きぼう屋

生きているから生きている

ハーモニー

2007年12月27日 | 教会のこと
ハーモニー


命の集まりにおいて
ハーモニーは不可欠

だた
覚えておかねばならないのは
そのハーモニーは
決して心地よいものではない
ものだということ

それは
和音の中でも

不協和音

呼ぶものだろう

命は
めいめい
それほどに
豊かに異なり
それほどに
見事に一致しない



**************

少し
日本バプテスト連盟内で
ときどき出てくる
議論を考えてみる

それは
牧師は必要悪というもの


バプテストは
ほとんど牧師の働きを見出さないところの
不思議な教派だ

牧師もひとりの信徒であり
そもそも人間である


正しくも認識する

そして
長いキリスト教会の歴史において
牧師や神父のみが行える
さまざまな宗教的行為について
それはキリストを信じる者なら
誰でも行うことができる
と考えている

そこで
牧師は必要悪
という主張する者もいる

それは
ある牧師が
オーケストラにおける指揮者は
必要悪だ
という発言をテレビで聞いたところから
地味に広がっているらしい

確かにそうだろう
奏でられる音楽においては
楽器を持つ者のみがいれば成立し
指揮者は
いなければ困るけれども
それは悪とわかりつつ
存在している
かもしれない


しかし
それは心地よいハーモニーを奏でることを目指す場合に
限定されるだろう

そもそも
命の交わりは
不協和音でしかない

なのに
人間は
人間の
いわば生命維持の欲望からくる感覚において
まとめようとするところの
和音をつくりたがる

そこで

それは人間による
あまりにも安価なものだ!

と打ち壊す指揮者が必要になる

不協和音を奏でるときは
牧師は必要となる


そして最大の不協和音は
死の出来事

バプテストが
原理的に言うなら牧師という役職を必要としないのに
牧師をたてるのは
これまでの議論では
死の出来事があるゆえ
ということになろう

しかし
キリスト教会は
常にキリストの死を受け
常に死の出来事のうちにある

よって
常に不協和音だ

だから牧師は
決定的に必要と言っても過言ではない



もし
必要悪というならば
人間がそもそも
罪人でありつつ
神の働きに欠かせないということにおいて
必要悪となろう

牧師の必要悪を語る者は
バプテストの精神にのっとり
牧師のみならず
信徒まで枠をひろげたらいい


*****************


こだわるべきは

不協和音にもかかわらず
共にいる

ということ

なにしろ
時間空間的に共にいること
空間的に共にいられなくとも
時間的に祈りにて共にいること

それをキリスト教会は

聖霊の働きと

呼ぶ

感力

2007年12月26日 | 「生きる」こと
感力


敏感でならねばならないところで
敏感でいることができて

鈍感であってよいところで
鈍感でいることができる



****************


「鈍感力」
なんていう言葉が用いられる昨今

しかし
問題の本質は

敏感であるべきところで鈍感であり
鈍感であっていいところで敏感であるという
人があり
世界があることだろう

感力を磨くのは
他者との出会いのみ



今から年末感謝祈祷会

互いの今年の証を分かち合う

主に感謝

つまり第一歩を踏み出したのだろう

2007年12月25日 | 教会のこと
教会のクリスマスプログラムが
いずれも格別に祝され
ホッとしつつ

今朝は
サンタさんからのプレゼントに興奮する息子たちの声で
目覚めることができました


朝刊を取った妻が
そこに封筒があるのを発見しまして

なんでポストでなくて
こんなところに手紙があるんだろう
と思いつつじっくり見ると

切手は郵政のものでなく
三太郵便のもので

住所は荒神口通河原町東入でなくて
京都教会階段登り右入になっていて

封を開けると
この間教会に泊まりつつ
クリスマスプログラムを
それこそ愛を込めて準備してくれた
若者たちから
愛が溢れてくるクリスマスカードがでてきました

目がうるうるしてしまいます
昼間に思い出しても
うるうるしてしまい
今もまた
うるうるです

カードと一緒にプレゼントも入っていました
それは
「愛のこもった(笑)鍋パーティー」の招待券
有効期限が1年で
3つの注意事項が書かれています
① 手ぶらで来ること
② 1杯目は白菜のみとすること
③ 鍋パーティー前後5日間の青年会の宿泊を許可すること

