きぼう屋

生きているから生きている

祈り

2007年11月26日 | 平和のこと
今週は
バプテストは世界祈祷週間

地球規模であらゆる地域の人々の
救いと和解と平和を祈る

その関係で
昨日の主日の午後は教会のみんなで
映画「ホテル・ルワンダ」を見た


私たちはルワンダに佐々木和之氏を派遣している
彼の名前は覚えておくべき

彼の活動の詳細については
様々な政治事情も絡むことなので
ネット上で紹介することはしない

しかし
本当は紹介したい
彼のチームが行っている
世界に先駆けた和解の政策は
あまりにも驚くべきものだ


アフガンで中村哲氏が活動するが
彼の活動くらい注目されておかしくないものだ

そういえば昨日は中村氏も京都にいた
ただ残念ながら会うことはできなかった


「ホテル・ルワンダ」だが
こちらも残念ながら
わたしは途中までしか見ることが出来なかった

他教派の集会のシンポジウムで発題をすることになっていたから
そちらに向かう

憲法の根っこを議論するというものだった
しかし事前の打ち合わせなどなく
自由に語れということだったから
心配しつつも
他の発題者の顔ぶれを見て
重ならないような発題をすることにした

たとえば歴史からはかならず他の人が語るだろうし
聖書の語る平和の記事と憲法を合わせる試みも誰かしらするだろう

という読みは見事に当たった


わたしは憲法の根っこを4つの視点から語った
1、 生きる方向に向かっている自由
2、 和解のために他者に向かう希望
3、 傍観するのでない具体的行動
4、 祈り

無論教会の集まりなので
聖書から語った


発題者はみんな違う角度からしかし同じ事柄を語ることが出来た
この点は面白かった


バプテストとこの教派の違いもよくわかった

バプテストは
まず福音を徹底的に議論し
信仰告白として
平和や憲法を語ってきている

しかし今回の教派は
平和や憲法をそういう学問的な視点から語り
それを聖書とつなげようとしている


だから
わたしはなんだか盛り上がりきれなかった
こういうところはわたしの悪い性分だ


バプテストが90年代から
宣教研究所を中心に
まず福音と律法を議論するところから始めて
今に至っていることは
ものすごく大きな実を結んでいることを確認できた


こういうところで
バプテストはこの間
実質
聖公会を抜いて日本のプロテスタントで
最もたくさんの人が礼拝に参加しているということも
起こっているのだろう
(日本基督教団はいろんな教派が集まっているが、それをそれぞれの純粋な教派に分けた上でのこと)


昨日のシンポジウムで紹介し忘れたが
バプテストの
平和宣言の研修会の中心が
説教ワークショップだと
他の教派の人が知ったら
驚くしかなかっただろう



私は徹底的にこれからも言うだろう

平和の覚える集会は
すべて礼拝でないとならない!!


昨日のシンポジウム
祈りが一度もなかった

世間では理想とよばれたり
あるいは非現実的とよばれていることを
キリスト者は祈りでもって
それを現実とするのではないのか

祈りなしで平和や現憲法の理想を
どこで受肉するのだろう・・・



もっとばらばらに!

2007年11月23日 | 教会のこと
服も背の高さもばらばらで
ぜんぜん並んでいなくて

いいねえ!!



