きぼう屋

生きているから生きている

無題

2007年06月28日 | 「生きる」こと
結局、風邪が長引いているのは私だけで・・・
息子たちは回復しました。
感謝。

本日はしかし朝から人権論の講義なので
熱いシャワーで身体が動くようにして出発。
そうしたら
汗が出る出る
河原町についたときにはシャツがかなり汗でぬれてしまいました。

桂で降りるときは乾いておりまして・・・
電車の冷房の強さをこういうかたちで思い知りました。

わたし
人権論ではかなり難しい内容を取り扱っております。
でも学生に伝わらないと意味がないので
相当噛み砕いて
彼らの身体感覚に染みる言葉を探し当てながらやっているわけですが
それが上手いこといっているのかどうか・・・
心配しつつ
しかし学生の応答カードを見ると
なかなかみんな理解して考えてくれていて・・・
ちょっと安心しています。


その後久しぶりに尊敬してやまない院長先生と長いことお話することができて
これはこれはうれしかったです。

その流れで
キリスト教社会福祉学会員になることが決まりました。

といいますか
はじめからそれが本日の院長のねらいのようでもありまして・・・
でもうれしい限りです。

あの注がれるべきところに注がれる情熱は
キリストによるとしか言いようがない!
という信仰の大先輩。

話しているだけで気づくべきものに気づけます。

感謝感謝


妻がPTAの会合で小学校に行き
わたしと4人の息子が家で騒いでいたのですが

ふと思いつき
わずかの可能性でも
行ってみるかということで

ホタル見にいこう!

というわけで

男5人で鴨川の毎年ホタルの出るスポットに行きましたが
残念
やっぱり遅すぎました。
今年はホタルが遅かったといってもあまりに遅すぎました。

しかし
そこへ遠くから子供連れの家族が歩いてくるのが見えました。
そしてだんだん近づくと
「おおたにともくんやん」
という声。

共くんの同級生の家族でした。

花火をみんなでしにきたのでした。
そして
状況として
我が家の4人も花火をさせてもらうことになりましたが

もう申し訳なくて申し訳なくて
だって
我が家の息子たちのほうがたくさん花火を使ってしまうので・・・

すみません
そしてありがとうございます。

でもこうやって出会うことができたことはとてもうれしく
感謝感謝。


明日には風邪がなおるといいなあ。。。

献品

2007年06月27日 | 教会のこと
添くんは復活
憐くんは発熱中

というわけで
本日は憐くんといっしょに過ごす一日となっています

わたしは微熱程度なのでなんとかなるというところ

しかしこういうのも楽しく感謝


地域の方々がバザーのために献品を持ってきてくださいます
感謝に耐えません

おばあちゃんふたりが
ごろごろと荷台を押して持ってきてくれました

赤ちゃんをつれたお母さんが
ベビーカーにたくさん大きな袋を引っ掛けて持ってきてくれました

とある大学寮の寮母さんが
昼休みに自転車で持ってきてくれました

京都教会は
そういう地域のみなさまの思いで
なんとかなっているところがあるので
これからもよろしくお願いするばかりです

そうそう
自宅でとれた男爵とメークインを
ホームレス支援のためにささげてくださる
尊敬してやまない男性がおられまして
今日も持ってきてくださいました

みなさん
本当にありがとうございます

一日教会にいると
いろんな人と出会えてうれしいもんです



激励

2007年06月26日 | 「生きる」こと
先週のあたまは妻と私が倒れまして
おなかをめちゃめちゃにするウイルスにやられまして
しかし
3日ほどでよくなったのですが

本日から
添くんと憐くんが倒れまして
なんと添くんまでが・・・
風邪ひとつひかなくて
風邪ひいて薬をのむことにあこがれていた
添くんが
39℃の熱にうなされるというかたちで願いをかなえておりますが・・・
なんとも苦しそうです。


