きぼう屋

生きているから生きている

地震行ったな

2008年09月30日 | 「生きる」こと
昨日は
鳴門と淡路島に行きました

日曜日が運動会だったので
小学生のお兄ちゃんたちが休みなのと

鳴門の大渦が見られる日であったので

お金はかかってしまいますが
家族みんなで
行ってきました

鳴門は今年二回目

前回が楽しすぎたので
今回も楽しみすぎようと出発し
やっぱり楽しすぎました

雨だったけれども
海の町は明るく
すがすがしかったです


鳴門には
明石大橋を渡っていきます
ワカナさんが
この橋はたのもしい!
と言っておりました

この橋は
陸と陸をつなげるという
大事な役割を担っているから
ということです

東京方面の
レインボーブリッジや
ベイブリッジのように
時間短縮や渋滞回避という
合理性のみを目的とするのではなく

明石大橋の第一義は
つなげる!
ということであるということは
感動的なわけです


その明石大橋の
車道と線路のさらに下に
渦潮を見るための通路があります

まずはそこへ行きまして
大渦を真上から見ました

渦がどうのこうのというよりも
潮の流れで
海の表情が次々と変わるのが
おもしろかったです

その後
高松に向かって海辺を走って30分くらいのところに
びんびや
というお魚を食べさせてくれる店があって
そこに行きます

上のお兄さんふたりは
刺盛定食
四男はてんぷら定食
三男は車えびのてんぷら定食にわかめ酢
としぶい選択
ぼくら夫婦は刺盛定食


それらが運ばれてきてびっくり
予想の倍ほどの量でありました

もちろん
刺身やてんぷらもおいしかったのですが
味噌汁と付け合せのめかぶの酢の物が絶品!

四男が味噌汁をごはんにじゃぶんとかけて食べていましたが
あれはかなりの美味だったはずです


みんなおいしいもの食べて
おなかいっぱいになったら
みんな機嫌がよくて
車で盛り上がりつつ

次の行き先は
淡路島

雨だったので
海辺で遊ぶのはやめて
淡路島の震災記念館に行きました

淡路島の北淡に走る野島断層が
地震で大きくずれたことは有名ですが
そのずれた土地がそのまま記念館として保存されています

わたしは
震災直後の写真を見て
どれも何度も見た写真であるのだけれども
体がふるえ
子どもたちが一緒ではなかったら
その場で号泣したいくらいになりました

なぜそういう風に体が反応したのかははっきりしませんが

京都に来て10年
兵庫にも何度も足を運んでいますし
兵庫の知人も増えましたし
地震の現場が
わたしの体に結びついてきている
ということがあるかもしれませんし

北淡という被災地の真ん中で写真を見たからかもしれないし

今のわたしは
子ども5人に恵まれた家族として生きることがゆるされ
その家族と一緒という状態のなかで
写真をみたからかもしれません

記念館の最後は
震度7の地震を体験するというものでした

揺れを経験したら
もう一度号泣したくなりました
とてもこわかったです

3歳の四男にはきついかと思っていましたが
彼は揺れているとき
笑っていました
とても楽しそうでした


しかしその四男
昨晩も今朝も
「みんなで地震行ったな」
と何度も言っておりまして
震災記念館が
他のすべてを飲み込むほどの
大きな体験となったようであります

小1の三男も
記念館の帰りに墓を発見したら
「あの墓は地震で死んだ60人のためにつくったんやな」
と言い出しまして
もちろんその墓はそういうものではなかったのですが
淡路島では地震で60名が亡くなられた
ということを
強い記憶としていただいたようです

次男は
目に涙を浮かべながら
「悲しいな 痛かったろうな 死ぬのはいややな」

わたしとふたりっきりになった瞬間に
わたしの右手を握り締めて
つぶやいていました

長男は
真剣にいろんな資料を見たり読んだりしていました


それぞれ息子たちが体験できたので
今度は
長田の街に連れて行ってあげたいと思います




どろ亀

2008年09月25日 | 「生きる」こと
なかなか更新できず
すみません

ジュリーのことを前回書きましたが
あらあらなんと
当教会のメンバーに
ジュリーと
小中高と同級生のお方がおられまして・・・

世間は狭いもんだなあ
と感慨深く感じることが出来まして

この

世界の狭さ!!

