きぼう屋

生きているから生きている

ダニはコンクリートも食べるもんねえ。たしか。

2007年07月28日 | 「生きる」こと
ダニって絨毯にいるんやろ?

そうや。

畳にもいるんやろ?

そうや。

噛むんやろ?

そうや。

ちっちゃいんやろ?

そうや。

・ ・・・・・・

何で急にダニのはなしするん?

こわいやんか。

こわい?

こわい。

・ ・・・・・・・

・ ・・・・・・・

そうなんかぁ。
じゃあええこと教えたる。
ダニはな、壁にもおるねん。
頭にもおるねん。
顔にもおるねん。

・ ・・・・・・・・・

ほんまやで。

・・・・・・・・・・・

でな。
頭とか顔の肉を食べてんねん。

・ ・・・・・・・・・・

もひとつええこと教えたる。
ダニはな、落ちているお菓子のカスとか
洗わないでよごれている顔とか頭とかを食べるねん。

・ ・・・・・・・・・・・・・

だからちゃんときれいにして、
ちゃんと洗ったらいいねん。

・ ・・・・・・・・・・・・・・

おまけにもひとつええこと教えたる。

・ ・・・・・・・・・・・・・・・

ダニさんのほうがな
そうくんのことこわい思うで。
そうくんダニさんから見たらめちゃでかいやん。

そうやな。

そうや。

*****************

とまあ、今朝のやりとりですが
そうくんはなんで急にダニがこわくなったのか・・・
結局わからずじまいですが・・・

少しはお風呂でちゃんと洗うようになってくれるでしょうか・・・
こんな脅しは通用しないでしょうか・・・

そういえば、我が家の風呂の石鹸がレンガのような大きなものに
この間いつからか変わっておりました。
ようやく今朝
若菜さんにその石鹸の正体を聞くことが出来ました。

以前にイラクから芸術家の方々が教会に来てくれたとき、
イラクのオリーブオイルで作った天然石鹸を持ってきてくれたのだそうです。

この石鹸
すごく汚れが落ちるし、からだに気持ちいいです。

またレンガ大の大きさのせいか
石鹸が自己主張しているように見えて
なかなか頼もしくありがたいです。

ぜんぜん話がかわりますが
この間で
すえっこの憐くんが
やたらおしゃべりできるようになり
やたら自己主張するようになり
やたら反抗するようになり

なかなかかわいく
なかなか手ごわくなってきました。

しかしこの頃はなにしろ見ていて飽きなくて
こちらも楽しいです。

お兄ちゃんたちみんなそうですが
なんか大きくなるのが早すぎます。

憐くん
もうしばらくこのままでいてくれないでしょうか??

あと

お兄ちゃんたちの食べる量が増えてきて
もう今の段階で食費が膨らんできています。

さてさて
この4人の息子がみんな食べ盛りになったとき
我が家は教育費も含めて
どうなるんでしょう??

楽しみ楽しみ。

さかのぼり

2007年07月27日 | 「生きる」こと
7月26日。
前期集中の人権論講義が終了
講義ごとに学生に応答を提出してもらいましたが
その応答を見ると
認識が深くなってきたことがわかりひと安心
人間が人間でしかないところの人間でありつづけるための鍵は
共感共苦である!
という最後の講義を
人生の具体的決断として
選び続けてほしいなあと
切に願います。

7月24日
トモキくんの家族と一緒に
大阪ドームへ!
オリックス応援団として
みんなで騒ぎに騒ぎ
しかも
オリックスも快勝して
なんとも楽しいひとときでした。
念願のローズの一発も見ることが出来ました。

7月22日
夕方からデモに参加
なかなか元気な若者たちが参加することで有名なこのデモ
一回くらい顔を出したいなあと思いつつ
時間が作れたから参加
いやあ
デモに出発する前にびっくり
警察の多さと公安の多さ
出発直後から公安がひとりひとりの顔を激写する・・・
最近警察官が多くなった気がするのは僕だけか・・・
権力を持つ者が増えることは社会にとって毒だが
そうやって権力でしか市民を縛ることの出来ない社会になったというわけでもあり・・・
対話する力がなくなったということでもあり・・・
しかし
これは
デモ隊を守っているのではなく
デモ隊を縛っているので
とっても変!!
東京でのフリーターたちのデモもそういう状態だったと聞いたけど・・・
今の警察は若者に恐ろしく強く出るようで・・・
しかしとくに情報収集をする公安の仕事って
どこにやりがいがあるのだろう・・・
趣味が悪いよねえ
それとも洗脳されているのか・・・