私たちのウイルスがうつったのだろうとおもったのですが
どうも
わたし
どんどん身体が重くなり、のどが痛くなってきていまして

まあ別のものなのでしょうか
わたし
また倒れるのでしょうか

こんなだと
入院されている方のお見舞いに行くことが出来ないのがすごくつらいです

さてさて
そうやってお休みした添くんですが
彼の通う保育園の仲間たちは
我が家の横を通って鴨川の河原に遊びにきますが
その帰りに
我が家の横から

「そうくーん だいじょうぶかあ」
「そうくーん がんばってねえ」


ありとあらゆるかわいいおおきな声たちが飛び込んできまして

実はその時
添くんは高熱で唸りながら寝込んでいたのですが
そのたくさんの声はしっかり耳に入って

ハナちゃんが言ってくれた
アキラが言ってくれた

などなど
唸りながら仲間の名前を口にしておりました

めちゃ感激です
またまた感激して
わたし泣いておりました

みんな
ほんとにありがとう
ありがとう

時間

2007年06月25日 | 「生きる」こと
去る土曜日

夕にそうめんをすすりました
アキラと
アキラのお母さんと
ワタロウのお母さんと
ウチのみんなで

ありのまんまで
時間がすぎていく

でも
会話の中身は
けっこう深いという

なんともしあわせな

そう
これぞ時間を過ごす!
という経験ができまして・・・

普段はなんか
時間を消費するしかないという世界に
巻き込まれているわたしたちで・・・

でも
時間を過ごし生きる仲間に出会うことは
いのち、人格にとって
決定的に不可欠で
わたしがわたしになることにおいて
決定的に不可欠

なんだろう??
分刻みのスケジュールに支配されている時間ってのは??

教会もそこから解放されていないし・・・

大きなテーマです



ゼラチンというものを
おそらく生まれてはじめて食べました

ゼラチン100%
わたし、はじめて知りました
100%ってのはとても高価だってこと
普段安くスーパーで買っているのは
たとえばゼライスと名乗っているような
つまりゼラチンと名乗れないような
他のものだったということ


この100%ゼラチンで
ワタロウのお母さんが梅ゼリーを作ってくださって
それを食べるというしあわせを頂きました

はじめての食感
はじめてののどごし

全身の神経が喜んで集中するのがわかりますなあ
こういう時って

表現できないおいしさでした

しかも梅もまた
吉野の野生の梅ということで

これまた力強く凝縮された梅それ自身が
わたしの舌に体全部にかかわってくるという
驚愕の風味でした

一緒に過ごしたみんな
感謝感謝


日曜日

教会の創立記念日
教会は55歳


礼拝の子どもメッセージがまたまたよくて
サツキねえさんが子どもたちに
23日の沖縄地上戦の終わった日の翌日ということで
その事柄と
さらに今の辺野古のことを
語ってくれました
地図をOHPでうつしつつ

わたしの説教も
沖縄の事柄から
歴史におけるマイノリティの叫び
叫びにならない叫び
叫ぶことすら押さえつけられえいるゆえに
叫べない叫び
もはやそういう叫び声でなく
声を抑えられた顔
いと小さき主イエスの声と顔がそこにあることを確認しつつ
語るものだったから

なおさら子ども説教が礼拝全体をかたちづくる鍵になりました

さつきさん
感謝感謝


午後は教会教育委員会
夏のキャンプのことを中心に話しましたが
それよりなにより
それぞれの教会学校のクラスの報告の中で
小学生クラスの若いリーダーたちが
その場で
小学生の仲間たちを思う情熱ゆえに
そして愛と信仰と希望ゆえに
熱く熱く議論するという
そういう現場に出くわしまして

なんとしあわせでした

小学生ひとりひとりの誕生日をどう覚えるかというテーマでの議論

ありがとう
ありがとう

子どもたちが生きづらい世の中だから
教会は全身全霊で彼らの居場所になりたい


それが終わり
我が家はみんなでお出かけ

実は空くんの誕生日
9歳
早いものです


彼はキャッチャーミットがほしかったわけです
少年用で左利き用の

ゼビオに行きました
でも
やっぱり
なかったのです

でもファーストミットがありました
よし!
と思ったけど
それは指がまったく穴に届かないほど大きく
断念

そして彼はバッティンググローブ(手袋)にするといって
それが並んでいるところにいったけど
手の小さい彼にあうものはなく
これも断念

大きなスポーツショップのあちこちを見て
何かいいものがないかと探すけど

なにぶん彼は数ヶ月も前から
野球の雑誌を見て
欲しいものが決まっていて
この誕生日がやってくるのを待っていたわけで
誕生日の朝もびっくりするほど早く起きて
なにしろ
この日にこの間の多くをかけていたわけで

