きぼう屋

生きているから生きている

11月3日はバザー

2006年10月29日 | 教会のこと
11月3日のバザーがいよいよ近づいてきまして・・・

今年も品物がなくなるくらいの大盛況になることはわかっているのですが・・・
みんな来てくれるかなあ??と変な不安がどこかにあったりします。
心理というのは不思議なものです。
心理から解放されると見えるべきものが見えるのだなあと思いつつ・・・

でも期待はそれ以上であること間違いなし!

今年もたくさんの献品をいただきました。
ウチの教会の場合は、教会関係者からは1割ほど。のこり9割は地域のみなさんから献品です。
この3年の間にそのあたりが変化してきました。。。

すごく嬉しいことです。
京都教会は歴史的に地域に深くかかわってきています。
さまざま市民運動の拠点でありつづけています。
でも、いったんそれは過去のもの・・・となっていたようです。。。

しかしホームレス支援がはじまり・・・
平和への取り組みの拠点となり・・・
福祉、つまり生きることそのものの拠点となり・・・

いま再び地域の方々が教会を思い出しているところのようです。
直接、「かつてもこうだったねえ。こうでないとねえ」と言ってもらえたときは涙もんでした・・・

で、
すごくいい品がたくさんあります。
で、
ウチのバザーはちょっと申し訳ないくらい(献品してくださった方々に)安い値を付けています。

そして楽しいです。
ボサノヴァが流れる中で(わたしの趣味ですが・・・でも昨年がカントリーだったかな??)
うきうき買い物できますし・・・
食事もできます!!
子どもたちの遊べる場所あり・・・
そうそう
今回は止揚学園のスタッフがお話もしてくれます。
これ
子どもたちにとって、お父さんお母さんにとっても
貴重な体験になること間違いなし!!
ってな感じで

「バザーはいつでしたっけ?去年楽しかったから、また行かせてもらいます」
なんていう電話も頂いて・・・

朝10時から昼2時までです。

また、ボランティアとしてきてくださっても大歓迎!!

このバザーの利益は
福祉関連の法律が変わる中でとってもくるしくなっている
各福祉施設への献金と、ホームレス支援に用いられます。

昨年は
止揚学園、久山療育園、カナンの園、寄り添いネット、
また台風や地震で災害を受けた国内外の各地域に献金できました。

感謝です。

今年もぜひご来場のほど、そしてこのような献金ができますよう
ご協力いただけますなら幸いです。

11月3日金曜日の朝10時からです。
ぜひぜひ。

当日円山野外音楽堂に行かれる方も、そも前にちょっと寄ったりしてみたりして・・・

わたし出会いを中心にするもんで

2006年10月27日 | 「生きる」こと
中古のCDを買いました。
河原町通りの今出川通り近くの「つだちく」という
センスのいい(音楽好きにとって)店で買いました。

好きなRAY BROWN含むトリオによるものを買いました。
好きなBLUE BOSSAを含むアルバムだったので・・・

聞きました。
トリオのはずなのにピアノの音しか出てきません。
しかも、明らかにピアノ2台分の音がします。

どうなってるの?

CDを取り出しますと

中身が違うじゃあないですか

でもね
いいんですよ。
その中身の違ったものが・・・

RAMSEY LEWIS と BILLY TAYLORが
見事に共鳴していて
ふかーい音楽を醸し出していまして・・・

うーん。

これ「つだちく」さんに言うべきか・・・
これはこれで
こういう出会いであったということで
しかもかなり嬉しいし

このまま中身の違うCDで楽しんでしまうか・・・

出会ってしまったからなあ
いまさら別れられないなあ

DJANGOが初めて聞くようなアレンジなんですよ
いいんよねえ。

うん
このままにしとこ!!

出会っちゃったんだからしゃーない!!

人間って?