を知ることは

世界は広いといわれがちな世の中で
とても大事だと思いました

世界は狭くて
みんな身近で
どれも他人事ではなくて
みんな最初からつながっていて
一緒に歩んでいる

というものなわけです


さて
日曜日はえらい雨でありました

朝から足拭きマットとバスタオルをたくさん用意して
礼拝に備えます

鴨川もめちゃ増水してしまいまして
河原で生活する仲間たちの
生活道具から
植木鉢(生きるための野菜)から
銅線やアルミ缶(収入源)から
すっぽん(これまた収入源)まで
いろんなものが流されてしまいました

けが人が出なかったのはよかったです

たくさんの亀たちや虫たちが河原に非難してきていました

荒神橋の下で生活するおじさんが
多少水が引いてきた鴨川をぼんやりながめているとき
東に大きな虹がかかりました

今回も
虹の出発点が
京大病院の中でありまして
徒歩3分ほどのところですから
そこまで行きたいという
おそろしいほどの衝動にかられました


脳みそがそれを阻止しまして・・・

こういうとき
何が現実なのか

という問いの前で
沈黙してしまいます


教会の子どもたちは
亀さんと遊んでおりました


子どもたちがある大きなどろ亀さんの後をついていきまして・・・
すると
その大きなどろ亀さんは
ゆっくりと
でもきっと急ぎつつ
逃げているような感じになりまして

最後は
なんと
濁流の川のなかへ
自ら
潜ってしまいまして・・・

祈るばかりなのです


教会の雨漏りした教会の廊下を
せっせと掃除しまして

床全面にモップをかけまして

マットとバスタオルを洗濯しまして

主の日が終わったのでありました


ではでは


我が窮状

2008年09月20日 | 平和のこと
うれしいですねえ。

沢田研二さんがやってくれました

「我が窮状」


まずは聴いてくださいませ


わたしは最後の

「許し合い 信じよう」

という歌詞に参りました

感謝


沢田さんの出身高校は
我が家と同じ通りにありまして
徒歩3分という位置関係なのですが

だからなんなの
ということでもありますが
勝手に親近感を抱いてもおりましたので

うれしいですねえ

歯磨き法からの脱出

2008年09月17日 | 「生きる」こと
息子たちは歯磨きをして寝ました


その歯磨きの仕方が
見事にどこかで教えられたとおりで・・・
しかも機械のように
見事なリズムとスピードで
歯ブラシが動くための
体の各筋肉が収縮しておりまして・・・

ハッとしました

わたしもそうでした

前歯はこうゆうふうに
奥歯はこうゆうふうに
裏側はこういうふうに


教えられたとおりに
歯ブラシを動かしていました


こういう歯ブラシから解放されたのは
大人になってからでした

二十歳のことでした

ふと
歯磨きは
歯を
それもわたしの歯のひとつひとつを
磨けばいいのだ

と思いました

つまり

歯のひとつひとつを意識して
歯ブラシを丁寧に当てる
ということを

その歳ではじめてするようになりました


歯は左右で同じではないですし
一本一本異なりますし

そもそも

幼少期に
全員まったく同じ歯磨き法を教わったのだけれども

みんなの歯は見事に違うわけですし

ほんとは
歯磨き法がカバーできる範囲は
狭い
ということに

あの歳でやっと気が付けたわけです


この手のことは
実はどれも単純で

ひとつひとつに
意識を丁寧に持っていって
丁寧にこなせばいいわけです



これは
あらゆることに言えるなあと思いました

仕事でも家事でも
人間関係でも

丁寧な意識

丁寧な作業

を単純にすべきところで
しかしそれができていないケースが多いのだけれども

そうなっているときに
なぜか
これからは丁寧にやりましょう!
ではなくて
歯磨き法ならぬ
仕事法や家事方法や人間関係方法
を語りはじめてしまう!

