きぼう屋

生きているから生きている

課題

2006年12月29日 | 「生きる」こと
今朝の京都は雪

昨晩の冷え込みは今年初めて「冬」を感じさせるもの
その晩街を歩いた

大阪での会議を終えた帰り
梅田と河原町の
今年の仕事を収め
仲間たちと飲んで別れるという場面をいくつも見る
-また来年もよろしく
-よいお年を

互いの眼を確認しながらのやりとりもあれば
ただただテンションでやりとりしてるのもあり
その人たちの物語を勝手に想像しながら歩く

なぜか寂しい関係を想像してしまう
実はつながっていないのに
互いに演技している関係
でもその演技が生きる必須になっている関係

冷え込みがそういう想像を導くのか
経験がそういう真実を拾うのか

演技の中につながりの真実味を求めるしかないのか
というような結論も抱きつつ
演技を放棄するこの時代のこの世界のつながりを
思い描けない自分の寂しさと
しかし
天のおとんから見せられるという希望をごちゃまぜにして

Birdlandを聴く

いい曲だ

いい曲が心にしみつつ
明るく自分の冷たさを眺める

演技の関係をことごとく切っていく冷たさ
演技でつながる中から互いに演技から解放される道を選びきれない冷たさ

来年のテーマを
冷え込む街からもらった


一気に

2006年12月28日 | 「生きる」こと
クリスマスのざわざわが過ぎ去りまして・・・
教会のプログラムはどれも落ち着いた賑わいで祝されました。
感謝感謝。
初めて教会に来てくださった方もたくさんいて
こちらも感謝感謝。

青少年の讃美は横文字の歌詞で
ホイットニーヒューストンが歌いそうな曲で
なんとも大変だったと思いますが
かたちになるではないですか。
感激。感謝。

持ち寄りの昼食パーティは、今年もにぎやかで
どんなにたべてもたべきれない。
夜のキャンドルサービス前後のごはんにもなり、
次の日のための弁当にもなり・・・

ビンゴ大会は、
最初にリーチした人が一番最後になったというドラマがあって・・・
それはともくんだったわけですが・・・

クリスマスのメッセージは
クリスマス礼拝とキャンドルサービスの2回でひとつという構成にしました。
テーマは「命」
生まれ、生き、病み、老い、死ぬ「命」

70分のはなしを二つにわけたかたちでそれぞれ独立させたものでした。
中身についてはおいおいこのブログでも紹介できればと願っています。

今年は、教会の仲間との歩みの中で、老いと病み、死を考えさせられた一年でした。


24日の教会のプログラムが終わって、その夜。
寝言を言うのです。
1歳半のれんくんが。
最近、すこしづつおしゃべりできるようになってきたのですが
するともう寝言と来たモンでして・・・

それが楽しそうな寝言で・・・
きゃっきゃッ言ってまして・・・
きっとクリスマスに子どもから大人までたくさんの人が教会に来て
相当楽しかったのだろうと思いました。

しかしそのれんくん
翌日は発熱でお休み。
妻は「まめもやし」で仕事だったので、
私と、冬休みになったそらくんで、れんくんと一緒にいました。

午前中は、おっぱいがないので泣きまくったれんくんでしたが・・・
泣きまくったら寝てしまいまして・・・
そして起きたら元気になってまして・・・
3人で自転車でおでかけ。

周さんちの餃子を食べに行こう!
となって行ったのですが・・・
そうでした。お休みでした。聞いていたのに忘れてました。

仕方がないので、すぐそばのカナートで昼食。
でも楽しかったです。
れんくんがショーケースの中のソフトクリームを見て、
それを取ってたべる真似を繰り返してまして・・・
そらくんと
「買ってあげようか」なんて相談しまして・・・
「でも俺もう食えないしなあ・・・余ったやつ手伝えないよ」
っていうそらくんのコトバで買わないという結論にいたりました。

その後、養正小学校前の公園で遊びました。
れんくんはひとりですべりだいにのぼってすべるのを繰り返していましたが・・・
こっちはひやひやでした。
すべりだいをすべって、さらに地面もすべってやっと止まるという
豪快なすべりだったので・・・