本当のところは
僕ら夫婦が
若者たちに救われているわけで
僕らが労をねぎらいつつ
愛をたくさん送るべきなのに

さらに愛をいただいちゃいました

ありがとう
ありがとう


今年のクリスマスで見えてきたのは
京都教会は
ひとつのかたち
ひとつの雰囲気
でプログラムが流れることなく
また
スムースに行くこともなく
プログラムの各所を担う
おじいさん、おばあさん
おじさん、おばさん
おにいさん、おねえさん
子どもたち

個々人のリズムとペース
それぞれの表現が
折り重なって
礼拝なりほかのプログラムなりが
現れてくるということです

なんかいい雰囲気になったかと思うと
そこで赤ん坊なり子どもが
予想外の言動を起こし
その雰囲気が壊れてくれます

そんな
人間に理解できるまとまりなんて
壊れたほうがいいように
壊れてくれます

瞬間瞬間が
まとまることなく
つながります

何でつながるのか

キリストです
愛です
情熱です
祈りです

それにより
ハウ・トゥーが壊れ
人間によるかたちが壊れ
雰囲気が壊れます

京都教会では
企業や学校で通用する方法は
まったく通じなくなってきているようです

これは
すごいことだなあと思います

こういうのが現れはじめると
隣人性を分かち合うことができるようになります
歴史性を分かち合うことができるようになります

なにかすごいものが動き始めています

だからなお祈ります

キリストよ
来たりませ

速報

2007年12月25日 | 教会のこと
たったいま
サンタさんが来た!!!

あついコーヒーを用意して
体ぬくめてくださいなぁ
って
言おうとしたその瞬間

シャンシャンシャン
って
行っちゃった



******************


キャンドルサービスに参加してくださったみなさん
ありがとうございました

わたしは
参加されたみなさんは
すでに
共に生きる仲間と
信じています

そんなこと言われても
困るだろうし
さらに
うざい
場合もあると思いますが

申し訳ありませんが
わたしは
みなさんを覚え
祈ってしまいます

またお会いできて
しっかり出会うことがゆるされたら

しあわせすぎるほどに
しあわせです

あらためて

メリー・クリスマス

クリスマスの催しのお知らせ

2007年12月24日 | 日本バプテスト京都教会のお知らせ
(24日まではこの記事がトップとなります
  ひとつ下より新しい記事があります)


日 本 バ プ テ ス ト 京 都 教 会

          の

      ク リ ス マ ス

          の

       お 知 ら せ


***********************

1 2 月 2 3 日 ( 日 )

朝10:30~ クリスマス礼拝
昼12:15~ クリスマス・パーティー
         立食パーティー
         大ビンゴ大会
         出し物たち
   (3時ごろ終了予定
・・・盛り上がると1時間くらいのびますが・・・)

***********************

***********************

1 2 月 2 4 日 ( 月 ・ 休 )
夜 7:00~ クリスマス・イヴ・キャンドル・サービス
    (8時半終了)

