きぼう屋

生きているから生きている

脱コンスタント

2007年08月29日 | 「生きる」こと
昨日は脱風景をうたったが

残念ながら
風景の中に自分自身も入っていくことが
むしろ評価される世界に
ぼくらはいる

自分自身も
社会における
他者における
風景となること
それはきっと
コンスタント
と呼ばれて
周りに安心と安定を与える

いつでも
同じ自分でいる

でもそれは
いわば社会から求められているところの
他者からそういうものとして認識されているところの
自分を
つくりつづけているということ

他者と世界と歴史と
瞬間瞬間に新鮮に出会って
新鮮に自分自身も変わることができるのに

それは周りに不安を及ぼし
気ままと呼ばれる

コンスタントに生きているってのは
コンスタントに死んでいるってこと

世界で生きていくために
ぼくらは死んでいくということ

こんな世界に
教会は復活を語る

教会は
コンスタントから
解放されることを
求めてもいいだろう

脱風景・・・生きる

2007年08月28日 | 「生きる」こと
いつもの風景で安心
なんて思ったら
ぼくは
死んでいる

いつもの
なんて
きっとない
映る風景内のすべての微粒子ほどのいのちたちは
常に瞬間をもって異なる

そもそも
風景
なんてのも
きっとない

ぼくが風景としたとたん
すべてのいのちから生を奪う
ぼくの決めた過去の時点で
すべての微粒子ほどのいのちたちの生を
終わらせる

いつもの風景なんて
きっとない
だから
住み慣れた国や地域なんてのも
きっとない

いつでもどこでも
ただ
常に瞬間をもって異なる
すべての微粒子ほどのいのちに
新鮮に触れて出会うなら

ぼくは
生きている

いつだろうと
どこだろうと

ぼくは
生きることができる


びっくり キュー キュン

2007年08月27日 | 「生きる」こと
いまさらだけど
甲子園夏の大会の決勝
佐賀北の副島君の逆転満塁ホームランはびっくり
そして
広陵のエース野村君の全身から力が抜けた姿に
胸がキュー

息子たちの夏休みが8月22日で終わってびっくり
実質たったの3週間
なんだかなあ
そして
そんな学校環境で生きるとりわけ先生は大丈夫かと
胸がキュー

先週金曜日は大阪ドームへ
延長でラロッカのさよなら逆転ホームランにびっくり
座席近くのみんなとハイタッチ
そして
「もう使えんな」
と野村監督に言われてしまった
打たれた楽天の渡辺は大丈夫かと
胸がキュー

夏休み中
楽しい楽しいと息子たちが毎日通った踏水会のプール
しかし終わってみたら
「来年は行かない。しんどい」
という言ったもんだからびっくり
しかし
あらゆるアレルギーとたたかいつつ
人の何倍も疲労せざるを得ない息子たちの姿を見るなら
納得しつつ
胸がキュー

昨晩お祭りにいったら
偶然にもへいわ屋さんと会えてうれしくびっくり
以前へいわ屋さんで買った「9」のバッチがなくなって
欲しいねえ
なんて妻と言っていた矢先でなおびっくり
へいわ屋さんっていいファミリーだなあ・・・

こちらは胸がキュン

昨日の礼拝も
またまた子どもメッセージが
とても祈りと準備を重ねられたことが
礼拝全体に表現されるというもので
その場のスゴミにびっくり
そして
メッセージをされたYさんの緊張ぶりに
胸がキュー

先週に引き続き
方法論とかでなくて
ワザ!とかでなくて
祈りと準備とそれによる適当な緊張によって
子どもたちは引き込まれ記憶し身体とする

あまりに見事で感謝

しばらく一緒に礼拝をすることができたSさんが
昨日で京都を離れ東京へ引っ越すと
まさに昨日聞いてびっくり
そして
新しい歩みが始まることにうれしくも
かなりさみしく
胸がキュー

そして本日はUさんが退院されるとのことで
予定より早く回復したことにびっくり
そして
また一緒に礼拝できることを思い描いて
胸がキュン

伝道は平和宣言

2007年08月26日 | 教会のこと
京都教会週報巻頭言(8.26)


**********************


今月前半に夏季休暇を頂戴した際、
当教会初代牧師の山路基先生と対話する機会を得た。
山路先生は学びの集大成として、ひとつのテーマを繰り返し提示された。
それは「キリスト論は『つまずき』という救い」というもの。

わたしは強く共鳴。

また、この間、
京都教会は礼拝説教において十字架の出来事を、「つまずき」として分かち合ってもいた・・・
なおさらだ。

「つまずき」は、
京都教会の原点であるテーマであり、
ここにきて再発見されているテーマなのか。

8月6日
広島に原爆が落とされた日
今年も秋葉市長は、「平和宣言」を語る。
そこにこういう言葉があった。
「唯一の被爆国である日本国政府には、
まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、
それを世界に広める責任があります」。

