我が家の洗濯機の排水溝がつまったらしく
洗面所に洗剤まじりの水がひろがってしまいました
仕方がないので洗濯機を動かして
(大家族なので大きな洗濯機でしてなかなかたいへんなのです)
排水溝を見てみましたら
ねじ式ではまっているはずのふたがゆるんでおりまして
半分ほど数ミリ浮かんでおりました
それをいったんはずして
中を掃除してみましたら
なんと
硬貨だがでてきました
おそらくその数ミリの隙間から入り込んだようです
それも次々と
合計470円
どれもとっても汚れていましたので
わたしは硬貨を洗うことにしました
そのかん
若菜さんが
もっともいやな
排水溝周りの掃除をしてくれました
すみません
で
ひさしぶりにピカピカにして
洗濯機を戻して
元通り
硬貨もそれなりに(使用できるくらいに)汚れが落ちました
なんか宝が出てきたような感じで
最初は憂鬱な気分ではじめたことも
最後は気持ちいいものとなりました
感謝感謝
で
その470円は
我が家のお兄ちゃんたちの
臨時おこづかいとなりました
(上の小学生3人は
不思議なんですが
みんなのこづかいをひとつにして
みんなで相談しながら使っています
将来は
このまま3人で
会社でも起こすのでしょうか)
さてさて
昨晩はなんと5時間も
教会の若者たちが
12月12日の子どもクリスマスのための準備をしてくれました
本日も18時からしてくれるとのこと
もうこの事実でもって
12日は大成功なのです
世の中のすべての事柄が
実は献身の質量でもってうまくいくかいかないかが決まる
という結論を
わたしは持っています
丁寧に隅々まで行き届く献身
それもおせっかいなほどにしつこい献身
これが人と世界を救い
ブーバー風に言えば神をも救うわけだと思っています
そうなかで
行き届かなかった自らの限界と出会い
そこでそれを埋めるキリストの十字架をはじめて発見するわけで
こういう十字架との出会いを繰り返す中で
キリスト者と教会は
ホ・ン・モ・ノ
になるのだと思います
そういう意味では
当教会では
すんごいことがもうひとつ起こっています
教会のEさんが
ホームレスを強いられているとある方を
毎週整体してくれています
そのとある方は
立つことも寝ることもできないほどに足腰を悪くされていました
腰の強烈な重みは4年前から訴えておりましたし
医者は「変形しているので治らない」というばかりでした
しかし
Eくんの整体を受け始めて2ヶ月
その直前はただただしゃがんだまま生活するしかなかったのに
だんだんと腰が伸びてきまして
まずは90度
そして80度 60度 45度
くらいの傾きまで伸びてきまして
昨晩の施術後は30度くらいにまでなっておりました
しかも
しばらくの間だったらピンとまっすぐ立てるほどになりました
足腰のストレッチも軽くできるようになりました
わたしは
これはEさんのスキルによるのではなくて
Eさんの献身の質量によるのだと思います
あと
施術のたびにふたりの夕食を準備している若菜さんの献身の質量にも
いつも圧倒されます
十字架に生きる
それは具体的には
献身の質量としてあらわれる
そして
この生き様は
強烈に幸せ
というわけなんです
というところでおしまい
洗面所に洗剤まじりの水がひろがってしまいました
仕方がないので洗濯機を動かして
(大家族なので大きな洗濯機でしてなかなかたいへんなのです)
排水溝を見てみましたら
ねじ式ではまっているはずのふたがゆるんでおりまして
半分ほど数ミリ浮かんでおりました
それをいったんはずして
中を掃除してみましたら
なんと
硬貨だがでてきました
おそらくその数ミリの隙間から入り込んだようです
それも次々と
合計470円
どれもとっても汚れていましたので
わたしは硬貨を洗うことにしました
そのかん
若菜さんが
もっともいやな
排水溝周りの掃除をしてくれました
すみません
で
ひさしぶりにピカピカにして
洗濯機を戻して
元通り
硬貨もそれなりに(使用できるくらいに)汚れが落ちました
なんか宝が出てきたような感じで
最初は憂鬱な気分ではじめたことも
最後は気持ちいいものとなりました
感謝感謝
で
その470円は
我が家のお兄ちゃんたちの
臨時おこづかいとなりました
(上の小学生3人は
不思議なんですが
みんなのこづかいをひとつにして
みんなで相談しながら使っています
将来は
このまま3人で
会社でも起こすのでしょうか)
さてさて
昨晩はなんと5時間も
教会の若者たちが
12月12日の子どもクリスマスのための準備をしてくれました
本日も18時からしてくれるとのこと
もうこの事実でもって
12日は大成功なのです
世の中のすべての事柄が
実は献身の質量でもってうまくいくかいかないかが決まる
という結論を
わたしは持っています
丁寧に隅々まで行き届く献身
それもおせっかいなほどにしつこい献身
これが人と世界を救い
ブーバー風に言えば神をも救うわけだと思っています
そうなかで
行き届かなかった自らの限界と出会い
そこでそれを埋めるキリストの十字架をはじめて発見するわけで
こういう十字架との出会いを繰り返す中で
キリスト者と教会は
ホ・ン・モ・ノ
になるのだと思います
そういう意味では
当教会では
すんごいことがもうひとつ起こっています
教会のEさんが
ホームレスを強いられているとある方を
毎週整体してくれています
そのとある方は
立つことも寝ることもできないほどに足腰を悪くされていました
腰の強烈な重みは4年前から訴えておりましたし
医者は「変形しているので治らない」というばかりでした
しかし
Eくんの整体を受け始めて2ヶ月
その直前はただただしゃがんだまま生活するしかなかったのに
だんだんと腰が伸びてきまして
まずは90度
そして80度 60度 45度
くらいの傾きまで伸びてきまして
昨晩の施術後は30度くらいにまでなっておりました
しかも
しばらくの間だったらピンとまっすぐ立てるほどになりました
足腰のストレッチも軽くできるようになりました
わたしは
これはEさんのスキルによるのではなくて
Eさんの献身の質量によるのだと思います
あと
施術のたびにふたりの夕食を準備している若菜さんの献身の質量にも
いつも圧倒されます
十字架に生きる
それは具体的には
献身の質量としてあらわれる
そして
この生き様は
強烈に幸せ
というわけなんです
というところでおしまい