***********************


いずれも自由献金あり。入場無料。

くわしくはこちらのHPにて

幸福

2007年12月23日 | 教会のこと
幸せな一日でした

朝8時半に教会へ
泊まっていた若者たちがすでに活動を始めています
10分後には
奏楽担当の高校生Kねえさんが到着
練習を繰り返します

高校生がクリスマス礼拝の奏楽
なんとも嬉しい出来事です

さらに次々と教会のおばさんたちが到着
愛さん会の準備がはじまります

さらに聖歌隊の仲間たちが次々に到着

その頃礼拝堂では
最初の朝の礼拝がはじまります
商売をしている仲間のための礼拝
新鮮な気持ちになれました
というれしい言葉を残して
その仲間は仕事へと向かいます

集会室では聖歌隊が練習を重ねます

そしてクリスマス礼拝

聖歌隊賛美でスタート
多少緊張しつつも
力強い賛美

会衆賛美も会堂に響き渡ります

Hおばあさんによる子どもメッセージは圧巻です

有志による賛美を見事


そんなのにのせられ支えられ導かれ
わたしも説教をすることができます

愛さん会は
もちろん
おいしくたのしくわいわいがやがや

祝会では
Jにいさん
Uおばあちゃん
Oねえさん

それぞれの歴史がぶつかってくるような証に感動

Mねえさんの演奏に
Sおじいさんの賛美に
Kねえさんの演奏は
これまたそれぞれの歴史が染み出してきて
圧巻で感動

プレゼント交換も盛り上がって

忙しい一日で
疲れが出つつも
ニコニコと帰っていくことができました

若者たちは
疲れていないようで
そのままカラオケへ

夜は
愛さん会の残った料理を頂戴し
Kさんご一家と一緒に食事

本質を目指す言葉が行き交い
礼拝説教への応答も深く
多くを学ぶことができました

そして
夜の10時をまわったころ
Kさんご一家(夕食を共にしたのとは別の)が訪ねてくださって
教会への献金と
僕たち夫婦にクリスマスプレゼントを持ってきてくれました
大好きなUちゃんにも会うことができました
(共くんがUちゃんに会えた喜びを深くかみしめている姿は美しかった)
わざわざ訪ねてくれるという
その行為に心底励まされます
またこの間
Kさんご一家のためにたくさん祈っているところでもあったので
なんか単純に
神さまがいるなあ
なんて思っています

という
たくさんの人格、言葉、歴史との出会いにあふれた
一日で
幸せでないはずがないように
見事に幸せでした

みんな
ありがとう

いよいよ

2007年12月23日 | 教会のこと
いよいよ
クリスマス礼拝の朝となりました

混沌として
きりきりして
いらいらしている世界の中で

しかし
まずは
意地でも喜んでやろう

という
クリスマス礼拝の朝です

主イエスという赤子が生まれたという
自らの
経験
感覚
感性
感触

どこで承認すればいいのかよくわからない出来事を

しかし
信仰

承認するという奇跡によって
喜びからはじめることができる

その喜びが
混沌きりきりいらいら

ちょっとづつ浸透することも
信じつつ

教会集会室の
いすのカバーが新しくなりました
教会のおばさまたちが
今日のために丁寧につくってくれました

礼拝における聖歌隊が用いる譜面の表紙も
Sおじさんが手作りでつくってくれました
聖歌隊賛美は
礼拝の一番最初なので
ぜひ
10:30に間に合うようにお越しくださいませ

若者たちは今回も昨日から泊り込み
特別賛美の練習を重ね
お昼の愛さん会(持ち寄り料理のバイキング)
のために台所でがんばってます

愛さん会に持ってくる予定の料理とその量を
それぞれ記入する用紙が掲示されてますが
それにはとてもたくさんの料理名が並んでいて
なんだか
圧巻です

料理を持ってこなくても大丈夫です
持ってきた人と持ってこない人で
なんらかの差が生じるほど
うちは
未熟な教会ではありません

持ってこられる人は持ってくることを喜び
持ってこられない人は持ってきてもらったことを喜び
そして
みんなでおいしくたべて
しゃべって
分かち合って
なお喜んでしまうわけです

というわけで
隣人と世界のために
意地でも喜びを!
と願う
日本では天然記念物に指定されてもおかしくない
人たちが

愛を込めて
丁寧に準備した上で

むかえるクリスマス礼拝


いいねえ

わたしも
しばらく祈りのときをもつことにします

では
また教会で

わきあいあい

2007年12月22日 | ホームレス支援のこと
この間
ホームレス支援機構・京都寄り添いネット
に関することを
報告できていなくてすみません

また
今年も報告書を出すことができず
これまたすみません
賛助会員のみなさま
来年夏には発行しますので
おゆるしください

事務局のふたりが
大きな病で担えなくなって以来
報告書関係がうまいこと出来上がりませんが
しかし
活動はますますしっかりやっております

本日は市役所前炊き出し
京都新聞の記者がつきっきりで取材をしてくれました
感謝です

本日の炊き出しメニューはクッパ
先日の焼肉大会で残った肉を冷凍保存しておりましたが
それを使ってクッパをつくりまして
それが抜群にうまくて
うまいからしあわせで
炊き出しの交わりはとても平安で楽しいものとなりました

本日から
京都市の施策で
年末年始の2週間を保護所や旅館などで過ごせるというものがスタートしたので
いつもの三分の一ほどの人数だったので
こじんまりとしてて
おかわり自由で
わきあいあい

僧侶のNさん
Oねえさん
Zにいさん

わが息子たちの相手もしてくれて

感謝感謝
そして
すみません

今月は恒例の焼肉大会も
雨の中ではあったけど
スムーズにできて
やっぱり
わきあいあいでした

鴨川と御所のパトロールでは
よろずプラザのみなさんも参加してくださり
医者
看護師
福祉士
がそろい
これまで突破できなかったところを
突破しかかるところまできまして
これから大きく展開することを確信しました