2006年10月26日 | 「生きる」こと
月曜日、その友人夫婦を京都駅に送る途中で
東寺に寄りました。
都会のなかにああいうのんびり空間があるのはありがたい・・・


そこで真言宗の「人間」観を知りました。

人間とは「迷い」のなかにある存在を言うのですなあ。
決して「悟り」のなかにはないのです。
悟ったり堕落したりする「間」ということで「人間」。
そして
「天」と「地獄」の「間」にいるということで「人間」。
決してどっちかに入っているのではなくて
そう!中途半端なんですなあ。

地獄というのはよくわからんので
わたしの理解しやすいように

人間とは「天」と「地」の間の存在
この世界ともうひとつの世界の間の存在

ということなのではないかと
解釈しましょうか。

真言宗のプリント(10円でした)によると
さらに
人間とは人と人との間、生と死との間という
よくわかることも書いてありました。

わたし賛成!

キリスト信仰と分かち合える!

だから、真言宗との対話も
いずれできるでしょうなあ・・・
と期待!!!



血縁をこえた家族

2006年10月26日 | 「生きる」こと
今週は来客が続いて嬉しいかぎりです。
あ!今週も!ですが・・・

月曜日と火曜日の午前中にお忍びで来た友人夫妻と過ごせたのは
またまたあらゆる側面において有意義でした。
それは、もうひとつの世界で生きるという意味においてですが・・・

もうひとつの世界はあるでしょ!
それは、一般的に認識される世界から離れている世界ではなくて
その具体的世界の只中にあって
しかし、時間空間概念を超越していて
ただ出会うことにおいて出会う世界であって
でも明らかに一般認識における世界には混ざらないという
そういう世界

精神とか魂とかいろんな表現がされてきているけど
本当は適切な表現が見つからない世界

こういう世界を共有できる仲間
一般認識における世界の損得とか成功とか雰囲気を共有したり相談したりでなく・・・
端的で出会って端的にこういう世界を共有する仲間

この仲間が世界中のみんなに必要だとおもうのです・・・

そういう世界を極端に描くのは
シュタイナーとエンデかなあ・・・

わたし好きです。このふたり。

でももっといい表現もあると思っていて
それはわたしの生涯テーマとしましょうか・・・


こういう世界を共有できる仲間は、本当に家族になります。
血がつながってるとかつながっていないをこえて
端的に家族になります。

だから、たとえば血縁の家族がない孤独におそわれていたり
血縁があっても、もうひとつの世界が共有されない孤独におそわれていたり
(こういう孤独は原因がようわからんのでますます不安になってよろしくない・・・)
そういうときこそ、
もうひとつの世界を共有できる
つまり出会っているから出会っている
を無視しないところのものを共有できる
そういう仲間を探してみると
探しているときから嬉しくて

人生変わる


牧師だから断言させていただきます・・・

わたし
自分の歴史がそうだったから・・・

え?
わたしに家族になれって?
なりますとも。

いっしょに飯食って
いっしょにぼんやりして
でも「一緒」という情熱を味わう
くらいのことですが

わたしでよければ
いつでも。



非暴力なのだ

2006年10月25日 | 平和のこと
キング牧師のことば


*****************


ぼろをまとい
飢えた
神の子の大集団による
反乱に
出会った世界

東と西
白人と有色人
個人主義者と全体主義者との
対立に
引き裂かれた世界

文化の力と精神の力の成長が
技術の力の発展より
はるかはるか後ろに
遅れている

核による
全人類の破滅の淵へ
いつ突き落とされるのか
危険にさらされる
わたしたちが生きる
この世界

非暴力は
知で分析して
取捨選択できるものではなく
行動するべき
厳然たる命令

(「非暴力と社会改革」)