7月21日
空君の和太鼓の発表会
うーん
なかなか格好が決まっているではないですか。
しかし
不思議と
一テンポ遅れてたたくのですが
なぜ??
でも、
その一テンポが正確に遅れるから曲にはなじむという・・・
うーん
というわけで
よくみると
リストがやわらかくしなっていて
その分遅れておりまして・・・
それって
空君の得意な流し打ちのときの手首ではないですか!
野球も和太鼓も同じかいな??
一緒に習っているソウくんの家族と一緒にごはんも食べて
なんともうれしく感謝です。

7月20日
夜は市役所前でのホームレス支援炊き出し
大雨
しかたなく地下街へ通じる階段の踊り場へ
しかし楽しい交わりのひとときであるのはいつもと変わらず・・・
しかも
その階段で
たまたまお兄さんとお姉さんが
ギターを手にとって路上ライブ
涙そうそうにさとうきび畑と
なんだかうるうるな選曲
しかも正直うまかったです
感謝感謝。

朝は親子タウンミーティング訴訟
いやはや
ああいう権力を持っている偉い人たちの
情報を集める執念はおそろしい・・・
意見の異なる市民のプライバシーも何も関係なし
そういういうことが明らかになってくる裁判で
わたしは自分もそうやって情報収集されていることを確信しつつ
22日の公安の姿を見てもわかるように・・・
でもまあ
のびのびとやっていこうとあらためて決断
だってこっちは悪くないから・・・

7月19日
夜は京都でホームレス支援をする団体、個人と当事者が集まる定例の寄り合い
テーマは相変わらず深い
隣人性ゆえですなあ・・・
そこで一人の方が
会議の終了後
Yさんは亡くなったのですか?
と、聞いてこられまして・・・
そう!
今月亡くなられた教会の重鎮ですが
Yさんは、その方にとっても心の支えであったとのこと
なにしろ幅広くいろいろな方にかかわってこられた方だったことがさらにわかりました。
そうそう
22日にも、Yさんの死を悲しむ方に出会いまして・・・
わたしの知らないところでいろんな接点があったわけです・・・
教会でも
比較的新しく教会のメンバーとなった仲間たちがとても悲しんでいます。
つまり、新しく教会に来た方にちゃんとかかわったのがYさんということです。
そして
Yさんを追悼する冊子を作るという計画がそういう有志たちによって始まろうとしています。
私も全面協力します!!!!!

7月17日
昨日転んで骨折された教会の大事な大事なおばあちゃんの緊急手術
大成功
今はもう大変元気。
もうしばらく入院とリハビリですが
みんなで応援しています。
イエスさまが一緒です。
そのおばあちゃんは前日の教会のキャンプで転ばれたので
そのキャンプでかけた保険屋さんのところへ出かけました
それは四条通りのジュンク堂の対面にあるのですが
そうでした。
まさに
祇園祭でした。
いつもなら10分でつくところを
約1時間かけて到着
しかし
こういうかたちで初めて祇園祭を体験
なるほど壮大です。
しかし違和感があるのですねえ。
なぜだろう・・・
そうだ!!
祭りの参加者と、見物人が、ロープで仕切られている!
そこでは一緒に祭りをつくるというのがない!!
これだ!!
みんなで重層的に参加できる祭りが懐かしくなりました


7月16日
教会学校キャンプで止揚学園に。
その二日目
ひとつひとつのプログラムの深さにみんなで感動しつつ
しかし
ちょっとけが人もあってしまって・・・
それが先ほどの教会のおばあちゃん
その後
止揚学園の福井先生やスタッフもお見舞いに来てくださっているとのこと
感謝感謝。

7月15日
止揚学園のキャンプへ礼拝後出発
台風が心配だったけれど
それてくれたので予定通り出発
しかし今年のキャンプは
私が楽。
新たに教会の参加してくれている若者たちが
こういうのを自発的に担ってくれるから・・・
感謝感謝。
京都教会が失いかけている自発性を
新たなメンバーがかもし出す・・・
京都教会は祇園祭化してはならないのだ・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久々に更新できました。
他にも入院された方、引越しされた方、心のしんどい方
などなど
いろいろなかかわりがありまして・・・
なんとも忙しいときでありましたが
今日くらいから
普通くらいになりそうです・・・


