きぼう屋

生きているから生きている

買い物をこえて

2009年07月29日 | 「生きる」こと
昨日の夕方
いわゆるスーパーに
若菜さんについていくかたちで行きました
ひとつの気分転換だったわけですが

いやいや面白かった

若菜さんの日常生活の一部を共有できて面白かったです

まず駐車場のおじさんと会いますと
そのおじさんが若菜さんに
駐車の仕方がよろしくないいくつかの車について愚痴ります
若菜さんが
そやなあ
といいながら
でもね

おじさんに愚痴られた車のフォローもしております

なるほど
こんなやりとりがおじさんの気持ちを楽にするんだなあと思いました
実は寡黙なおじさんなのですが
若菜さんにはこんなわけで話しかけるのだなあと思いました

スーパーに入りますと
お肉屋さんのおばちゃんが声をかけてくれます
うちの子どもたちのことをすでによーく知ってくれています
さらに次の月曜日がホームレス支援炊き出しなので
その食材の準備もしてくれています
びっくりするほど安くしてくれています
ひとつのボランティアです

若菜さんはずっと世間話をしています
そこでめずらしい肉の調理法も聞いています
えらい楽しそうです
というか
楽しいに決まっています

野菜売り場のおばちゃんには
これお願いしまーす

メモを渡します
炊き出しに使う野菜リストです
はいはい任せとき

やっぱり何かの野菜の調理法を教えてもらっています

これは買い物を越えて
日常生活の共有がなされているわけですが

若菜さんは基本的にどんな場面でもこれができるんだなあ

感心しつつ面白がって横に立っておりました


相当深い人間性の本質でもって生きる姿だと思い
学ばされ
またわたしもその域に行けたらと願いました

すごいねえ

へばりつき

2009年07月28日 | 教会のこと
しばらくぶりの更新ですが
このかんはいろいろとありまして
いろいろ出会っていろいろひらめいていろいろ考えることがゆるされておりますが
しかし
最近のわたしは
そういうことを残しておくことをせず
またいつかなにかに触発されて勝手に脳みそが想起する
ことにすべてをゆだねておりまして

つまり

びっくりするほどどんどん忘れるのでございます

だから
このかんに何があったかをぜんぶは思い出せません

すみません



小学生キャンプがあって庭のイスをつくりました
Wさんの信仰告白とバプテスマがありました
それらの前後におおくの仲間が豊かにかかわるゆえのいろいろなことがありました

いずれも感動ものでした

小学生キャンプでは
子どもたちの成長ぶりがよくわかりました

そういうなかで
子どもたちはおおきくわけると
よくもわるくも
ふたつの仕方で成長することを確認できました

ひとつは
共に分かち合って歩むことができるようになるという成長
もうひとつは
大人の前でいい子になることでうまいこと歩むようになるという成長

原理だけで言えば
ウチの教会の場合は
前者のみで生きる選択をし
後者から解放されることを目指しますが

しかし
だれでもこの両方をもって成長するわけです

ただ
後者が多くを占めるようになると人間性を失うことになるので
それは要注意ですし
大人がそのあたりを見抜きつつ丁寧に共に生きることが大切なのだろうと思いますが

でも
大人には子どもが後者である状態を見抜くことがなかなかできない
ということもあるわけでして

つまり
大人が人間性を失い
なんらかの原理や価値観のみで生きているということが多く

この後者というのが
結構な今の時代のテーマなわけだと再確認しました


単純にいうと
単純に言うのでこれにすべてが当てはまることは絶対にないのですが
つまりこれを原理化して何かを考えることには意味を見出すことができないのですが

しかし単純にいうと

子どもどうしの交わりの質量を経験していると
前者が占める割合が多くなり
大人と付き合う時間が多いと
後者が占める割合が多くなる

のだなあと思いました

だからこそ
教会は
徹底的に家族として
めちゃくちゃ身近な者どうしとして
血縁など関係なく本当に家族として
歩むことを求められているわけです

ここで距離を置くと
「後の者は先になり、先の者は後になる」
のは本当なんですねえ

教会といわずとも
なんらかの交わりに
全身全霊でかかわることができているか
それとも
自分に都合のいいところだけもらうかたちで
それなりの距離でかかわるか

人間の成熟度は相当に異なってきます

なんでも徹底的にかかわることが大切です
それは
十字架をなんで俺が背負わねばならないねん
という思いが起こるほどまでに
徹底的にかかわることが大事です

この十字架性を獲得できないとき
聖書的にいうならば
人間は人間にはなれないわけです

するとどうなるか
人間は神を目指す生物となるわけです

これが偶像礼拝!!