わたしたちの日本バプテスト京都教会のホームページ
写真を見て言ってくれた人がいた。

うれしいねえ。。

これぞ目指していることだから。。。

もっと見てもらうと
表情もみんな違うんよねえ。
笑う顔あればしらけた顔あり
さっぱりした顔あればしんどい顔あり

これはもっと目指していること

つまり
同じ時間と空間にいたら
みんな同じように盛り上がり
同じような気分になり
同じような顔になるってのが

一番怖いのだ。

そんなんでよければ
野球場なりサッカー場なり
コンサート会場なり
なんらかのサークルなりに行ったらいいわけで

京都教会は
そういうよくわかる「同じ」何かでもって一緒にいるんじゃあなくて
キリストでもって一緒にいるから

ばらばらはちゃめちゃでも
一緒にいられるし
いたいのだ。


なんて言っても
まだまだ途上でありまして・・・

だいぶいい感じになってきてはいると思うけど
これは京都という土地柄なのか
まだまだウチワ的なものが残っていて
これが消えるようにすることが
わたしの大きな仕事。


何かのテーマを徹底させようとすると
実はそこで人の集まりはまずかならずウチワになる。

特定の人の声が大きい集まりも
まずかならずウチワになる。


たとえそのテーマや理想がめちゃくちゃよかったり
カリスマがめちゃくちゃ優れているとしても

いや
そうであればあるほど

そこの集まりはきわめて危険な集まりとなる。
それはまさにベルゼブル。

つまり
集まっている人を
そこの集まりに
依存させるのだ。

ウチワは
依存をつくる。


だから
テーマや理想どおりになかなか運ばなくても
リーダーがだらしなくても

ウチワにだけはなっていないという
だから依存のしようがないという

したがって新しく集まりに加わる人でも
何十年も加わっている人となんら違いがなく
無論誰が初めてで誰が何十年もいるということも
まったくわからないようになるという

つまりまさに
後の者は先になり、先の者は後になる
という主イエスの言葉が見事に表現されているという

そういう集まりになったら
ベルゼブルから解放された


ちょっと言ってもいいかなあと思ったりする。

ウチワという依存は

本当にこわい


京都教会はもっとばらばらになるぞ。

十人十色じゃあ足りない!!!

2007年11月22日 | 「生きる」こと
ホスピスの病床でバプテスマを受けられたYさんが
日曜日の夜に天に召された。

もっとYさんと早く出会うことができたらなあ
と神さまをちょっとうらんだりしている。

苦しい中Yさんは懸命にいろんな話をしてくれた。

実はYさんは
バプテスマを受けるずっと前から
生き様としてはキリスト者そのものだったんだなあ
と知った。

Yさんは自分の人生を
「出会いの人生」
と言い切った。

前夜式、告別式にたくさんの人が集まり
それも
お付き合いではなく
幾度も飲み食いを共にし
深く覚えあい分かち合い響きあった仲間たちが集まったことから
「出会いの人生」
であったことがよくわかった。

Yさんの話す言葉はどれも最短距離で本質を語るものだった。
飯と酒が好きということだった。
あらゆるものに興味を示すということだった。
みんなでわいわいと生きるのが好きということだった。

私が頂くことができた交わりの時間は短かったけれども
強烈に響きあうことができた。

もっと早く出会いたかった・・・

家族も友人もとてもステキで
自らの家族や友人の交わりの目標とできるものだった。

そして
なんか今もYさんがいるような気がして
今日も起きたら
体が不思議とホスピスに行く感覚を持っていることに気が付く。

長い交わりにある家族や友人はなおさらだろうと思った。
深い愛でつながるおひとりおひとりのために
祈って祈って祈る。

Yさんと話していて思いついたことがある。

それは私たちが目指すところである。

かつてえらい人が提示したひとつの色、かたちに
みんなが従わねばならなかった。
そして
世界はひとつの色、かたちになることを目指した。

しかし
近代
私たちは個、個人を明確に発見した。
10人いれば10色あり、10のかたちがあることを発見した。

わたしたちは
ひとつの色、かたちでなく、
いのちの数の分だけの色、かたちを求め始めた。

わがバプテストはそれを率先してやった。

しかし
Yさんの歩みはそれを超えていた。
それはイエスが語るものでもあった。

Yさんは
いのちの数を超えて
いのちといのちとの関係の数の色とかたちを求めていた。

すると
10人いるならば
そこに起こされる関係、間、愛の数は
45となる。

1から10へ!
しかしそれでも少ない!
10から45へ!

