きぼう屋

生きているから生きている

息子の言うとおり

2011年04月27日 | 教会のこと
日本バプテスト連盟は、
隔年で少年少女隣人に出会う旅を行っています。
今年は、
韓国、沖縄、広島で、歴史と隣人に出会い、
北九州でホームレス支援の現場と当事者に出会います。
それぞれ20名の定員ということです。

ウチの息子も中一になりまして
彼の希望で北九州に申し込んでおりました。

ところが残念ながら、
申し込みが多く抽選となり、
それに漏れて行くことができなくなったと、
主催者より電話連絡をいただきました。

とても伝えづらかったのですが、息子に伝えます。

ごめん。北九州行けなくなった。抽選漏れ。
でもな、沖縄か韓国ならまだ行けるってことだけど、どうする?

すると息子はあっさりと間髪いれず答えます。

沖縄とか韓国なら別にいいわ。大人になってでも行けるし。
それより父さんは夏に東北にまた行くんやろ!
俺も一緒に行くわ。
むしろそっちのほうがええわ。
北九州の抽選にはずれてよかったわ。

あらま。
なるほど。
東北行くなら今しかない!

息子よ!えらい!あんたの言うとおり!

気ぃ遣って損した!

そもそも父さんは
あんたが北九州って言うからまあそうなんだろうと思いつつも
京都でホームレス当事者と0歳のときからかかわっているあんたが行くのもなあ
と思っておったのですぞ

活動がでっかいことの驚きはあっても
本質的な新たな発見はむずかしいし
あんたの精神性だったら
窮屈さを感じるだろうと心配もしておったのだぞ

ということで

夏に被災地に行きます。
ただ息子と二人で行くだけでは非合理なので、
京都教会として、支援隊を結成し、
夏に現地に入るプログラムを組もうと思いました。

私はその前にもう一度被災地入りします。
たぶん6月最終週です。



復活の主

2011年04月26日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「復活の主」

イースターおめでとうございます。
今年も復活の主が私たちと共におられることを喜びの中で覚えます。

ところで復活の主はどこにおられるのでしょう?
ここではルカ福音書から分かち合います。

主は復活の後、エマオで弟子に会われます。
まず弟子たちが主イエスについて話しているとき、
すでに主が弟子たちと共にいます。
しかし弟子たちは隣におられるのが主イエスであることを知ることがゆるされませんでした。

次に主イエスが生前時と同じように、弟子たちに聖書の話をします。
しかしそこでも、弟子たちはお話されているのは主イエスであることに気が付きません。

ではどこで弟子たちは隣におられる方が主イエスであることに気づくのでしょうか。

それは、共に泊まり、共に祈りをし、共に食事をした時でした。

私は火曜日から昨日まで、石巻、南三陸町、気仙沼にでかけておりました。
特に石巻のとある集落の住民の避難所では、避難者と共に昼食をいただきました。
彼らが誘ってくださいました。

その食卓は重たい雰囲気が漂うものでした。
というのは、避難されているみなさんが、
津波のことを語られる中で、食事をするからです。

しかし彼らは津波のことを語るとき、食事を口に全く運びません。
つまり、食べながら話すことが出来る内容ではないわけです。
でも彼らは、
私に津波による苦しみを訴えたいゆえに、
食事が喉に通らず、食卓が重たくなろうとも、
食卓に私を招いてくださったのです。

私はそこで、
お孫さんとお嫁さんを亡くされたおばあさんの話、
家も仕事も失い先も見えず疲れきっている男性たちの話、
死にたいという話、
などなどを伺いました。

私は、この食卓で、主イエスと出会ったと思います。

弟子たちのしていた主イエスの十字架の話は、
食事の席でされてこそ、それはつまり重たい食卓になるわけですが、
そこでこそ、復活の主へとつながるのではないでしょうか。

聖書のことばも、共に寝食する仲間として分かち合うときにこそ、
復活の主との生々しい出会いとして受肉されるのではないでしょうか。

復活の主は、
イエスや被災者「についての」話をしているときや、聖書の話を聞いているときではなく、
具体的に共なる寝食が起こるとき、はっきり認識されます。

そこで主イエスは、
具体的にすべての苦しみを背負う方として共に生きておられることを豊かに私たちに示されます。

今年は例年以上に、具体的な復活の主に出会ってまいりましょう。


十字架の主を信じる

2011年04月18日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「十字架の主を信じる」

19日から22日にかけて、私は石巻と気仙沼に入ります。
そこで既に現地入りされている方からアドバイスを頂きました。
それは、広がっている風景に言葉を失い、心身が反応すらできず、
その瞬間に重たくなり、疲労し、押し潰される、というものです。