自由の道程

2006年10月24日 | 「生きる」こと
宇宙(せかい)がこんなに広くて
人類(れきし)がこんなに長くて

わたしがいる

宇宙のわずかも知らなくて
人類のわずかも出会わなくて

わたしがいる

宇宙のわずかも知らないわたしからのみ
宇宙を語る
わたしがいる

人類のわずかも出会ってないわたしからのみ
人類をかたる
わたしがいる

すべてのわずかも知らないのに
すべて知っているかのように
抽象をかたる
わたしがいる

すべてのわずかしか知らないから
わずかがすべてと思うから
理想をかたる
わたしがいる

すべてのわずかも出会ってないから
わずかがすべてと思うから
個人をかたる
わたしがいる

こんなちいさいわたしの語りから

自由になるのはいつなのか
自由になるのはどこなのか
自由にするのは誰なのか

終末なのか
神の国なのか
キリストなのか

希望なのか
愛なのか
信仰なのか

駄文

2006年10月23日 | 「生きる」こと
昨日の晩から我が家に泊まりに来てくれた大好きな夫婦があって
家族みんな嬉しくてしゃあないのですが・・・

昨晩は一緒にあの御池ラーメンの「さまた」に行きまして
夜のさまたはこれまたいい!
一品料理がどれも絶品!

蓮根はさみ揚げ
鴨のロースト
にしんなす
豚キムチ

などなど
もうたまらん!!

もちろんラーメンも絶品

居酒屋もいいけど
さまたで飲むのもいい!!

また行きますよもちろん。

だからお店やめないでね。

おかみさんが、うちの息子たちをかわいがってくれて・・・
ホッとする笑顔で応対してくれるおかみさんで・・・

京都在住の方は行ってほしいなあ。こういう店こそ。


本日は二条城に初めて入りまして・・・
これだけのものをつくった時にどれだけの民衆が犠牲になったのかなあ
なんぞ思いつつ・・・
しかし庭の芸術性には驚嘆!!

で、さらに驚嘆したのが
みやげやで買った酒粕アイス
これまた絶品!
純米吟醸の香りとミルクのコクがばっちり手を組んでいまして
しかもさわやか・・・


続いてからくり屋敷と呼ばれている小川邸へ。
築360年、今も12代目家族が生活しつつ
国重要指定文化財ともなっているその家を、
見学させてくれるのですが
子どもの頃に夢見たごちゃごちゃしつついろんな仕掛けがあって
とりわけ隠れたり逃げたりできる仕掛けがたくさんあって
楽しい楽しい!


小川邸のそばの蕎麦屋で鴨そばを食べまして・・・
これもうまかった。



久々の楽しい休日でありましたとさ!

おしまい。。。

出会い 触発の事柄としての

2006年10月23日 | 「生きる」こと
ぶつかるもの
こわい

ぶつかってくると
ふあん
ぼくがこわれるから
ぼくが立てない

ぶつかってこないと
ふあん
ぼくがこわれないから
ぼくが立てない

いまのぼくがこわれるのがこわい
いまのぼくがこわれないのもこわい

どっちもこわいけど
たくさんいのちがあって
いっしょに生きて
どうしても
ぶつかるから

いまのぼくはけっきょくこわれる
いまのぼくはこわれてあたらしくなる

あしたのぼくもけっきょくこわれる
あしたのぼくもこわれてあたらしくなる

けっきょく決まってる

みんなぶつかって
みんなこわれて
みんなあたらしくなる

けっきょく繰りかえす
けっきょくこれしかない

ここにも十字架

2006年10月22日 | 「生きる」こと
首が痛いんです。

若いころに頚椎の椎間板を損傷してしまいまして・・・

それが毎年この時期に
すーっと寒くなってくる時期に
痛むんです。
神経がぴりりと。

結局痛み止め飲んで首を引っ張るという治療なんですが
まあ、それで一週間もすればほぼ消えるので
今のところ安心なのですが・・・

将来、すばらしい手術方法が開発されていることを願うばかりです・・・



信じますよ。

アホなキリスト者として。

軟骨と神経の間に

キリストの十字架がある!!!