これが聖書に根付く者の道ではないか。

計算式は
いのちの数をAとするなら
{A×(A-1)}÷2
となると思う。

世界に65億の人間がいるなら
そこに輝く関係の、愛の数は天文学的数字をはじきだす。

またこの計算式は
民主主義とか個人主義から
キリストへと解放されるためのものでもある。



同じ日に天に召された人がいる
S牧師のご長女だ。
まだ中学生。
生まれながらに体がとても弱かった。
けれどもだんだん調子がよくなっていると伺っていたところでもあった。

彼女はいつも天使のようだった。
彼女の目を見るだけで
自らの生に対するいい加減さや汚さを
これでもかと思い知らされ
自らの歩みを今一度神に向けるということをするしかなくなるという
奇跡の出来事が起こるという
そういう賜物をもっている人だった。

言葉にならない。
今も画面がにじむ。
イエス様が彼女を抱っこしていることを信じ祈る。


先週から我が家はひとり家族が増えている。
いわゆる居候と呼ばれることかもしれないが
我が家では家族となるしかない。
それが我が家の根本ルールだ。
23歳のお兄ちゃんだ。
息子たちが大喜びだ。
2歳のれんも
「Tおにいちゃんは?」
といつも探している。

もちろん自立するまでの話だが
息子たちは
「T兄ちゃん!部屋見つけてこなくていいからねえ」

一緒にひとつ屋根で生活し続けたいがために
本気で言っている。

背景はいろいろあるだろうけれども
T兄ちゃんは有意義な自立への道を歩んでいる。

神に感謝するとともに
彼の背景の様々な事柄に
神がさらに働き続けるよう
祈って祈って祈る。


キリストが共にいます。
アーメン。



じみさのすごみ

2007年11月10日 | 教会のこと
骨髄バンク支援音楽会を無事終えました。
演奏された岩渕まことさんいわく
じみに盛り上がったなかなかない雰囲気

ありました。



わたしもじみに涙を流しつつ時を過ごしました。

愛する者の死

岩渕さんの長女は小学校1年のときに
脳腫瘍で召されています。

その出来事の語り方は
愛する者の死が今なおあまりにも重く
自ら生にかかわり
からみ
その出来事を背負いつつ歩んでいるという
そういうものでした。

語らねばならなくても
語ることができない。
だから
自分を別の自分にして
不思議な距離感を作り出して語る。

岩渕さんはそのことを
脳のスイッチを切り替える
と表現されました。

わたしも今の自分の生は
幾人かの近しい人の死の出来事により
芯を得ているところがあります。

そしてその芯は
直接触れることができず、
触れるならば
その芯のまわりが音を立てて崩れる感覚を覚えます。

一方で
こういう仕事をしていると
ほかの人の話というものの質にも敏感になるのですが

他者の死の出来事がネタになっているなあ
と思うことも多々あるのが事実です。

でも
岩渕さんは違った・・・

胸の奥の奥まで届きました。

白血病という出来事と岩渕さんの長女の死の出来事が
対話をした昨日

昨日来なかった方
残念ねえ。
大きな大きなギフトをもらい損ねましたなあ・・・


打ち上げで岩渕さんが

バプテストとは縁があって
ムギノさんと親しくさせてもらっていて
ホルンが必要なときに助けてもらってます・・・

なんて言うではありませんか。

実はそのムギノさんって
僕の妹の連れ合いなんです

ってことで互いにびっくり

でもこうなれば話は一気にはやくなり・・・
不思議なもんです。



さてさて
明日はバプテスト福祉デー
京都教会もそういう礼拝を予定しています。
わたしもそういう話をします。
話の中身はぜんぜん出来ておりませんが・・・

でも明日の朝までには出来上がります。
これも毎週毎週ほんとに不思議です。

午後の懇談会はみんなでクリスマスについてわいわいとやります。



はじめての方でもじゃんじゃんいらしてくださいませ。





こんな企画もあります。

*************

旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画2007

◇京都
