2月25日の京都教会週報巻頭言です。
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荒神口から南に河原町通りを歩く。
通り沿いの店が年々どんどん変わる。
新しい店を見ながら、そこに以前何があったか思い出そうとする。
けれども思い出せない。
日常見てきた風景でも、
人は相当に意識しないと、
覚えることができないことを痛感する。
となると、
過去が忘れられていくのもいたくわかる。
とりわけ自分に苦痛をもたらす過去を、
人は意識しない故に覚えないどころか、
意識して忘れることも、
半ば本能的にできてしまう。
しかし忘れることは「過去」のみではない。
私たちはそれを「歴史」を忘れるとも言う。
そう、歴史。
つまり、過去のみならず、
過去を知るからこそ覚え期待できる将来をも
忘れるということだ。
過去を忘れると将来も忘れる。
そうなると、
自分に都合のいい将来像を
偶像として持つのがせいぜいとなる。
本日は定期総会。
それは今年度と来年度、
そしてさらには教会の歴史全体を「覚える」時。
だから私たちは意識して「覚える」。
共にいる主イエスを「覚える」。
共にいる隣人を「覚える」。
主と隣人との間に起こされた神の出来事を「覚える」。
生命、苦痛・困窮、信仰、希望、愛を「覚える」。
その場面を丁寧に意識して「覚える」。
覚え祈る。
たとえばスポーツではイメージトレーニングが重要だ。
競技の動きのひとつひとつをイメージする。
それが実際の動きを形成していく。
私たちの生きるすべてもそうだ。
歴史の動きのひとつひとつをイメージし、歴史を歩む。
それは生きる方法とするならこういうことだ。
目的を設定し、
それに向かって功利的合理的に
なすべき動きを選択し
無駄な動きは排除するという
現代社会の奨励する方法ではなく
その中で無駄とされる動きのひとつひとつ
見過ごされる
いや、見捨てられる
生命のひとつひとつを
丁寧にイメージし、歴史を歩むということ。
さらに言うなら
そのイメージは
自らで描くことができるものではなく
キリストによりキリストを通して
あの十字架を通して
十字架に集められた
見過ごされ見捨てられた生命、動きを通して
与えられる。
私たちが自らの都合で
イメージすべき歴史を取捨選択する面倒はやめて、
ただただ主イエスと共に、
主の下さる全歴史を、
丁寧にイメージしたい。
繰り返すが
主イエスの十字架を
繰り返し丁寧にいただき覚えるところに
主の平和な「歴史」がある。
主よ、
主が総会を
主の「歴史」として創り、用いてください。
アーメン。
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荒神口から南に河原町通りを歩く。
通り沿いの店が年々どんどん変わる。
新しい店を見ながら、そこに以前何があったか思い出そうとする。
けれども思い出せない。
日常見てきた風景でも、
人は相当に意識しないと、
覚えることができないことを痛感する。
となると、
過去が忘れられていくのもいたくわかる。
とりわけ自分に苦痛をもたらす過去を、
人は意識しない故に覚えないどころか、
意識して忘れることも、
半ば本能的にできてしまう。
しかし忘れることは「過去」のみではない。
私たちはそれを「歴史」を忘れるとも言う。
そう、歴史。
つまり、過去のみならず、
過去を知るからこそ覚え期待できる将来をも
忘れるということだ。
過去を忘れると将来も忘れる。
そうなると、
自分に都合のいい将来像を
偶像として持つのがせいぜいとなる。
本日は定期総会。
それは今年度と来年度、
そしてさらには教会の歴史全体を「覚える」時。
だから私たちは意識して「覚える」。
共にいる主イエスを「覚える」。
共にいる隣人を「覚える」。
主と隣人との間に起こされた神の出来事を「覚える」。
生命、苦痛・困窮、信仰、希望、愛を「覚える」。
その場面を丁寧に意識して「覚える」。
覚え祈る。
たとえばスポーツではイメージトレーニングが重要だ。
競技の動きのひとつひとつをイメージする。
それが実際の動きを形成していく。
私たちの生きるすべてもそうだ。
歴史の動きのひとつひとつをイメージし、歴史を歩む。
それは生きる方法とするならこういうことだ。
目的を設定し、
それに向かって功利的合理的に
なすべき動きを選択し
無駄な動きは排除するという
現代社会の奨励する方法ではなく
その中で無駄とされる動きのひとつひとつ
見過ごされる
いや、見捨てられる
生命のひとつひとつを
丁寧にイメージし、歴史を歩むということ。
さらに言うなら
そのイメージは
自らで描くことができるものではなく
キリストによりキリストを通して
あの十字架を通して
十字架に集められた
見過ごされ見捨てられた生命、動きを通して
与えられる。
私たちが自らの都合で
イメージすべき歴史を取捨選択する面倒はやめて、
ただただ主イエスと共に、
主の下さる全歴史を、
丁寧にイメージしたい。
繰り返すが
主イエスの十字架を
繰り返し丁寧にいただき覚えるところに
主の平和な「歴史」がある。
主よ、
主が総会を
主の「歴史」として創り、用いてください。
アーメン。