鍵は十字架性!!


だから
例えばとりわけ学生時分から

クラスでもサークルでもなんでも
ぐちゃぐちゃっとした人間関係から
面倒くさい組織運営まで背負う体験をしていない人は

すこぶる要注意!!

いつからでも遅くないので
へばりつく関係性を確保したらよいと思います

聖書的にいうならば
それが聖霊の導きでございます



書いているうちにこのようにどんどん予想もしていない方向に話がいってしまうのですが
(最近は説教もそうなので
 もはや原稿を書いていないのですが)

次回は信仰告白とバプテスマのことを思い出してみます


さてさて
こういう気候で
心身ともに
あるいはいずれかが
疲労しきっている方がたくさんおられます

祈ります
主イエスが共にいます!!!


ではでは

提言その2

2009年07月18日 | 「生きる」こと
週報巻頭言に数回にわけて掲載している
日本バプテスト連盟中長期計画への提言です

その1
は少し前にあります

さて
明日から小学生キャンプ
わたしがウキウキしてしまいます
こういうところは子どもじみていてだめですねえ



************************

3) 格差、貧困と個々人

 貧困層が起こり、格差社会となった現代社会は、極論ではなく勝ち組と負け組みとで構成されるようになった。そこでは勝つための競争が起こる。さらには勝ち組となるための教育も始まった(京都市では高校の授業でマクドナルドの経営戦略を学ぶ)。
 競争は同時に分断を生む。ある個人が勝ち組となることは同時に他の個人を負け組とすることである。
 現代における貧困は、分断された個々人の貧困である。貧困に苦しむ者は、同時に分断され孤立していることに苦しむ。競争において分断され貧困となった時、人はその苦しみを共有する関係にある他者をも失っている。つまり「共に苦しむ」仲間がいない。さらには貧困となった原因を自分に見出し自己否定することで(自己責任論)、自分との関係をも失っていく。したがって当委員会は、ホームレスを「ホーム(関係性)」の「レス(喪失)」と認識する。貧困の大きなテーマのひとつは、孤立からの解放であり、関係性の回復、ホームの形成である。そして分断とのたたかいであり、人間の恢復である。
 勝ち組は苦しむことがないかと問うならば、私は勝ち組こそ決定的な苦しみを内包していると言わざるを得ない。まずは勝ち抜いた人も孤立している。「共に喜ぶ」仲間がいない(勝つことが喜びであるとは本来言うことができないが)。また競争を勝ち抜いたということは、他者を踏みつけ、他者から搾取したことであるが、それを自覚しないよう調整しつつ生きることは苦しみではなかろうか。仮にそれが無意識であったとしても。人はこういう場面でさばかれるのを待っている。そしてさばかれるゆえに存在を赦され、次こそは他者を踏みつけるのでも搾取するのでもなく、別の道を歩むことを希む。しかしそれでも同じ道を繰り返すときにはもう一度さばかれる。これが信仰である。
 勝ち組、負け組という枠組みとは関係なく、現代の格差・貧困社会の中での大きな課題は「個人」である。分断された個人とは他者と出会うことのない個人である。そこで個人はおのずと自らを世界の大きさまで肥大化することになる。先ほどナンシーの、現在の経済は「超」経済という正体不明のものとなった、という論を紹介したが、個人もまた「超」個人となり、いまや正体不明のものとなった。あるいは「超」人間と言えるかもしれない。すなわち、今われわれは人間であることを止めて、人間を超えようとしている。これこそ、自分自身の、あるいは個人の偶像化、つまり人間の神化ではなかろうか。そしてそれは個人が世界になるはずのないところで、世界となろうとする不思議な挑戦である。しかしその挑戦に生きる者は自身が世界全体となる幻想を抱く。そこではアイデンティティが肥大化する。その現象は、個人主義と信じつつ国家やなんらかの力と自身を一体化させるかたちで現われる。平たく言うと長いものに巻かれることが個人主義を信じるゆえに起こる。個は他者との出会いからのみ起こされるが、他者との分断からは起こされ得ない。他者と共に生きる中で個人は個人とされるが、分断される中では個人は「超」人間という肥大化した幻想体となる。そしてその幻想体はそれぞれの時代地域の中で最も大きな力と必ず結びつく。つまりそれにより自身が最も肥大化できるからだ。そしてこの個人という名の「超」人間が「超」経済というグローバリゼーションを産み出した。