被爆の実装と被爆者の哲学を学ぶとは
つまり
より痛み傷つき悲しみ差別され虐げられた人たちの
さらには殺された人たちの
生々しい物語を共に生き
その現場で出会う事柄の視点を学ぶ
ということだ。

そしてこれは
とりわけ今の先進国の価値観で生きる中で
成功(今世界は成功を経済で測る!)しようとするならば
全く必要ないことであり
時間と労力の無駄なことであるだろう。
またそもそも
進んで他者の困窮を共に担うことはばかげている!
と理解される場と時にいる私たちでもある。

しかし
平和は
生命は
世界は
歴史は
信仰は
本当はここからしか始まりはしない。

それは
私たちの信じる聖書が
最も強烈に記していることでもある。
たとえば山上の説教の始まり部分を見るだけでもいい。
貧しく、悲しみ、内臓が痛いほど共感し(憐れみ)、迫害される事柄が幸い!
というのは極めて真理だ。

また信仰者は
主イエスと共にいるからこそ
主がそういう行為をするたびに
信仰者もこの行為をする。

でもできない!
あまりにしんどい!

困窮を担いきれない!
そもそも他者との距離を縮められない!
他者と在ろうとするほどに他者が見えなくなる!
他者とのはざ間をますます知る!

これはまさに
そしてこれこそ
つまずき!!!!!

しかし主は
わたしたちがつまずいてなお
いや
つまずくことを知っておられるからこそ
この連帯を丁寧に、かつ力強く求める。
そして
私たちは主に赦されつつ
そして主に助けられつつ
この生き様を選択できるし
選択するしかない!!

さらに秋葉市長は
こういう実相と哲学を世界に広めるべき!
と語る。

主イエスも語る。
この連帯こそを世界に広めよ!
これこそ伝道であると!。

そしてバプテストの日本の群れは
2002年に「平和に関する信仰的宣言」を採択し
今もなお宣言し続ける・・・

主を伝える!
それは即平和を宣言すること!

ますます
共に伝道し
共に平和を創りたい・・・

シャローム

2007年08月21日 | 教会のこと
昨日(19日)の礼拝は平和を覚える礼拝
子どもメッセージが凄かった

話し方?
聞かせ方?

そんなハウ・トゥーなんかなんにもない・・・
いや
そもそも必要ない・・・

東京大空襲を経験した本人が
その空襲下の人々街々を描いた画と
空襲後の変わり果てた写真を見せつつ
ただ語っていく・・・

当然そこには中身しかない・・・
詰まりに詰まった中身のみ・・・

大人のメッセージと同じくらいに長い子どもメッセージ

でも
子どもたちは
小学生未満の子どもたちの含めて
真剣に聞きとおすことができる・・・

子どもは本物がわかる・・・

礼拝メッセージのテーマはシャローム

シャロームとは
こちらの気分や都合では動かすことの出来ない
重たい(カーバード=栄光と訳される)出来事、経験、言葉
重たい神
が、我々をそれこそ邪魔し、躓かせ、
苦しみ悲しみを覚えるしかなくさせて
その状態において
シャローム!
と神が挨拶するという
そういう平和

人間の論理では
条件がそろって
はじめて成立した!
と宣言するが

神の論理では
信仰では
条件が何もないところで
成立が
平和、赦し、救いの成立が
宣言される!!


その宣言は即出来事となる!!


教育はいつの時代も
その時代地域における
人間の論理をどんどん貯蓄させるもの
そういう目標に向かうもの

そうやってその時代地域で通用する人間をつくっていくというもの
つまり
いわばいつでもビジネススクール

しかし
本当の教育は
各々の人格が人格としてはぐくまれる教育は
互いの重い出来事、経験、言葉が
ぶつかりあいをするもの
それは
シャロームという目標に向かうもの

だから教会教育は極めて大切だ!!

今の時代は
特に!!