落ち着いてみると
あらゆるところでやり残している机仕事があり・・・

間に合わないなら間に合わないでいいや

いつもの感じでひょうひょうとやっていきたいと思いつつ・・・

祈りに祈りさらに祈ってくださいませ

2007年07月14日 | 教会のこと
鴨川はいまのところなんとかなっているけれども
近づく台風によって
いつ荒れ狂うか
予断をゆるしませんなあ

今夜は眠ることができませんなあ

むろん
河川敷の仲間も眠ることなどできないわけで・・・

河川敷の仲間を覚えて
祈りに祈ってまいりましょう

明日の礼拝後に出発して
教会学校の夏期学校で止揚学園に行きます
総勢29名で行きます

我が家の子どもたちは今、荷物の準備をしています

台風で荒れた園内の後片付けをやってもらうことになるかなあ
と福井先生は申しておりました

というわけで
参加者で
明日の出発までにこの記事を読んでくださった方は
台風の後片付けができるような
汚れてもいい服をぜひ荷物に入れてくださいませ

荷物は車で別途運びますので、多少ふえても大丈夫です

ではまた明日

こんな不安な夜にも平和があることを祈りつつ

鴨川河川敷の仲間を覚えて!

2007年07月13日 | ホームレス支援のこと
台風が来てしまいます。

山々はこの梅雨により
もはや雨水を溜める余裕はありません。

鴨川は増水します。

この記事を読んでくれている京都のみなさまは
鴨川河川敷で生活する人たちを
今こそ忘れず
さらに
具体的に苦しむ彼らにかかわるための準備を
台風が来る前の今から
自らの精神において
していただければと
願ってやみません。

地球より重い生命のために
しかるべき決断を
ご一緒に。

この間

2007年07月13日 | 「生きる」こと
しばらく更新できてなくてすみません。

この間
教会の仲間がおふたり天に召されました
どちらも昔からのメンバー

祈って祈って祈ります。
そして
これまで
ありがとう
これからもキリストを通してつながりつづけることを信じつつ

死の出来事を胸締められつつ覚える中で
日曜日は教会の大切な奉仕を担ってくださっている方の誕生日
午後の委員会に出席できた仲間でハッピーバースデー!!
おいしいケーキを分かち合いました
いつも祈って覚えていただき
わたしたち家族は支えられています
ありがとう
ありがとう

とある野球場で
プロ野球観戦をした方が
そこでの催しで
おいしいこしひかりを当てまして
そして
それを
なんと寄り添いネット(ホームレス支援機構)に寄付してくれました
ありがとう
ありがとう

当教会のバザーのために
地域の方々が献品をしてくださいます
この間もふたりの方がたくさんいいものをくださいました
ありがとう
ありがとう

人権論の講義において
学生に講義ごとの応答を提出してもらっていますが
その応答が回数を重ねるごとに深くなり
さらに学生自らの体験を告白するかたちで
それと対話させてくださる応答となってきており
これはこれは
講義をしっかり聴いてくれているということでして
ありがとう
ありがとう

今週は補講もあったので週二回学生たちに会えました
これもうれしく
ありがとう

半年前にお連れ合いを
アスベストによる癌でなくされた方が
長い闘病を共に生きてきたその歴史を
冊子にされて
それをわざわざ届けてくださいました

ほんの少しだけ
その歴史にかかわることがゆるされただけですが
でもその出会いもまさに出会いであって
ありがとう
ありがとう

お連れ合いの死者としての歩みを覚えて
祈ります

この間日曜日の礼拝に一緒に参加してくださるようになった方が
初めて火曜日の祈祷会にも来てくださいました
文句なくうれしく
ありがとう
ありがとう

水曜日の祈祷会には
教会以外の場所でずっと親しくさせていただいている方が参加してくださり
キリスト者ではないけれども
自らの言葉で丁寧に祈ってくださり
実質キリスト者というしかないような出来事が起こされ
やっぱり文句なくうれしく
ありがとう
ありがとう