だから
彼の脳裏に描かれていたものを代替できるものはなく

そんな彼の気持ちを察すると
こっちが泣きそうになり

でも空くんは明らかにがまんしていて・・・

でも
いよいよ
こっちにやってきて
僕の肩にしがみついて
彼は涙を流しました

思いっきり抱っこして
気持ちがお互いに落ち着くのを待ちました

そして落ち着いて
すこし話し合いをして
靴を買おうということになり

たくさんならぶ靴から選ぶわけですが
彼は
ミズノの靴のみに興味がいきまして

そう
実は彼が読んでいる野球の雑誌というのは
私が高校生のころ買ったもので
つまり20年前のもので
その頃はなにしろ野球はミズノだったわけで

それで彼はなにしろミズノのものがほしいわけで

でも靴は
ナイキやアディダスはたくさんあっても
ミズノは3種類しかなく
そして
彼のサイズはなく・・・

ふたたび
がくん

この時点で店にはいって90分ほど経過

さてもう一度肩に飛び込んでもらおうかなあ

と思ったところで

「そらぁ」
という聞き覚えのある声

ヨウキとジュンジュンがそこにいるではないですか

親友の登場に空君も一気に復活
あまりに偶然も偶然
でも
きっといちばん空を勇気づけられる友だちが
こんなところであらわれる

実はわたし
その偶然に出会った瞬間
涙があふれてきてしまいました

そしてしばらくして
彼らの家族もやってきて

それはそれは何かを突き破る幸せが我が家に飛び込んできて

それから30分
空くんは
バットケースを選ぶことが出来ました
もちろんミズノ製

そして
計大人4名子ども7名で
一緒にごはんを食べることもできて
なんとも
これまた幸せな時間を過ごすことができまして
しかも
復活の時間を過ごすことができまして

感謝感謝
なのでありました

そして
帰りがけに
100円になっているドーナツを買ってきて
それにろうそくをたてて

ハッピー・バースデー

感謝感謝のまた感謝



キリストに従う

2007年06月23日 | 教会のこと
情報をくれる人がおりまして
それも複数から情報を頂きまして
そして彼らは心配してくれて情報をくれまして・・・
となると同じ心配をしている方が結構いるのだろうなあと思い

心配しなくていいよ
ということで少し書いてみようかなあ
と思いました

こんな情報でして・・・

当教会が自衛隊の監視リストに載った件で
当教会をサヨクの教会として徹底的に非難している

とある教会のなんとかグループのリーダーのブログ記事があるってわけで・・・

それを数人から言われるととうとう私も
気になって見てしまいまして・・・

うーん
そう
また
その手のものでありまして・・・


ご自分の観念のみで記事を書かれていて
対話性のない
答えがならぶ・・・
(「応えと答え」について最近書いたなあ)

聖書の読み方も内面に閉じ込めた読み方で・・・
(「霊に導かれて」なんて記事も最近書いたなあ)

世間的には原理主義と呼ばれる聖書理解、信仰理解と分類されると思いますが
原理主義という批判的に用いられている言葉で終わらせられることでもなく・・・
まさに今の世界の神抜きのシステムに飲み込まれているゆえの理解方法に
これまた飲み込まれているから

なんとも悲しくなってくるわけでもあります

しかし
実はこの10年
こういうケースの牧会と対話がほとんどです

宗教的な原理主義のみならず
それぞれの思想や信条において
なぜか原理主義になっているケースが多い時代だと思います
といいますか
実は何もかもが同じ原理で支配されているようです
それは内面という原理
目的と手段と結果と動機という原理


一ヶ月くらい前でしょうか
ひとりの学生が急に電話をかけてきてくれて

お話したい
と言ってくれまして

さらには
京都教会で実習させてくれ
と言ってくれまして

さらには
ごめんなさい
と言ってくれまして

実はその学生は
かつて、同じように彼の原理のみで
私をサヨクとして非難していた方でありまして
そしてちょうど今回おしえてもらったブログの記事と
論理展開もまったく一緒で・・・

でもその学生のいいところは
直接わたしにメールもくれたことでして
なん往復かのやりとりをしたこともありました


根気強くその後聖書を学んでくれて
私の言動の本質をわかってくれたようです

つまり
わたしが
極めて聖書的であると・・・

と、まあその学生がそう表現してくれたのですが

そういわれると
それを目指して日々祈り聖書を読みますが
自信は全くないのですが

でも
わたしは
キリスト主義から生まれる言動を今後もするしかないし
聖書主義も昨今なんとか受容できつつあり
そこからも実は同じ具体的言動が出てくるなあ
ということを
先日青野先生と深く話しこむ中で確認することもでき・・・


原理主義からの解放こそが
ぼくらの言動の目指すところであり・・・

政治も教育も経済も信仰も
同じ原理に縛られているって
気が付いて欲しいなあ・・・

うーん

しかししかし
昨今の日本の教会はだいぶ原理主義からは解放されはじめたところもあると思います
ただ聖書無謬説という意味での原理ということではなく
内面の救いという原理から解放されて
世界全体の救いという広がりを持ち始めたゆえに
対話が始まってきたとも思います