私は、十字架の主をと出会うことがゆるされている事を、今ほど実感した時はありません。

街、命、交わり、日常、歴史、慣習、文化など、
すべてが壊れている状況と出会い、
私たちは何ができるのでしょうか。

恐らく現場で直接出会うならば、
まず知らされるのは、
こちらからかけることのできる言葉がないことだろうと思います。
被災生活を送られている方と目を合わすことも容易いこととは思いません。
ただただ、私の弱さを思い知り、私の限界性の前で身動きがとれなくなり、
自信を失うどころか、私という存在を見失うことになる経験をするのだと思います。

つまり、これまで私が40年かけて養ってきた知識や技術、経験はほとんど役に立たないはずです。
それらを役立てようと試みるならば、その時点で大きな失敗をしたことにすらなるはずです。

そんな中で、唯一できること。
それは、
ただただ、同じ時間と空間に一緒にいること。
ただただ、一緒にいることがゆるされた被災者や街の声や表情、体のちょっとした動きを共有すること。
それは、
ただ黙って一緒に泥をかき、一緒に汗を流すと言うことかもしれませんし、
避難所の子どもたちと遊ぶことかもしれません。
でもその中で、
隣の人の行為のひとつひとつが、予想以上に脳裏に焼きつくだろうと思います。
全神経が集中され続けるのだろうと思います。
そして、隣の人の苦難をいつの間にか共に背負うのだと思います。

主イエスが、その現場に伴われるから、
それも、力強くではなく、破壊された街と人々のすべてを十字架で背負い、
その苦難を最も味わっておられる方として伴われるから、
私たちも、十字架の主に委ね、被災地の苦難を共有できると信じています。

十字架の主が道を開きます。



レベル7の只中で

2011年04月15日 | 「生きる」こと
1) はじめに

原発事故がレベル7となり、未曾有の体験をすることとなった。しかし地震や津波と異なり、また戦争とも異なり、放射線被災は目に見えないため、実際の被災地域がどこであるのか、誰が被災しているのかが、目視にて確認することができず、情報から判断するしかない。そして情報から死にもかかわることを判断することこそ、未曾有の体験である。
地震や津波、戦争においては、命を脅かすことがあきらかな場合、我々は避難する。放射線においても同様のはずである。しかし、放射線においては、どの情報を元にして、命を脅かす度合いを導き出したらいいのかが難しい状況となっている。さらには五感を通じて確認できないことから、命が脅かされていることに気が付くことができない場合さえある。

2) 放射線被災地の確定と確定後の施策

 放射線による被災地がどの範囲におよぶかということは、自己責任にて決定すべきことではない。政府を始め各行政は範囲を確定している。そこでまず私たちは行政府に委ねることができる。しかし情報が錯綜している今、また信頼性を失っているとも語られている今、各団体は、各自情報を分析し、独自に被災範囲を確定するに越したことはない。
各団体が独自に被災範囲を確定した後は、そこからどのような施策を導きだすのか。それはそれぞれ団体の理念にかかわってくるが、私は牧師であるので、キリスト教会の場合を考えることとする。各教派や教会は、それぞれ、信仰的な決断として、施策を導きだすこととなる。
 それは極端に言うならば、情報から判断してもわからないので、ただ主に委ね、祈りつつ、それまでの生活形態を保つという信仰から、最悪のケースを語る情報に従い、神に創られたいのちを守るために、できるだけ避難する、というものまであるだろう。
 さらにそこに、教会の交わり(関係性)という大切な問題も絡む。どんな苦難にあっても共に生きている仲間と一緒に苦難の中を歩み続ける、というものだ。
 その中であらゆる信仰的決断が起こされる可能性がある。しかし未曾有の経験においては、正しい決断と誤った決断を見分けることはできない。どのような決断が下されたとしても、その決断が信仰的に選び取られたということが大切なのである。

