昨日は
鳴門と淡路島に行きました
日曜日が運動会だったので
小学生のお兄ちゃんたちが休みなのと
鳴門の大渦が見られる日であったので
お金はかかってしまいますが
家族みんなで
行ってきました
鳴門は今年二回目
前回が楽しすぎたので
今回も楽しみすぎようと出発し
やっぱり楽しすぎました
雨だったけれども
海の町は明るく
すがすがしかったです
鳴門には
明石大橋を渡っていきます
ワカナさんが
この橋はたのもしい!
と言っておりました
この橋は
陸と陸をつなげるという
大事な役割を担っているから
ということです
東京方面の
レインボーブリッジや
ベイブリッジのように
時間短縮や渋滞回避という
合理性のみを目的とするのではなく
明石大橋の第一義は
つなげる!
ということであるということは
感動的なわけです
その明石大橋の
車道と線路のさらに下に
渦潮を見るための通路があります
まずはそこへ行きまして
大渦を真上から見ました
渦がどうのこうのというよりも
潮の流れで
海の表情が次々と変わるのが
おもしろかったです
その後
高松に向かって海辺を走って30分くらいのところに
びんびや
というお魚を食べさせてくれる店があって
そこに行きます
上のお兄さんふたりは
刺盛定食
四男はてんぷら定食
三男は車えびのてんぷら定食にわかめ酢
としぶい選択
ぼくら夫婦は刺盛定食
で
それらが運ばれてきてびっくり
予想の倍ほどの量でありました
もちろん
刺身やてんぷらもおいしかったのですが
味噌汁と付け合せのめかぶの酢の物が絶品!
四男が味噌汁をごはんにじゃぶんとかけて食べていましたが
あれはかなりの美味だったはずです
で
みんなおいしいもの食べて
おなかいっぱいになったら
みんな機嫌がよくて
車で盛り上がりつつ
次の行き先は
淡路島
雨だったので
海辺で遊ぶのはやめて
淡路島の震災記念館に行きました
淡路島の北淡に走る野島断層が
地震で大きくずれたことは有名ですが
そのずれた土地がそのまま記念館として保存されています
わたしは
震災直後の写真を見て
どれも何度も見た写真であるのだけれども
体がふるえ
子どもたちが一緒ではなかったら
その場で号泣したいくらいになりました
なぜそういう風に体が反応したのかははっきりしませんが
京都に来て10年
兵庫にも何度も足を運んでいますし
兵庫の知人も増えましたし
地震の現場が
わたしの体に結びついてきている
ということがあるかもしれませんし
北淡という被災地の真ん中で写真を見たからかもしれないし
今のわたしは
子ども5人に恵まれた家族として生きることがゆるされ
その家族と一緒という状態のなかで
写真をみたからかもしれません
記念館の最後は
震度7の地震を体験するというものでした
揺れを経験したら
もう一度号泣したくなりました
とてもこわかったです
3歳の四男にはきついかと思っていましたが
彼は揺れているとき
笑っていました
とても楽しそうでした
しかしその四男
昨晩も今朝も
「みんなで地震行ったな」
と何度も言っておりまして
震災記念館が
他のすべてを飲み込むほどの
大きな体験となったようであります
小1の三男も
記念館の帰りに墓を発見したら
「あの墓は地震で死んだ60人のためにつくったんやな」
と言い出しまして
もちろんその墓はそういうものではなかったのですが
淡路島では地震で60名が亡くなられた
ということを
強い記憶としていただいたようです
次男は
目に涙を浮かべながら
「悲しいな 痛かったろうな 死ぬのはいややな」
と
わたしとふたりっきりになった瞬間に
わたしの右手を握り締めて
つぶやいていました
長男は
真剣にいろんな資料を見たり読んだりしていました
それぞれ息子たちが体験できたので
今度は
長田の街に連れて行ってあげたいと思います
鳴門と淡路島に行きました
日曜日が運動会だったので
小学生のお兄ちゃんたちが休みなのと
鳴門の大渦が見られる日であったので
お金はかかってしまいますが
家族みんなで
行ってきました
鳴門は今年二回目
前回が楽しすぎたので
今回も楽しみすぎようと出発し
やっぱり楽しすぎました
雨だったけれども
海の町は明るく
すがすがしかったです
鳴門には
明石大橋を渡っていきます
ワカナさんが
この橋はたのもしい!
と言っておりました
この橋は
陸と陸をつなげるという
大事な役割を担っているから
ということです
東京方面の
レインボーブリッジや
ベイブリッジのように
時間短縮や渋滞回避という
合理性のみを目的とするのではなく
明石大橋の第一義は
つなげる!
ということであるということは
感動的なわけです
その明石大橋の
車道と線路のさらに下に
渦潮を見るための通路があります
まずはそこへ行きまして
大渦を真上から見ました
渦がどうのこうのというよりも
潮の流れで
海の表情が次々と変わるのが
おもしろかったです
その後
高松に向かって海辺を走って30分くらいのところに
びんびや
というお魚を食べさせてくれる店があって
そこに行きます
上のお兄さんふたりは
刺盛定食
四男はてんぷら定食
三男は車えびのてんぷら定食にわかめ酢
としぶい選択
ぼくら夫婦は刺盛定食
で
それらが運ばれてきてびっくり
予想の倍ほどの量でありました
もちろん
刺身やてんぷらもおいしかったのですが
味噌汁と付け合せのめかぶの酢の物が絶品!
四男が味噌汁をごはんにじゃぶんとかけて食べていましたが
あれはかなりの美味だったはずです
で
みんなおいしいもの食べて
おなかいっぱいになったら
みんな機嫌がよくて
車で盛り上がりつつ
次の行き先は
淡路島
雨だったので
海辺で遊ぶのはやめて
淡路島の震災記念館に行きました
淡路島の北淡に走る野島断層が
地震で大きくずれたことは有名ですが
そのずれた土地がそのまま記念館として保存されています
わたしは
震災直後の写真を見て
どれも何度も見た写真であるのだけれども
体がふるえ
子どもたちが一緒ではなかったら
その場で号泣したいくらいになりました
なぜそういう風に体が反応したのかははっきりしませんが
京都に来て10年
兵庫にも何度も足を運んでいますし
兵庫の知人も増えましたし
地震の現場が
わたしの体に結びついてきている
ということがあるかもしれませんし
北淡という被災地の真ん中で写真を見たからかもしれないし
今のわたしは
子ども5人に恵まれた家族として生きることがゆるされ
その家族と一緒という状態のなかで
写真をみたからかもしれません
記念館の最後は
震度7の地震を体験するというものでした
揺れを経験したら
もう一度号泣したくなりました
とてもこわかったです
3歳の四男にはきついかと思っていましたが
彼は揺れているとき
笑っていました
とても楽しそうでした
しかしその四男
昨晩も今朝も
「みんなで地震行ったな」
と何度も言っておりまして
震災記念館が
他のすべてを飲み込むほどの
大きな体験となったようであります
小1の三男も
記念館の帰りに墓を発見したら
「あの墓は地震で死んだ60人のためにつくったんやな」
と言い出しまして
もちろんその墓はそういうものではなかったのですが
淡路島では地震で60名が亡くなられた
ということを
強い記憶としていただいたようです
次男は
目に涙を浮かべながら
「悲しいな 痛かったろうな 死ぬのはいややな」
と
わたしとふたりっきりになった瞬間に
わたしの右手を握り締めて
つぶやいていました
長男は
真剣にいろんな資料を見たり読んだりしていました
それぞれ息子たちが体験できたので
今度は
長田の街に連れて行ってあげたいと思います