キリストは身体的痛みだってもちろん放っておかれない!!!


これぞ
パウロの言うひとつのからだの
逆読みなのです。

軟骨と神経も和解する。
弱い部分がいっそう必要。


痛えぇぇ

こっちもよかった

2006年10月21日 | 平和のこと
15日に開催された
教育基本法改悪反対の集会

とってもよかった

そうです・・・

日曜日なので参加できませんでしたが
会場に入りきれないほどの人が集まったとのこと。

マキタさんが写真をいっぱい送ってくれました。

お!いるやん
  おお!いるいる!
  うわ!いるいるいるねえ!

と、なじみある仲間たちの顔を見てまずは喜び・・・

  へー、こんなに子どもたちがおったん。
  赤ん坊もおるやん
  学生たちがたくさんいるやん
  おじちゃんおばちゃんようやるわなあ
  おじいちゃんおばあちゃん、こんな座りにくそうな椅子で大丈夫かいな

と、なんだかひとつの街がそこにあるかのような姿にめっちゃ喜び

  若者がマイクにぎってしゃべったんやねえ。
  おお、またも若者がマイクを
  おおおお!!またも若者ではないかいな
  おじさんもマイクを
  おばさんも
  おじいさんも
  おばあさんも

と、リレートークの画だけでも、その情熱が伝わってきましてこれまた嬉しくなり・・・

  ところで、マイク握っている人のどなたが
  講師の大内先生なの???

と、大内先生の顔をしらない私は、わからずじまいでもあり・・・

  なんじゃあこりゃ!二段ベッドかいな???
  なんじゃあこりゃ!仮装大会かいな???
  そんなに爆笑してなくても・・・
  しかしいい笑顔やなあ
  ところでおじいちゃん足腰はだいじょうぶかいな??

と、デモの楽しそうな画を見て、もうなんだか感極まって
勝手に涙を流しております・・・

行きたかった・・・
今度は土曜日とかにしよ!ね!


明日22日は中村哲さんの講演会があるんですが・・・
日曜日だから行けません・・・
残念・・・

しかし中村さん
礼拝どうすんねん??

と、ちょっといじわる言ってみたりしつつ・・・
でも半分本気で言ってみたり・・・

やっぱ中村哲さんのためにも
今度は土曜日とかにしよ!ね!

語り継ぎ

2006年10月21日 | 教会のこと
妻が広島教会が発行した冊子を持って帰ってきました。

『語り継ぐ―私の被爆体験―』
日本バプテスト広島キリスト教会
被爆六十年記念特別委員会編

です。

広島教会が貴重な奉仕をしてくださったことに感謝するしかないのです。

次世代の方々が丁寧に聞き取りして
文章にまとめているというもの。

よくぞ聞いてくださったし
よくぞ語ってくださった

と、感謝に耐えないのです。

高橋牧師が「まえがき」で
もう語りたくないという被爆者の方々の思いもあった・・・
ことを告白してくださってます。

でも、その思いを断ち切って
次世代のために
世界のために

そして
キリストのために

語ってくださった・・・
という出来事が起こったのだと思いました。

最も悲惨な記憶を今一度想起し語る・・・
ということを
信仰告白というのでありましょう。

信仰とは主に従う決断でして
それは十字架のもとに立つ決断でして
つまり悲惨な記憶を現在化するという
まさに十字架の決断だから・・・

そういう告白は
信仰告白
なのです。


そして被爆者と聞き手の対話と交わりも信仰でしょうし・・・
そもそも教会全体がこの作業に一致したことも信仰でしょうし・・・


貴重な冊子を残してくださったことにただただ感謝なのです。


そして
すべての教会がこれをしたらよかった・・・
と思いました。

被爆者でなくとも、戦争体験者は各教会にいるのですから・・・
次世代が丁寧に聞き取り
それは祈りから始まる信仰の対話であり
そういう対話から信仰告白としての証言という出来事を
日本の教会全体で体験する・・・