だから
キリスト新聞も
クリスチャン新聞も
自衛隊監視活動に関する記事はとても優れていたと思います

かつては
左の新聞
右の新聞
なんていわれていたかもしれませんが
今は内容をみるかぎりそんなことはありませんし・・・

なにしろ
キリストにのみ従うべし

とまあ
正直なところ
こんなん書かずに無視してていいところだけど
この情報をくれた方をはじめ
当教会を非難するブログも見た方の牧会として
この記事を書いてみました

心配しなくて大丈夫ですし
神経質にならなくても大丈夫ですよ
キリストが共にいます


そのブログの方が直接疑問点をぶつけてきてくれたら
対話ができるので
本当は最も望ましいことですが・・・



電気

2007年06月22日 | 「生きる」こと
夜の8時から10時まで電気を全部消そう
というメールが妻のPCに飛び込んできまして

どうも地球温暖化をなんとかしようという運動のひとつのようで

それをやりました


いろいろとわかることがありました

ひとつ
外が明るいということ
明るすぎるということ
我が家はすべての電気を消したけど
となりのくに壮や荒神橋の電気でもって
十分に明るいということがわかりました

この明るさは異常だと思いました

そして目が慣れてくると
そこで洗濯物は干せるし
息子たちは絵本を読んでいるし

月の光で本が読めるとか
蛍の光は窓の雪とか
これは本当だなあと思いました

そしてなにより身体にとても優しかったです
たとえばこのPCはもろに光を目にあてていますが
この画面をみているときの目や脳や身体の感触と
小さな光のなかで過ごす目や脳や身体の感触は
えらい違いです

どれだけ日ごろ無理していることか

電気をつけない生活で
あらゆる筋肉が
もちろん目や脳の筋肉までもが
ほぐれるのを実感できました


最初いやだいやだと言っていた息子たちも
明日もやろう
と最後は言っていまして
彼らにとっても心地よかったようです

それに
小さな光のみだと
家族みんなの距離がとても近くなって
不思議と輪になって
いろいろしゃべりはじめて
そしてわらいころげる
ということになりまして

なんとも幸せでした

ちなみに我が家
今月の電気代が二千円も安くなりました

原因はひとつしか考えられません
テレビをほとんど見なくなったこと

家族会議で
テレビはあんまり見ないで
みんなでいろいろおしゃべりしようか
ということが決まったわけですが

そしてそれが楽しいこのごろですが

それで二千円も安くなるとは・・・

それまでどれだけテレビがついていたのか・・・
びっくりです

だから本日は夕食後に

アイス食べようか
買ってきてよ
ってな感じで
上から三人が
家族みんなのアイスを買ってきました
計600円
あと2回はアイスが食えます

なんともこれまたうれしい


やっぱり他者

2007年06月21日 | ホームレス支援のこと
本日は講義しに出かけたわけですが
人権論の講義ですが
それにおける学生の反応が面白いこのごろです。
純粋に人を、いのちを見つめる感性は
二十歳前後の頃はするどいなあと思います。

純粋に見つめることが出来なくなるのはなんでかなあ
なんて考えてしまいました。
自分史をふりかえりつつ

いろんな人間関係を経験する中で
純粋に見つめ続けることによる疲労が
自分自身の精神を破壊をもするということを
無意識にも知って
純粋に見つめることをやめるのだなあ
と思いました。

この件はこれ以上深入りしませんが・・・


そして夜は
京都でホームレス支援をする各団体の仲間が集まる
いわゆる連絡会がありました。

熱い

他者に熱い

そして政策面などのさまざまな意見交換がされましたが
もっとも多くを費やしたのは
そして
その話題には流れの中で自然に入っていったのですが
いや
きっとこの話題になるのが
それぞれ支援にかかわる人のもっとも深いテーマだけに
必然だったのかもしれませんが

それは
人と人との関係性の深さと難しさについてでした。

みんな何度も苦しみ悲しみ疲労し
それで病気になりかけてもいるし
もしかしたら病気になったことがあるかもしれないけど

なお
かかわり続けることを選び取り
経験を深く吟味し
そこから知恵を搾り出すということをしているという・・・

そういう証言が分かち合われたことは
優れて益であったと思いました。

そしてわたしは一つの結論を得ました。

それは人が苦しむべき場所についてです。

自分の力量や所有や技能は苦しむべきところではありません
ぼくらが苦しむべき場所は、他者との関係性の中における
他者の深みに行き届かないという場所でもって
どうにもならなくなるという
そういうところです。

