今週の週報巻頭言です。
****************
「変化し続ける」
和解の主を信じる私たちは、
主により世界のすべてが出会い、和解するために、
そこにむかって、その只中で、歩みます。
だから私たちは、
和解とは逆の方向に向かっている世界中の出来事に敏感になり、
その出来事の只中にいる他者と
できれば寄り添い、少なくとも彼らのために祈ります。
朝鮮半島が緊張しています。
戦争となる可能性もあります。
これはよその国のことではありません。
たまたま近い国だからから自分のことでもある、ということでもありません。
主が和解のためにそのはざ間で十字架にかかっているから、
これは私たちのことであり、
また私たちの罪ゆえのことです。
朝鮮半島での戦争を利用して経済大国になったこの国で生きる者が、
現在の緊張の原因である罪を持つことを知るのは難くありません。
さらに言うと、
地球上のすべての緊張、摩擦、戦争は、
私たち個々人の罪も原因となります。
私たちが日常生活で、
和解の道ではなく、
自己実現、自己保守の道を歩むゆえに、
それが次第に大きな渦となり、戦争となります。
では和解の道とは何か。
それは、
日々他者と出会うなら、
その他者との接触により、
私が変化することです。
「私」が「私」のままでいることに囚われず、
出会いゆえに新しい「私」にしっかり変化することです。
出会っているのに変化しないことは、
「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらは全て神から生じた」、
という御言葉を信じないということにもなります。
現在、
主は当教会の礼拝に新しい仲間を招いています。
そこで出会いが起こります。
そして、教会は御言どおりに絶対に!ここで変化します。
変化が和解の道の途上にいる証拠です。
ただ、変化はエネルギーと勇気を必要とするので、
私たちは無意識にも現状維持を求めます。
でも当教会はもはや現状維持が勝つ場をもたないくらいに成熟できていると思います。
私たちは主により与えられている出会いにより、
新しい者に変化し、新しい教会となります。
目指すは自己実現、自己保守ではなく、自己変化です。
キリストの体はそうやって成長し、たくましくなります!!
アーメン。
****************
「変化し続ける」
和解の主を信じる私たちは、
主により世界のすべてが出会い、和解するために、
そこにむかって、その只中で、歩みます。
だから私たちは、
和解とは逆の方向に向かっている世界中の出来事に敏感になり、
その出来事の只中にいる他者と
できれば寄り添い、少なくとも彼らのために祈ります。
朝鮮半島が緊張しています。
戦争となる可能性もあります。
これはよその国のことではありません。
たまたま近い国だからから自分のことでもある、ということでもありません。
主が和解のためにそのはざ間で十字架にかかっているから、
これは私たちのことであり、
また私たちの罪ゆえのことです。
朝鮮半島での戦争を利用して経済大国になったこの国で生きる者が、
現在の緊張の原因である罪を持つことを知るのは難くありません。
さらに言うと、
地球上のすべての緊張、摩擦、戦争は、
私たち個々人の罪も原因となります。
私たちが日常生活で、
和解の道ではなく、
自己実現、自己保守の道を歩むゆえに、
それが次第に大きな渦となり、戦争となります。
では和解の道とは何か。
それは、
日々他者と出会うなら、
その他者との接触により、
私が変化することです。
「私」が「私」のままでいることに囚われず、
出会いゆえに新しい「私」にしっかり変化することです。
出会っているのに変化しないことは、
「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらは全て神から生じた」、
という御言葉を信じないということにもなります。
現在、
主は当教会の礼拝に新しい仲間を招いています。
そこで出会いが起こります。
そして、教会は御言どおりに絶対に!ここで変化します。
変化が和解の道の途上にいる証拠です。
ただ、変化はエネルギーと勇気を必要とするので、
私たちは無意識にも現状維持を求めます。
でも当教会はもはや現状維持が勝つ場をもたないくらいに成熟できていると思います。
私たちは主により与えられている出会いにより、
新しい者に変化し、新しい教会となります。
目指すは自己実現、自己保守ではなく、自己変化です。
キリストの体はそうやって成長し、たくましくなります!!
アーメン。