このかん

2009年07月15日 | 「生きる」こと
木曜日の夜
息子たちが小学校から映画の優待券をもらってきたことから
この夏の映画の話をしてまして
そこから
ポニョのDVDを近々手に入れよう
なんてことを言ってたのですが

翌晩
友人家族が訪ねてくれて
なんと
ポニョのDVDをプレゼントしてくれました

そのご家族では
この夏にしたいことを話していたとき
ウチの息子の同級生のお嬢さんが
大谷家を元気にしてあげたい!
と言ってくれたということで
こういうことになったということであります

どう感謝したらよいのでしょう

大谷家は間違いなく元気をもらいました!
ありがとう!!

土日はいろいろありましたが

そのなかからひとつ
それは教会の若人にまたまた感謝するしかない!
ということなのですが

日曜日の午後は
全体懇談会と
次週の小学生キャンプの最終打ち合わせという
ふたつの話し合いがありましたが

誰に頼まれたわけでもなく
書記をしてくれた若人がおりまして
しかも
翌日朝には書記録が届き
その中身が
話し合いの雰囲気が伝わるほどのすぐれた記録でありまして
(記録なのに無機質でない!!)
びっくりしつつ
感激しつつ
感謝するのでありました

また
日曜日の朝に
ドアの上部にくっついていて
ドアの開閉スピードを調整できるようにしている
いわゆるドアクローザーという部品が壊れてしまいまして
鉄の扉がものすごいスピードで閉まる
という危険な状態になりました

しかししかし
ここでもひとりの若人が
工具片手に分解してくれて
油圧シリンダーが割れていることを発見し
さらにホームセンターに透かさず電話して
在庫しているドアクローザーについて問い合わせ
すぐにそこに行って買ってきて
付け替えてくれるという
しかも
真夏日の真昼なので
汗だくだくでありまして
これまた
感激しつつ
感謝するのでありました

ありがとう!!


昨日はホームレスを強いられている仲間(いや!もはや家族!)が倒れ
救急車を呼ぶというところから一日がはじまりましたが
午後には回復して感謝でありました

また本日は教会の仲間(いや!もはや家族!)が長かった入院生活を終えて
家に帰ります
これまた感謝

引き続きたくさん祈ります


番外編ですが
昨日は息子たちの授業参観がありまして
現在は3人が小学生なので
三つのクラスを見に行ったわけですが
とくに長男が
親も一緒にすることがあるから絶対来て!
というので
わたしもウキウキしながら行きました

すると科目は家庭科でして
机の上には針と糸とフェルトがおいてありまして
それで小さな袋をつくるということで
親も手伝ってよし
ということでありまして

空くんもわたしに言うのでありました

ががりぬいやって!!

