きぼう屋

生きているから生きている

アイデンティティ*私とは何者か

2011年08月25日 | 「生きる」こと
私とは何者か。
それを知るためには次の二つを要する。
ひとつは私の才能と業。もうひとつは私の限界。
ふたつのうちでより私を規定するのは後者である。

私とは何者か。
それを自分の才能と業から知ろうとする場合は、自分のみを必要とする。
しかし自分の限界から知ろうとする場合には、自分の限界を示す他者を必要とする。

私とは何者か。
それは私の限界を示す出来事と他者から問われる。
本来そうであるところの明らかに異質である他者から問われ、
究極に他者である神から問われる。
また、究極の限界である死から問われる。
それも不条理なる十字架の死から問われる。

汝の敵を愛せ。
最も異質な他者である敵を愛すること、
さらに最も異質な出来事である死を受容することは、
私のアイデンティティのために不可欠な事柄。

敵への愛と死の受容なしに私のアイデンティティが確保できないならば、
私は私を知ることがないということか?
私は信じる。
キリストによる和解とキリストの復活ゆえに
敵への愛と死の受容をキリストが起こすと。

しかし
そこで私についての答えが示されるのではなく、
問いの変化が起こされる。
つまり
問いは、私は何者か?から、キリストは何者か?へと変わる。

私のアイデンティティとはキリストのアイデンティティであり、
それは具体的な世界においては教会共同体というキリストの体のアイデンティティなのだ。

私とは何者か?という問いは、
キリストとは何者か?という問いであり、
教会とは何者か?という問いである。
これらの問いは切り離されることなく、
常に同時に問われるものである。

私とは何者か。
それは答えのある問いではない。
この問いを含めた上記みっつの繰り返しの問いとして、
アイデンティティであるところの問いである。

そして
問いがすでに
復活と希望の光のなかでの
和解と癒しの出来事の初穂となっているのだ。


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今もなお最も多く聞かれる要望、
私のアイデンティティを確保したい!
というものを受けて
私とは何者か
からいろいろと考えてみたらこうなったわけです。

若人たちへ

2011年08月24日 | 「生きる」こと
当教会は8月第一週に若者による被災地支援活動を行った。
教会のみなさんの献金による。
ひとりの青年の要望が叶うかたちで。
企画が決まり、若者たちに参加を呼びかける。
たくさんの仲間が行きたいと願った。
日程が合い行けた者以上に、残念ながら仕事や大学の試験で行けなかった者が多かった。

被災地支援の参加希望者には特徴が見られた。
それは京都においてホームレス支援にかかわった経験のある者たちだったのだ。
当教会は日常的にホームレス当事者とのかかわりがあり、出会いがある。
それにより問われている者たちだった。

今週の礼拝説教で若者たちに「厳しい問い」として提示したが、
一方で、当教会というホームレス当事者とほんの一歩を踏み出すことで出会う環境のなかで、
まだ出会っていない者は、
被災地支援への参加のことを口にすることがなかった。

つまり、
日々の生活で他者と出会っているか否かが実はすべてなのだ。

信仰とは他者との出会いのことである。
聖書は徹底的に神を他者として描き、
他者なる神との出会いを信じ畏れることを信仰と言う。
主イエスはもっと分かりやすく人のかたちをもってして他者である。
しかし他者との出会いを二の次にするキリスト教界のイデオロギーが今尚強く残る。

神を自分の心の中にしまう信仰形態はいつ生まれたのだろう。
自分の安定と安全のために主イエスや聖霊を用いる信仰はどのような背景に基づくのだろう。
自分のための神ってなんだろう?。
わたしはこれらは国家の強化のために無意識につくられたイデオロギーと思ったりする。

自分という世界を第一としそこに神を閉じ込めることと、
国家を世界と同一視しそこに神を閉じ込めることには、
強い親和性がある。
まず自分や国家のイメージと思想とやりたいこと。
それらが神化していて、それらを捨てることがむずかしくなる。
このイデオロギーは厄介。

日常的に自分の諸々を、
他者の具体的生活における叫び、嗚咽の前で、
キリストの十字架の下に立つゆえに断念できるか?。
これがキリスト者の歩みの中心の問い。

他者の十字架のための活動をするのがキリスト者。そしてその行為が愛。

私が生きるのは、他者との交わりゆえ。
私が健やかに平安に生きたいならば、
私のことを考えるはせいぜい2割で十分。
8割は他者の平安のために祈り行為する。
すると私も生きる。

