されたスケッチを元に完成が試みられ、これまでにも複数の完成版が発表されています。今回使用される「サマーレ、フィリップス、コールス、マッズーカ版」は、そのなかでも最も学究性が高いクリティカル・エディション。4人の音楽学者・作曲家が25年以上の歳月をかけて復元し、2010年にさらに改訂が行なわれました。
『交響曲第9番』は、ブルックナーの辞世の句と言われますが、彼は作品を「愛する神に」捧げました。第1楽章は生からの決別を暗示し、続くスケルツォは不吉な死の踊りを連想させます。第3楽章アダージョは深い憂愁と同時に、破滅的なカタストロフも内包しています。補筆版の終楽章は計647小節に至り、そのうち208小節は、ブルックナーにより完全に作曲されています。これに個々の弦楽パート、管楽器のスケッチが加わりますが、37小節分のみが研究者の純粋な創作です。完成されたスコアは、ブルックナーの偉大さを示す一方で、やや奇異な印象を与えるでしょう。しかしラトルは、次のように語っています。「このフィナーレで奇妙な個所は、すべてブルックナー自身の手によるものです。ここには、彼が当時体験した脅威、恐れ、感情のすべてが現われているのです。 」

しかし、この第四楽章は、第三楽章までの内的な音楽=内側から湧き上がるほんもの迫力とは全く異なり、外面的で少しも面白くありません。聞き続けるのが辛くなります。金管楽器の咆哮もうるさく、わざとらしのです。音楽が少しも心の内に入ってきません。わずかの違いが決定的な相違になる見本のようですが、現代的な虚しさを知るには好都合(笑)で、3楽章までの内的生命力に溢れた音楽と、4楽章の外的価値に幻惑され空疎な音楽との対比は、人間が生きる上でほんとうに必要なものが何かを示しています。その意味でもこの演奏は貴重です。ラトルの名演をもってしても、元がダメならどうにもなりません。

 

武田康弘

 

 

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『10枚の写真に見る子供たちの世界のタケセン』

2012-07-06 | 教育

白樺教育館のホームページに『10枚の写真に見る子供たちの世界のタケセン』がアップされました。
写真はこどもたち、制作は古林治さんです。

 

10枚の写真に見る
   子供たちの世界のタケセンーーー(古林治)

 白樺教育館ソクラテス教室の子供たちは、ときどき自由に写真を撮って楽しんでいます。その子供たち(小学2,4,5,6年生)が撮った写真を紹介します。 名付けて≪10枚の写真に見る 【子供たちの世界のタケセン≫。タケセンが還暦を迎え日の記念写真(一番下の2枚)から一ヶ月間の写真です。

 よ~く見てみると、子供たち一人一人の個性がその写真にとてもよく表れています。子供たちがとらえているタケセン像が新鮮です。(カメラはデジタル一眼のSONYα55・標準ズーム+35mm F1.8、とてもコンパクトで使い勝手の良いカメラです。)

 ところで、私たち大人は子供の個性を大事にするといいながら、彼らの自然な成長に介入し、個性を押し潰している嫌いがあるかもしれません。わたしは、タケセンを好き好きに撮った10枚の写真を見て、子どもたちの伸びやかな個性の発露に魅了されました。
 なにはともあれ、あるがままの我が子をしっかり受け止めようとする心が大事、と改めて思いました。

もうチョイ大きい写真が見たい方はこちらをどうぞ=>PDFファイル(689KB)


子供たちの世界のタケセン
 

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民主党は、「主権在官」から「主権在民」への大変革を行うはずでした。

2012-07-05 | 社会批評


民主党の政治哲学は、官との対決であったはずです。
国会議員が猿回しの猿にされている状態を変えるはずでした。
官が治める明治以来の「官僚政府」とも言うべき事態を変え、人民主権を徹底させ「民」が主体の社会をつくるはずでした。
「主権在官」から「主権在民」の国家に変えるはずでした。

 でも、見て下さい。

 「財務省」の意向通りの政治。
「経済産業省」の意向通りの原発再稼働
「宮内庁」の意向通りの天皇制の運営。
「検察庁」の意向通りの法務運営。

・・・・・・あげれば全部ですが、

【人事権】という一番重要な権力も、旧態のまま。官の集合意識が行う惰性態人事を変えることさえできません。

 はやり、わが日本は保守主義(既存の枠組みが絶対)から出られず、アメリカと官庁の支配から抜けられないようです。

 一人ひとりの内側から湧き上がる力=裸の個人としての実力がない人間をつくる型ハメ教育(事実学の累積=「東大病」)では、社会は変えられません。教育の地盤変位が必要です。左右を問わず「紋切型」が跋扈しますが、どちらも同じ穴のむじなです。