「日本軍占領下のフィリピンで起きたこと」
今年は、フィリピンからお二人の被害女性をお招きして証言をお聞きします。お誘い合わせのうえ、ぜひご参加ください。
●日 時:11月11日(日)午後2時より
●場 所:京大会館101号室 http://www.kyodaikaikan.jp/access.html
●参加費:一般500円、学生300円、18歳以下は無料
※証言集会終了後、近くの会場に移動して歓迎交流会を行います。
 歌あり、踊りありのダンスパーティー形式を予定中♪ ☆証言者☆
・ピラール・フリアスさん(80歳)
 ゲリラ捜索のため村にやって来た日本兵に拷問されレイプされる。その後、駐屯地へ連行された。
・ナルシサ・クラヴェリアさん(79歳)
 突然村にやって来た日本軍に両親・弟達を惨殺され、三姉妹と共に駐屯地へ連行された。

主 催:旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会
連絡先:090ー8124ー7752 / welcomeharumoni@hotmail.com

※企画の準備、証言者の招請・滞在費用などはすべてカンパでまかなっています。
ご協力お願いします。 >郵便口座 00970ー8ー167088 (証言京都)


***************


歓迎交流会が行われる近くの会場ってのは
ウチの教会です。

こちらもぜひ。


ではでは。

愛だ!

2007年11月09日 | 「生きる」こと
本夕に行われる骨髄バンク支援音楽会
ぜひとも。

先生とドナー経験者の対談。
そこではドナーの他者に向かう想像を絶する思いがある。
この想像を絶する思いに至って
初めて

という事柄が生まれるのだろう。

提供するためには壮絶な体調管理が必要となる。
100回以上注射を打たれる。
他者が生きるために
他者を生かすために
提供者は健康を相当削られる。

しかし
そういう事実を受け入れつつ
他者のために自らを削る。

こういう体験談はできるだけ数多く聞いていたほうがいい。


妻がスタッフを勤めるNPO
歴史と通して差別と困窮に苦しみ続け
年老いた人たちと共に生きる。

あるお年寄りが病で入院した。
おそらく病院、施設という生活がこの後整うだろう。
しかし同時に家に戻ることはおそらくない。

そのお年よりは犬を飼っていた。
でも躾はしておらず
どこでも用を足してしまう犬だ。

でも
その犬をしばらく預かってくれるという人があらわれる。
これだけでも驚きの喜びだ。

でもずっと、というわけにはいかない。
そこで関わる仲間たちが知恵を絞る。

6万円でずっと預かってくれる施設があることがわかる。
しかしそのお年寄りは生活保護受給者
6万円は出ない。

しかし
他者のために身を削ることに
生きる本質を見出している者たちは強い。

カンパだ!

ひとり1,000円で60人。
それだけ身を削る人を集めるのは容易ではない。
みんなでいろんな顔を思い浮かべる。

あのスタッフたちからひとり500円。
この病院の先生は5000円出してくれるに違いない。

そうやって目途を立てる。


そのNPOでかかわるお年寄りには
若きころ廃品回収を営んでいた人が多い。

すると今も廃品を家に集める人がいる。
その人の家の中は外よりも汚れている。
しかし
彼に定期的に会いにいくスタッフや医者、ケースワーカーは
それを微笑みつつ受け入れる。

みんなナイロンの買い物袋をふたつ持っていき
靴下にかぶせてその家にあがる。
そうすることで靴下をよごすことなく
次の家にもあがることができる。

でもひとりの医者はそのまま靴下を汚してあがる。
そうすることによりそのお年寄りの生活をより共有できる。
次の家にあがるときは靴下を換える
と思いきや
それはしない。
次の家の人も
その医者を介して
前の家のお年寄りの生活を共有する
ことが起こる。

自分を削って他者の生を活かす者たちの特徴であるが
彼らは
そういうありとあらゆる状況を
そしてそれはどれも困難な状況であるが
それを微笑みつつ笑い飛ばしつつ受け入れる。
さらに変な遠慮はなくなる。
生命に堂々と立っている。