というケースが
多いというか
ほとんどだなあ
と思うわけです


この10年のわたしのたたかいは
こういうところにあったような気がします

方法で語ろうとするところで
単純に丁寧にもう一度しましょう!
といい続けてきたのだと思います



今週
とある総会で議長をしまして

そこでの議論が
やっぱり
方法探しだったので

なんだかえらく疲れてしまいました


やはり言わねばなりません

単純に丁寧にやれば何でもない話ですよ!と・・・


議長だったので
その場ではそんなこと言えないので
落としどころをなんとかみつけて
なんとか次に進めるようにはなったのですが

丁寧な想像と追体験と共感のない
筋だけ通っているという言葉が行き交うのは

ひとつの病なのだと思いました


この発言のすべてが
そのまま
自分にのしかかってくるという
そういう立場にもなるわけですので

まあだからこそここまで言えるわけですが

祈りつつ
なんとかしていこうと思います

ではでは

敬老感謝 その弐

2008年09月16日 | 教会のこと
敬老感謝礼拝では

高齢となって生きる意味を
礼拝でお話しました

子の世代と孫の世代がいる世界に存在する
おじいさんおばあさんは
なにゆえになお生をいただくのか

ヤコブは
子の世代、孫の世代が現実を
自分と同じように
矛盾と葛藤と苦難のなかで生きるのを
豊かに受けつつ

とりわけ
もはや孫と言ってもいいだろうヨセフと
ヨセフを取り巻く兄弟たちに起こる出来事に

衣服を引き裂きながら
嘆き悲しんだわけですが

これは

おじいさんおばあさんだからこそ
もっというならば
それだけの信仰経験人生経験を与えられている
おじいさんおばあさんだからこそ

次世代、次々世代の現実を
彼らが知り気づく以上に
引き受けることができるし

彼らが嘆き悲しみきれないところまで
おじいさんおばあさんは嘆き悲しむことができる

ということなのだ

と分かち合いました

敬老感謝礼拝で
おじいさんおばあさんに
後輩の十字架を共に引き受けて
嘆き悲しんでくれ
という
ある意味強烈なメッセージです

しかもヤコブは
次世代、次々世代のために
陰府まで下って嘆き悲しむ!
というわけですが

これこそ
おじいさんおばあさんだからこその信仰!
なわけで

つまり
死をより身近に知る者だからこそ
すでに死に勝っている信仰を受肉することがゆるされ

それゆえに
次世代、次々世代では下るどころか
覗くことすらできない
陰府にまで下って嘆き悲しむ

という
人間業を超えた信仰業は

子の世代と孫の世代がいる世界に存在する
おじいさんおばあさんの

なのであるだろう

ってことも
分かち合いました

38歳の若造がこんなことを語るのも生意気な話なのですが

しかし
大事なメッセージだと思います



しかし
神が出てこないじゃあない

といわれてしまいそうなのですが

そうなのです
この聖書の物語には
神も祝福もでてこないのですなあ

つまり
それだけ

他者のための嘆き悲しみ
という行為のなかに
神をかくしているというか

十字架の出来事を含ませているというか
それを含んでいるというか

そういうものなのだろうと思いました

ではでは

敬老感謝

2008年09月16日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です

******************

「敬老感謝」

本日は、
神さまから、信仰の大先輩を、
私たちの交わりに、与えられ、
また、
その一人ひとりに神さまが働き続けてくださっていることを
感謝する礼拝を持ちます。

そして今年も
特に75歳以上の24名を覚えたく願います。
(当教会ではなかなか老人になれなくてすみません)

まず、敬意を表しつつ、
勝手ながらも、より先輩の方から、
お名前を紹介させていただきます。

―ブログでは名前を省略―

歳を重ねることの意味は何でしょうか。
わたしは、
それは信仰がより身近になることだ!
と思っています。
というのは、

死がより身近になるからです。

キリストを通して与えられる信仰とは、
キリストと共に、
すでに死に打ち勝っている!
という出来事です。

だから
死が身近になるほどに、
信仰がさらに身近になります。

さらに神さまが約束するのは、
弱さこそ強さである!
ということです。

体力知力等が弱くなることを、
信仰に生きるわたしたちは、
心身の衰えとして知るのではなく、
神さまの強さとして知ることが出来ます。

だから実は、
信仰は、
歳を重ねるほどに、
どんどん知ることができます。
だから
どんどん学ぶことができます。

他の勉強は、
歳を重ねるほどに、
どんどんできなくなりますが、

信仰は全く逆です。

 だから私は強く勧めます。
大先輩のみなさま。
後輩たちのために、ますますたくさん祈り、
ますますたくさん聖書のことばを読んだり聞いたりしてください。

ウキウキするほどに信仰が飛び込んでくることと思います。

後輩たちも、もちろん大先輩方を覚えてお祈りします。

敬老感謝。



遅ればせながら

2008年09月12日 | 平和のこと
本日は

遅ればせながら

6月に発足した

憲法9条京都の会

を紹介!



