きぼう屋

生きているから生きている

単純

2008年07月01日 | 「生きる」こと

語る言葉の
重たさ

軽さ

というのは

他者と共に在るところからの言葉か
それも
他者のために時間や金や力がささげられている中での言葉か

それとも

時間も金も力もただ自分のために使っている中での言葉か
つまり独り言か



分かれるのだなあ

という単純さ


噛み締めてます


言葉(論理)の精密さや斬新さは
そういうのは
まずほとんど
いやまったく

重さには関係ないのだなあ

という単純さ


噛み締めてます


命であり
世界であり
歴史であり
関係であり
愛であり
希望であり
信仰であり
十字架であり
復活であり

というところの

重たい言葉の場所には

どんなに精密で斬新な言葉であっても
他者への献身のない言葉は

入る余地がない!

という単純さ


噛み締めてます


逆に

他者と共に
他者のために

というところからの言葉なら
そこから発せられる言葉(論理)が
悪い意味で単純で
稚拙で
感情的だったりしても

重たい

という単純さ


噛み締めてます



この間
半ば仕方がないけれども
テーマがテーマだっただけに
わたしの言葉は
軽いなあ

と思うわけです

と言っても
重い言葉を失った場が多い中では
(他者性が消えた場があふれる中では)

軽いとか重いとかないのかもしれませんが

あるのは

快か不快か
わかるかわからないか

といったことであることに
愕然することもなくなるほど

世界でもありますが


しかし

重くないと
もみがらのごとく飛んでしまうのでありまして

やはり
しっかりと
この単純さを
噛み締めたいのであります

おしまい