イデオロギーが支配する、という政治は、民主政治ではありませんから、国を分裂させ、対立を解くことが不可能になります。
どのような国にするか、どのような政治を行うか、どのような未来象をもつか。
それは、対等な個人が自由対話により導くもので、
あらかじめ「日本の歴史は天皇の歴史」というような物語(もちろん嘘)を前提にしたのでは、元から民主政治は成り立ちません。
どうするか、は、今に生きる人が対等な権利をもって、対話により決めるのです。特定の歴史観や社会観を押しつける発想をもてば、結局は全体主義(戦前の皇国思想または共産主義)になるほかないのです。
「日本会議」というニッポン天皇主義で固まる団体に首相以下閣僚や大多数の自民党議員が所属する政治では、元から民主制・民主政・民主性にはなりません。自分たちのことは自分たち自身で話し合いにより決めるという自治政治=民主主義は、なにもアメリカに押しつけられたものではなく、すでに中世親鸞の卸同朋御同行(おんどうぼう・おんどうぎょう)という思想と実践により800年もの歴史がありますし、さらに遡れば紀元前の縄文文化は自治政治でしたので、歴史的世界的に普遍的なものです。
特定の権力者や一族を支配者としたり、あるは権威者とするような差別の構造がよくないことは、こどもでも知っていることです。民主的であること=みなが存在として対等であり、互いの自由を認め合うことを前提にして、その上で話し合いによりルールをつくるということは、時代や地域を超えた普遍的真理で、その立場で政治を行わなければなりません。日本会議 と 主権在民の民主主義は相いれません。
明治政府がつくった有無を言わせずに天皇への尊崇を求める権威主義による政治と、みなが対等な権利をもつ民主主義とは二律背反です。民主政治でなければならない、これは原理であり、イデオロギーを超えた根源的な思想です。もう分かりましょう。自民党のみなさん、理解→了解できていますか? 55代総理大臣石橋湛山(自民党第2代総裁)の考えを学んでください。
石橋湛山 第55代総理大臣
武田康弘