わたしはこのかん
こちらの運動にかんしては
さぼっておりまして
申し訳ないかぎりですが

こちらの運動が
このようにしっかりしたので

予定がいくつか重なった時に
別のことに時間を使うこともできるようになった

というわけでありますが

しかし

さらに盛り上げていきたいのです








フェンス

2008年09月11日 | 教会のこと
わが京都教会は
鴨川のほとりに建っておりまして
なんとも贅沢なのですが

鴨川河原の
石垣の上に建っているため
石垣から落ちないように
腰ほどの高さの
網状のフェンスがしてありました

しかし2年前に
河原を工事してくれまして
教会の前にゆるやかな坂道が出来ました

そして
坂道と教会の境界線上に
同じような網状のフェンスが設置されました

だから
フェンスが二重になってしまいました


本日
もともとあった
いまは内側になっているフェンスの一部を
取ってみました

そうしたら
なんと

フェンスの向こう側に立つ
いちょうとけやきが

ぐぐっと
迫ってくるではありませんか

木の命の力強さが
覇気として伝わってくるようです

低い見通しのいいフェンスがあるかないか
ということだけですが

それがなくなったら

木が
生きているぞ!
と訴えかけてきている!

というような
神秘主義みたいな経験をしました

すくなくとも

あのフェンス一枚が
わたしと木との交わりを
浅くしていたことは間違いなさそうです


そこで考えてしまうのが
フェンス
という条件が僕らに及ぼす
想像以上に強い影響力についてです

その内側と外側を
別世界としてしまう
人間の能力についてです


国境もそうだし
川や海もそうだし
家の境界もそうだし
心につくる境界線もそうだろうと思います


というわけで

教会の庭と荒神口通りの間に立つ
あの高くて太くて堅い
コンクリートの壁は

境界線を壊してあらゆるものをつなげる聖霊を信じる教会としては

信仰告白として
壊さねばならないと

本気で思い祈ったわけです


京都教会のみなさん

いちょうがなかなかの迫力で
教会に向かってくる庭となりましたので
日曜日に確認してみてくださいませ

ではでは

つまらん人間

2008年09月10日 | 「生きる」こと
祈祷会後
遅い夕食をとりつつテレビを見ていました

キム・ピークさんが紹介されていました
映画「レイン・マン」のモデルとなった方です
脳の学者さんの茂木さんが会いに行っていました

年月日をいうと
どんなに過去でも未来でも
その曜日を当てる
という
特殊な能力も紹介されていました

その瞬間に
わたしの中学校のころの記憶が
鮮明によみがえってきました

同級生の百瀬くんが
おなじように
過去でも未来でも
年月日をいうと瞬時に
曜日を当てることが出来ました

彼も極めて狭い僕らの常識でいうなら
キムさんと同じように
常識の範囲外で行動していました

そんな彼が
学級会で
合唱コンクールの指揮者を決めるとき
大声で
「大谷くんがいいと思います
 めがねをかけるようになったからです」
と言ってくれたもんだから
わたしが指揮をすることになってしまった
ということがありました

ちょうど目が悪くなって
授業中はめがねをかけるようになったころです

担任の樋口先生も
その案を強烈に押しておりまして
わたしは

「理由になってない!」

えらそうにいっておりましたが

もし
いま
わたしが先生をしていて
こういう状況と出会ったなら

百瀬くんの理由は
常識を超えたところの
どえらい理由であると
理解するのだろうと思います

今なら
樋口先生の対応が
理解できるような気がします

また
クラスで誰よりも早く
百瀬君が高校に合格したとき
えらいうれしくて
涙をぼろぼろ流したのも

鮮明によみがえってきます


しかし
それ以上に
百瀬くんをバカにして
ちょっかいを出していたことが
強烈に思い出されます

わたしはくだらん人間であることを思い知らされます

謝ることができたら・・・


茂木先生はテレビで
脳のトレーニングは
アウェーに身を置くこと


言っていました

つまり

他者と出会いつづけること
他者に衝突され続けること

ということなのだろう

私流のことばで理解しました

出会いが
脳をより動かすというか

頭をよくする

ということは
本当だと思います

それこそ

いろんな情報が
複雑に
つながるのが

複雑なままなのに
整理されて
瞬時に
ことばとして
映像として
音として
においとして
感触として

出てくるようになると思います


百瀬くんのことから
自分の小中学校時代が
いろいろと思い出されましたが

ほんと
つまらん人間だったなあ

がっかりします

あの場面で
なんであの人と一緒にいてあげなかったんだろう

あの場面で
あんなに強情になって
とっくみあいをしているのはなんでだろう

なんで
無視してたんだろう

なんで
いじめていたんだろう



そういうひとつひとつの場面を
丁寧に想起しつつ
祈る時間も必要だ

真剣に思いました


誰と?

