思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

市民(主に女性)が哲学する会=鎌ケ谷市公民館での「とわの会」

2010-11-30 | 恋知(哲学)
わたしは、1996年より、自分の頭で考える=哲学する会(鎌ケ谷市公民館の「とわの会」)の講師(サポーター)を務めています。

写真は、先月の様子です(会員は15名)。

哲学する市民のレベルは、大学で哲学を講じる学者よりも、本質的に上です。
受験知の横行で、自分で考える(主観性の知を鍛える)という土台は、いまの日本にはありません。哲学までも知識の披露に陥っています。哲学史の勉強が哲学することの代わりになっているのですが、そうでない授業を行う大学教師はまずいません。
哲学することは、大学内では不可能であり、市民的自由の時空間でのみ可能です。いまの大学(学校)内は、客観主義の知が支配しますので、哲学することはできないのです。
よろしければ、どうぞご参加ください。何の予備知識もいりません、というより、変な予備知識は有害です。



お問い合わせは、酒井紀子さん(今年度の会長)まで。鎌ヶ谷市 東中沢3-7-6 電話047-444-5021

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おっしゃる通りです (人生(たび)の途中)
2010-11-30 21:01:25

>>哲学することは、大学内では不可能であり、市民的自由の時空間でのみ可能です。いまの大学(学校)内は、客観主義の知が支配しますので、哲学することはできないのです。
よろしければ、どうぞご参加ください。何の予備知識もいりません、というより、変な予備知識は有害です。<<

おっしゃる通りだと思います。。。色指定を受けた、或いはアウトラインが描かれた ぬりえのような日本の状況を脱するには、主観と客観と俯瞰が必要だと思っています。
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内から立ち昇る豊かさを。 (タケセン)
2010-12-01 00:18:26

「色指定を受けた、或いはアウトラインが描かれた ぬりえのような日本の状況」

まさしくその通りですね。もう極限的な退廃です。

能動性の存在論に基づく躍動する生、「私」から立ち昇る内容豊かな生を創り出さなくては損です。外なる世界秩序に従う奴隷根性ではなく、内なる世界の光輝を放つ人生こそ生きるに値するもの。

コメント (2)
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