バプテストという平和

2011年08月16日 | 教会のこと
今週の週報巻頭エッセイです。

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「バプテストという平和」

わたしたちは不思議とバプテスト教会と出会いました。
あらゆる他者との出会いが不思議な神の業であるのと同様、バプテストとの出会いも神の業です。

そして個々人がそれぞれ歴史により特徴を形成されるように、
バプテストにも特徴があります。
「教会員手帳」は次の特徴を記します。

① 聖書の重視、②キリスト中心、③信仰告白者のバプテスマ、④浸礼の尊重、⑤民主的教会運営、⑥各個教会主義、⑦政教分離の原則。

ただ私たちはこの7つを原理として守るという過ちに陥ってはなりません。
これらの特徴の本質を丁寧に生きることが大事です。

まず一つ目の本質は、
神以外の力に従わない、ということです。
そのために、政治と一体となることを避け(⑦)、
中央の力(⑥)や牧師や役員の力(⑤)を相対化します。
また教義による拘束も避け(①)、聖書から繰り返し聴くことを心がけます。
ゆえに自らの言葉で信仰告白をする者がバプテスマを受けます(③)。

次にふたつ目の本質として、
思考による正解を求めるのではなく、常に状況の中でキリストに従う決断を求めることが挙げられます。
それは具体的なキリストの十字架であるそれぞれの時空における困窮への伴いから歩み始めるということです(②)。
正解を求めないので教義を必要としません(①)。
むしろ正解を人が導き出すことができないことを知るゆえに、いちいち民主的方法で決断します(⑤)。
無論、民主的決断に誤りがあることも承知の上です。
また昨今陥りやすいのは、各個教会主義が各個教会の原理を守るために主張されることですが、
バプテストの本質はその逆ですので、
原理という束縛から解放された各個であるために、むしろ他の教会との交わりを必要とします。

そしてこの本質こそ平和そのものです。

さて、本日は牧師がいない礼拝です。
しかしバプテストは上記の本質ゆえに、牧師がいなくとも礼拝が守られ、神の言葉がとり継がれます。
S兄からのメッセージを祈りつつ受け、
バプテストの大事する平和を味わっていただきたいと願います。

力も策も神と共にあり。原発被害の只中で。

2011年08月10日 | 「生きる」こと
今週の週報巻頭エッセイです。

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「力も策も神と共にあり」


「力も策も神と共にあり 迷うこと、迷わせることも神による(ヨブ記12:16)」。

昨日は66年前に広島に原爆が投下された日。
その記念式典における「平和宣言」の中で、広島市長は原発に頼らないエネルギー施策を政府に求めた。
それは66年前の悲劇を繰り返さないための訴えであることが、
宣言内で使用された「黒い雨」という語により暗に、しかしそのことが中心であることが示されていた。
私たちは広島と長崎の原爆による被害を痛み、そこから学び、
それが繰り返されないよう祈り続けている。

しかしその祈りは、
被害を出す核物質自体を否定してきたというより、
核物質による武器を否定してきたケースが多かったことが今はわかる。
つまり「平和利用」に関しては、逆に否定しないケースが圧倒的に多かったのだ。

しかし3月11日に福島原発は壊れた。
今なお放射性物質を多量に出し続けている。
その量は広島に落とされた原爆の二十倍とも三十倍とも言われる。

今、わたしたちは次の事実を確認することができる。
それは、この島で生きるならば被曝することが、我々にはそれこそ運命付けられたということだ。

原子力は「平和利用」されようとも大きな悪である。
そして教会はそのことを明確に言い続けねばならなかった。
しかしそれをしなかった。
まず教会は悪とたたかいきらなかった歴史の罪を告白せねばならない。

ただ、だからといって他のエネルギーが善であるとも言い切れない。
どのエネルギーを利用しても、
そもそもそれだけの莫大なエネルギーなしに動かないシステムが悪であり、
そのシステムで快適性を享受する我々も同じく悪である。
その悪のために用いられるものは何であっても悪ではなかろうか。