というわけで
報告書はできていませんが
活動はがんがんしております

残念なお知らせは
自立支援で
ひとつうまいこといかなくなったケースがあり
年内に10万ほどの費用がかかりそうです
なんとかみなさまに支えられ
費用を捻出することができますが
今後はさらに
丁寧にかかわり
このようなことがないようにしたく深く反省しています

京都では
当事者による仕事づくりとして
「みやび」
というリサイクルショップを中心とした
何でも屋がはじまっています

ぜひこちらも覚えていただければと思います

今後ともぜひとも祈り支えてくださいませ





ベランダ

2007年12月21日 | 「生きる」こと
我が家のベランダの窓には
靴下がテープでとまっています

きれいに大きい順に並んでいます
五つ並んでいます

それはこの時期のそういうための靴下ではなく
日ごろはきこんでいる
洗いざらしの靴下の
そのかたっぽです

四人兄弟ですが
五つ

わたしが
「おれにもサンタさんなんかくれないかなあ」
とつぶやいたら
共くんが
「何がほしいの」
と聞くもんだから
「グローブ」
と言ってしまいました

そうしたら
わたしの靴下もはられました

そして兄弟みんなでサンタさんに書いた手紙もはられています

そこには欲しいものが書かれています

それを読んでみました

サンタさんの財政としてはとてもしんどいことが
なぜかわたしにもわかりまして
すでに
わたしへのプレゼントは絶対にないと
わかってもしまいました

「パパはな、今年こそな、サンタさんにコーヒー飲んでもらうねん」
「そのときおれも起こしてな」


うきうきしております

教会のSねえちゃんは
サンタさんに会いたくて
袋に入ったおせんべいを枕元に置いていたそうです
食べるときに
ガサガサ
と音がするので
目が覚めるという計算だったそうです

朝起きると
おせんべいは見事になくなっていたそうです

サンタさんはさすがです

我が家にくるサンタさんも
子どもたちに見つからない技量は
年々アップしています

わたしはサンタさんが大好きです

ちなみに
わたしが子どものときは
サンタは来ませんでした

そのかわり
親が
「クリスマスプレゼントは1,500円まで」

言っていました

大人になると
自分自身を見つめる中で
サンタさんにプレゼントをもらう経験は
とても大切だと
とてもよくわかります

サンタさんは

います

感謝

2007年12月18日 | 教会のこと
昨日
朝早くにひとりのおじさんがたずねてくれる
ホームレス(と現在呼ばれるところの)状態にある人だ

生きてて良かった
って
ひさしぶりに思った


言ってくれた

その人のために
時間を割いたことはない

でも
寄り添いネットの炊き出しや訪問などで
顔をあわせる中で
そう思ってくれていることに

逆にこちらが
生きてて良かった

思うしかない

手には袋いっぱいのぬいぐるみ
どういうルートで手に入るのかわからないが
大きなキャンペーンで用いられて
でもそれが終わって不必要になった
そういう
でもなかなかレアな
ぬいぐるみがやまもりだった

教会にくる子どもたちにどうかなあ
こんなんしかできなくて申し訳ないが・・・

いやいや
こちらこそ
教会の子どもたちまで覚えてもらい
感謝するしかない


おとといの昼過ぎ
子どもクリスマスが始まる直前
Aさんが訪ねてくれた
彼女はTさんの死の出来事の中で
教会に触れた人

今日は子どもクリスマスがあると思ったから
お菓子を持ってきました
みんなで食べてください

ということで
ここでも教会の子どもたちを覚えてくれる人に出会い
あまりに嬉しく
やはり感謝するしかない

そのお菓子は
手づくりのドーナツだった
みんなで分かち合った

Aさんと会話した経験のあるわたしは
誰よりも胸をあたたかくすることができたと
こっそり感謝している


こういう
ふとした出来事に出会って
心身のその芯から支えられる感触を覚える


そういう人たちに出会うと
自分の未熟さを反省もできる

わたしも彼(女)らのようになりたい

心底願い
神に祈る


2007年12月17日 | 教会のこと
虹がすべてを締めくくってくれた

聖書の約束のように
すべての時間と空間をつなげる
仲介者として
虹が啓示されたと
信じてみたっていい
と思った

昨日
日本バプテスト京都教会の
子どもクリスマスが
豊かな内容とともに
終わった

その内容は
子どもたちを迎える
若者たちとおばさんたちの
信仰と祈りと
そこから起こされる隣人性

わたしはかたちをつくりたくない
わたしたちが信じるのは
キリストのかたちのみ
それは祈りと交わりと
その交わりで綾となる言たちとして
あらわれてくることを信じている