おいおい
そんなはじめて聞く単語を言われても・・・
そんなむちゃぶりご勘弁

でも玉結びは教えてあげられました

というわけで

いつもながらに
感謝感謝なのです



心がまっすぐ

2009年07月13日 | 教会のこと
9月21日に開催予定の
関西地方連合信徒大会に
講師としてお招きする加藤享牧師と電話でお話しました

加藤牧師は77歳
70代80代の方々とお話できることは恵みです
わたしは多くを学ぶことができるゆえに
おじいさんおばあさんと話すのが大好きです

ただし
心の曲がっているおじいさんおばあさんのお話は全く聞くことができませんが・・・
これは牧師としては失格なのですが
わたし無理なんです・・・

キャリアとか
格好とか
知識とか

そういうのはあまりわたしには関係がなくて
心がまっすぐな先輩の話のなかに
きらきら光る宝物を発見してしまうのです

でも心のまっすぐな人は
まっすぐなゆえに
敬遠されている場合もあるのですが

でもわたしの短い経験では
この曲がった世の中で
知らず知らずに心も曲がるとき
心のまっすぐさと対立してしまう

という動きなのだなあと思ってもおりまして

単純に心がまっすぐ
ということを死守することが
実は強烈なたたかいであったりするわけです

そんななかで
加藤牧師のまっすぐさにはいつも驚かれます
無論
わたしの心も曲がっているところが多々あるので
ぐさっ
ちくっ
というところもあるのですが

これを繰り返し受けることがわたしの心をまっすぐにすることになるなあ
と思っています

「礼拝と生」
というテーマでお話いただきます

そこで今加藤牧師が考えておられることを伺い
私の意見を生意気にも述べさせていただくというやりとりを
一時間強させていただいたのですが

いいねえ

礼拝
それは
牧師も信徒も
命をかけられる唯一のもの

牧師はまず説教に命をかける
その内容は生涯かけて研鑽すべきであるし相互批判をすべきである
さらには
聴く方々へ目も心も体もまっすぐ向けること
服装から声の調子まで主の日に向けて整えること
という身近なことにも命をかける
(けっこうこの身近なところに真理が隠れていると昨今わたしは考えております)

信徒は礼拝を守ることに命をかける
それも身だしなみや時間ということも含めて命をかける
さらには
教会や礼拝が疲弊している今であっても
礼拝に癒されることを信じるゆえに命をかける
神に癒されるからこそ礼拝に命をかける

といったことを伺いました

さらに
教会でなんらかの奉仕があるとか行事があるとかで教会に行くのではなく
礼拝に命をかけるから教会に行く

というのも面白かったです

しかも
元気いっぱいだった若いころを反省しつつ語っておりまして
心がまっすぐなんだなあ
と感動しました

わたしなら
徹底して
主語をキリストにしますけれども

加藤牧師の主語が人間行為にあるのは
まさに時代の言葉なので
こちらが解釈すればよし

というわけで

もう何度か対話を重ねて
信徒大会を有意義なものしたく願うのでした

心がまっすぐ!
これだなあ

提言その1

2009年07月11日 | 教会のこと
週報巻頭言はアップしないの?
とご質問をいただきました

実はこの間
週報巻頭言を新規に書くのはさぼっておりまして・・・

日本バプテスト連盟の宣教シンポジウムに向けて提言を各委員会が書くように
ということで
わたしもホームレス支援特別委員会の責任を担う者として
委員と議論をして書きまして・・・

それを
さぼるためではなくて当教会で共有することも大切なので
週報巻頭言にて
何度にもわけて掲載させていただいているところです

では
その週報で掲載できた分を本日はアップしたいと思います。
このブログでは3~4回にわけて二週に一回くらいでアップできるでしょうか
続きがだいぶあとになりますがすみません

連盟への提言ですが
しかしキリスト教界への提言でもあります
ではどうぞ

****************************

日本バプテスト連盟中長期計画に向けての提言 その1

1) はじめに

 現代の世界システムとなったグローバリゼーションの只中にある教会は、キリストに従うゆえにどういう存在としていかなる行為をすべきなのか、が、今回のシンポジウムの大きなテーマと理解する。そしてそれが日本バプテスト連盟中長期計画の中で具体化されるものと期待する。
 当委員会は、一貫して掲げる委員会理念をグローバリゼーションの世界の只中で噛み砕くかたちで今回の提言をしたい。
 そこではじめに、連盟定期総会資料に常に記している当委員会理念を確認したく願う。

<理念>
* マタイ25章31節~46節の御言葉に立つ。「主の兄弟である最も小さい者のひとり」としてのホームレスに関わることは、信仰の、そして福音宣教の課題であると考える。
* マタイ4章4節の御言葉に立つ。「ホームレス問題」は、「ホーム」ということばで表現される「関係性」「帰るべきところ」「いのちの基盤」「家族など愛し支えあう者たちのいるところ」の喪失がその本質であると考える。ホームレス問題は単なる「ハウスレス」問題ではない。「ハウス」(家)に代表される「衣・食・住」という物質的な必要を満たすとともに、教会、家族、地域、学校、職場における関係、そしてそれらの土台である神との関係を回復することこそが、課題である。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」。ホームレスのひとりひとりを含め、わたしたちのすべてが、神の口からひとりひとりに対して与えられる赦しと愛の宣言のもとで兄弟姉妹であり、家族であると理解する。

2) グローバリゼーション(余剰、搾取、格差、貧困、戦争)