人は自分のことで苦しむ必要はなく
人は他者とのことで苦しめばいいわけです。


そして人は自分で自分を苦しみから解放することはできないけれど
他者によって苦しみから解放されることを繰り返します。


要は他者です。

ってなことを本日も確認できました。

おしまい。


そうそう
本日はさいたまで
連盟の憲法アクションの会議があったのですが
欠席することは伝えていたのですが
文書で意見を述べようと思っていたけれど
すっかり忘れていました。
すみません。

最近こういうのを本気で忘れてしまいます。

あかんなあ
と思いつつ

でもそれくらいでいいのだ!人間は!
とも本気で思っているので

今後ともみなさまに迷惑をかけてしまいます。

でも
みんなのこと祈っています。

新聞

2007年06月20日 | 教会のこと
嫌なニュースだ

***************

 7月末で期限切れとなるイラク復興支援特別措置法を2年延長する改正特措法は20日午後の参院本会議で、与党などの賛成多数で可決、成立した。政府は航空自衛隊のイラク派遣を8月以降も継続するため、7月中に同法に基づく基本計画を閣議決定する。 

***************

当教会が監視リストに入ったことは
イラク派兵は
復興支援ではなく
戦争支援であることを
もはや明確にしているのに

つまり
ああいう情報収集と監視こそが
戦争の正当な手段であって
それを行うということが
今回の派兵が戦争参加であることを
当の自衛隊に防衛省に国が知っているということであって・・・

しかしまたこうやって
復興支援という言い方で市民をだます・・・

情けない・・・


自衛隊の監視リストの件が
クリスチャン新聞とキリスト新聞にも載った
それが発刊され、私の手元にも届いた

わたしはなにしろ一言

今こそキリストに従わねばならない

クリスチャン新聞は私のそういう意図を捉え明確にそれを語ってくれた
キリスト新聞はなぜか国家に従わないという書き方だ
そのあとにキリストに従うという事柄が続くというのが暗黙の了解かもしれないが
こういうときこそ明確にキリスト告白すればいいのにとも思う・・・

さて
クリスチャン新聞であるが
自衛隊監視リストの件で私が載っているわけだが

なんともっと大きく
オクダ氏とタニモト氏が載っているではないか

彼らが手がけた
ホームレス支援CDがリリースされたことに関する記事だ

「教会はホームになっているか」
なんてするどい問いかけが載っている

偶然にもなんともうれしい新聞になった
これは記念にとっておこう



自立その2 突破しよう

2007年06月18日 | 教会のこと
前の記事の続きということになるかなあ

自立ってのは
外に出て
他者と出会って
さらに出会う十字架をいただいて(経験して)

はじめて自分を知り
自分であろうと思い
自分となる

と思うのだけど

この外に出るということが実はなかなか難しい世の中のようです

つまり
家庭も職場も学校も教会も
それ自体で完結している小宇宙になってしまっている・・・
から

そして
そういうよくわかるかたちで完結していることが奨励もされ・・・
完結してすっきりするのが人間にとって大事だと思わされたりして・・・

すると完結する時間空間を望むから
そういう小宇宙を望むから
実は
閉じてしまって
外に出ることが出来なくなるというか・・・

さらには
経済というか
金を中心にまわるところは
完結しないといけないわけだから

そういうところはその小宇宙に閉じ込めることをするわけで・・・
つまり労働者は自分の意思とかかわらず閉じ込められ
小宇宙で生きることのみ可能になり

だから外に出ることが出来ず
他者と出会えず

自立できなくなっていくという
そんな感じを漠然と持っています

すると
その小宇宙に依存し
さらにはその小宇宙の中にいる者同士
つまり、同じ職場の者や家族の者が
共依存することになり

ますます自立できなくなる

すると
それは

ここからが突然論理が飛躍するところですが
わたしはけっこうただしいと思っているのですが

ユーモアを失い
笑いがなくなる
空間時間となり

実は笑いがなくなると
互いの痛みを本当に共有することなんかできなくなり・・・

そして
互いにつぶれてしまう・・・

ということがあちこちで起こっているような気がします


だから
ちゃんと教会が教会となる必要がある!