そらくんとは、おちてた軟球でキャッチボールしましたが、
やっぱ上手いですなあ。
腕のしなりがかっこいいです。

さてさて
25日の朝はみんな飛び起きました。
サンタがプレゼントを置いていったからです。
ベランダの窓にお手紙と靴下を貼り付けた息子たち。
それにサンタが応えてくれて大興奮。
サンタさんありがとう。。。
父さんのわたしは、今年もサンタさんを食卓に招くのに失敗してしまいました。
ごめんなさい。

本日は(もう昨日ですな)朝のうちにそらくんが強烈に勉強したので・・・
(よく2時間も集中してできるよなあ・・・なのに通知表は・・・)
それがおわって10時半ごろ、自転車でぶらつきました。
すると、ペスタ(息子たちの通う保育園)の子どもたちと川端どおりではちあわせ。

なぜかそらくんは、照れてしまって自転車を激しくこいで逃げ出します。
でも「そうくんのおとうさん」「れんくんのおとうさん」
というかわいい叫び声に、
わたしは「おーい」と手を振りながら、
しかしそらくんに追いつくように逃げさるという
変なおじさんになってしまいました。

そしてそらくんは加茂川と高野川の合流地点の三角州の公園に行きたいということで、
そこで自転車をおりて川を眺めていました。
ら、
やってくるではありませんか。
さっきのペスタの面々。
「おーいパパ」
と、ともくんにそうくん。
「おーい」
「そうくんのおとうさん」
「おーい」
「パパ」
「おーい」
といった感じですが、「パパ」と呼ぶ声には明らかに息子ではない声も。
こういうのうれしいです。
はいはいパパになりましょう。いつでも。

でもやっぱりそらくんは照れて、
わたしの腕にしがみつきっぱなし。

この公園は、井筒監督の「パッチギ」の最後の派手な喧嘩をする場面の舞台になった場所。
この「パッチギ」にはウチのそばの「よしや楽器」も出てて、
その楽器屋の主人の孫とそらくんが同じ小学校の同じクラスで友だちで・・・

で、
先週、たまたまその井筒監督の「ゲロッパ」のDVDが中古で激安であったので買ったのですが、
これはジェームス・ブラウンでもって家族がつながるという不思議であたたかいストーリーなのですが、
その次の日に、なんとジェームス・ブラウンが亡くなるという・・・
なんとも・・・

で、
本日夜は(もう昨晩ですな)年末感謝祈祷会。
主の晩餐式をする祈祷会ですが・・・
その前に一年を振り返っての証しを分かち合い
いつものことですが、証しってのは感動し・・・
あまりに感動して主の晩餐式を忘れて終わろうとしてしまい・・・
「あ!、主の晩餐式忘れてる!」
ということで、
なんとも楽しい主の晩餐式になりました。
ひとつのパンをみんなで割り、
ひとつの杯からみんなでわけるという、
そういう晩餐式をする年に二回の貴重な時。
緊張感にかけたほのぼのとして晩餐式になってしまいまして
大変申し訳なく・・・
しかし、このほのぼのが楽しくて・・・
実はこっちがいいのかも・・・

しかしごめんなさい。

今度の日曜はキサキさんの信仰告白とバプテスマ式。
なにしろ嬉しい。

数日分いろいろと報告して長くて
ほんとにすみません。



クリスマスのご案内

2006年12月24日 | 日本バプテスト京都教会のお知らせ
日本バプテスト京都教会の
クリスマス企画!!!!!

24日まではこの記事がトップにあります。
しかし、この下にいくと、更新された記事がありますのでどうぞ。


12月24日(日)
<クリスマス礼拝>朝10:30~
<クリスマスパーティ>昼12:00~
<キャンドルサービス>夜6:00~


クリスマスに
お招きさせていただきます。
お待ちしております。
これを見ているみなさまを!!