武田康弘

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【教育の本質】  体遊び→豊かな心→優れた頭

2012-07-03 | 教育

以下は、5年前(2007年3月)の白樺教育館ホームの再録です。

教育の本質
   受験を目的に生きる!?
   体遊び→豊かな心→優れた頭

                         白樺教育館館長 武田康弘

受験を目的に生きる!?
そういう少年・少女時代をおくった人は、人間的に豊かでしょうか? 自他への愛が育っているでしょうか? 生きるよろこびを広げているでしょうか? 芯の強さをもった優しい心の持ち主になっているでしょうか? 余裕のある心身、豊かな実力をもった魅力ある人間に成長しているでしょうか?

私は、30年間、多くの子どもたちと深く交わってきました。多くの相談を受けてきました。多くの家庭崩壊を見てきました。目先の狭い了見や外的価値に基づくプライドによって、人生を暗く、重く、悦びの少ないものにしている人たちを見ると、「ほんとうに不幸だな」、と悲しくなります。自分で自分の首を絞めている、でもそのことに気づかない。形だけを整えようと必死になり、どんどん中身は狭く固くなる。情報に振り回され、他者の目を気にして自分の心のありよう・物事の本質を見ようとしないために、「出口のない世界」でもがき苦しむ。
そのことで一番犠牲になるのは、誰でしょうか?

ほんとうは、一つも難しいことはないのです。
自分と子どもの「ありのまま」をよく見ること。善悪を抜きに、まず、そのままを受容すること、それがはじめの=絶対の一歩です。理想・あるべき姿を追わず、目の前の現実を素直に見て、それを肯定し、受け入れるのです。

子供たち

そういう心が基本としてあれば、自ずと心身は動き出します。ありのままを受け入れると、世界が変わるのです。受動的な意識・脅迫神経症(きょうはくしんけいしょう)のような不安定な心・他者の評価に怯(おび)える弱い精神は、だんだんと薄らいでいきます。そうして、自分がよいと思うこと、自分がほんとうにしたいと思うことに「真っすぐ」になれると、心は、積極的・能動的に、強くなります。他者がどう言うか?ではなく、少しずつ自分を信じられるようになり、心は安定を得るのです。

大人(親・教師)子ども共に、そのような心の安定・広がり・発展があってはじめて、「勉強・学習」に落ち着いてとり組むことが可能になります。「心」を豊かに強いものにすることと一緒にでなければ「頭」も鍛えられないのです。これは人間の生の原理です。けっして切り離すことはできません。

おんぶ

では、豊かな心を生むための基本となる条件は何でしょうか?
それは、心身全体で子どもと交わることです。抱っこ、オンブ、たかい・たかい、ふざけ合い、取っ組み合い、肩もみ(足もみ)し合い、いろいろ工夫して体遊びをすることが必須です。率直、自由、柔軟、臨機応変・当意即妙のしなやかな心は、【心身全体による豊かな触れ合い】が生み出すもの。一本調子、融通(ゆうづう)が利かない、頑固、臆病、ギクシャク、固い自我、厳禁(げんきん)の精神、暴力性、居丈高(いたけだか)、尊大・・・は、豊かな体の触れ合いのなかった人に共通する悲劇(人生の失敗)です。

このような心の持ち主は、生きた有用な頭の使い方ができません。意味をつかみ、全体を把握(はあく)できる健康な頭脳とは無縁です。公理・公式にあてはめるだけ、ハウツーによるパターン思考、丸暗記の事実の羅列(られつ)、情報に操(あやつ)られる判断。こういう死んだ頭・機械のような不幸な頭は、上述した固く貧しい心がつくるもの。

二人

(とら)われの少ない意味をよくつかめる生きた頭は、情報に操作されずに、自分が真に自分自身としてよく生きるための絶対条件です。自立した優れた頭を、私は民知という知=頭と呼びますが、この民知の頭をしっかり育てれば、特殊な受験校(不健全な学校)以外ならば、特別な勉強などしなくても、入試は簡単です。私は30年間、哲学しつつ教育に携(たずさ)わってきた者として、自信をもって断言・保障できます。

楽しく・面白く触れ合い、たくさんおしゃべりすることが、力のある優れた頭脳を育てる必須の条件。どんな話でも、「へ~、そうだったの、そうなのか」と聴くことが何より一番です。それは子どもの心を心地よくヌクヌク満たします。そういう心になってはじめて、いろいろな知識や考えを吸収する準備が整い、頭が回り出すのです。子ども・人間は機械=ロボットではありません。心と頭と身体は切り離せないのです。悦(よろこ)びのないところに、よきものは何一つ生まれません。みなの役に立つ優れた頭脳は育ちません。

