きぼう屋

生きているから生きている

101

2015年07月10日 | 聖書を読んでみました
今週の日曜日。
次男君のサッカー部が区内大会で優勝して家族で盛り上がって、
みんなでウキウキしながら眠りについた夜中。

祖父が召されたという連絡が入る。
101歳。

わたしにとって、おじいちゃんであると同時に、人生の先生だった人。

朝日新聞で記者として活躍し、
引退後は鹿児島にテレビ局をつくった人。

高校時代、我が家から徒歩5分のところに引退したおじいちゃんは住んでいた。
学校から家には帰らずにおじいちゃん家に帰り、いろんな話をさせていただいた。

とにかくスポーツ好きな人だったから、その手の話は盛り上がった。
政治の話、経済の話、俗な話、なんでもピンピンとはじけながら会話が進むのが楽しかった。
なにしろいいときの朝日新聞の人だから、
私の立ち位置がそこで決まったと言っても過言ではない。


でも、困ったときに親身になってくれるのがなによりありがたかった。
あの時間でだいぶ救われた。

わたしの今の子たちとの向き合い方は、なんかおじいちゃんに似ているなあと思っている。

参考書代をもらったっけ。
友人や彼女と遊びにいくお金も助けてもらったなあ。

おばあちゃんの葬儀のあとに聞いた思い出話に、ひとつひとつ意味が込められていて感動した。
私が司式をしたもんだから、式の前にそこまで話してもらいたかったよ、なんて言った記憶が。

おい!わしの葬儀も頼むぞ、と言われて、もちろん!と、固く握手をかわした。
のに、
その約束を果たせなかったのは申し訳ない。

月曜日
長男くんが修学旅行に出かける日。
早朝にひいじいじが召されたと伝える。
彼は静かに涙を流しつつ旅行に出かけた。

長男はいないし次男は市内大会に向けた練習があり、
わたしは、仕事で、この2、3日でどうにかしないと家を失うという人とかかわっており、
かけつけることは断念する。

いつか子たちと丁寧に墓参りをして、ひいじいじのことをいっぱい伝えよう。

この間はどうしても当時のピンピンにはねるじいさんではなくて、
なんでもいい感じで忘れるじいさんだったから、
相談したくてもできなかったけど、
本当は相談したいことだらけだったんだよなあ。

そのあたりは天国で、ということで。

おじいちゃん、ありがとう。。。またね。