愛とはこういうものだ。


教会の役員会でクリスマスについての話し合いをした。
わたしは
例年行っている交換プレゼントは今も意味を成すか
と問うた。

ひとりの役員が言った。

他者のためにプレゼントを選ぶという行為が年に一回あることは重要だ。

まったくその通りだ。
感動した。

友人の牧師の
トンゼレプ
というタイトルの説教を思い出した。

これはプレゼントを逆さに読んだものだ。

プレゼントとは
他者のために自分を削るという行為である。
だから他者にとってはプレゼントだけど
自分にとってはトンゼレプである。

という内容。

今年はこのプレゼントの意味を
教会全体に浸透させたく願う。


プレゼントは愛だ。
愛の時
クリスマスにおけるプレゼントは
まさに
自分を削ることだ。


そして愛は具体的行為。

自分の時間や健康やお金を削ることをせずに
他者に向かっていったとしても
その他者は何も受け取ることはない。
とりわけ愛を受け取ることはない。

自分の時間やお金やスタイルや意志を削ることなしに
しかし愛を語る者が多いのが
現代の宗教の誤りであり
信仰者の大きな罪だ。

削ることなしに語られてしまうそういう言葉は
日々削ることに燃やされる人たちを最も苦しめる。

それはあらゆる生命のために自らを削り続ける
キリストを最も苦しめる。


ここに教会の弱点がある。
これ以上は書かないがよくよく吟味されたい。
そして京都教会は
教会となる。
ここは言い切りたい。

それは既存のほかの教会をまねることでどうにかなることではない。
キリストと共に創造していくしかない。
それに参与する者が
キリスト者だ。

つまり

自らを削る覚悟と決意
愛する覚悟と決意
愛という痛みを担う覚悟と決意

自らの十字架を背負えとイエスに言われているように背負う覚悟と決意

復活を知るからこその覚悟と決意。


それこそ
キリストが身を削るからこそ
プレゼントされることを信じ
それをど真ん中にして生きるのが
キリスト者!

つまり

愛だ!

骨髄バンク支援音楽会 響き愛

2007年11月08日 | 教会のこと
明日の催しのお知らせ
チャリティコンサートがあります!!

もう明日のことですが
というか
ほとんど本日のことですが
どしどしお越しくださいませ

******************

第25回 響き愛 
骨髄バンク支援音楽会

いつ?11月9日(金) 開場18:30 開演19:00
どこ? 日本バプテスト京都教会(荒神橋西詰)
いくら? 1,500円

どんなことするの?

19:00~19:30 対談
            春山先生と山田さん(ドナー体験者)

19:35~      岩渕まことさんのライブ

******************


クリスチャンにはおなじみのシンガーソングライター
岩渕さんの演奏はそりゃあ文句なくいいです。
(彼は数々のCMソングやドラえもんのテーマ曲などをてがけております)

しかし
実はこの響き愛のすごいところは
先生とドナー体験者の対談です。
他者のために生きる喜びが人間の本来の喜びであることを
優れて知ることとなります。

ぜひともお越しくださいませ。


本日は他にもふたつも記事を書いていますので
さらに下も見てくださいまし。

バッジ

2007年11月08日 | 「生きる」こと
昨晩のこと
息子がじゅうたんに落としっぱなしにしていた
タイガースのバッジを
もろに踏んでしまいました。

帽子につけるバッジで
いつもわが息子たちを気に掛けてくれて
ときどきハンカチやかばんやちいさなおもちゃなどをくださる
名も知らないおじさんが
今回はこのバッジをくださいました。