でも
キリスト者も小宇宙を信じてしまっているところがあって・・・

教会も小宇宙にするとモテたりして・・・
逆に
小宇宙からの解放を叫んでもまったく応答がなかったりして・・・

でも叫び続けます
小宇宙から解放されるのだあ!!
って。

みんなで突破しましょうね
キリストによってキリストにむかって
神の国の大宇宙へ



自立

2007年06月18日 | 教会のこと
他者へ!それが自立

土日はなんとも幸せでした
京都教会では青野先生を招いての特別伝道集会
しびれる話でした

ひさしぶりに青野先生の話を聞きましたが
なんか進化していまして
10年前からここまで語ってくれていたら
あんなに激しく議論しなくても
その時間で飲むことができたのにねえ
と思いつつ

でもやっぱりどこかヒューマニズムの範囲におさまっているところに

そこから突き抜けてくれえ
と思いつつ

でもなにしろ

すべてが他者に向かっているということ
閉じこもっていないということ
自分のことに関心を示している暇などないということ

他者にむかって
時間と歴史と物語とを共有し
そこで他者により「私」となること

が強く再確認されました

しかし
「十字架」と「死」の明確な区別は
神学を専門的に勉強をしていない多くの人には
むずかしかっただろうなあ。

で、
日曜日の午後は大阪教会で神学校週間を覚える講演会
実はこちらも青野先生の講演だったわけですが
なんと90人以上も集まり・・・

自衛隊による監視リストに対する声明も社会委員会から提出され

なによりでありました。


そのあとの夜は
梅田の聖パウロ教会にて、NCCY再建のミーティング

これがよかった!!
こんなに
それこそ
他者に向かい
他者と共に
他者のために
生きる者がたくさんいて

そしてそういう人が集まると
なにしろ笑いが絶えず
うまり
ユーモアという人間の本質が覆われることなく
そのユーモアをもって痛みが共有されるという

とても健康的で
そして自立的な

そう自立的な!
人たちとの交わりを経験できました。

他者のために!他者と共に!
外に出て生きるとき
自立する!

それを拒むのは
せいぜい家庭、仕事場くらいの狭い生活空間への依存なのだなあと
これまた再確認


家や職場が小宇宙として完結していることは
昨今の大きな過ちでしょうなあ

家だけではなく
職場だけでもなく
そういう変に、
そう変にホッとできる空間だけではなく
せっかく地球に宇宙に住んでるんだから・・・

そういう者としてわたしは生きたい!!


いろいろと考えたいことがたくさん与えられました
感謝感謝

青野太潮さんを迎えての特別講演会

2007年06月15日 | 教会のこと
いよいよ明日、明後日

青野太潮さんを迎えての講演会

一回目 16日(土)午後4時~6時
二回目 17日(日)午前10時半~12時半

どちらも入場無料ですが、教会なので自由献金があります。

わたし
好きなんですなあ。
青野先生。

今回の講演をお願いしたときに
「かつてのように熱い議論をしましょう」
なんて言われてしまいました。
「もうそんな元気ありません」
と、応えてしまいましたが・・・

こむずかしい部分の話になると
思想をする人間の性でしょうか
ついつい文句をつけたくなってしまうんですなあ
それって論理飛躍してないですかあ?
それって歴史性が論に含まれてないと思うんですがあ?
ってあたりが、学生時代に青野先生にぶつけてきた問いでして・・・
どちらかというと
けんかに近かったような・・・

で、いろいろ応えていただいたり、先生の本を読んだりしたけど
でも今でもよくわからなくて・・・
論はよくわかるけど
身体がわかってくれていないという
そういう状態が続いていまして・・・

でも
青野先生のこむずかしい話をしない場面での
日常の生き様に触れると
今度は逆に身体が納得してしまうというか
共に生きてるなあと感じているというか

すごく好きなんです。なんとも感覚的で申し訳ありませんが・・・。

そうそう、青野先生は岩波の「新約聖書」を翻訳したひとりでもあります。


今回は大学でやるような話でなく
とてもわかりやすい
あの
青野先生の優れた持ちネタなので

これはみんなに聞いて欲しいのですなあ。

ぜひみなさまお越しくださいませ。



青野太潮さんのプロフィール

1942年、静岡県生まれ。国際基督教大学(ICU)、東京大学大学院を
経て、スイス・チューリッヒ大学神学部にて神学博士号取得。
1978年より西南学院大学神学部に奉職。現在、教授(新約聖書学)、
平尾バプテスト教会協力牧師。最近の著書に、『どう読むか、聖書』
(朝日新聞社)、『パウロ書簡』(岩波書店)、『「十字架につけられ
給ひしままなるキリスト」』(コイノニア社)、『「十字架の神学」の
展開』(新教出版社)などがある。