2008年09月08日 | 「生きる」こと
四男の憐くん(3歳)が
保育園での出来事を報告してくれました

今日な
ペスタでな(ペスタってのは保育園の名前の略称)
野球したで

そしたら
三男の添くん(小1)が
憐くんに尋ねました

誰としたん?

憐くんがとてもたくさんの名前を言ってくれました

たぶん
野球を一緒にしていない人の名前も言ってくれました


というやりとりを聞きながら
わたしは
添くんの質問の深さに感動していたわけです


何をしたか
よりも
誰としたか

を問うことの深さに感動します


いわゆる思い出
というものは

何をしたか
ということで脳裏に残っているのではなくて
誰といっしょだったか
ということでもって
残っているのだと思います

キリスト教会の人間としては
この
誰と
という問いを
常に中心におくことを忘れてはなりません

インマヌエル
わたしが共にいる!
という神である
主イエス・キリストと
それこそ共にいる!
ことを繰り返し覚えるのが

教会の交わりであり
信仰であるわけです

教会
信仰
とは

主イエスが共にいる
ということを本質とするものです

つまり
誰が一緒?
という問いが中心ということです


さてさて
思い出ということでいうと
場所というものも
脳裏に残っているだろうと思います

つまり
何をしたか?
ということよりも
どこでしたか?
あるいは
どこにいたか?
が重要なわけです

教会
信仰

生きる者としては

神の国という場所
それは
主イエスが出かけている
この世界における場所


一緒に行く
ということを目指します

だから
何を?
よりも
どこに?
という問いが大事なわけです

誰と?
どこに?


生命
存在
世界
にとってはなによりも必要です


しかしきわめて残念なことに
いま一般的に求められているのは

何を?
という問いであり事柄です

小学生の息子たちの学習内容を見てみても
何を?
という問いを中心にする人のためのものであることがわかるし

だから当然
何を?
という問いを持つ生き方で馴染んできた子どもが
成績が良くなるというのが
いまの学校であるし
またそのまま
何を?
という問いに馴染んでいるいる人が
世をうまく渡るだろうし
いわゆる勝ち組になるのだろうと思います

さらに
その何を?
という問いに
どうやって?
という問いを持つことに馴染んでいると
さらに成績が良くなるし
さらに勝ち組になることができる世の中です

しかし
何を?

どうやって?
という問いは
生命
存在
人格
関係
世界
というものの本質には
迫ることができません

どうやって?
という方法論
つまりハウ・トゥーは
何を?よりも性質が悪いし
本質をまったくつかまないはずです


誰と?
どこで?

で生きる人間として育まれる!!

これが
教会教育の使命なのだ


添くんの憐くんへの問いから
確認できました

感謝感謝

人生ゲーム

2008年09月07日 | 「生きる」こと
小学生の息子たちが
あの有名なボードゲームの
人生ゲームを
昨晩やっておりました

それがなかなか面白いのであります

「おれ2000万円持ってない」
「じゃあおれが払っといたろか」
「おれも半分だすよ」


全くゲームになっていません
勝敗なんか関係ありません

誰も破産しないわけです


しまいには

金がなくなったら
銀行強盗したらええな

銀行かかりが言い始めまして・・・


あまりの想定外なゲーム進行に
もはや
感動するしかありませんでした


ただ
彼らの基本が
奪い合いでなく
分かち合いで

さらに
独り占めしている銀行も
分かち合え!
というあたりは

なんかとてもホッとしてしまいました

このまま大きくなってくれ




本日は
今から主の日の礼拝!!