3) 被災者に寄り添う活動と、それ以外の活動は異なる。

 そして恐らく2)の結果としては、爆発などの五感でわかる出来事があった場合は別として、主に委ねつつ、主の十字架の下で共に生活し続ける、と選択されるケースがほとんどと思われる。
 そこで教派、教会は、その決断と同時に、被災地内で生活する者の苦難、不安に寄り添う施策を用意する必要がある。全国の教会にて、覚えてとりなしの祈りをなす活動から、現地に入り寄り添う活動まである。
 そして、寄り添う活動の場合は、教会の確定した放射線被災地の内側であろうと、活動者は主と共に現場に入り活動をする。そして全国の教会は、被災者と活動者を全力で支える。
 しかし、他の場所でも可能である会議などは、教会の確定した被災地外で行うことが望ましい。とりわけ公の活動の場合は被災地外ですべきである。つまり、数十年後にしか症状が現れない被害に対して責任をとる方法はこれしかないからである。
 被災者に寄り添う活動と、それ以外の活動を同じ基準で判断することはできない。
 そして寄り添う活動以外の活動が、被災地内と確定された場所で行われる場合には、信仰的決断ゆえに、そこに参加できない者があることを尊重せねばならない。
 
4) 放射線被災関連の出来事は比較すべきものがない
 
 放射線の恐怖がある中で、その恐怖を覚えつつ活動をするか、恐怖を覚える必要のない環境で活動するか、を、選択をする機会が起こる。もし原発が今後さらに被害を及ぼすならば、数年は事あるごとに選択を迫られることとなる。
 その場合は、他のあらゆる事象と比較をすることを避けねばならない。放射線物質による被災は未曾有の出来事である。未曾有である以上比較はできない。
 たとえば、過去の大きな災害のとき(地震、戦争など)にはこうした!というケースから導き出すことはできない。それぞれの団体の歴史的事件と比較することもできない。たとえばバプテストならば、「バプテストはこういう苦難の只中で起こったのだから、今回も!」ということにはならない。
 当然のことであるが、命の安全のために被災地と確定された場所に入らない者と、被災地に入って活動する者を比較し、優劣をつけることはゆるされない。「危険を顧みず」「命を惜しまず」という言葉は使用されてはならない。これらは戦後破棄された言葉であるはずだ。
あるいは、津波被災者は選択肢のないまま生きているから、放射線物質が降る可能性があっても私だってこの土地に残る、というような、とくに現在において起こりやすいところの、地震や津波被災者との比較もする必要がない。
さらに、放射線を浴びた場合の癌発症率などを、交通事故死や自殺者の率と比較することもできない。交通事故で死ぬ確率と同じくらい、という理由で「大丈夫」と言ってはならないはずだ。
 唯一、比較しながら参考にできるのは、チェルノブイリの事故のみであろう。チェルノブイリ事故後の施策から、今回の施策を導き出すことが可能な部分も多いと思われる。
 しかし基本的には、比較対象がないことを肝に銘じる必要がある。

葛藤の只中で

2011年04月10日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「葛藤の只中で」

大震災が起きて明日で一ヶ月。
3.11という日付以後のこの島は、間違いなく変化すると私は思います。

まず最も大きな変化は、宗教の重要性を再発見したことがあります。
死者の弔い、遺族のグリーフケア、
そして苦難を共に背負い、共に希望を見出すという作業は、
各宗教者によってなされています。

さらに、
これまでは、各宗教、各宗派が教義の違いにより、
つながりが薄かった面がありましたが、
現在の支援活動では、
それぞれの根幹の倫理、
つまり、苦難にある者に寄り添うということにおいて一致し、
共に活動ができている点があります。

これは宗派間のみならず、宗教間の壁も突破しています。

そしてこれからは、
他者に寄り添うための動機となる教義として、
それぞれの宗教、宗派の教義が語られることになっていくのではいかと思います。
だから、教義が原理となることで無駄な対立を生むことは減るだろうとも想像します。
またお互いに寄り添うための教義ならば、
その行為の大変さゆえに、
それぞれ深く信仰を持つこととなり、
信仰間対話も深くなると予想します。

つまり、共に生きるときに必ず起こるところの、
人と人との葛藤の只中で生きるための倫理を教義から見出すゆえに、
宗教間の葛藤をも豊かに受容されることになるのです。

次に、
すべては具体的な場所(現場)である被災地と、
具体的な他者である被災者における、
想像を絶する現場だからこその被災者たちの葛藤があることを、
私たちは覚えたいと思います。