ということをしたらよかったなあと・・・

60周年はチャンスだったなあと・・・

しかしこれは教会でどれだけ信仰に生きる決意をしているか
キリストに従う決意をしているか
という問いにもなるわけです。

教会関係者にはよくわかるはなしだと思いますが・・・
そういうところがある意味成熟していないとできない作業です。

これは教会の記念誌でも同じことだと思います。

ただ紙を配って
それにみんなが好きなように思い出を書いて
写真と年表を入れる
というのだったら出来るでしょうが・・・

歴史の中の思い出したくない悲惨な記憶を想起する
なんてことはでてこないのでありまして・・・

ここはキリストの十字架の前で生きるか生きないかという
決断と密着した事柄なわけです。

おそらく今後記念誌等を編集する教会がどんどん出るわけですが
そこで教会のそれまでの本質が暴露されるということでもあり・・・

これは実は教会にとってチャンス・・・
つまり信仰告白のチャンスなのだろうなあと
期待するのでもあります。



戦争体験者に対する聞き取りという作業は
むろん信仰告白の分かち合い、対話ができる教会の交わりを
同時にやっていくということですが・・・

戦後60周年は、ラストチャンスだったのかもしれません・・・
次は、このような
いっせいのせ
というチャンスではなくて
個々の事情のなかで個々のチャンスを見つけていくという
なかなか大変な作業になるのだろうと想像します。


広島教会の冊子は優れた歴史記念誌のモデルであると思いますし
そのプロセスも優れたモデルに違いないと
勝手ながら想像しております。


しかし
すごいなあ
広島教会

・・・

よかったよかった その2

2006年10月20日 | ホームレス支援のこと
まだ続いているんです。

切った後に「よかったよかった」
って言ってしまう電話が・・・


―元気でやってます。
と自立した元ホームレスの仲間から・・・
よかったよかった。
来週会えることに・・・

―炊き出しのボランティアに参加したいのですが・・・
と近所の女性から・・・ブログを見てとのこと・・・
よかったよかった

他、公にできないことが2件
こちらも
よかったよかった

感謝感謝。




今から市役所前炊き出し!!

行ってきまーす。


よかったよかった

2006年10月20日 | 教会のこと
このかんの電話はいつもとちょっと違ってびっくり。

お話が終わって
電話機を置いた瞬間に

「あーよかったよかった」

と言ってしまう電話が続いたのです。

-退院しました。
よかったよかった。
-電話できるくらい落ち着いてきました。
よかったよかった。
-ちゃんと会えました。
よかったよかった。
-平和集会成功しました。
よかったよかった。
-バザー手伝います。
よかったよかった。
-バザーに献品します。
よかったよかった。

などなど。
どれもそれ以前の深い困窮があったことたちです。
紹介できない生々しいものがあって
それまたアーメンなんですが、
それはご勘弁を。

梅雨の時期からずっと

「神さま頼むぅぅぅ」

と言うしかなかった電話が続いてました。
そして今週急に「よかったよかった」が連発して・・・
単純に嬉しいのです。

京都教会の特徴は
平日、教会員以外の人からの電話と訪問が多いことだと思います。
様々な市民運動にかかわり続けている教会だからこその事でもあると思いますが、
地域での認知度はものすごいものがあります。

しかし
たやすいことではありません。

でも教会のメンバーでひとりでも
こういうことを祈ってくれる人がいたら
がんばれるもんでもあって・・・

先日、そういう大変さを祈ってくれた人がいて・・・

救われたぁああ

執り成しの祈りをもってキリストとつなげてもらう・・・

感謝感謝なのです。



「よかったよかった」
が続いたことが重なったものだから
なんとも特別な週になっております。

感謝感謝なのです。


アーメン

ただの家族日記

2006年10月17日 | 「生きる」こと
最近の憐くん(1歳5ヶ月)は
空にいちゃん(小2)にべったりです。
わたしが抱っこしようとしても空にいちゃんから離れません。


夕食まで待てず、パンにジャムをつけて食べていた空にいちゃんは
とってもあたりまえに
憐くんにわけわけしながら食べてました。

こんな光景だけで涙ぐむわたしです。


空くん、なぜかトイレでくつしたを脱ぎっぱなしでした。
なぜ????