さらに東京の西片町教会の
鈴木正久さんがばりばり牧師をしていたころ
怜子さん(現NCC議長)がまだ幼少のころ
から
教会を支えている方も
水曜日の祈祷会に参加してくださいました

歴史を学び旅行に来られたとのことです。
なんか
その祈る姿勢に
圧倒されました

そして戦争罪責を告白し続けた西片町教会の歩みを
自らのアイデンティティとして語ってくださいました
この出会いもまた
ありがとう
ありがとう

あるホームレスを強いられていた仲間が
いよいよアパートにて自立できることとなり
これもとてもうれしく
ありがとう
ありがとう

すぐにおいしいものをもって遊びに行きます

先週とってもしんどくて
素直にバプテストの仲間に助けを求めくれた方は
多少生きる力を取り戻して
家族の下でのいつも生活を再びはじめることができました
ありがとう
ありがとう



生と死

2007年07月07日 | 教会のこと
生と死を
あまりにも壮絶な事柄として
身に受けた
木曜、金曜、土曜

この三日間の中で不思議と重なって起こった出来事は
その重なったものとしてであると同時に
それぞれが個々の出来事であるごとく個々のものとして
私の人格の決して少なくない部分を
変革するに十分なものとなった

生の重みと
死の重み

どちらもちっぽけな私をつぶすには十分な重さであると同時に
しかしその重い生と死という頑丈な土台の上に私があるということを
確認できたときでもあった

逆に言うなら
生は軽くなるはずなく
死も全く同様である
ということ

死の重みを受けた直後だったからこそ
生の重みを覚えてすべてをかけて動くことができた

生の重みを受けた直後だったからこそ
死の重みを丁寧に受けることができた

泣きながらの司式となった告別式

それは
集うことのゆるされた者への
新しい生への招きとなっただろうか


心身があまりの疲労に動くことを拒否している
しかし
中心ががっちりぶれないゆえの安定感がある

明日の礼拝の週報と説教は
間に合うのだろうか

間に合わないなら
それは
それでいい

むしろ間に合わないのが良いのかもしれない

生と死の重みが
明日の礼拝で語られるためには・・・

はっきりとあまりにはっきりと

言えることがある


神は共にいる

役立ってくれれば

2007年07月04日 | 「生きる」こと
昨日の夜は講演をしました
現役の保育士と福祉士が集まる講演会でした

しかし
有料の講演会でして
お金まで出して聴きに来てくださる方はいないだろう
と思いつつ
しかし
いてくれて少しホッとしつつ・・・

だって
この企画
毎週一回で5週間
計5人の講演会というものなのでして・・・
そして
聴きたいところだけの分のチケットを購入するという企画でして・・・
そして
私以外の講師が
ビッグネームでして・・・


みなさん食いついて聴いてくださいました
そうなると
不思議に
話す側も上手いこと言葉を選べるという

聴くことと語ることの
その現場での
行き来
というものが今回もあらわれたなあと思い
感謝でいっぱいです

また質疑応答の時間における
質問の中身が深いものばかりで
とても感動しました

他者とかかわりつづける職務における困難というのは
方法論だけではどうにもならないもので
そのどうにもならないところの思想を
講演でお話させていただいたわけですが・・・
そして相当に思想的に深い話をしたわけですが・・・
そこをさらに深く
自らの経験との対話から考えたいという質問ばかりで
実は質問を聞きながら目頭が熱くなっておりました