私はもちろん
教会が
キリストが
愛が
平和が
希望が

お招きし待っています。

いっしょに同時代を生きる仲間だから・・・

他に理由はいらないから・・・

イエスさまがみんなをぽかぽかにするために生まれるとき
一緒にぽかぽかいのちを味わいたいです。

昼のパーティでは交換プレゼントがあります。
500円ほどのプレゼントをご持参いただけるとうれしいです。

ぜひぜひご自由にお越しくださいませ。



↓こちらは無事終わりました。
 たくさんの子どもたちとほのぼのすごすことができました。

12月17日(日)
<子どもクリスマス>

午後2時~3時半です。
うたとおはなしのクリスマス礼拝
みんなでわいわいおかしづくり
最後はサンタのとうじょうだ!
というような感じです。




昨日と今日の出会い

2006年12月21日 | 教会のこと
昨日のこと
長男の友だちがウチの駐車上でたたずんでいるのを発見。
ウチの長男が帰ってくるのを待っているとのこと。

「今日は4の段と5の段やし、すぐ終わるやろ」
ウチの長男は九九の残り勉強をやってから帰ることが判明。

「じゃあもうしばらく待っててな」
「うん」

ということで私は執務室に戻ってクリスマスのための事務作業。
息子もすぐに戻ってくると思ってました。

ピンポン
それから2時間たった5時すぎ
息子が帰ってきました。
「ナガタくんと遊んだ?」
「え?」
「え?って、待ってたでしょ!」
「学校で残り勉強したあと残り遊びしてきた」
「ナガタくんとは会ってないの?」
「会ってない。来てたの?」
「来てたよ」
「うそ。約束してないのに。だったら早く帰ってくればよかった。ナガタに電話してくる」

というわけでした。

てっきり長男が帰ってきて一緒に遊んでいると思っていまして・・・

大後悔。
一緒に私が遊んでいればよかった。
事務作業なんか後回しでもよかった・・・
私のしたいことであって、また職務であることは
つまり牧師ってのは
こういうどういうかたちであれ
独りの人がいたら一緒にいることなのに・・・

やっぱ牧師は事務作業とかしてはいかんねえ。
と言っても、
日本の教会では、牧師が何でも屋になるしかない状況なのですが・・・

次の時は、
事務作業がやるべきときまでにできなくても
一緒にいるぞ!
と決意。


本日のこと。
イギリスに留学しているユミちゃんからクリスマスカードが届きました。

楽しくやっているけれども、同時にさみしい思いがあることも
文面から伝わってきて思わず涙。。。

「教会のみんなの顔が浮かんできます。会いたいー」
という文字が特別にこっちに飛んできました。

僕らも会いたいよー。
いつも祈ってるし、いつもユミちゃんの顔が浮かびっぱなしですよ。こっちも。

僕らは不思議と、地理的に遠い地に長く行くと
それ以前は予想もしていなかったようなしんどさを知って
さみしくなったり卑屈になってしまうけど・・・
そんなときこそキリストが地球全部をつなげてしまうのだー

と信じています。

こちらからのクリスマスカードは例年どおりで、
1月下旬になる模様です。
今しばらくお待ちください。

これはユミちゃんのみならず、みなさんへのお詫びとご報告です。

あとそうそう
ユミちゃんがイギリスに行ったあとに
青年が3人ほど増えておりますよ。
みんな明るくて「いいやつ」たちです。

帰ってきたらみんなでおいしいもん食べにいこ。

クリスマスはもうひとつの世界の約束

2006年12月19日 | 教会のこと
12月17日の教会の週報巻頭言です。

***********************


 いよいよクリスマス企画のスタートです。本日午後は子どもクリスマス。先週の火曜日には地域の二つの小学校前でチラシを配布しました。いい顔で受け取ってくれました。子どもと出会う奉仕に加わってくださった方にとりわけ感謝。ただ「宗教」のイメージが悪い時代で、周囲の大人が教会への出入りを認めないことも多々あるのが残念です。子どもではなく、子どもを迎えに来た親御さんから間髪入れずに「宗教にはかかわりません」と言われるは、いつものことだけどやっぱり堪えます。でもこれは今に始まったことではなく、聖書が書かれた時代からそうでした。
 つまり、本物の愛と希望と平和は、いつも追いやられています。
 ではこの世界はそれらを追いやって何をしてるのでしょう?それは、自分とその周囲が生きるため、世界の全体幸福(宮沢賢治の言葉)ではなく、狭い周囲の幸福を求めるばかりに、次第にその時代の権力(今は経済強者であることが多いですね)に従うということではないでしょうか。
 すると、そういうのに抵抗し、本物の愛と希望と平和を語り、全体幸福を語る「宗教」と呼ばれるキリスト教会は、逆に狭い周囲の幸福にとって邪魔になるから、いつの時代も迫害されてしまうようです。現代では、情報によって「宗教」のイメージをおとしめることも行われています。
 一昨日は教育基本法が変えられてしまいました。世界全体幸福のための個人教育から、日本という狭い周囲の幸福のための集団教育へと変わります。すると、顕著に権力者が子どもに命令するというかたちが、新しい法の中で語られておりまして、このあたりはこれからも気をつけておくべきところです。
 しかし、この只中にもクリスマスは来ます。それは主イエスが最後の最後の抵抗者として、全世界のすべてのいのちが幸福になることを願うからです。狭い範囲の幸福のために、互いにいがみ合う世界にもかかわらず、本物の愛と希望と平和というもうひとつの世界が脈々と生きていることを主イエスが今年も知らせます。そしてもうひとつの世界に時々でも触れて癒されることを私たちは知っているとも思います。これこそ「神に栄光、地に平和」という御言の成就でありましょう。
 今年も一緒にクリスマスを味わいましょう。
主イエスは今年も、いや、常に、今ここに、生まれます。