 グローバリゼーションはホームレスを産み出す。システム上これは必然である。
現代の多くの思想家が言うように、グローバリゼーションの正体は余剰分の確保を競うことである。企業は世界市場の競争で勝つため資本を増加せねばならない。したがって企業は資本を拡大することに躍起になる。すると利益は資本にまわされ、労働者確保にはまわされない。また合併や買収により資本を増やす。そこでは労働者が多数解雇される。
資本は社会に還元されない端的な余剰分である。今世界には余剰がある。しかしその余剰を大きくしなければ経済競争に敗れるシステムとなぜかなってしまった。そして資本という余剰金がさらに増え、市場にまわる金が減る。
さらに余剰分増加のための搾取が起こる。余りのないところがさらに搾取される。ここで大きな格差が生まれ、貧困が拡大する。
そしてホームレスが産み出される。
実際に日本においても、このシステムを導入した小泉構造改革以降、急激にホームレスが増加した。
したがって当委員会にとって、グローバリゼーションは緊急に克服すべき世界システムである。
敬虔なカトリック信者の思想家であるジャン・リュック・ナンシーは、このようなシステムはすでに経済ではなく、あえて呼ぶなら「超」経済であり、それは経済が経済を超えて正体不明のものになったということであると分析する。この論は後の提言にも結びつくので紹介する。
さらにグローバリゼーションは戦争を生み、人を殺す。貧困を受ける者は貧困からの解放のため戦争ですべてが変わることを望み、また資本増大を目指す者は搾取の手段として戦争を歓迎する。
よって「殺すな」という戒めに立つキリスト教会にとって、またその戒めを「平和に関する信仰的宣言」として告白する当連盟諸教会・伝道所にとって、戦争を必然的に生むグローバリゼーションの克服は緊急課題である。


コロスケ

2009年07月07日 | ホームレス支援のこと
昨日はホームレス支援炊き出しでしたが
司法書士さんに多大なご協力をいただき
3名の方が自立にむけてスタート

20代前半がおひとり
30代半ばがおふたり

みんなすごくいい顔になりました

いい報告をしにまた来ます

20代の青年!!

待っておりますよ!!

さてさて
しかしさみしいこともあります
それは自立へスタートする際に
同居人のペットを伴うことができないということ

というわけで

明日から我が家にコロスケがきます
3歳のダックスフンド

瞬間的に勢いも借りて覚悟を決めてコロスケと生活する決断をしました

ウチならご主人の彼もすぐに会いに来れますし


妻にも子どもたちにも事後報告
でもいつもながらさすがの若菜さんでして
そうなると思ってた
ということで・・・
すでに覚悟が決まっておりました


さてさて
今年は丸10年働いたということで
夏に二週間の休みをいただき
九州に行こうと思っておりますが
さてさてコロスケがやってきてどうなることやら

いやいや
日常生活に何か新しい事柄が生まれるはずでもあり
それも一筋縄ではいかないはず

犬は子どもたちに手がかからなくなったら
と思っておりましたが

しかしまとめて手がかかるという形態は
親にも子どもにも大切な事柄を産み落とすも本当ですので

大変だけど
幸せです


だから安心して自立にむけて歩んでくださいませ

犬小屋どうしようなかあ
みんなでつくろうかなあ

お帰り!

2009年07月04日 | 「生きる」こと
空くんが今日の夕方に帰ってきました
今週は小学校の四泊五日の長期宿泊で
福井に行っていました

えらく楽しかったようですが

空くんのいない今週の我が家は
みんななんかさみしいのでした

四男の憐くんがいつもお祈りしました

空がいません
空が大好きです
神さまが守ってます

守ってください
ではなくて
守ってます
というのが実に信仰的
神学的にもめちゃ深い

学ばされるお祈りでした

共くんも添くんも
ことあるごとに
空がいないなあ
とつぶやいていました

家族で買い物に行ったときも
子ども4人いるから
大勢に見えるのだけれども
少なすぎてしっくりこないものがありました

そして
いよいよ今日の5時半に学校に着くということで
妻が車で学校までお迎えにいきました
憐くんと言ちゃんも連れて行きました
共くんと添くんは遊びに行って帰ってきていなかったので
一緒にお迎えには連れて行けませんでした
わたしも二人が帰ってくるかもしれないのでお留守番をしながら仕事をしていました

すると電話が妻からかかってきました

共と添がふたりで空のことを学校の前でもう待ってるんよお!!!