その憐くんが綿棒をぜんぶひっくりかえしました。

-だれだぁ こんなとこに置いてるやつはぁ
と、わたし。

-ごめんごめん
と、妻。

しかし、間髪いれずに

-ちがうよ、オレだよ
と、共くん(年長)。

-えっ
と、妻。

-そうかそうか、憐の手の届かんとこでよろしく
と、わたし。

共くんはなぜかあいかわらずこんなんですが・・・
そんなに背負い込まなくても・・・
やさしすぎるヤツでして・・・


で、妻の若菜さんは
今週から東九条の「まめもやし」のスタッフです。

わたし、えらい人をパートナーとしてるなあと、年々感じております。

4人子ども産んだら、手助けの必要な人にかかわる!
と、宣言して
4人産まれて
なんと不思議と
まめもやしのスタッフの人から
「誰かスタッフしてくれそうな人紹介してくれない?」
と聞かれて
「わたし!」
となったとのこと。

考えていることがひとほりもふたほりも深いし・・・
安定した精神で淡々とどんな人ともかかわるし・・・
オルガンとか手話とか、必要となった時点でがんがん学んでものにするし・・・
体力あるし・・・
よう祈るし・・・
友達多いし・・・

こんなんだから
わたしの妻依存症がなおらんのですが・・・

この機会に
なんとかなりそうな気もしてます・・・

え?
添くん(4才)ですか?

今日もマイペースですがな。
強烈な安定度ですがな。

わたしは
治療中の歯がズキズキしていて・・・
元気です。。。

いじめの循環

2006年10月16日 | 「生きる」こと
世界でいちばんつよい人
手下の国に命令し
やらなきゃ
報復しちゃうのです
できなきゃ
いじめてしまうのです

国でいちばんつよい人
手下の公務員に命令し
やらなきゃ
処分しちゃうのです
できなきゃ
いじめてしまうのです

会社でいちばんつよい人
手下の会社員に命令し
やらなきゃ
首にしちゃうのです
できなきゃ
いじめてしまうのです

手下でそれなりにつよい人
それなりによわい手下みつけては
いじめられた分
いじめてしまうのです

手下でそれなりによわい人
身近な子どもみつけては
いじめられた分
いじめてしまうのです

子どもでそれなりにつよい人
それなりによわい子どもみつけては
いじめられた分
いじめてしまうのです

子どもでそれなりによわい人
目の前の手首みつけては
いじめられた分
いじめてしまうのです

いじめられた分
いじめる相手もなくなって

いちばんよわいわたしなんか
死んでしまいたいのです。


この世界
つよけりゃよくて
よわけりゃだめなのです


こんな世界
いやなのです


もうひとつの世界
希むのです

もうひとつの世界
よわいのがつよくて
つよいのがよわいのです

もうひとつの世界
どこかにいつかに
あるのです

いまもここに
あるのです


************************

福岡の前原市でのいじめと自死を受けて・・・

ショックです・・・
アーミッシュの「ゆるし」を想像するより
自死した子の親があの先生をゆるす「ゆるし」は想像するのがむずかしい・・・

ますます不可能の度合いが大きくて・・・

「いじめ」とは

自分より弱い立場にある者を、肉体的・精神的に苦しめること。(大辞林)
わざと苦しめたり、困らせたりすること(新レインボー小学国語辞典)


マスコミやネット上の言論を見ると
気持ちはすごくわかるが
その先生に対するいじめという性質をはらんでいないか・・・

いじめの連鎖は止めたい・・・