この曲がり角で自分を問う

2006年12月16日 | 「生きる」こと
教育基本法が変わってしまいました。

わたしはもちろん反対でした。
でも、賛成した議員を敵にするのもアホらしく・・・
敵にしてそれと戦うのは好きじゃあないし
うまいこといかないと思うし
そもそも
人間性に欠けることだから・・・

このテーマは人間性の恢復だと思う・・・
人間性失った人たちが変えたのは間違っていないけど・・・
じゃあこっちの人間性は保たれているかと問われれば・・・
胸をはることはできず・・・


やっぱり自分を律していないと
おのずと変えた人
とりわけ政治家を敵にしてしまうので・・・
するとその瞬間に
こっちの人間性が消えているということなので・・・

こういうときだからこそ
今の世界全体に流れる
人間性を失った中での流れの
根底の根底の根底を
徹底的にみつめる作業をせねばならない!

と思っているところです・・・

前の(もう前の言わねばならない寂しさよ)
教育基本法はひとことで言うとどんな法律だったか?
わたしはこんな風に考えています。

世界の全体幸福(宮沢賢治のことば)を希求し行動する個人の教育

いかがでしょう??

しかしこれが邪魔になったわけです。
なぜ?
それは
自分、そして自分の周囲の幸福をのみ求めるようになっているからではないでしょうか。
だから自己愛が大事で家族愛が大事で郷土愛が大事で愛国心が大事。。。

というか

というのはそもそも他者に向かうという普遍の働きではあるけど
それが自己、家族、郷土、国という枠を持つはずなく・・・

枠をもったとたんに愛は愛ではなくなるわけです。。。

つまり世界の全体幸福に向かうものなら愛であっても
そこに限定された枠があったら
それは愛ではなく
自分とその周辺の幸福に向かうのはもちろん愛ではなく・・・

そういう枠つきの愛の実質は
そのほかの排斥
という行為ではないでしょうか。。。。。

こんど教育基本法はつまりこのようにかわりました。

世界の全体幸福を希求し行動する個人教育から
自分の周囲の狭い範囲の幸福(最大で日本国)を獲得し行動する集団教育へと・・・・

おっと
そうそう、個人から集団へ
というところも変わりました。
「個人の尊重」がまったくなくなってしまいました。
変わったほうの法律は。。。

そしてここから自分自身を問うてみるわけです。

わたしは、
自分と自分の周囲、つまり家族や友人や教会の仲間などの幸福以上を
いつも希求してきたか?
とりわけ自分の家族が食えて住めて着れて遊べて学べてというのに
必要な金をまず第一に確保するなんてことをして
そういうのがかなわない多くの人を無意識にもあとまわしにしていないか?

してる
としか応えようがないのです。。。

そして多くの人が、
自分と家族がそうやって生きていける安全性、安定性を確保したいから・・・
つまり全体幸福でなく
狭い範囲の幸福を求めるから

するとおのずとその他を排斥するから
その行為を家族愛なんて呼びながら・・・

すると実に今回の教育基本法の変わったほうのものや
今提出されている新憲法草案と呼ばれる改悪案と
流れを同じくし・・・

その危険性に気が付かなくなる・・・

どういう危険性?

