先週と今週の週報巻頭言です。
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先週の巻頭言
「青年のみなさまへ その壱」
休暇中の主日、
私は相模中央教会の礼拝に参加しました。
たまたま私の牧師である藤田英彦師が説教者として招かれていたためです。
相模中央教会は全国的に注目されています。
教勢の伸び、テーマの豊かさ、礼拝など各集会の行き届いている様子、行き届いた教会堂、教会員の献金と奉仕の豊かさなど、
組織がしっかりし、奉仕がきっちりしているだけでなく、
聖霊による交わりを信じきるからこその教会形成が起こされていました。
とても圧倒されました。
しかし、この相模中央教会も、
京都教会の青年たちの交わりと祈り、奉仕と社会的テーマに接したら
驚くだろうと思いました。
青年層に関しては、
サイズが三分の一の京都教会も変わらないのです。
これは私にとってアメージングでした。
そういえば当教会の五倍のサイズの常盤台教会も青年層の活発さは当教会と同じであると
常盤台教会出身のMさんが言っていましたが、
ただのリップサービスではないかもしれません。
さて、
そのことは次のことをも意味すると思いました。
つまり京都教会の青年は日本の教会の存続と発展のために、
私なりの言い方をするならば
日本のキリスト家族の深まりとひろがりのために、
大きな責任をも頂いているということです。
そしてその責任とは、
聖霊による交わりの具体を繰り返し経験し、
それを経験している者として社会で生きることです。
またこの経験があってはじめて教会の組織や奉仕は意味を持ちます。
かつてはプチ礼拝、現在は例会や木曜夜の集いにて、
すべての仲間の名前と状況を具体的にノートに記しみんなで祈ることは、
まさに聖霊の導きであると私は宣言するしかありません。
また、
それは自分のことは主に委ね、
ただ主と共に他者に向かうことにもなっています。
実に、自分の充実のための組織と奉仕は人間業ですが、
常に他者へ向かい他者とつながる活動は聖霊によるのです。
そして次週の新たな企画リトロバデイも、聖霊の導きに間違いありません。
また恐らくこれから、
この聖霊による業のために、
組織と奉仕がさらに確立してくることと思います。
しかも聖霊による交わりの具体=執り成し合いの人生による組織と奉仕は
とても美しいです。
おおいに期待しています。
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今週の巻頭言
「青年のみなさまへ その弐」
現在、
当教会の青年のみなさんは「出会い」にどんどん直面していると思います。
数年の間に仲間が急激に増えました。
さらに増えていくと思います。
そしてみんながキリストによってひとつとされ、
チーム・キリストを形成し、
キリスト家族として歩みます。
それは考え方や価値観が一緒ということではなく、
(むしろそれは教会ではまったく意味を持たず)、
ただキリストを信じ、
みんなでひとつのキリストの体であることを
生々しく覚えて生きるということが起こっており、
このことだけが、
生命、人格、人生、信仰、教会、世界、歴史にとって
大事なこととなります。
だからまず
これまで続けることがゆるされているように
日々丁寧に他者のために祈りましょう。
具体的に仲間の名前をあげ顔を思い浮かべ祈りましょう。
次に、
はじめて会った人が家族であることを主より受けましょう。
ここで大事なのは、
教会家族よりも個人や血縁家族を優先することから解放されることです。
個人を優先すると、
自分の健康と安定さえあれば動じなくなります。
すると
実は自分のそれらのみ求めるご利益宗教として教会を利用するようになります。
そして教会家族に不満があるとそこから離れることもできます。
そして何より自分がキリストにより変化する最大の奇跡を受け損ねます。
血縁家族を優先すると、
そこで完結しそこを安全地帯とするため、
キリストの体を受け損ね、やはり自分が変化する主の奇跡を受け損ねます。
信仰とは出会いによる変化の享受です。
この変化が主の最大の奇跡の業です。
キリストに出会った者にとっては教会家族が最優先です。
だからこそ教会家族では、
天涯孤独の方も、親や子どものない方も、母子家庭や父子家庭の方も、
血縁以上の父、母、祖父、祖母、息子、娘を、主から教会という具体として与えられます。
教会の中に血縁家族が優先される雰囲気が起こると
(これは案外教会がよく起こす大失敗)、
血縁家族がなく、あるいは関係がうまくいかず、さみしい思いをしている人を、
教会が排除しはじめます。
だから青年のみなさん、
キリスト家族となることに躍起になりませんか。
ここに信仰の秘密があるのです。
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このシリーズをもうちょっと続けようかな