若者たちはまたもや前日から教会に住まい
子どもたちのために
丁寧、さらに丁寧に
言を交わし準備をする

当日どうしても仕事のために来られない者も
前日夜遅くまで
丁寧に、さらに丁寧に・・・

当日朝の礼拝は
どうしても会社の用事で来られない者も
前日夜遅くまで
丁寧に、さらに丁寧に・・・
そして
午後の子どもプログラムには
飛んでくる

おばさんとおばあちゃんも
火曜日、土曜日と
丁寧に、さらに丁寧に
子どもたちを覚え
準備を重ねる

なにしろ丁寧だった

だから迎えるみんながのびのびしていた

つまり
みんながあらゆることを共有して迎えているのだ

共有するための場が必要
という声がよくあるが
共有する時間と場は
信仰と祈り
そこから出てくる隣人性、交わり
に生きるなら

主体的につくることができるのだ

そこに
人がつくるのではない
キリストのかたちが現れることを
信じたっていいだろう

それはキリストの出来事として
地が盛り上がり泉がわくごとく
盛り上がってくるのだ

統一感はまったくない

個性あふれる司会
個性あふれる賛美指導
個性あふれる朗読
個性あふれるゲーム進行

そんなのにつられて
わたしも話をすることができる


それが見事に調和する
なにがそうさせるのか

信仰と祈りと隣人性

平易に言うなら
子どもたちに向かう全身全霊

ここははずせない
他者に向かう全身全霊を与えられるとき
僕らは
その時がおどろくほどに満たされるのを知る


集った子どもたちが
そういう人生の先輩たちのなんらかの言葉や動きを
そのひとつでも
身体に記憶してほしいと
願い祈る

いや
きっとこれからけっして楽ではない人生を歩む中で
ふとしたときに
想起されるだろう


そして
プログラムを終えようとしたときに
突如あらわれた虹

大きな虹が
二重になっている

子どもよりおとながさわぐ
そうなんだ
虹の感動は
人生の深い綾を
痛みつつ経験しているものでないと
さらに深い亀裂を
涙しつつ経験しているものでないと
わからないのだ


その虹が
教会からほど近い
走れば2分でつくだろう
京大病院からのびている

その虹の出所に立ったら
地球の転がるすべての
ふかいふかい困窮と
しかしそこから染み出すキリストと
つながるのではないかと
本気で思った

そう思って
子どもクリスマスが終わったのは
キリストによるしかないと
信じるしかなかった

主よ
なにしろ
子どもたちを
救ってください

アーメン

子どもクリスマスのお知らせ

2007年12月16日 | 日本バプテスト京都教会のお知らせ
(この記事は16日の夕方までトップにあります。
 更新された記事は下↓へどうぞ)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


京 都 き ょ う か い  の

子 ど も ク リ ス マ ス  は

いよいよこんどの日ようび

1 2 がつ 1 6 にち ( 日 ) ご ご 2 じ ~ 4 じ


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


さいしょに
れいはいがあります

みんなでクリスマスのうたをうたったり
きょうかいのぼくしさんの
たのしくて
こころがあたたかくなるおはなしをききます

そのつぎに
みんなでケーキをつくります

よういされているスポンジケーキに
クリームとかくだもの
チョコレートなどのトッピングを
すきなようにやっちゃおう

これはおとこの子でもおもしろい!!


そしてさいごに
サンタさんがきます

きょうかいのばしょなど
くわしくは
こちら

じゃんじゃん

き て ね ! !

ま っ て ま す ! !