息子たちは
このおじさんの
真心こもった接触を
体全体でわかっている
ということが
わたしにもわかるのがうれしい。

こういうおとなたちに見守られて
はぐくむ贅沢をいただき
感謝してもしきれないほどです。


そのバッジを踏みました。
それは画鋲のような針が出ていて
それを帽子に突き刺して
逆側にはりを覆うストッパーみたいのがあるという構造で

その針を見事に踏みました。

うなると同時に足を上げると
足の裏にバッジが張り付いています。

それを見た息子たちの目が変わります。

バッジを抜くと
白い靴下が見る見る赤く染まります。

さらに息子たちの目が変わります。

だから言っちゃいました。
「こりゃあかん
 血出すぎて
 死ぬかもわからん
 そら、とも、そう
 ママとれんを頼む」


息子たちからしたら
自分たちが落としっぱなしにしたバッジなもんだから
彼らなりに責任を感じているのが
よーくわかりました。



次男のともくんが今日学校から帰ってきたら
まず最初に
心配そうな顔で
「パパ
 足だいじょうぶ?」
と聞くではありませんか。

「ああ大丈夫
 昨日、肉食って気合入れて寝たから治った」

すると
「よかったあ
 俺パパが本当に死んじゃうかもしれないと思ってた
 パパが死んだられんの面倒全部見ようと思ってた」

なんて言ってくれまして・・・

なんだか感激するのと同時に
こういうおどしはよくないかもなあ

考えてしまいました。

さらに
れんくんが保育園から帰ってきたら
わたしの足の裏を指差して
「ここ見せて
 痛くない?」

と聞いてくれるじゃあないですか。

そういえば
そらもとももそうも
2歳の時には家族を思う劇的なドラマを生み出してくれていまして・・・

こういう経験をすると
人間の本質はいいものだ!
と信じたくなるのでした。

おしまい。

自立

2007年11月08日 | 「生きる」こと
ずっと一緒に小学校に登校していた上二人ですが
今週は別々に行き始めています。
長男は朝遊びをするためにとても早く
次男は余裕を持って到着できる程度に
家を出ます。

次男にひとつの自立が起こった週となりました。
面白いねえ。

長男はもはや父親の私の性格を把握しつつ
うまいことかわしたり聞き流したりするようになっています。
基本的に父親への対応もあたたかくて優しいです。
しかし
これがひっくりかえるときもくるわけですなあ。
そういう日がくるのを
ドキドキしつつウキウキしつつ待っております。



早く一緒に酒を飲みながらいろいろと話したいなあと
なんだか将来がとても楽しみです。

さらに
孫のことまですでに夢みておりますよ。

まず必ずこれから大変なことがたくさん起こって
胃袋がいくつあっても足りないことになることはわかっていますが
そうなることが
こんなにも楽しみってのは
なんとも不思議で・・・

しかししかし
息子たち
いつもいつも
わたしを覚えてくれて
ありがとう。



定義

2007年11月07日 | 教会のこと
「教会」とは


キリストによってつながる共同体。
それは決して価値観やビジネスや雰囲気などでつながるものではない。
血のよってつながる親子や兄弟姉妹が類似的。
それらは価値観が異なろうと雰囲気が悪かろうとつながっている。

よって教会はキリストによるつながりによって
ありとあらゆる者が存在する共同体。
価値観、ビジネス、雰囲気から解放された共同体。
さらに血縁をキリスト縁とする共同体。
よって教会は血縁の家族がある・ないを超えて
みんなを家族とする。



「満たされる」とは


キリストに赦され救われ愛されている以上
私たちはみんな既に満たされている。

満たされているから行動する。
その行動は世界全体のいのちを生かし潤す方向へ向かう。

逆に
満たされていることに気が付くことなく
満たすために行動するとき、
その行動は世界全体のいのちから
それらのいのちを吸い取るかたちで自分を満たそうとするため
それらのいのちを乾かし殺す方向へと向かう。

すでに満たされているから生きる
満たされるために生きるのではない。



******************

こんな風に短く言い切ってみるのも面白いですなあ。


人間の業を超えて

2007年11月05日 | 教会のこと
神秘主義者じゃあないけれども
バザーの一連の活動ではこんなこと考えてました。

何万点の品があったかわからないけれど
そのひとつひとつがささげられて
そのひとつひとつを手にもって
それをどういう人が必要とするだろうって思い巡らしつつ
丁寧に値を付けていく仲間たちがあって
それらを丁寧に会場に並べる仲間たちがいて
そして並んだ品々というのは