東京横浜箱根の帰省の旅

2007年08月18日 | 「生きる」こと
憐くん(2歳)が水族館の魚を見て
「おいしそう もぐもぐ」

添くん(5歳)が親戚みんなとわかれる時のことを思い出しつつ
「泣きそうやった」

山路初代牧師がわたしとの対話の中で
「キリスト論をつまずきとしていかに受けるか・・・」
「本から解放されることを選び、蔵書はすべて寄付した・・・」
(わたしは四代目牧師)

帰省からの帰りの車の中で家族みんなで(憐くんも完璧に)熱唱!!
「苦しいこともあるだろさ
 悲しいこともあるだろさ
 だけどぼくらはくじけない
 泣くのはいやだ
 わらっちゃおう
 すすめー
 ひょっこりひょうたんじーま」

もっともっといろいろなことばがあったけど
なかなか生々しくて
公にできなくてすみません

しかししかし
いいことば
たくさん頂戴しました
この夏休み

またそれ以上に
行く先行く先のみんなに
最高のおもてなしを受けまして・・・
恐縮でした・・・

感謝。。。。。。


ひとつできなかったこと
墨田区の震災資料館(戦争の資料もある)におじいちゃんと行って、おじいちゃんから孫たちへ語ってもらうこと
これは来年のお楽しみ

夏のたびに
横浜のひいじいさん(94歳)と
箱根のひいおばさん(95歳)と息子たちが出会っているのは財産!!

なんせ友だち感覚だから不思議です

まだまだ元気でいてくださいませ。
ひ孫の成長を見てくださいませ。
祈っています。

そういえば
いちばんのしっかり者の添くんが夜のズーラシア(横浜のでかい動物園)で迷子になりましたなあ。。。
ごめんなあ本当にごめんなあ。。。
その後数日間、なんとなくおびえておりまして・・・


姪のまさきちゃん(1歳)にあたしゃメロメロ・・・

ホーリスティック

2007年08月02日 | 「生きる」こと
本日
人権論のテストがおわり、
答案用紙を丁寧に読みました。
三つの問いにそれぞれ小論でこたえるというものですが・・・

感激しています!!!!!

学生のみなさん
よくこんな難しいことを理解してくれまして・・・
感謝感謝。

人権論なので他の教科と明らかに違う部分があって
それは
身体に染み込んだ事柄を言葉で記す
ということでして・・・

人権論は
その内容が学生たちの身体に染み込むのを待ちつつ
しかし染み込み気づくときが来たら
そこから一気に
あらゆる認識が変わってくるという
そういうものなので
それがこれほどまで記されているとは
驚きつつ感謝するしかありません。

中身は本当に難しいのです。
しかし、この難しい事柄が身に染みて
はじめて他者とかかわる仕事において
本当の意味で他者とかかわることができるわけで・・・

逃げずにやりきって
本当によかったと思っています。


しかし
わたしはあまりそう思わなかったのですが
人権論講義が騒がしいという指摘もあるようで・・・・

それは申し訳ないなあと思いつつ
しかし
騒がしいからといって
こと人権論においては
授業内容に触れるということは
まさに学生自身の人権
つまり彼らの主体的決断によるというところを
徹底的に信頼して待つことが重要であり
そして
中身が身体化し、
つまり気づきに出会うならば
それはかならず言葉として表現され
講義ごとの応答では
それが回数を重ねるたびに深く表現されていくことを私は経験し
それがテストでも表れているので

この場合
こと人権論の教師としては
騒がしいといわれる態度を取り囲む事柄を
極めて丁寧に見ていく必要があるのだろうと
思っているところです。

少なくとも
こと人権論においては
たとえ講義が様々な方法論にてまとまりがあり
学生が面白いと感じようとも
そういう方法や雰囲気が身体化を阻むことは
なにしろそれこそ人権教育にまつわる歴史が証明しているわけで・・・

大事なのは
教師が信頼して
身体化を
待ち続ける

ということだなあと・・・

教室における教育について
人権論を担当する私だからこそ
もっと深い議論をふっかけないとならないのだろう
とも
思い始めています。

久しぶりに
パウロ・フレイレを読まねば・・・


この人権論テストで言葉として記されたものは
自らが責任を担うしかない現場で
優れてかたちとなるだろうと思います。

今は
ことばという
希望を持った段階でありましょう。

私は祈り続け覚え続けたいと思います。
学生のひとりひとり・・・

感謝感謝。


話はかわり
日曜日の子どもメッセージですが、
とても難しい聖書の箇所を
見事に語って頂き
む さんに感謝するしかありません。

子どもをひきつける話術?
そんなんどうでもいいのです!!

む さんのレーベンがかかった
あの話をしているときの身体全体がかもし出す歴史を
子どもは記憶し
それがそれぞれの時において
繰り返しメッセージとしてよみがえるに違いありません。

極めて感謝なのです。
ありがとう!
ありがとう!


講義も子どもメッセージも
それは極めてホーリスティック!!!

学生や子どもたちの全歴史をも含めて
ホーリスティック!!!