このかん

2007年06月12日 | 「生きる」こと
先週土曜日
東京に行く
全国ホームレス支援ネットワーク設立総会&シンポジウム

墨田区のユートリアという会場で開催
妻の実家や妻の妹家族の家を通り過ぎるように会場に行き
帰りも寄ることできず京都に戻る

なんとも悲しい
しかし翌日は日曜日
牧師にとってはどうしょうもなく

なんとも悲しい

ということもありつつ
集会は盛り上がった

わたしはシンポジウムの発題をたのまれ
発題するものの


ウチのホームレス当事者とのかかわりは
教会共同体運動と同じ方法です

ということを語ったもんだから
知らない人にはちんぷんかんぷん

でも実は世界史的に大事な事柄


日曜日は不思議と明るい礼拝
人数はそんなに多くなかったけど
賛美歌がとっても大きな声で響きあった
不思議だ

M兄の子どもメッセージもよかった
祈りがあった

午後はふたつの会議
どちらも自衛隊の監視リストに入っていたことをめぐっての会議
教会内のものと
教会外のもの

そこでわかったのは
もう日本は戦争状態だということ

月曜日、火曜日は福岡で
平和宣言の会議

これはいつも面白い
思想が深い
歴史が深い

変な原理が全部排除される

本当の「共に」が語られる


わたし
またもや
出張先で
ダウン

胃がこわれたようで・・・

しかし
チカヨ牧師にマッサージを1時間もしていただき
すごく楽になり
感謝感謝感謝

わたし
たとえばそこで倒れても死んでも
全部を投げ出してかかわってすべてをやってくれる仲間がいるというところで
どかんと
倒れるようだ

そしてまたわたしも深くなれる

みんな本当にありがとう

今のバプ連っていいよなあ
いいよお



証拠

2007年06月08日 | 平和のこと
前日の記事にTAKEさんがコメントをくださいました。
リストに載ったのは
イエスのみ後を歩んでいる証拠と言ってくださいまして・・・。