それが極端にでもなく
排斥した他者
とりわけ排斥した国との
戦争になるということ・・・

でも、そこまでわかってても
全体幸福を希求するまえに
範囲限定の幸福を獲得しようとする私自身がいる・・・

そうだ!
人間はあまりにもよわく
何かのルールでもって律してもらわないと
そういう理想というもので律してもらわないと
どんどんこの狭い幸福の流れに乗って
そこで追いやられた貧しき者を無視するようになる・・・

だから
だからこそ
法律は大切なんだと思います。

つまりそういう人間の自然な行動を止めて
世界の全体幸福を希求し、そのために行動する個々人となるために
教育基本法はあるべきなのだと思います。。。

だから
まずは

わたしが人間性を失わず
世界の全体幸福を希求できる
愛と希望と平和にたつ

そういう者になりたい。。。

と切に思っているところです。。。

信仰とは望むことを確信することだ

2006年12月14日 | 教会のこと
大地を踏みしめて歩きたいのだ
足裏の感覚をぜんぶ突き刺して歩きたいのだ
足裏のつぼをぜんぶ突き刺されて歩きたいのだ

僕らを立たせ生かす大地を踏みしめたいのだ

僕らの足元の地平は大地か
本当に大地か
僕らを立たせるのか
僕らを生かすのか

此処に立っていいのか
此処を歩いていいのか
此処で生きていいのか

これほど生命脅かされ精神脅かされ

だから懸命に安全つくり利益うばい

そういう此処を大地と呼んでいいのか
物質的精神的な安全と利益を大地と呼んでいいのか

そういう大地を踏みしめて歩いていいのか

歩けるのか
歩けるのか

歩くと痛い
歩いて痛くないなら
さらに痛い
歩いて痛くないなら
あの人の生命と精神がさらに痛い
歩くと痛い

立ち止まる
ぽっかり口開け上を見る
広い空が入り込む
胸いっぱいに空吸い込んで
胸風船ふくらんで

浮いた

浮いて
ひっくり返った

ひっくり返って
踏みしめた

え?

踏みしめた

大地を

ひっくり返って大地を踏みしめた
ひっくり返って大地を踏みしめて歩けた
ひっくり返って足裏の感覚を突き刺した
ひっくり返って足裏のつぼを突き刺された

大地はあまのじゃくなところにあった

あまのじゃくの大地を踏みしめ
あまのじゃくの大地に立った
あまのじゃくの大地を生きた

あまのじゃくの此処に私の自立があった

浮いて
ひっくり返って
踏みしめ
立ち
生きる
あまのじゃくの大地は

希望

希望の地平

希望という大地だ

日曜日と月曜日

2006年12月12日 | 「生きる」こと
日曜日
教会学校の大きなそう君は
学校のドッチボール大会に申し込んでたけど
朝、お母さんに言ったそうだ

今日、教会に行く。
とも君と一緒にやる役割があるんだ。
練習もあるから10時までにいくんだ。
もう約束してるんだ。

アドベントのろうそくを灯す役割があたっていた。

昨今、日曜日の学校や地域の行事がバリバリ入るので、
キリストさんも頭かかえていると思うけど・・・
(っていうか、教会が頭かかえるけど・・・)

単純にうれしかった!!

こういう仲間とうちの息子たちが出会っていることは
将来にわたって大きな財産だと思う。

僕もあまりにうれしい!!



月曜日
夕方ふとAさんが訪ねてくれた。

仕事早く終わったから・・・
って言いながら・・・

ウチの息子たちが生まれたときからお世話になっているおじさん!!
新しい仕事をするようになってから、
就業時間が変則な仕事でもあるので
なかなか会えなかったけど

1年半ぶりに息子たちは再会
「Aさーん」
「おい、おまえ、なにしてた」

って生意気なあいさつ

Aさんも笑顔で
「おまえこそなにしてた!」

Aさんはホームレス生活をしつつ、会社勤めをしています。
約2年前に入社し、今でも活躍しています。
アパートに入ることもわけないのだけど・・・
彼なりの深いわけがあって、ホームレス生活をまだ選んでいるようです。
そういう詳しいことを語る人ではありませんので、予想でしかないのですが・・・