それぞれの歴史であり
出会いであり
愛であるなあ

と思いました。

品々たちには
もはや何かが宿っているのではないか
とも思えるほどでした。


そういう品々を通じて出会う来場者と奉仕者は
品とお金の交換というルールで結ばれるのではなく
そういう品々に宿る愛を通じて結ばれる

もはや信じたいと思っています。

品々たちと丁寧に出会う作業のみならず
会場に貼られたさまざまな案内ポスターも
とても丁寧につくられました。

子どもたちを迎えるための企画も
愛情込めて整えられていました。

そのどれにしても

何のマニュアルもないところで
準備する仲間めいめいが
当日の状況をイメージしつつゼロから作り上げたところに
出来上がったものの美しさがあったのだと思いました。

私はマニュアルが嫌いなので
混乱しすぎない程度の最小限のマニュアルだけしか用意しないので
あとはみんなでいちいち考えて作り出さねばならないのは
結構しんどい作業なわけですが
みんな見事にやりきってくれていて
驚きつつ感謝してます。

今回のバザーを通じて
京都教会のバザーってこういうものなんだなあと
ひとつの結論をいただきつつあります。

京都教会のバザーでは
教会関係者だけではなくて
教会の福祉関係、社会関係の活動を通じてであった仲間たちも
一緒に奉仕します。
このひろがりには美しさを覚えます。

バザーができる教会というのは
まずほとんど幼稚園や保育園があって
そこに通う子どもたちの親御さんたちという関係が
毎年コンスタントに与えられるという
そういう教会なわけですが

そういうのがない教会で
これだけの規模のバザーをすることができるようになったのは
教会の仲間たちが丁寧に他者と出会い続けた結果に他ならないなあ

感謝しているところです。

またこのあたりを丁寧に見つめて言葉にし分析することは
教会論を発展させるために必要だなあとも思ってます。

来年は11月4日の振り替え休日がバザーになりますが
実はこういう曜日になったときが
来場者が多いわけで
今からもう準備はスタートするわけでもあります。

本日はホームレス支援の炊き出しです。
今、これまたみんなで準備をしています。
これまた何のマニュアルもない中でスタートして
集まったみんなでよってたかって触れ合って
互いの呼吸や性格や特技を互いに身体で覚えあって
そして機能するというもので・・・

それをすでに6年間続ける中で
もはや人間の業を超えたものとなってきています。

しかし
こういうのにはひとつだけ条件が必要です。
それは
端的に共にいる
ということ・・・
時間空間を共にいることができるならとてもいいし
時間空間を共にいることができなくても
キリストでつながることを信じるわたしたちは
時間空間を越えて、覚えあい祈りあうなかでつながるわけで
これがまたとてもよく
そして必要なわけですが・・・

そういう生き方を決断した者が
今、とても豊かに実った果実を味わっているところなのだろうと思います。

だから私の仕事は
次のことを常に確認し呼びかけるだけです。

共に生きよう
覚えあい祈りあおう
キリストで
愛で
すでにつながっている・・・


今年もやります!バザー

2007年11月03日 | 教会のこと
(11月3日まで、この記事がトップに来ます!他の新しい記事は下にあります)


今年もやります!

恒例の


秋 の バ ザ ー


11 月 3 日(休・土) 午前10時~午後2時

場所は 日本バプテスト京都教会
(鴨川にかかる荒神橋の西詰 問い合わせ 231-1351)


例年500人以上が来場するにぎやかなバザー
利益は止揚学園、久山療育園、カナンの園、寄り添いネットなどなどの福祉団体のために用います!!

中古の日用品雑貨や衣類が盛りだくさん!
なにしろ安すぎるので早い者勝ち!!
ブランド品もたくさん!

キルトなどの手作り品もあります。
こちらも激安!!
材料費よりも安かったりします!!