そしてこのどうにもならないところは
実は互いの証言の行き来とその積み重ねでもって
埋められていくというものだということを再確認しました


参加してくださった方の
日常の職務や生活において
少しでも役に立てばなあと
祈りつつ・・・

「食」

2007年07月03日 | 「生きる」こと
本日のお昼は妻と食べに行きました

なんとなく街の方へと自転車を走らせて
途中でそれを置いて
街に入って
面白いところはないかなあと思いながら歩いておりましたら

ありました
なんだか面白そうな店
原材料には徹底的にこだわり
茶にもこだわり
やっている店

しかもいつもこのあたりは通っているのに
なぜか今まで気が付かなかった店

入りました
注文しました
食べました
飲みました

久しぶりに大絶賛してしまいましょう

三条寺町東入る北側イシズミビル5Fの
Sunshine Cafe

詳しくはみなさんHPを調べ当てて見てくださいませ

わたし
がんばっている個人経営の飲食店を応援します
家計が赤字になっても
そういう飲食店で食べることにはお金を使い続けます

たいたい
今の経済社会において
人間の中心である「食」で働く人たちが
なんであんなに苦労せねばならないのか
収入が少ないのか

許せん!!
と思っているわけであります

わたしたちはもっとちゃんとお金を払って
「食」に携わる人たちがそれなりに豊かに暮せるくらいの収入を得なくてはなりません

でも
「食」は欠かせないのに、「食」にお金をかけられないほど
みんな貧しくなってきています
いや
そういう風にしかならない変な世界システムで生きています

こんなシステムは嫌です!!

「食」はもっともっと高尚なものなのです!!


貧困になると
ファーストフードしか食べられなくなり・・・
すると
そういう企業が儲かり
すると
ますますあの変なシステムになっていくという

この循環を

わたしは断ち切るために
できるかぎりがんばりたいのです!!

おしまい。。。


統合

2007年07月02日 | 「生きる」こと
ホーリスティックに生きる

統合的と言いましょうか
総合的と言いましょうか

それが決定的に大切だと痛感します

人は不思議と事柄を分解します
脳みそが優秀なのでしょうか

いえいえ
単に
生物の本性として
自らの生命保持のために
それが苦しむことなくできるために
人間は分解して
分解した中のひとつに責任なり問題を当てはめ
分解した中のひとつ以外は無関係とするのだろうと思います

でも例えば身体はそうはいきません
精神も含めて
どこかがわるければ他の部分もわるくなります

人格もそうです
精神や魂と身体をわけることはできないばかりか
過去と今と将来をわけることもできず
わたしとあなたをわけることもできないでしょう

人格には個人の人格と共同体人格があります

個人の人格の場合
苦しむことをしないため
問題や責任は
過去のこととして切り離しすっきりします

共同体人格の場合
苦しむことをしないため
問題や責任を
誰かの個人的なこととして切り離しすっきりします

そうすると見えてきます
ホーリスティックに生きるとはなにか

それは
出会いを重ねた関係性に生きるということ

単純です
苦しいから出会いから逃げるときは
自分の感情や感覚、抽象的な思想に縛られ
そこから行動します

だから
出会ってもいないのに
かかわってもいないのに
なぜか判断・評価が下されたりします

出会いをいただくときは
そこで繰り返し触発されることで
どんどん分解されたものがつながっていきます

問題や責任もつながり
そこでは罪と苦しみの共有もおこります

それを歴史ということでしょう

そしてそこでは出会いの中での決断の繰り返しという歩みが残るばかりです

感情や感覚、抽象的な思想が二義的なものでしかないことを
身体で知ることができます

そして生きるということはこういう関係性であり
それがないということは死んでいるということです
(ユンゲルなどのことば)

さて
今からホームレス支援炊き出し

寄り添いネットの活動も8年目
なにしろダイナミックで楽しい
まさに生きる場

不思議と
まったくかかわらない人が
寄り添いネットを批評することが多く

かかわる人は
出会いにおけるひとつひとつの決断作業に
祈りをもって向かうことで精一杯で
いや
それ以上は実は必要なく
まさにそれこそ生きているということであるからして

そう
まさに生きているわけで

生きていることは本当に楽しいのです

出会いの只中での決断の繰り返し
この中はどちらかというと苦しみが多い
しかし
そこで十字架に出会います
さらに復活に出会います

そこではじめて信仰が語られます

神の国は只中にある(ルカ福音書)


キリスト教会は
なぜか
社会と教会
政治と教会
身体と魂
行為と信仰
と分けることが多い・・・

すると
過去と今と将来
あなたとわたし
もすっきり分ける・・・

でも知らねばならないでしょう
そういう分解された中に
十字架も復活も信仰もないことを・・・

わたしたちがきっちりわけるべきものはただひとつ

神とその他のすべて

でも
神と自分をくっつけたり
神と教会をくっつけたりすると

他のものを分解しはじめる・・・

つまりそこでは

自分が神になってしまうのでしょう


寄り添いネットは楽しい
出会いしかすることがないから・・・
さあ
出かけようっと

そうそう
出会わなきゃ本当に損ですよ

ぜひぜひ
ご一緒に