妻も同じコトを言いました。

このリストにキリスト教会がたったふたつだけど
載っててよかったね
歴史に足跡残せたね・・・

と。

マジでそう思います。

でもやっぱりこれは氷山の一角で

自衛隊や公安などのリストはもっとあるだろうし
そこに載っているキリスト教会
いや
宗教団体はとても多いはずです。

さらには

国にとって宗教団体はいつでも監視と弾圧の対象なわけで

今回はその象徴的事件なのだと思います。


実はこういうところで

信仰、思想を深めるか
それとも
こういう権力に怖気づいて

だから平和や人権運動なんかするんじゃあない
と言ってしまうかで

宗教は生きるか死ぬかが決まるというような

とってもいい機会だと思います。


これは当教会のみの問題でなく
普遍的な
宗教と国家という問題であり
市民と国家という問題のはずです。


で、

ここで歴史に足跡を残すことが
まさに
キリストの従う証拠
なんでしょうねえ。

つまり神学そのものの事柄で

神学者はコメント出しているのかなあ。

NCCやKCCのプレジデントは何かしてるのかなあ。

つっつかないとあかんかなあ。


リスト

2007年06月07日 | 平和のこと
ブラックリストに載っておりました。
わが日本バプテスト京都教会

イラク自衛隊派兵に反対する団体・個人を
自衛隊の情報保全隊なるところが極秘に監視していたもの。

本日の各新聞をにぎわしているもの。

いやあ
薄気味悪いですなあ。

なだいなださんの「TN君の日記」の時代の再来ですなあ。

イラク戦争がはじまって1年。
自衛隊を派兵するということになって

京都市民は立ち上がり
新聞の一面意見広告をうちました。

STOPイラク派兵
と、でっかく意見をしたわけです。
鶴見俊輔さんや
清水寺の森貫主たちが
顔写真つきで反対メッセージを出しているものです。

その市民運動の
連絡先が
たまたま
日本バプテスト京都教会で

意見広告のすみに小さく出ておりまして

その情報保全隊による資料によると
それでもって
監視されるようになったようです。

ダハハ

大間違いでした。

あれは市民運動であって、
日本バプテスト京都教会が主体ではないのでした。

といいますか
その監視リストを見てみますと

いい加減いい加減

どうも
部下が命令されたから
仕方なく資料をつくったというような

上司、つまり防衛省のおえらいさんに対する
仕事をしました!というアリバイでしかないような

そんなみずぼらしい出来でありまして・・・

なんと言ったらよいのか・・・・

だから、
ちゃんと運動が成功して目立っているところは載っているけど
上手いこといっていないところは載っていないということで

運動が成功しているかどうか
つまりあっちに影響を与えているかどうか
という
指標になるようなリストだとも思いました。

だから載った運動体は喜んでもいいのでしょうねえ。きっと。

わたしのこれに関するコメントは本日の京都新聞に出て、
また明日の赤旗に出ますが、

まあこんなところです。


まずは感情的にだれかに監視されているという薄気味悪さがあります。
しかし氷山の一角でありましょう。
こんなリストは政治や経済の権力を持つ者がだれでも作るだろうと思います。
彼らには、逆らう人たちが怖くて仕方がないから。
つまり自分が嫌われることをしていると
無意識にもわかっているから。

力の不均衡は力を持つ者にそういう恐れを与えるわけです。

もっというと
盗聴やインターネットの傍受だってしているはずで・・・
こっちはそもそも
そこまで覚悟して平和といのちのために運動しているわけですから
まあそんなに今回のは大したことではないわけです。

で、怖いばかりに監視するわけで・・・
しかも法を犯しても怖いばかりに監視するわけで・・・

これは、ただただ
そうやって監視している権力者の人間性の問題でして・・・
彼らの精神性の問題でして
倫理性の問題でして

こちらは
目指すものに向かい
信じるものでもって
語り続け
動き続けるという

ただそれだけで・・・

こういうときははっきり言いましょう。

悪いのはあっち!!


そして京都教会のみなさま!!
うちらが、そういう権力とか監視とかいうレベルの低い精神性に落ちてしまって
国を変にこわがるなんてことにはならないよう

ちゃんと豊かな信仰と精神性をもった人間で在り続けるよう
こういうときこそ
確認したいですね。

そういう意味ではいい機会ですなあ。


こうやって監視しているみなさま
ウチの教会に来なさいな。
豊かな人間の精神性に基づく
豊かな人間関係と世界というものを
体験させてあげましょう。。。

平和を教えてあげましょう。。。

心よりお待ちしております。

ご心配くださり、メールや電話で励ましてくださったみなさま
ありがとう
ありがとう


イラクで殺された人たち
イラクの最前線に行くしかなかった中で殺された貧しき兵士たち

彼らの命が受けた悲惨さに比べて
わたしが
教会が受けた悲惨さなんていかほどか!!



さいごにひとつ

日本バプテスト京都教会という団体でリストアップするより
大谷心基という個人をリストアップしておくべきじゃあないのかなあ。

変なの。

いっぱい出会った日

2007年06月05日 | 「生きる」こと
今日はいろいろ出会った日

大好きなワカナさんの誕生日です。
お昼は教会に来たみんなでお祝いできました。
感謝。

大好きなフジタさんが退院。自分の退院よりうれしい。
うちの息子たちが毎食前に
フジタさんをなおしてください!
って祈ってくれていました。
これからももっともっと祈ります。

しんどい時を迎えている大好きな仲間からも電話をいただきました。
キリストがこういうときこそ絶対に傍らにいるのです。
こういうしんどさはかつて経験しているので僕の腹にもひびきます。
たくさんたくさん祈ります。
しつこいけれどもキリストが共にいるのです。

大好きなイナリさんが訪ねてくれました。
ちょっと泣きそうなくらいうれしかったです。
一緒にワカナさんのバースデーケーキも食べることが出来ました。
ワカナさんにとっては彼女の訪問がサプライズなプレゼントでした。
またいつでも来てください。
夕食時が狙い目です。

ナガノさんと長いこと一緒に時間を過ごせました。
いままでもたくさんおしゃべりしてきたけど
今日はじめて知ることもあって
なんだかうれしいかぎりでした。
これからもよろしくです。

とある雑誌の原稿を書き終えました。
なかなか納得の出来になりました。
自分で納得したのはとてもひさしぶり。
自分で書いているのではありますが、
しかし、書いたものとの出会いでもあることでしょう。

と思ったら
原稿依頼が来ました。

これで6月末に発行されるのバプ連関係の3つに載ることになりますが、
これはちょっと偏りすぎ。
どうしたものか。


しつこいですが
ワカナさんの誕生日でして

とうぜん自分の誕生日よりうれしいわけです。

今から本日2回目のバースデーパーティーです。

でも憐くんは今おふろで泣いています。

胸が
腹が
複雑に締め付けられていて
うれしくくるしく
なんか痛い感覚があるという

そういう日です。

出会いはそういうものです。