今週の週報巻頭言です。
他の記事を書く時間がなくてすみません・・・
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「キリストの十字架の物語」
キリストの十字架といえば、
私たちは毎年イースターの前の週、つまり受難週に、その物語を聞きますが、
しかし同時に、
その週のみならず、日々の各々の生活の中で、
キリストの十字架の物語はいつも中心を占め、
その十字架ゆえに、極めて個々の自由な物語が、ひとつの身体としてつなげられていることを、
常に確認できることは幸いです。
去る17日、私たちは阪神淡路大震災から14年を迎えました。
私は世の中において、この間に大震災の語り方が変化していることに心を留めます。
おそらく当初は災害の規模や全体像を数字や映像で語るケースがほとんどだったと記憶します。
しかし、今は災害における個々の物語がそれこそドラマチックに語られます。
その個々の物語は、親や子、友人などの死であり、また、家や仕事、仲間を失った出来事です。
つまり今私たちが知るのは、
大震災とは、
ある人にとっては、父親の死であり、
またある人にとっては娘の死である・・・
という事実です。
そしてこの個々の物語の表現しきれない困窮の中に、
キリスト者はキリストの十字架を発見することでしょう。
すると、
「私の苦しみがどうしてあなたに分かるのか?」という互いの困窮を知り、分かち合うことを拒絶する問いを超えて、
十字架を信じるゆえに、
共に担い生きることが起こされます。
これは大震災のみならず、
63年前までの戦争や、
昨今の金融恐慌や派遣切りなども同様です。
つまりいずれも個々の物語の集合体です。
私たちがかかわるホームレス支援でも、
当事者個々の物語を聞き、
それが積み重なり絡み合う中で生まれ出るかたちで、
私たちは十字架を発見するゆえの言葉を与えられるのでありましょう。
無論、教会における信仰共同体もそうです。
そこでは歴史において教会に集う個々の物語がたくさん語り継がれる中で、
それぞれのキリストの十字架を覚え、その栄光を讃美します。
そして十字架ゆえにつながる事実に感動します。
教会の歴史とは、
それぞれの時代の企画や制度や人の名前ではなく、
それぞれの時代の企画の中で起こったことが、
その時と同じスピードで語りなおされる物語や、
その時のみんなの顔や発音が鮮明に思い起こされ語られるというものです。
この物語再生こそ、
(これを証!というわけですが!)
キリストの十字架を信じることによる具体的な幸せです。
この物語再生こそ、
神の愛です!!
他の記事を書く時間がなくてすみません・・・
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「キリストの十字架の物語」
キリストの十字架といえば、
私たちは毎年イースターの前の週、つまり受難週に、その物語を聞きますが、
しかし同時に、
その週のみならず、日々の各々の生活の中で、
キリストの十字架の物語はいつも中心を占め、
その十字架ゆえに、極めて個々の自由な物語が、ひとつの身体としてつなげられていることを、
常に確認できることは幸いです。
去る17日、私たちは阪神淡路大震災から14年を迎えました。
私は世の中において、この間に大震災の語り方が変化していることに心を留めます。
おそらく当初は災害の規模や全体像を数字や映像で語るケースがほとんどだったと記憶します。
しかし、今は災害における個々の物語がそれこそドラマチックに語られます。
その個々の物語は、親や子、友人などの死であり、また、家や仕事、仲間を失った出来事です。
つまり今私たちが知るのは、
大震災とは、
ある人にとっては、父親の死であり、
またある人にとっては娘の死である・・・
という事実です。
そしてこの個々の物語の表現しきれない困窮の中に、
キリスト者はキリストの十字架を発見することでしょう。
すると、
「私の苦しみがどうしてあなたに分かるのか?」という互いの困窮を知り、分かち合うことを拒絶する問いを超えて、
十字架を信じるゆえに、
共に担い生きることが起こされます。
これは大震災のみならず、
63年前までの戦争や、
昨今の金融恐慌や派遣切りなども同様です。
つまりいずれも個々の物語の集合体です。
私たちがかかわるホームレス支援でも、
当事者個々の物語を聞き、
それが積み重なり絡み合う中で生まれ出るかたちで、
私たちは十字架を発見するゆえの言葉を与えられるのでありましょう。
無論、教会における信仰共同体もそうです。
そこでは歴史において教会に集う個々の物語がたくさん語り継がれる中で、
それぞれのキリストの十字架を覚え、その栄光を讃美します。
そして十字架ゆえにつながる事実に感動します。
教会の歴史とは、
それぞれの時代の企画や制度や人の名前ではなく、
それぞれの時代の企画の中で起こったことが、
その時と同じスピードで語りなおされる物語や、
その時のみんなの顔や発音が鮮明に思い起こされ語られるというものです。
この物語再生こそ、
(これを証!というわけですが!)
キリストの十字架を信じることによる具体的な幸せです。
この物語再生こそ、
神の愛です!!