祈りつつ

死と生

2008年09月04日 | 教会のこと
教会家族Hさんの
お姉さんのTさんが
昨日天に召されました
若すぎる死は
わたしの精神をねじり倒します
生と死との交わりにおける生がうまれる
葛藤を味わうところから
逃げないよう祈るばかりです

本日はその通夜に行きました
ご家族の意志により
宗教性のない音楽葬にて執り行われました

Tさんの好んでいた歌謡曲が流れていましたが
その歌詞に共通点がありました
希望

一緒
というテーマをうたう曲ばかりでした

最後の曲は財津のサボテンの花でしたが
キリスト者が解釈するなら讃美歌となるような歌詞です

冬が終わる前に
見つけたい
信じたい

終末論的復活をうたっている曲です

ご遺族から
Tさんからの手紙を受け取りました
Tさんのかばんの中に入っていたそうです

Tさんとは、たびたび電話で
おはなしをし
お祈りをしました

その感謝を手紙にしてくれていました

また
教会の
Mさん、Kさん、Kさん、Eさん、Yさんへの感謝も
述べられていました

わたしの人生に大きな影響を与え続けるしかない手紙

祈りつつ恵みとしていただき続けたいと切に願います


本日午後は
教会のKおじいさんの入院する病院へ行きました
顔をあわせた瞬間に
彼は顔を手で覆い
大粒の涙をこぼします

糖尿病の悪化で
片足を切断する手術を終え
入院中ですが

あんたたちを喜ばせるために
あとの人生は生きる!

わたしたちの家族を覚えてくれて
こちらの目頭もあつくなります

本日は
81歳にして
彼が変化したという出来事を受けました

彼は何度も言いました

他者(ひと)を騙してばっかりの人生を
イエスさんはゆるしてくれるだろうか??

これまでは自分が騙されてきたことのみを
繰り返し話していたけれども

かかわることがゆるされて9年
はじめて
その逆のことを真剣に
信仰に基づいて
祈りつつ語ってくれました

毎日毎日
ゆるしてもらえるか心配で
アーメンアーメン祈っているから
病院では
アーメンさんなんてよばれるようになっちまった・・・

ということだそうですが


ゆるされるからこそ
ぼくらは
なお真剣に
ゆるしてくれ!
と祈り
ゆるされるか?
という心配に生きることができる!

のだろうと思います


なにしろ
神が共にいます

泣き笑い

2008年09月02日 | 「生きる」こと
言ちゃんがよく笑ってくれるようになりました
親バカですが
あまりにかわいいわけですが
女の子を与えられた友人たちがみんな言うように
わたしも
言ちゃんが結婚してしまうときを
勝手に想像し
希望としていただきつつも
すでに妬くし心配するという
そんな経験をしております

さて
言ちゃんに限らず
赤ちゃんが笑うようになったころに気づくのは
その笑いが泣きからの発展であるということです

だから
笑っていたと思ったら
そのまま泣きにうつる
ということに
何度も出会います

つまり
泣きと笑いは紙一重
といいますか
本質を同じにするものであろうし
そのどちらもあって
はじめてそのものになるという

そういう出来事なんだと思います

だから
優れたコメディアンは
ただ笑わせるだけでなくて
その笑いの中に
泣きの要素があるのだろうと思います

泣くようなことを笑う
というネタを
世界から
歴史から
体験から
見つけてきていると思います

チャップリンでも北野武でもチャウ・シンチーでも・・・
探偵ナイトスクープでも・・・


その泣きと笑いを同時にもつものを
ユーモア
というのだろうと思います


本当に人間が心底癒されるのは
そういう泣きと笑いを同時に味わう瞬間だと思います

そういう現場に出会うと癒されるし
あるいは
そういう音楽や映画や文学など
芸術でもって
癒しを獲得する手もあるのだろうと思います

逆に
泣きのない笑いは
地球のどこかに
まったく笑うことができないどころか
怒るしかないという人が
起こされるものだろうと思います


神学(信仰)で言っても
笑いというか
気分のいいことのみを語る
栄光の神学だけでは
同じくして
地球のどこかで
より苦しむしかない人が起こされるということです

だから
栄光の神学と共に
十字架の神学が不可欠なわけです

それが
宗教改革における発見の最たるものです




わたしは
今の地球に必要なのは
泣くしかない
悲痛を味わうしかない地球に必要なのは
その泣きから悲痛のなかから
同質の笑いを発見するという
それこそ
高度な意味でのユーモアであろうと思います


神学(信仰)的には
十字架のキリストという悲惨さの中に
生まれでる復活の和解を
笑みを浮かべるしかないかたちで
いただくことだろうと思います

教会は
そういう意味では
ユーモアを味わうところで
笑いに絶えず
笑うからこそ
一緒に泣くしかないという

そういう現場なわけです


笑いと泣きはおんなじもんなわけです