こっちがびびるほどに
隣人のために黙々と動く人です。
隣人にかかわりはたらきかけ、
強烈に優しく力持ちでみんなを助けてくれる人です。

街でホームレス仲間がどつかれているのを見て
どついた相手を突き飛ばして

しまった・・・やってしまった・・・

と頭をかきつつ警察にわざわざお世話になりにいく人です。

子どもを虐めてしまう親が
わたしではどうにもならなかったけど
Aさんと出会って落ち着いたという
そういう人です。

一日にとっても濃い小説を数本読みきってしまう人です。
哲学書も読める人です。

聖書を繰り返し読んでいる人です。

すごい人です。
人間性、精神性において
どんなに修行してもかなわないことがわかる人です。


久々の再開で

露骨に全毛穴が開くほどに興奮する子どもたち
かく言うわたしもうれしくて

一緒に「さまた」に行ってごはん食べました・・・

互いに1年以上会わなくても
互いに忘れた日がないという仲間がいる・・・

しあわせだ・・・

あまりにもしあわせだ・・・


インドプリ子どもの家から「家族」を学ぶ

2006年12月09日 | 教会のこと
ちょっと前ですが
11月26日の日曜日は
世界バプテスト祈祷週間を覚える礼拝でして・・・
愛知新生教会の古川博子さんをお招きすることが出来て
お話を伺いました。

彼女は一年間、プリ子どもの家で奉仕をされました。

さまざまなことをお話を伺う中で考えました。

まずは、「家族」というテーマ
親のいない子どもたちが共同生活をしているのですが
血縁ではないのだなあ・・・と改めて思いました。
彼らが「大家族」であることの凄みを伺いました。
同時に「血」の意味を問われました、

が、同時に
「キリストの血」で生きる宣言をする我々キリスト者は
「血」から「キリストの血」への新しい命への解放を信じるわけで

そういう「キリストの血」による「大家族」
インドプリ子どもの家は
実はキリスト教会の本質であると知りました。

キリスト教会が「キリストの血」でなく「血」にまだまだ縛られていることも気がつきました。


次に「家族」の基本というテーマ
コレは端的にきわめていい意味で宗教的で
共に祈り、キリストを分かち合うという、毎朝毎晩の行為・・・
そう!行為!!!!
にあるのだなあと思いました。
人間は行為しなければ実は何もしていないということで・・・
考えることや感じるという行為を起点にして
キリストや隣人と出会うならば、
共に祈るという具体的行為に導かれ、
行為として、明確に毎朝毎晩の祈りがある・・・・

さらに言うと、
これにさらに、世界へ広がる祈りという具体的祈りが加わるのだろうと思いました。
つまり、家族内の健康や保全という閉じこもりは、
不健康なつながりへと導くのみで逆に危険だなあと・・・

また不思議な思いを持ったところもありました。

勉強で地域のトップクラスに入ることが目的であること
そのために夜まで教師が勉強について、
できない子どもの手には鞭打つとのこと・・・・・

このあたりを歴史的、社会的にどう考えればいいのか・・・・


最後に
あの大きな津波被害のあと、
プリ子どもの家に生まれたばかりの赤ちゃんが置かれていて
その赤ちゃんを家族に招きいれ
そしてその日を誕生日として、
1歳のパーティーをしている写真が紹介されて・・・

この一点を知るだけでも
不可欠な働きであると強く思いました。

主よ
導きたまえ

今週のごはん

2006年12月09日 | 「生きる」こと
新たなものは2件。

ひとつはラーメン屋です。
三条京阪にある山頭火。
あの有名なお店ですが、
一度行きたいとおもいつつ数年が経ってしまいましたが、
教会の仲間の訪問の帰りに寄ることが出来ました。

なんでもありませんでした。
まずくはないけど
うまくもない・・・・

チェーン店の味がしました。
ってな表現でわかるなかあ。。。

京都には上手いラーメン屋がたくさんありますが・・・

おおきくわけると

①まじめちゃうまい店
②めちゃうまいけどいじりすぎの店
③チェーン店のうまさの店

があるなあと思ってます。

①はいまのところ
「いちばん」さんと「さまた」さんです。

しかし、チェーン店はどうしてチェーン店の味になるんだろう。。。

不思議だ・・・


もう一件はパン屋さん
カナート近くの
周さんの餃子屋近くの
フェア・トレードにこだわっていて
パレスチナのオリーブオイルを売ってるお店
名前失念で失礼

入ると

チラシがいっぱい置いてあるし貼ってありまして・・・
平和をつくろうとする仲間たちの企画モノのチラシではないですか・・・

まずそこでうれしく


パンですが

めちゃうまい!!

