わざわざ庭に連れ出して
星を見てみい
数えてみい
数えきれるかいな
無理やろ
でもな
あの星の数ほどに
子孫を増やしたる
と
神さんはアブラムさんに言いました
が
これを
アブラムさんの共同体の将来にわたる勢力拡大
という風に読んでしまうと
最も大切なものが消えるし
そもそもとっても危険!なわけです
でも
キリスト教会は
結構こういうところで
勢力拡大という読み方をしてしまいます
わたしは
まず聖書は
そういう勢力拡大の枠組みで
経営学の枠組みで
イメージ戦略論の枠組みで
絶対に読まない!!
ということが大事で
そういう読み方から解放されたときに
そこで
大転換が起こる
つまり
主語が人間から神に変わる出来事の中で
読まされることが起こる
のだろうと思います
で
この神さんの言葉は
星の数は人間には数え切れない!
という
人間の限界性をはっきり見せ付けたところで
しかし!!!
神は
その人間の限界の外側で自由に働き
事をなす
という中心を持っていると思います
例えば人が増えたとしても
それは人間に数え切れるわけです
日本に住んでいる人みんながキリスト者になったとしても
そうなったら
それこそリバイバルぅうう
って
叫ぶ人がたくさん出るのだと思いますが
それでも人間が数え切れる範囲の話で
すなわち
人間が
人間の限界以前を
つまり人間の範囲内を
つまり人間を
信じる
ということになってしまい
神さんが出てくる話ではないわけです
神さんは
徹頭徹尾
人間の限界の外側でしっかり働いています
だからまずは数というものが
神にとっては意味を成さないのだろうと思います
数は必要悪と知りつつ用いるものなわけです
で
ここでは
実の子が与えられなかったアブラムに
子イサクが与えられて
なお子孫が増えるという
世界で認められるようになることが
神の働き
みたいに読まれてしまうのですが
これも
人間の限界性の外側で働く神が主語となるならば
もはや
子どもがどうのこうのという
人間のはなしは二の次で
実の子というよくわかることをはるかに超えて
神は事をなす
というところまで
アブラムは信じたのだろうと思います
アブラムは
ここで
実の子を欲するという自分を主語とするところから
神による限界の外側の働きという神を主語とするところへ
大転換
したのだと思います
だから
彼は
実の子に関しては
余裕を持って
待ち望むことすらできたのだと思います
だって
この神さんの約束のあとも
イサクが産まれるまでえらい長いわけだし・・・
また
この箇所の直前で
ソドムの王の世話にはならん!
とアブラムが言うあたりも
神以外の力には頼らん!
という宣言であって
人間の力から神の力への大転換があるからして
星の数
というのは
やはり
勢力拡大という人間の範囲内のことでなく
それが数えられないというところに意味を持つところの
神が人間の限界をはるかに超えた世界で
活き活きと働くという
そういう神の範囲のことなわけです
とまあ
昨日祈祷会で分かち合いました
おしまい
星を見てみい
数えてみい
数えきれるかいな
無理やろ
でもな
あの星の数ほどに
子孫を増やしたる
と
神さんはアブラムさんに言いました
が
これを
アブラムさんの共同体の将来にわたる勢力拡大
という風に読んでしまうと
最も大切なものが消えるし
そもそもとっても危険!なわけです
でも
キリスト教会は
結構こういうところで
勢力拡大という読み方をしてしまいます
わたしは
まず聖書は
そういう勢力拡大の枠組みで
経営学の枠組みで
イメージ戦略論の枠組みで
絶対に読まない!!
ということが大事で
そういう読み方から解放されたときに
そこで
大転換が起こる
つまり
主語が人間から神に変わる出来事の中で
読まされることが起こる
のだろうと思います
で
この神さんの言葉は
星の数は人間には数え切れない!
という
人間の限界性をはっきり見せ付けたところで
しかし!!!
神は
その人間の限界の外側で自由に働き
事をなす
という中心を持っていると思います
例えば人が増えたとしても
それは人間に数え切れるわけです
日本に住んでいる人みんながキリスト者になったとしても
そうなったら
それこそリバイバルぅうう
って
叫ぶ人がたくさん出るのだと思いますが
それでも人間が数え切れる範囲の話で
すなわち
人間が
人間の限界以前を
つまり人間の範囲内を
つまり人間を
信じる
ということになってしまい
神さんが出てくる話ではないわけです
神さんは
徹頭徹尾
人間の限界の外側でしっかり働いています
だからまずは数というものが
神にとっては意味を成さないのだろうと思います
数は必要悪と知りつつ用いるものなわけです
で
ここでは
実の子が与えられなかったアブラムに
子イサクが与えられて
なお子孫が増えるという
世界で認められるようになることが
神の働き
みたいに読まれてしまうのですが
これも
人間の限界性の外側で働く神が主語となるならば
もはや
子どもがどうのこうのという
人間のはなしは二の次で
実の子というよくわかることをはるかに超えて
神は事をなす
というところまで
アブラムは信じたのだろうと思います
アブラムは
ここで
実の子を欲するという自分を主語とするところから
神による限界の外側の働きという神を主語とするところへ
大転換
したのだと思います
だから
彼は
実の子に関しては
余裕を持って
待ち望むことすらできたのだと思います
だって
この神さんの約束のあとも
イサクが産まれるまでえらい長いわけだし・・・
また
この箇所の直前で
ソドムの王の世話にはならん!
とアブラムが言うあたりも
神以外の力には頼らん!
という宣言であって
人間の力から神の力への大転換があるからして
星の数
というのは
やはり
勢力拡大という人間の範囲内のことでなく
それが数えられないというところに意味を持つところの
神が人間の限界をはるかに超えた世界で
活き活きと働くという
そういう神の範囲のことなわけです
とまあ
昨日祈祷会で分かち合いました
おしまい