きぼう屋

生きているから生きている

色々

2008年07月07日 | 教会のこと
昨日の礼拝は
ふるさとに帰ったり
旅行に行ったりで
礼拝に来られない仲間(教会家族)が
たくさんいました

この間
研修会や青年主催礼拝など
イベントが続いたので
それが終わった昨日に
みんなのいろいろが集中しました

逆に言うと
教会の企画にみんなで取り組むことができるようになった
ということでもあり
お休みが多いという現象の礼拝の大きな意味に
感謝するしかありません

他の地へ行かれている人が多いことは
あらかじめわかっていたので

今日はちょっと少ないな

決め付けていましたが

いえいえ
そんなにいつもと変わらず
不思議でありました

また
各地に散っている仲間たちが
それぞれの土地の教会で
礼拝を守っている
ということが
なにしろ嬉しいし

当教会における変化が
よくわかるひとつの現象でもあります

札幌教会のUさんから
当教会家族のYさんが来られたよ
というメールを頂きました

こういうつながりは生きる力に
即なります

感謝


はじめて礼拝にこられたNさんは
かなりしんどそうでしたので
今日もたくさん祈ります
神さんがついています


昼食当番は壮年会でした
なんとうなぎ丼

うなぎのみだとコストがかかるので
さつまあげをうなぎのたれで煮たものと
うなぎをのせるという
逆にくどくなくておいしい
という一品でした

抗菌剤は使われていないとのことで・・・


そういえば
当教会では研修会のときに
壮年会
という名称が変だねえ
という話がでまして

ごもっともでありまして

旧婦人会はとっくに女性会と名称変更しておりますが
壮年会も同じ問いを受けているわけでして

どうなることやら

わたしも壮年会のメンバーなので
会のテーマとして提案しようと思っております

壮年会といえば
次回からJさんが
いよいよ壮年会のメンバーとなってくれるようで
うれしくなにより

月一度の例会出席者が
壮年会もどんどん増えて定着しているので
もう部屋に入りきれなくなりそうです
うれしい悲鳴なわけです




昨日
我が家の長女
言が礼拝デビュー

たぶん言がデビューするだろうからと
アキラちゃんも久しぶりに来てくれました

昨日は本人に伝えましたが
あたしゃ毎日祈っております
ティーン時代は
ほんと大切な時代だから

また

アキラちゃんご一家から
心のこもった寄せ書きと
かわいい服を頂戴しまして
恐縮しつつも
嬉しすぎて顔がゆるみます


さて

今日は炊き出しです

もうボランティアが来てくれていて
準備を始めてくれています

ウチのボランティアのみなさんって
ほんとステキなんですよ

では
わたしもいってきます


ことば

2008年07月07日 | 教会のこと
 今週の京都教会週報巻頭言です。

********************

「ことば」

金曜日の朝日新聞朝刊に、
京大で開催されたフォーラムの講演要旨が載っていました。

講演者はフランスのドビルパンさん。
イラク戦争開戦直前の国連安保会議で、
戦争反対の演説をされ、
国連の会議では異例の大拍手が起こったという、
あの方です。

今回、彼はこう言います。
「言語の画一化は人類の死である」。
言語はそれぞれの共同体のことでもあり、
その画一化は人類の生命そのものである共同体が消えることであり、
つまりは人類の死でもある、
という論のようです。
(新聞による要旨によるならば・・・)

教会に生きる私たちはよくわかります。
共同体なる教会が、
即いのちであり、
その共同体の中身、
つまり、
「共に」という出来事、愛や希望、そして「キリストの体」
が消えることは、
人類、あるいは世界の死であるということは・・・。

今回この記事を読んで、
わたしは「聖霊」を思い起こします。

聖霊による業は、
言語が通じ合うことでいのちをつなげることではなく、
言語が通じ合わないのにつながり分かり合えた
という奇跡でした。

つまり逆にいうなら、
聖霊を与える神は、
言語の画一化を望むはずもなく、
さらには、
言語で論理的に一致することでつながった
という思いがどれだけ欺瞞であるかということも、
神は聖霊を通して
私たちに教えているに違いありません。

人間の言語に対する過剰な信頼は禁物だと思います。
同じ発音の言葉を互いに用いるとしても、
その言葉が個々人それぞれの中で形成されてきた
歴史、経験が
「ぴったり」
一致することはなく、
実は私たちは
「だいたい」
で分かり合っているに過ぎないことを、
大前提として知るべき!
と思わされます。

そして私たちが本当につながるのは、
ただキリストにおいて!であり、
キリストによる赦し、救い、和解のみ!であり、
聖霊の本当の業によるのみ!です。
つまり
神の言によるのみ!です。

キリストを、聖霊を、神を、受けること、
すなわち神の言で生きることがゆるされていることにこそ
私たちの幸いな歩みの秘密があります。

神の言を共に受け続けましょう。
赦しと救いと和解を祈り続けましょう。
他者を覚え続けることばを頂き続けましょう。