と思ってます。
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先週の巻頭言
「青年のみなさまへ その壱」
休暇中の主日、
私は相模中央教会の礼拝に参加しました。
たまたま私の牧師である藤田英彦師が説教者として招かれていたためです。
相模中央教会は全国的に注目されています。
教勢の伸び、テーマの豊かさ、礼拝など各集会の行き届いている様子、行き届いた教会堂、教会員の献金と奉仕の豊かさなど、
組織がしっかりし、奉仕がきっちりしているだけでなく、
聖霊による交わりを信じきるからこその教会形成が起こされていました。
とても圧倒されました。
しかし、この相模中央教会も、
京都教会の青年たちの交わりと祈り、奉仕と社会的テーマに接したら
驚くだろうと思いました。
青年層に関しては、
サイズが三分の一の京都教会も変わらないのです。
これは私にとってアメージングでした。
そういえば当教会の五倍のサイズの常盤台教会も青年層の活発さは当教会と同じであると
常盤台教会出身のMさんが言っていましたが、
ただのリップサービスではないかもしれません。
さて、
そのことは次のことをも意味すると思いました。
つまり京都教会の青年は日本の教会の存続と発展のために、
私なりの言い方をするならば
日本のキリスト家族の深まりとひろがりのために、
大きな責任をも頂いているということです。
そしてその責任とは、
聖霊による交わりの具体を繰り返し経験し、
それを経験している者として社会で生きることです。
またこの経験があってはじめて教会の組織や奉仕は意味を持ちます。
かつてはプチ礼拝、現在は例会や木曜夜の集いにて、
すべての仲間の名前と状況を具体的にノートに記しみんなで祈ることは、
まさに聖霊の導きであると私は宣言するしかありません。
また、
それは自分のことは主に委ね、
ただ主と共に他者に向かうことにもなっています。
実に、自分の充実のための組織と奉仕は人間業ですが、
常に他者へ向かい他者とつながる活動は聖霊によるのです。
そして次週の新たな企画リトロバデイも、聖霊の導きに間違いありません。
また恐らくこれから、
この聖霊による業のために、
組織と奉仕がさらに確立してくることと思います。
しかも聖霊による交わりの具体=執り成し合いの人生による組織と奉仕は
とても美しいです。
おおいに期待しています。
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今週の巻頭言
「青年のみなさまへ その弐」
現在、
当教会の青年のみなさんは「出会い」にどんどん直面していると思います。
数年の間に仲間が急激に増えました。
さらに増えていくと思います。
そしてみんながキリストによってひとつとされ、
チーム・キリストを形成し、
キリスト家族として歩みます。
それは考え方や価値観が一緒ということではなく、
(むしろそれは教会ではまったく意味を持たず)、
ただキリストを信じ、
みんなでひとつのキリストの体であることを
生々しく覚えて生きるということが起こっており、
このことだけが、
生命、人格、人生、信仰、教会、世界、歴史にとって
大事なこととなります。
だからまず
これまで続けることがゆるされているように
日々丁寧に他者のために祈りましょう。
具体的に仲間の名前をあげ顔を思い浮かべ祈りましょう。
次に、
はじめて会った人が家族であることを主より受けましょう。
ここで大事なのは、
教会家族よりも個人や血縁家族を優先することから解放されることです。
個人を優先すると、
自分の健康と安定さえあれば動じなくなります。
すると
実は自分のそれらのみ求めるご利益宗教として教会を利用するようになります。
そして教会家族に不満があるとそこから離れることもできます。
そして何より自分がキリストにより変化する最大の奇跡を受け損ねます。
血縁家族を優先すると、
そこで完結しそこを安全地帯とするため、
キリストの体を受け損ね、やはり自分が変化する主の奇跡を受け損ねます。
信仰とは出会いによる変化の享受です。
この変化が主の最大の奇跡の業です。
キリストに出会った者にとっては教会家族が最優先です。
だからこそ教会家族では、
天涯孤独の方も、親や子どものない方も、母子家庭や父子家庭の方も、
血縁以上の父、母、祖父、祖母、息子、娘を、主から教会という具体として与えられます。
教会の中に血縁家族が優先される雰囲気が起こると
(これは案外教会がよく起こす大失敗)、
血縁家族がなく、あるいは関係がうまくいかず、さみしい思いをしている人を、
教会が排除しはじめます。
だから青年のみなさん、
キリスト家族となることに躍起になりませんか。
ここに信仰の秘密があるのです。
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このシリーズをもうちょっと続けようかな
と思ってます。