心身の豊かな触れ合い、楽しい対話、この何より一番大切なことが極めて不十分にしか行われていないところに、教育からはじまる日本のすべての人間・社会問題の元凶(げんきょう)があります。これが、型はまりの様式主義の文化を生んでしまいます。
子どもの話を聞かずに、「こうしなさい、こうすべきです」、という躾(しつけ)と称する言説は、正直な心、自分の感じるところ・思うところにつき、そこから真に自分の頭で考えるという何よりも重要な営みを元から潰(つぶ)してしまいます。哲学は成立しようがありません。 頭の芯に「脅迫観念」が植えつけられて、紋切り型(もんきりがた)の面白みのない人間や、肩書きだけで実力と魅力に乏しい人間しかつくりません。テレビで政治家や官僚の顔を見れば誰でも分かるでしょう(全員とはいいませんが・笑)。まさに「顔は顕現する」(レヴィナス)です。

子どものありのままを受け入れ、よく付き合い、それを楽しむこと、それが教育の本質=原点です。理想・あるべき姿を追う愚かで弱い精神からの脱却が急務です。「幸福をつくらない日本というシステム」(ウォルフレン)を変えていくためにも。有用な優れた頭を育てたいならば、何よりもまず楽しくなれる「心の環境整備」が必要です。闘争・蹴落(けお)とし・勝ち負け・ギスギスの心は、遅かれ早かれ必ず人格破綻(はたん)をもたらします。

他者への優越・抑圧に過ぎない単なる「事実学」の集積ではなく、生活世界に根差した生きたほんものの知=「意味論」でなければ、有用な価値ある「知」にはなりません。心身全体による豊かな交流が、意味の分かる生きた有用な頭を育む、が結語です。

3人
タケセンー54才・式根島で昨年8月

(2007.3.19)

コメント
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「理想を追うということ」ーーーは、とても悪い結果を導きます。

2012-07-02 | 教育

 

以下は、にんじんレモンさんの小学生ママ日記『ゆっくりどんぐり』のコピーです。

わたしの教育哲学の紹介から始まり、そこでのコメントを記事にされたものです。

 

理想を追うということ  

 

「白樺教育館とどんぐり倶楽部」でタケセンさんの

記事を転載したところ、うり坊さんからとても

貴重なコメントをして頂きました。

初めはうり坊さんのコメントの意味すら

判断できない私でしたが、

理想を追うことの危険さを教えて

くれたのだと思っています。

このコメントのやりとりは

「どんぐり」を実践している方も

他の教育法を実践している方にも

大変参考になるやり取りだと思いますので、

記事にさせて頂くことにしました。

               (字数に限りがある関係で一部省略しています。)

 

【教育の本質】
   受験を目的に生きる!?
   体遊び→豊かな心→優れた頭
(クリック)

                         白樺教育館館長 武田康弘

 

Re:白樺教育館とどんぐり倶楽部(3) うり坊さん
  >理想・あるべき姿を追わず、目の前の現実を素直に見て、それを肯定し、受け入れるのです。

同じことを昨日偶然考えていました。
何故なら自分(や友達、大人)に対しては「理想は要らない、邪魔なだけ」と思っていたのに、子どもに対しては「理想像」がまだ残っていた自分に気がついてしまったからです(><)イタタタタ。
どんぐりでいう「理想の子ども像」も要らない、今となってはそう思います。何故ならその理想に向かうための「手法」になるから。
ありのままを受け入れる、って「理想」も「手法」もないんですよね。
まだ考え中ですが・・・。
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Re[1]:白樺教育館とどんぐり倶楽部(3) にんじんレモンさん
うり坊さんこんばんは。コメントありがとうございます。
確かに「どんぐり」も手法であることは確かですね。
きっと人間が人間らしく自然と向き合って生きることを選択していたら、教育の手法など何もいらないのでしょうね。すべての教えが周りにあるのですから。
「どんぐり」は今の環境の中で人間として生きてて行くための思考力を育てる具体的な手法を授けてくれたのだと思います。
これでもかと思考力を育てない教育・環境が意図的に推進されているのですから。ごめんなさい。答えになっていませんね。
うり坊さん、何か見えたらまた書き込んでくださいね。お願いします
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Re[2]:白樺教育館とどんぐり倶楽部(3) うり坊さん
  >これでもかと思考力を育てない教育・環境が意図的に推進されているのですから。