もっちりとして香り高く味わい深い

オイルとバターと小麦と酵母の味がそのまま端的にするというパン
これはこれはいい店と出会いました。

ぜひみなさんも。





そばにいる!希望

2006年12月06日 | 教会のこと
12月3日の教会週報巻頭言です。

連盟定期総会の帰り道で
友人たちからこの歌を教えてもらいました。

映画は見ていたのに
ちゃんと歌詞を聴いてませんでした。

あらためて聴くと・・・
感動しました。。。


****************************

いよいよ12月です。早いものです。そしてアドベントに入りました。主イエスの誕生を人生のわびさびを抱えるにもかかわらず、ときにあまりに苦しいにもかかわらず、しかし嬉しく待つ時です。
 「インマヌエル!いつもあなたがたと共にいる!(マタイ福音書1:28)」
と、天使という登場人物?を通して、聖書は、主イエスの意味を教えてくれました。これが私たちの希望です。
 「平成たぬき合戦ぽんぽこ」という映画をご存知でしょうか。宮崎駿監督で有名な「ジブリ」というチームによる子ども向けの映画ですが、完成度が高く、大人も見るべき作品だと思います。そして、その主題歌で、上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)という音楽バンドが謳う「いつでも誰かが」という歌があります。
こんな歌詞です。

♪ いつでも誰かが
  きっとそばにいる
  思い出しておくれ
  ステキなその名を
  心をふさいで
  何も見えない夜
  きっときっと誰かが
  いつもそばにいる ♪

 希望を頂く歌詞でしょう!!そして私たちはその名を知ってもいます。それは主イエス=インマヌエル。
 クリスマスはこの希望をみんなで頂く時です。そして本日、京都教会の交わりに転入というかたちで加わる宗像さんと、31日にバプテスマというかたちで加わる木崎さんと、教会のみんなは、いつもそばにいる主イエスと、教会家族の、この希望を共有するということです。
 さらに歌は続きます。

♪ 争いに傷ついて
  光が見えないなら
  耳をすましてくれ
  歌が聞こえるよ  ♪

 街で流れるクリスマスソングは、キリストと一緒に歩む私たちにとっては、BGMではなく、希望の歌です。今日礼拝で賛美する曲ももちろん!
 さらにさらに歌は続きます。

♪ 涙も痛みもいつか消えてゆく ♪

 これぞ、クリスマスの希望。
 希望は今すでにココにあります!!
 今すでにココで主イエスがそばにいます!!
 


平和と安全のはざ間で

2006年12月06日 | 平和のこと
とても悲しい出来事です。

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住基ネット違憲判決 大阪高裁判官が自殺(12/4)

大阪高等裁判所の裁判官が、兵庫県宝塚市の自宅で首をつって死んでいるのがみつかりました。自殺とみられます。

 死亡したのは、大阪高等裁判所の竹中省吾裁判官(64)で、3日午前、宝塚市にある自宅2階の書斎で、首をつっているのを妻が見つけました。

 警察は、遺体の状況などから自殺とみています。

 竹中裁判官は、2000年に神戸地裁で尼崎公害訴訟の裁判長を務め、和解を成立させたほか、先週には住民基本台帳ネットワークはプライバシー権の侵害で憲法違反だとする判決を下したばかりでした。

 大阪高裁は、「執務状況や健康状態に変わった様子はなく、大変驚いている」とコメントしています。

************************

イラク派兵違憲訴訟にて
裁判官を十数年されたのちに弁護士となった出口弁護士が
裁判官の役割というものを説きつつ
しかし
こんなことも言われた。

-日本は司法が軽んじられている。
 そんな中で、イラク派兵違憲訴訟などの
 政府、首相に対して判決を言い渡すべき裁判では
 政府、首相がしていることに反する判決を言うことはとても恐ろしいことだ
 
 たった3人の裁判官で、それに立ち向かうことになる。
 さらには、政治家を選んだ国民に立ち向かうことにもなる。

そして、今回の裁判官たちに、これまでのそういう中で立ち向かった判決と、そのときに裁判官たちの後日談などを、資料を用いて丁寧に紹介をしつつ、
勇気を持って義しい判決を下すよう呼びかけました。



その矢先にこの出来事

圧力があったことは隠せない・・・

恐ろしい社会だ・・・


しかし、
中国残留孤児への保障の判決など
変になっていくこの国の流れの中で
反動ともいえるくらいの判決が出てきているのも事実で

こういう悲しい怖い出来事のあと

わたしは、その恐怖で、でっかい力寄りの判決がどんどんまたでるようになる
というよりは
もう限界に達している知恵ある裁判官が
知恵ある判決を勇気をもって下し始めるのではないか

期待もしているところです。

そして
裁判官のいのちを守らねば・・・

これが
平和と安全のはざ間
なのだろう・・・

焼肉大会!ホームレスはだれ?