***********

ご家族のみなさまへ

子どもクリスマスは、赤ちゃんから小学生を対象としていますが
お父さんやお母さんでも
おじいちゃんやおばあちゃんでも
みんな一緒に参加できます。

中学生ももちろん歓迎です。

またもちろんお子様だけでお出かけくださって大丈夫です。
教会のお兄さん、お姉さんが
お子様おひとりおひとりと
丁寧にかかわります。

ぜひお出かけくださいませ。

両輪なる時間

2007年12月13日 | 教会のこと
昨晩の祈祷会での分かち合いも面白かった

キリスト者は
聖書から知る次の四つの事柄を信じる

創造
十字架
復活
終末

そしてポイントとしては
これらの事柄がいずれも
超越されているものとして信じられることだろう

創造

どちらかというとわかりやすい

自分の存在
地球の存在
宇宙の存在
なんぞを考えていくと
それは神によって創られている

考えたくなってくる

そして
実は多くの宗教は
この創造という事柄のみでなんとかなっているような気がする
そこに少し
創造物の終わりという意味で
終末というエッセンスを足すくらいのところが多いか

キリスト教会でも
この枠を超えていないケースは多いと思う

しかし
創造という場合
感触としてよくわかる存在の創造と同時に
それ以上に
それを超越した
神の国の創造を信じることが大切

言い方を変えると
本当の意味での平和が創造されることを信じる

その鍵は

で規定されない空間と時間
世界と存在
というところか


十字架もまた
実存的に感触としてわかりやすい面がある
これも
創造と同じような視点で
超越を捜し求めることが大事


復活と終末はわかりにくい

なんでだろう

そこで分かち合われたのは

復活と終末は
空間的な超越以上に
時間的な超越を見出さねばならないゆえ
なかなか感触としてはわかりにくいようだ

死の向こうの時間がわからないようにまさにわからない

そこでさらに分かち合われたのは
キリスト者の時間

過去から未来へ伸びる線という時間でなく
バプテスマ(洗礼)を受けた日から
過去と未来に両方向に伸びていく線
という時間

過去から未来に伸びる線を考えると
そこから
過去と未来がつながるという
いわゆる
輪廻
みたいな考え方も出てくるけど

キリスト者は
バプテスマの時点から
過去と未来に線が延び
さらに過去からは
創造と十字架とキリストの復活が
そのバプテスマの時点に飛び込み
また未来からは
終末とわれわれの復活が
そこに飛び込む

そうすると
バプテスマの時点から
ふたつの
逆方向の時間の循環いただくことになる。
その循環は
過去と未来という
それぞれ逆方向に流れていく

でも
その相反する逆方向のものが
実は
それぞれ車輪として
同じ方向に走っていく

車輪というのは
同じ方向に回っていると思いきや
車輪を平面状に並べるならば
そこでは逆方向にまわっていることがわかる

キリスト者の時間は
バプテスマの時点で二つ折りされて
過去との循環と未来との循環が
両輪となって僕らの生をすすめる

ということが言えないだろうか

なんてことを
昨晩の祈祷会でわかちあった

面白いでしょう

教会人でよかった。。。


家族減

2007年12月10日 | 「生きる」こと
今朝家族が減った
36日間一緒に生活した兄ちゃんが
故郷へ帰った

兄ちゃんのいい決断だった
神に感謝する

しかしさみしい
息子たちはなおさらさみしいだろう

兄ちゃんの背負う歴史は
相当に重たいだろうが
そして
その歴史がさまざまな事柄を規定しているところでもあるが
しかし
キリストが必ずそれを共に背負い
兄ちゃんに
本当の自由を備える

兄ちゃんが忘れ物をした
「ホームレス中学生」
という話題の本
一気に読む
完成度の高い本だ
兄ちゃんが共感していたのがよくわかる

柴田淳のCDをかけていた
ぽっかり穴が空いた感覚を覚えるときに
どうも聞くようだ

わたしは
兄ちゃんと家族だったこの間に
兄ちゃん以上にいろいろ学んだかもしれない
そして
やっぱさみしい

兄ちゃんの故郷の教会の牧師が
ステキな人で安心できるのはありがたい

他者と徹底的にかかわっている人は
少しの交わりでわかるものだ
そして
そういう人は意外と数少ない

でもそういう数少ない人のひとりだ

兄ちゃんのことで
その牧師とさらに深く出会ったことはありがたい


このときを見計らったように
かかわり続けていた人が
拘置所に入ってしまった

明日の朝一番で面会に行こう
大変なことはわかっているが
祈って祈って祈って
必要な対話を続けたい

主よ
来たりませ