そしてその葛藤に、主に委ねつつ寄り添うところから、
すべてがはじまり、語るべき言葉も生まれます。

きっとこの島全体で、現場の葛藤からの言葉が求められるようになり、
逆に現場の外からの評論的言説は力を持たなくなると思います。

ただただ、
現場に立つ十字架にて、
キリストが苦難にある者たちの葛藤をそのまま引き受けられる中で、
人も苦難者に寄り添うことができ、
言葉を生み出すことができるのです。

恐らく京都の私たちは、
日本で今回の災害を経験していない数少ない者たちだと思います。
揺れも、津波も、放射性物質も、停電も、街が暗くなることも、
学校や会社のスケジュールが変わることも、商品が消えることも
経験していません。

そういう意味では、
現場の存在たちの苦難から最も遠く感じ、
逆に心苦しい面もあるかもしれません。

でもだからこそ、
十字架のキリストの前に立ち、
十字架のキリストによって苦難者と結ばれることを信じて、
本日も、とりなしの祈りを、共に献げてまいりましょう。


3.11以後の世界と教会に向けて

2011年04月02日 | 教会のこと
日本バプテスト連盟は
9.11以後の世界と教会に向けて
「平和に関する信仰的宣言」を出した。

3.11以後の世界と教会に向けた信仰告白の準備も開始したいと願う。

9.11は彼岸の出来事であり、
此岸のことと受け取ったつもりで実質はそうでなかったのだ。
だから「平和に関する信仰的宣言」運動も宣言文の啓発と解説で終わっている。

しかし3.11以後は、
宣言文に書かれている行動が次々に起こされるのかもしれない。
此岸に宣言文が辿り着いたのだ。

過去20年のバプ連は、
90年代に
福岡にて若手牧師が三泊四日箱詰めになり
喧嘩しながら議論した過程と
そこから生まれた新鮮な信仰理解
および
00年代に
「平和宣言」作成のためさらに若手の牧師が加わり
喧嘩しながら議論した過程と
そこから生まれた時代状況の只中での信仰告白が柱となっている。

そして10年代は、
3.11以後を生きるさらに若手牧師が
自主的に手弁当でも集まり、
90年代、00年代と同じように、
聖書を開き、黙想し、祈り、分厚い神学書を読みまくり、
次の教会と世界、さらにキリスト者や牧師について、
議論すべきだし、することになるし、したくなると思う。

http://twitter.com/#!/shinkiootani
より

やわらかくなる

2011年04月02日 | 「生きる」こと
護りはじめると
頭がかたくなる
視野が狭くなる
ちょっとしたズレにイライラするようになる
とくに心身が疲労しているときはなおさら
だからこそ
護るのではなくつながることへと意識を変えて
癒しも同時に獲得する。。。

つながるために
頭はやわらかくなろうとし
筋肉も神経もやわらかくなろうとする
つながるために
目も耳も澄まされる
つながるとは
すべての器官の稼動領域が広がること。。。

つながるほどに
すべてがやわらかくなるから
意表をつくことや腑に落ちないこと
さらには嫌なことも
やわらかいわたしというクッションで
受け止められるようになる。。。

キリスト教会としては
罪びとであるわたしが受け止めきれないところで
主イエスがかわりに受け止めてくださるゆえに
不思議に他者たちとつながることが
つまり
愛することがゆるされる
と言う。。。


http://twitter.com/#!/shinkiootani
より

情報と向き合うために

2011年04月01日 | 「生きる」こと
人々が「大衆(愚衆)」であることを嘆いたのは大昔の話。
人々を「大衆」に洗脳できたのは昔の話。
人々が「大衆」だと思い込んで洗脳できたつもりでいても、
人々が嘘を見破っているのは今の話。
ただし、
人々が嘘とわかっていることを本当のことと思い込もうとしている(自己洗脳)も今の話。

事実が重たすぎて危険すぎるから嘘と思いたい.
事実を隠して安心させる表現は嘘だとわかってもどこかで信じてみたい.
実は政府やテレビの情報による洗脳からの解放と同時に、]
それ以上に、
超危機的事実を目の当たりにした僕らの心の揺れからくる
何かを信じたいという欲望からの解放が必要か?

http://twitter.com/#!/shinkiootani
より