なぁんだ
そういうことだったのですか

そりゃあ会いたいわなあ

というわけで

今日の夕食は
ひさびさにしっくりくるにぎやかさでした
早速けんかもしていました

こんな調子なので
将来
私の子離れは苦労するかもしれません

空くんお帰り!!

予告!キリスト教会基礎講座!

2009年07月02日 | 「生きる」こと
予告です

バプテスマクラス全10回を
バプテスマ希望者だけでなく、
既にキリスト者としての生を選び取っている人のためにも開催する
ということを週報紙面などで書かせていただきましたが

いよいよ今月から開始したいと思います。

まずそのクラスの名称ですが

キリスト教会基礎講座

としたいと思います

「キリスト教」
ではなく
「キリスト教会」
です。
つまり一般抽象的なものではなく
(わたしはキリスト教という一般のイメージが嫌いなのです)
具体的な
だからこそ真実であり真理であるところの
キリスト教会
についての基礎講座です。

20世紀最大の神学者カール・バルトが
彼の最大の著作を
教会教義学
と名づけたことに通じるかもしれません



この
キリスト教会基礎講座の第一回を

7月23日(木)午後8時~9時で開催します
どなたでも参加OKです。
場所は集会室です。

第二回以降は
毎週木曜日の同じ時間にしたいと思います

そして毎年一回この講座を開催しようかなあと思っています


しかしバプテスマ決心者については
マンツーマンでしますので、
別途ご相談を。

以上予告でございました

ご予定くださいませ


この間

2009年07月01日 | 教会のこと
日曜日

礼拝がなにしろもりだくさん

Yさんの子どもメッセージは
なんと40年前にご自身が製作された視聴覚教材を用いてのもの
それだけで感動

Iさんの信仰告白はキリストとの出会いの衝撃が語られもちろん感動

福岡から来てくださったKさんに
急遽お願いした証は
キリストに押し出された働きの
深さと重さと軽やかさに
圧倒されて
感動

わたしの説教は
もうどうでもいいのでした

午後は子どもキャンプでみんなでつくるイスの試作
うまいこといきました!
こちらは安心


その後はバーベキュー

2週間前の全体懇談会で
青年Yさんが
バーベキューをしましょう!
ということで
これまた急遽決まりまして

みんなでたらふく食べたのですが

これがこれがなにしろ楽しいばかりでなくて
ウチの教会の交わりの変化と成熟をしっかりと知るものとなり
感謝するばかりなのです

教会のおばあちゃんたちが
バーベキューで手伝うことある?
って青年たちに聞くのだけれども
彼らは
「手は出さなくて大丈夫なので口だけたくさん出してください」
とまあ
わたしが来て11年ではじめて聞くお言葉を発せられまして・・・

たぶんなんでも負ってくれてきているおばあちゃんたちですから
ほんとに何にもすることがなくて
逆に落ち着かなかったかもしれません

しかししかし
もう前とは違うのです
若者はたくさんいるし
みんなどんどん育っているのです

すごいねえ

でも若者たちの今の姿と行為は

教会のおばあさんたちが
いつも存在してくれて
見守ってくれて
祈ってくれている
ということの中で生まれています

あるいは
教会を愛し
教会にまさに献身する
たとえばYさんのようなステキな先輩が
いつもおられることが
若者たちの安心をかたちづくりますし
僕も同じなわけです


そう
いつ教会に行っても
いつもいてくれるという先輩たちが生まれた

ということが
同時に
若者や子どもたちを生むわけです


またバーベキューには
まあさんが友人ふたりをつれてきてくれました

Iさん親子も
実家の大阪から駆けつけてくれました

うれしかったあ



昨日夜は
バプテスマクラス

Nさんがバプテスマに向けて準備を開始しました

WさんとNさんのバプテスマクラスをそれぞれ火曜と木曜に持てることになり
これはこれはキリストに感謝するしかありません

祈って祈って祈ります


本日昼前に
お電話をいただきました

Mさんからのひさしぶりの電話

何度か電話でお話をいろいろとお話させていただいておりますが
とても元気になられたとのこと

うれしいねえ


それがわたしのおかげだ!
というところは曲げられないということで

わたしも
いやいやキリストさんのおかげだ!
と曲げないというやりとりを

笑いながらしたのでした

でもほんとに
キリストさんのおかげなのです


感謝感謝

ではでは