2006年12月05日 | ホームレス支援のこと
昨日は

「みんなで一緒に寒い冬を乗り切ろう!焼肉大会」

でした。。。

いやあいやあ
楽しかった。。。

ホームレス当事者のおじいさんもおばあさんも
おじさんもおばさんも
おにいさんもおねえさんも、
ボランティアのみんなも
いい顔でした。

普段無口の人も大声で笑い・・・
普段傍観している人もせっせと手伝い・・・

だれが指揮するわけでもなく・・・
みんなでやっていけてる・・・

もちろんこれまでの経験がそうさせるのだけど・・・
ここまでくると

芸術ですよ!!!

焼肉も旨かった!!
昨年より肉の質が明らかにいいものでした。
協力してくれる肉屋さんの粋を感じます。
感謝!!

野菜炒めも抜群!!
今年は野菜が旨い!!
味付けもいため具合も最高!!

教会の庭で炒めた肉と野菜と
そしておにぎりとお茶をもって
となりの河川敷で食べます。

すると
市の役人と府の役人がやってきました。
話を聞くとどうやら苦情があった模様。。。
なんとも寂しいはなしで・・・
苦情を言ってしまう人の精神と神経の消耗具合を察しつつ・・・
苦情が出たい以上話にこないとならない役人の思い察しつつ・・・

実はホームレス、つまり、人間関係性および人間性という「ホーム」を喪失「レス」しているのは
どっちなのだろうと・・・
考える間もなく
答えが出てしまうのでした・・・

寄り添いネットは
将来
そういう苦情を言ってしまう人の「ホーム」にもなりたいです。。。

宣言しましょう。
隣人の人生といのちを共有できない狭さと小ささに閉じこもる
そういう市民を覚え祈る!!!
これもまた
寄り添いネット!!!

そういう方々を見守りつつ祈りつつ・・・
文句なく義しい炊き出しを続けるのでした・・・

役人としては
一応河川敷を使用する場合は届出もできると言ってくれまして・・・
しかし、食べるのに利用するだけで・・・
それも一時間ほどで・・・

いろんな集団が河川敷でお弁当を食べるのと変わらず・・・
夜中にどんちゃんさわぎする学生の集団よりはかなりまともで・・・

役人さんも文句のつけようがないようで。。。

河川敷に配布される衣類や毛布をならべていたこと
横断幕を張っていたこと
机をひとつ出していたこと
これの届出が要ると、最後仕方なくいってくれたので・・・
来年から届け出ますが・・・

しかし、
弁当をみんなで広げる人たちのシートも届出がいるのかなあ・・・
横断幕も張っているけどなあ・・・


どうにもならない立場にたってしまったのは当然役人で・・・


それでどういう結論が出たかと云うと
これからもずっと
炊き出しで、
河川敷を利用してもよし!

ということなわけでした・・・

ぎゃはは
これまた楽しかった・・・



いつでもムギュー

2006年12月02日 | 平和のこと
見ました???

昨晩の「探偵ナイトスクープ」

泣いた泣いた。。。

あの“FREE HUGS”のやつ・・・

来年から小学校の先生になる男子青年が
海外のミュージックビデオクリップを見て
感動して
それと同じコトを大阪でもしたい!!!
と言って

本当にやったのです。。。

おじさん、おばさん。おにいさん。子どもたち
互いに見ず知らずの者同士が
信頼しあってムギューってする!!!!

なんていい光景なんだろう。。。

次男が4歳のとき
イラク戦争の映像を見ながら言った言葉を
またまた思い出します。。。

「戦争のひとたち
鉄砲やめてな
ムギューってしてな
笑った顔してな
みんなで手つないでな
それでな
おうち帰ったらええやんなあ
そしたら
その方がもっと楽しいのになあ
血出るのあかんなあ」


この男子青年が参考にしたビデオクリップは
わたしもいろんな友人から送られてきまして・・・
きっと同じだと思います。

このビデオでしょう!!

これ初めて見たときも
身体震えて
泣き泣きでした。。。。

この運動
参加したい・・・

照れるけどねえ・・・

平和の本質
生きる本質

って言っても過言じゃあないよねえ。