我々は歴史を通じて迷うことを避け、迷わない生き方のために、
力と策とを自ら生み出そうとし続けている。
つまり聖書の言葉の逆を歩んでいる。

これが悪の源。

しかしその源によるシステムが破綻した。
逆に命を脅かし始めた。

そこで私たちは、今、逆に迷い始めた。
迷う中で、逃げる場合も、逃げたくても逃げられない場合も、逃げる必要を認めない場合もある。
そもそも線量値と健康との因果関係の真偽も迷う。

その中でキリスト者ができることは何か。
それは迷うことだ。
迷いは神によると信じることだ。
そして力と策が神にあることを認めることだ。
神に祈り神に聞き神の力と策に希望を見出すことだ。

それは今度こそ原子力をはじめ巨大な力と策たちが悪であることを言い続けることだ。

そう!言い続けることだ。
広島の平和宣言は、暗に原爆の悲痛をその後も世代も原発事故にて苦しむことを嘆いている。
そしてその次の世代こそは悲劇を繰り返さないことを求めている。

次こそ悲劇を繰り返したくない。
そのために私たちは巨大な力と策たちが悪であることを言い続ける。

そして迷う。
自らが被曝する現実の前で大胆に迷う。
神に創られたいのちを傷つけるという悪と直面しつつ迷う。

そしてここで大事なことは、大胆に迷いが神によるものと信じることだ。

66年前に広島、長崎にいた者が被爆しつつ、次世代が同じ目にあわないために声を上げ続けたように、
今この島に住む私たちは被曝しつつも、次世代のために声を上げ続ける。

ヨブが苦しみの中で苦しみから逃げる様々な情報に惑わされつつも神に従う決断をしたように、
私たちも迷いつつ神に従い、迷わないでいい人による力と策たちが悪であることを語り続ける。

京都教会伝道会議から9年

2011年08月06日 | 教会のこと
今週の週報巻頭エッセイです。
明日から新しい週というぎりぎりですみません。

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「伝道会議から9年」

2002年。当教会は50周年を迎えました。
そして50周年記念式典を終えた一ヵ月後に、次の10年を見据えての伝道会議が開催されました。
その時私たちはカードにそれぞれの思いを書き、
それを床に広げてテーマをまとめるという作業(KJ法)をしました。
そしてそれをまとめた「日本バプテスト京都教会の将来はこうしたい!」という資料が当時みなさんに配布されました。
そしてそこから2004年にはグランドプランが策定され、そのプランに沿って少しずつ前進しているところです。

先週私はそれこそ9年ぶりにそのカードを読み返しました。
それを本日は西側廊下の壁に掲示させていただいております。
そして、9年経った今、何が実現し何が忘れられているかなど、みんなで丁寧に確認できたら幸いです。
 
さて、しかし私は、9年前の私たちの夢が主の業として実現するために、
この9年間も、それ以前も、分かち合われることのなかったことを、ここで取り上げたいと思います。
それは、当教会の歴史の掘り起こし、.
教会共同体としてのテーマと、そのテーマの共有度や深度の丁寧な評価が必要性、
および歴史における罪を見出し、主に告白する作業の必要性です。

2002年の伝道会議にてとても豊かな意見が出されましたが、
同時に、それらの意見が出る背景、つまり意見とは逆の状況があったということを、私たちは追体験する必要があります。
そしてその状況からの変化を多くの人が求めました。
しかし変化は、それまでの歴史の罪を告白するところからのみ起こります。
罪告白により神の赦しを宣言されるところから、将来は起こされます。
ですので、もしかしたら現在は変化してよくなったと思える部分があるかもしれませんが、
しかしそれは、歴史が一旦切れ、
いわば結果的に本質的には別の教会が始まったことになっている可能性もあることを、
私たちが知っておくことは大事です。

当時私たち教会の希望した変化が、歴史のつながりの中で起こされることを願うならば、
そしてそれこそが神の業であるわけですが、
私たちは歴史の罪を隠さずに告白し、和解の主の業に委ね、そこから変化しなおすことを視野に入れたいと願います。
それは現在変化したさまざまなかたちに、より深い主の業が加えられるということです。
教会という信仰共同体だからこその将来の夢に向かう作業に、
まさに信仰と祈りと交わりからしか起こりえない作業に、
挑戦できればと願います。