こと説教や人権論は
それ以外のなにものでもない!!
のです。

アップルパイはおかず。

2007年08月01日 | 「生きる」こと
日曜日

重みのある礼拝だったかなあと思います。
前の晩は一睡もできず・・・
礼拝の聖書箇所がそういう箇所でして・・・
問われ迫られ・・・
子どもメッセージ担当の愛する仲間も
同じだったようで・・・
聖書箇所は『聖書教育』(日本バプテスト連盟発行)に沿っているわけだけど・・・

キリストを信じることと見捨てること
という大テーマ
は永遠です・・・

第5週だったので午後のプログラムはなし。
青年たちはみんなで食事へ。
そうそう、久しぶりにハジメくんとユミちゃんが
それぞれ外国から戻ってきて礼拝へ。
たまらなくうれしい。
ハジメくんは来年から京都に仕事で戻ってくるし・・・
またまた輪をかけて明るい教会になりますなあ。

で、教会では、となりのパン屋さんで子どもたちがパンを買ってもらって
コーヒーをおとして
みんなでわいわい。
これまたうれしい。

で、子どもたちは中学生のお姉さんと一緒に我が家へ。
で、わたしは奥の部屋で爆睡。
で、みんなが帰った頃に起きて
選挙にでかけました。

で、そのままオートバックスへ。
車の健康診断をしてもらいました。
その間
最上階でジュースを飲みながら休憩。
その間
2歳の憐くんは、
CDの試聴コーナーで
ヘッドフォンを頭にかけて
ハードロックを聞きながら
(なんとなぜかシン・リジィ)
踊りまくって
さらに叫びまくっておりまして・・・
お客さんも定員さんも爆笑するしかありません・・・

その後カナートへ。
疲れきっているので夕食を作る元気も片付ける元気もなく
食べに行きました。

次男の共くんはマクドナルド
「ハンバーガーとポテトとアップルパイ」
ということでそれを注文。
そして
「デザートにソフトクリーム買ってな」
と来たもんだから
「アップルパイがあるやろ」
と言ってみたけど
「それはおかずや」
と来たもんだ。

「了解」
面白ければOK。その瞬間アップルパイはおかずに。
そしてそのあとソフトクリームを食べて
さらに
「おなか減った」
と来たもんだから
「何食べるつもり?」
と聞いてみたら
「おかずのアップルパイ」
と来たもんだ。

「了解」
100円渡してしまいました。

そして家に帰って
選挙速報を見て
寝ました。

月曜日

お見舞いへ。

火曜日

お見舞いへ。

水曜日(本日)

お見舞いへ。

でもみんな元気です。感謝感謝。


で、実は本日は誕生日。
37歳。
もっと落ち着いていいはずだなあと
反省。

ステキなカードを教会の方から頂戴し、
そのメッセージに本気で涙・・・
結構いのちに関するしんどいことが重なった7月だったけど
メッセージがすべてを整えてくれた・・・
ありがたい・・・


本日は時間がなかったけど
明日の夜は無理やり時間を空けて
誕生日パーティということで・・・

やっぱ今でもうれしいねえ。


さてさて明日は人権論の試験。
学生のみなさん。
祈っております。
リラックスして
お臨みくださいませ。

わたしは最近
無理やりにでも自分をリラックスさせるしかなく・・・
(そうしないと精神が持たないことが連続して起こっているので)
そうすると
こむずかしいことを考えなくするしかなく・・・
だから考えていないので
選挙から見えてくることすらいまだぼんやりしていて・・・

でもひとつだけ道が開けたこともあります。
それはセックス(性行為)についての思想です。
そういうとびっくりされるとも思いますが
アルフォンソ・リンギスという思想家の著作に出会ってから
この思想の深さと大切さに気が付いたところです。

平和宣言説教集というのがいつか出ますが
平和宣言というのは十戒に沿って宣言していますが
その中の
姦淫するなかれ
からの説教を書いたもので
それ以来、自分のテーマでもありました。
その説教では関係性の質による性行為の意味の違いをなかなか上手いこと表せたかと思ってましたが
いやいや
浅い浅い・・・

今は、相当深く感動するしかない性行為に関する思想があり・・・

これを性教育でちゃんとすれば
性の商品化なんかなくなるとも思うわけで・・・

でも
おなかの辺りで感触としてようやく捉えることができた段階で
この場でことばにすることはまだまだできないような段階で
でも
なんとも宇宙論的な捉えには本当に感動するしかないわけで・・・

そして生々しい描写なのに全く卑猥ではなく・・・
逆に本当に感動して涙が出るしかないような部分の脳みそが働いて・・・

息子たちが年頃になったころには
自分のことばで表現できるように
これからも自分の中で熟成させるべきテーマだと思っております。

37歳。
人生なかばを過ぎましたなあ。