お昼ごはんをゆっくり食べることも出来ます、
カレーに焼きそばにお好み焼き!!
コーヒーにジュース
さらに抹茶が菓子付で激安!
しかもその道の先生の先生の先生というおばあちゃんがたてますのでお楽しみに!

止揚学園の仲間がやってきます!
園の仲間の手作りの作品がもりだくさん!
心温まります!

子どもコーナーがあります。
青年のお兄さんお姉さんが
いろんな手作りゲームを用意して待っています!!
お子様を子どもコーナーに預けてゆっくり買い物ができます!!

お誘いあわせの上
ご遠慮なくお越しくださいませ!!
心よりお待ちしております!!



他者のために他者と共に

2007年11月02日 | 教会のこと
いよいよ明日はバザー。
本日はたくさんの教会家族が集まって
直前の準備をしました。

バザーに来る人が幸せになるように・・・
という
くすぐったくなることを本気で願っている人たちが
本当にいます。

そのためにたくさんの時間と労力とお金を割いて
バザーの準備をしてきました。

なにしろいい商品ばかり。
商品の質の高さは
ありとあらゆるところにバザーがあれど
そうそう負けないと思います。

京都教会は不思議で
地域のみなさまに大切にしていただいていて
それがこういう献品への姿勢で表現されて
恐縮しつつ感謝しております。

そしていい品を準備段階で見てしまうと
それはそれは欲しくもなります。
しかし
なにしろバザーに来てくれた人がいい品に出会うことを望むゆえに
また
準備した本人たちは
当日も売り子に徹するわけでもあり・・・
まったくいい品を安く買うことができないという・・・
そういう損な役割を
不思議と喜びつつ引き受けています。

他者の幸せのために・・・

教会の仲間ってのはこういうアホたちなのです。。。
だから
わたしは大声で誘います。
仲間に入らないかい??


実は今も準備は続いています。
青年たちが
仕事を終えて続々と集まっています。
明日来てくれる子どもたちと楽しむための
歌やゲームのプログラムの
準備と練習に励んでいます。

子どもたちの幸せのために・・・

今の時代
若いときから
自分を磨いてそれを発表するというために
集まって準備して練習するというのはあるけど
他者のために
それをするというのは
とても少ないのですが・・・
教会でも・・・
(神のために・・・といいつつ自分のためという倒錯は多いけど・・・)

彼らは実によく祈りつつやってくれて

えらい!!

感謝感謝。

今夜は彼らは教会に泊まります。
明日も泊まります。
バザーを終えて疲れたおじさんおばざんのかわりに
片付けを夜までかかってもやってくれるという・・・

これまた他者のために・・・

そして他者と共に
つまりみんなで共に生きる・・・

いいねえ・・・

明日のバザー
ぜひおいでくださいまし。

孤独から解放されている教会のバザーを味わってくださいまし。


バザーまであと二日

2007年11月01日 | 教会のこと
いよいよバザーまであと2日
当日は快晴のようでなにより。

バザーの準備をみんなでしていますが
幸せです。

準備をしながら讃美歌を口ずさむ仲間あり。
♪ここに愛がある~♪
そうだ!と心で叫ぶ僕。

お茶を飲みつつの休憩のとき。
おばあちゃんたちから
戦前、戦中、戦後直後の体験談を聞く。
食事の献立のこと。
学校の授業のこと。
学校での戦争のための作業のこと。
学校で教えられることを信じきっていたこと。
疎開のこと。
爆撃を受けたときのこと。
死にかけた父親のこと。
ふっとんだ家のこと。
複雑な人間関係のこと。

どれもこれも壮絶。

極めて端的に知る。
理屈ぬきに戦争はあかん!!

教会ってのは
血縁を超えた覚えあう家族。
だから
こういう家族の会話が起こる!!
すごい場所!!

献品はまだまだ届いています。
感謝。
しかもいい品ばかり。
びっくり。

例年500人以上の来場者の当教会のバザー。
いいものはたくさんですが
でも早い者勝ち。
ぜひぜひお早めにどうぞ。