「何でもかんでも小さなうちから早く的確に色んな事を出来るように」を「理想」としている現代の教育方針は、そもそも「間違っている」、少なくとも今の私には受け入れられない「理想」だから、そこを排除して守るというのは重要だと思っています。
それは本人の意思とは関係なく、学校や教師という別の大人の思惑が子どもに作用することなので、子どもの「ありのまま」とは違うし、「好きなように遊べ」と言って地雷原を放置するようなことはないですよね。
私が「これは危険、または違和感がある、個人的に嫌」と思うものを取り除くだけ取り除いて・・・あとはもう「お好きなように成長してください」かなぁ。
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Re[3]:白樺教育館とどんぐり倶楽部(3) にんじんレモンさん
うり坊さん
そうですね。今となっては理想像は作られて、宣伝されて飼いならされてと繋がっていくのが良く分ります。この社会における子供の理想像は間違っていると気付き、親が子供を守っていくことが今とても大切なのだと思います。
子供だけではないですね。まず大人たちこそ社会の真実にもっと目を向けて気付き、考えて行かなければいけない時期に来ている。そう思います。

>私が「これは危険、または違和感がある、個人的に嫌」と思うものを取り除くだけ取り除いて・・・あとはもう「お好きなように成長してください」かなぁ。

私も押し付けない程度に取り除いているつもりですが、難しいですね。特に意図的に発信されるものについては。
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理想について。 タケセンさん
理想について書いたブログがあるのですが、よろしければ読んでみてください。どう思われますか?
「理想を追う」という姿勢が、人間を不幸にし、社会をダメにします。
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/b79f1d200d3bfde6ec88395e6cd017a9
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Re:理想について。 にんじんレモンさん
タケセンさんこんばんは。ご紹介ありがとうございます。
ちょっと私には難しいので、少し考えてみますね。
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Re:白樺教育館とどんぐり倶楽部(3)(06/02)  うり坊さん
  >「理想を追う」という姿勢が、人間を不幸にし、社会をダメにします。
最近夫婦でそんなことをよく話し合います。「理想」は自分自身に対しても、他人に対しても、そして他人から作られた自分の理想像も、往々にしてマイナスに作用する、と。
1年前の私です
http://ricas.blog92.fc2.com/blog-entry-576.html
今の私です。
http://ricas.blog92.fc2.com/blog-entry-700.html

正直言ってどんぐりに出会った頃は「理想の子ども像」を目指していました。つい最近まで、かも。でも、それすら要らない。ここまで来たか、私(笑)と思います
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「どんぐり」もあるべき姿(理想)なのか?   にんじんレモンさん
どんぐりを知った時、この教育方法に間違いないと
感じました。どんぐり問題の絵のイメージが描けるようにしたい。解くことが出来る 子供にしたい。 と思った瞬間からそれはどんぐりが理想になり こどもにその理想を押し付けることになる。 だから思ったように子供が出来なかった時や 自分から進んでやらない子供に対して、 酷いことを言ってしまった。 理想から外れた子供に対してイライラしたのでしょう。 確かに私はどんぐり問題が出来る子供を理想として追っていたのです。 
とても危険な状態にあった訳ですね。
どんぐりの手法は素晴らしいけれど、 どんぐり問題が出来る子供を理想としてしまう親は、学校や塾の成績に 一喜一憂している親とまったく同じで、小我ということでしょうか?
では自らの経験から良いと感じ、ああなりたいという理想を持つことは
どうなのでしょうか?それでも理想を追うことは、自己の思想や感情を絶対化させてしまうのでしょうか?
たとえ自らの気持ちから湧き出た理想であっても、理想を追うことは意識の固定化を招き、ゆるぎない。頑固。硬い。 しなやかな思考が出来ないという感情支配に繋がるのかも知れないですね。
「憧れ・想う」とは固定化されない良いイメージを意識すること。自由な自分でいることが大切なのかな。
 そして他者の考えも受け入れる自由さを用意をしておくこと。
「自由闊達で豊かな心、創意工夫、臨機応変、当意即妙」
タケセンさん、うり坊さん、私に考える機会を頂き感謝します。
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とらわれのない心   タケセン=武田康弘さん
考え方にしても、
よいイメージ、美しいイメージ、こころの想い、にしても、
固定化=定式化してしまうと、意識=精神は絶対化されて、ほんらいの自由を失い「もの」化してしまいます。意識の死です。
どのような思想やまた方法も、日々の生を輝かし、豊かにし、日々の学びを活かす一アイテムとして遇することが大切だと思います。
どんな本や教材からも、自由な精神があれば、それを活かすことができます。どんぐり教材しか見ないという絶対化は、どんぐりの目指す世界とは異なるでしょう。何事も一つに固定しない方がよいはずです。自由にのびのびと、大胆なまでに!

 

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