「躾」と称して、親が子に行う「型ハメ」、
「道徳」と称して、親や教師の単一の価値観を強要する「洗脳」、
「教育」と称して、物品のように人間を扱う「管理」、
「経済」と称して、人件費と言い、人間を物と同等にみる「物象化」
これらが、差別・暴力・自虐を生む原因です。
子育て・教育の中で日々何気なく行われるこどもの心への抑圧は、親や教師のエゴ(子どものためというウソ)がもたらすものですが、これは、精神の元を縛り、人間の一生を支配するもので、人と社会への深い「犯罪」なのです。
白紙のこどもの心や行為から学ぼうとする考え=姿勢をもたないと、人は、社会の既成想念に縛られて、固い固定観念の中で生きる「事実人」に陥ります。
形式論理に縛られている自らの頭脳を「論理的」だと思い込み、固い言語の枠内でしか思考できない人を「優秀」だと評価し、成金でしかない経済的成功者を「偉い」と評し、善美とは無縁の即物主義者や肩書人を許す。・・・・これでは、人は「よく生きる」ことができません。将来・未来が開けず、窒息してしまいます。
窓を開け、新鮮な空気を吸うためには、幼いこどもの行為に学び、共に生きようとする柔軟さ、こどもに付き、その心を生かそうする自由で大胆な発想が必須です。大人がまず自分自身の心身の自由を得ようと意欲しなければ、何も始まらないのです。既成価値・既成道徳に縛られている私たちの心の解放はどうしたら可能か?それが最大の課題ですね。そのヒントは、こどもが日々示してくれています。
武田康弘