きぼう屋

生きているから生きている

係り決め

2008年07月15日 | 「生きる」こと

会議から帰ってきましたら

若菜さんがうれしそうに報告してくれました

子どもたちな
次の赤ちゃんが生まれたときの係りを
一生懸命決めてたんよ

とのことで・・・

わたしはとっても自然に

わが子たちよ
女の子が生まれたことやし
次の赤ちゃんはないやろ

と言って

ねえ若菜さん


同意をもとめましたら


うーんどうかなあ

という応えが帰ってきました!?!?!?


さらに

こればっかりはわからないねえ

ということでした!?!?!?



輪をかけて嬉しそうに

次の赤ちゃんが生まれたら
空くんがその赤ちゃんの係りで
共くんが言ちゃんの係りになることが決まったよ

と報告を続けてくれました


わが子たちよ
わかっていたことだけれども
あんたたちの母さんは

想像をはるかに超えて

ただものではないのですぞ


いやいや
しかし
経済的にねえ

なんていうわたしの言葉は
もみがらのごとく舞ってしまっておりました


かなりびびっておりますので
もう今日はこれにて寝ます

ではでは



胸張って

2008年07月15日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です


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「胸張って『キリスト』」

秋葉原の事件が頭から離れません。
あの事件からみえる社会的、時代的背景は、
他人事ではないから・・・。

多くの他者の生命と歴史と将来を、
トラックやナイフで奪った彼ですが、
その彼が、
もはや彼自身でなくなるという、
つまり狂気となったワケとして、
いくつか言われています。

ひとつは、彼は孤独だったと言われます。

彼は、家族も友人も、コンピューターで文字でつながる仲間も、
もはやいない!
と信じ、
また、誰にも覚えてもらえない!
と信じてしまっていたかもしれません。

自分が覚えられ、覚えるべき他者をも失った!
と信じてしまうということは、
人間が狂気となるには実は十分な条件でもあると
わたしは思います。

私たちの最大の敵は、
もしかしたら
私たち自身の人格を殺し、実質的な死へと陥れるところの
孤独なのかもしれません。
孤独という他者の喪失、愛の消失なのかもしれません。

そしてこの最大の敵である孤独は、
今や世界征服をも企むようです。

悪しき意味での自己責任論から
後期高齢者制度や障害者自立支援法などができることなどは、
孤独の世界征服のひとつかも知れません。
聖書的にいうなら、
サタンはこうして、
あたかも正当な顔をしているかのようにして、
世界に入ってくるわけです。

だから、キリスト者は、
孤独であると信じている世界の人たちに、
(それはおそらく実は極めて身近にいるわけですが、
もしかしたら自分自身なのですが、)
そういう彼らに、
信じるべきは孤独ではない!
信じるべきはキリストだ!
その愛だ!
絶対に孤独にはさせない聖霊の力だ!
と、胸を張って堂々と言うことができるだろうし、言うべきだと思います。

ふたつめには、彼は大きな事件を起こして注目されたかったと言われています。
これは孤独の裏返しでしょうが、
注目への飢えも現代の病です。
みんな他者に注目してもらいたいし、そういう有名願望は益々強まります。

しかしキリスト者は、
有名になり注目されたいと思う彼らに(自分に)、
キリストがいつもあなたに注目し、キリストにとってあなたは有名だ!
と、胸を張って堂々と言うことができるし、言うべきだと思います。

きっとこれが証というものであり、
また伝道なのだと思います。

こういう時だからこそ私たちも、
胸を張って!
キリストを信じていきたいと願い
そのゆえに祈りたく願います

主よ!
信仰をください!

アアメン!


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実はこの倍のことを書いておりまして
到底週報の枠に入らないので
半分のみを今週載せました

後半はまた後々の週報で