きぼう屋

生きているから生きている

永遠

2008年07月17日 | 教会のこと
眠たいですう

思いついてしまったので
書いておきます

おかしい!
と思ってしまいました

よく
共同体について
もちろん教会についても
生物の生涯モデルで
語ることがあるけれども

あれは
やばいなあ!?
と気が付きました

とくに
教会共同体は
絶対にああいうモデルで語ってはいけない!!
と思いました

あるでしょう
こういうの

共同体を

誕生期

幼少期

成長期

成熟期

衰退期



みたいなモデルの
いまはどこらへん?
かでもって

いろいろと探ろうとするやり方!


なんで
これを教会共同体で使用すべきでないかというと

教会というキリストの体は
復活をいただいており
永遠をいただいているからです

こんなサイクルではなくて

永遠をしっかりと共同体のモデルとして語らないというは

えらい罪なことだと

ふと気づいて

てーへんだー

いまひとりで叫んでいるわけです


バプテストの冊子にもこういうの出ていますが
ほんと相当やばいと思います
このモデルで教会を考えていた場合
かなり
というか
もっとも大切なものを
ずっと失っている
ということになっているのだと思います。


さて

本日は京都は祇園祭の宵山でして
街はにぎわっていることと思いますが

祈祷会のあと
参加してくれた方々が

行ったら?
って言ってくれたので

行こうかなあと思ったけど

どうもその気になりませんでしたなあ
なんでだろう
祭りは大好きなのに・・・

不思議と祇園祭には興味がわかない・・・

せっかく京都で生きているのにねえ


なんか
深い理由が隠れているんだと思いますが
もちろんわかるはずもなく
わかるときにわかるから
まあいいわけで


みなさま
いい時間なんで
おやすみなさい