きぼう屋

生きているから生きている

バザー奉仕という救い

2010年10月31日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「バザー奉仕という救い」

いよいよ今週水曜日はバザーです。
礼拝堂はすでにバザーの品が並んでおります。
ぜひその圧巻な光景を見ていただきたいと思います。

今年も夏から昨日まで多くの仲間がバザー準備に主体的にかかわられています。
そのゆえにここまでの準備が出来ています。
そしてこれは実は神の業以外のなにものでもありません。

まず、当教会のバザーの特徴が神の業となっています。
バザーでは教会が地域の拠点となっています。
つまり地域の方々が1万点以上のバザーの品を献げてくださり、
そして同じく地域の方々がバザーで必要なものを購入します。

バザーに関しては、地域全体が教会の出来事に与ります。

そして地域の仲間たちのために、
教会の仲間が夏から奉仕しています。

これは決して楽な奉仕ではありません。
でも奉仕の時間は間違いなく幸福です。

それは、徹頭徹尾他者のために行動しているからです。

地域の仲間が喜ぶために、
彼らのホストとして行動しているからです。
つまり愛を生きているからです。

この他者のための行動は、
すべての献品を手に取り、整理し値段付けをする中で、
奉仕者が欲しくなる品とたくさん出会うけれども、
しかし、それをフライングして先に購入するという、
よくあることが当教会では起ることなく、
バザー当日に地域の仲間たちがそれらの品に出会えることを心から願う、
というほどの高価な行動です。

バザー奉仕がアルバイトだったらいったいどれだけ収入があるでしょう?
でも収入もないのだから数品くらい先に買ってもいいのでは?
という誘惑は、
人を神の愛から強烈に引き離すものであり、
当教会の奉仕者がそのことを熟知していることに私は感謝するしかありません。

私がこの間ほぼ確信していることをここでもお伝えしたく願います。

人が救われ幸せになり明るくなるのは、
他者のために生きるとき!
であります。

それは他者のために生きることがわたしのため!という理屈も必要としません。

端的に他者のために生きるときに、
人は本物の幸いを得ます。

そのときに、人は神が自分のために生きている奇跡に同時に出会っています。

だからバザー奉仕は私たちを救う神の業。
感謝し祈りつつ当日を迎えましょう。


ハンスト

2010年10月25日 | ホームレス支援のこと
下記メールをアップします。
お時間のある方
現場に足を運んで、関根さんを励ましてまいりましょう

いっしょにたたかいます

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大谷心基 様

空き缶回収禁止条例反対デモ実行委員会の関根です。

10月28日の本会議までをめどに市役所前で今日からハンストをやっています。

ご注目よろしくお願いします。

**********転載転送歓迎*************
★★京都市「空き缶回収禁止条例」案に反対し、ハンガー・ストライキを決行しま
す!!★★

私たちは市会9月定例会で審議中の「空き缶回収禁止条例」案に対して反対する
ため、デモや人間の鎖などを行ってきました。

こうした批判を受け、10月20日、門川大作京都市長は総括質疑で、来年度より、
野宿者向けの就労支援政策を行うと発表しました。また、市の保健福祉局は、既
存の野宿者支援策と社会保障制度の周知の徹底を図ることですべての野宿者にサ
ポートを届けると言っています。その新しい「就労支援」は、内実も見込める効
果も非常に不透明なものです。また、従来の支援策が多くの野宿者に受け入れら
れていないのは、支援策や支援を行う側の姿勢に問題があるからであって、周知
が徹底されていないからでは必ずしもありません。上記の施策案が、野宿者にと
って唯一の生きる糧となっている現実があるアルミ缶回収の仕事と引き換えるの
に十分たるものではないことは明らかです。このような中でこの条例案を可決さ
せるようなことがあれば、それは人の命と尊厳に対する甚だしい軽視の表れであ
ると考えざるをえません。

今回、市会に対し、同28日の本会議採決まで命と向き合った真剣な議論を続ける
ことを求め、京都市役所前でハンガー・ストライキを決行します。ハンストには
多くの方の現場での支援が必要です。また、ハンストと並行し、ビラ撒き情宣も
行います。一人でも多くの方にお立ち寄りいただき、空き缶回収禁止条例案の可
決を止める今期市会での最後の闘いにご参加をお願いいたします。

◆ハンスト開始日時◆
10月25日8時~
◆場所◆
京都市役所前
※ハンスト決行中、各日8時~9時、12時~13時、17時30分~18時3
0分に市役所前でビラまき情宣を行います。
※ブログ
http://blog.livedoor.jp/akikankyoto/
※ツイッターのアカウント
http://twitter.com/akikandemo
※連絡先
空き缶回収禁止条例反対デモ実行委員会
akikandemo[at]yahoo.co.jp

 空き缶回収禁止条例案は、議員会を経て27日に討論が結了し、28日の本会
議で正式に採決されることになっています。私たちは、市会に対して、残された
短い時間の中で命の重みに向き合った真剣な議論と判断を行うことを求めます。
どうか命の「声」に応えて下さい。リサイクル行政の真に望ましいあり方も、こ
れから議論する時間は十分にあるではありませんか。
 京都で学ぶ一学生の私が今期市会においてできることは、あとは結論が下され
るまで議論の行方を市役所の前でささやかに見守ることのみとなりました。ささ
やかながら、しかし命がけで、しかるべき結論が下されるのを待ちたいと思いま
す。

空き缶回収禁止条例反対デモ実行委員会
関根隆晃

バプテストなのです

2010年10月25日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「バプテストなのです!」

先週の礼拝は、
私(牧師)が他教会での説教奉仕のため、牧師不在の礼拝となりましたが、
しかし、たくさんの方々から礼拝が祝された喜びを伺い、
私は主と教会の交わりに心から感謝いたします。

F姉の証、I姉の子どもメッセージ、青年有志による讃美の証のいずれもが、
教会家族という交わりの中で育まれた信仰(=神の働きへの委ね)から生まれたものであると私は確信します。

実はバプテスト教会は、
丁寧な交わりの中で丁寧に共に歩むところから育まれる丁寧な信仰を大切にしている教会です。

それは、
国家そのもの、あるいは国家の従属機関だった教会がお上として発令する信仰ではなく、
また、権力と権威を有する牧師の命令する信仰ではなく、
それに抗する歴史から生まれたところの、
共に祈り、礼拝し、証をする中で、
その中心におられる主イエスによって育まれる信仰です。

それが私の赴任後に最も豊かに現われたのが先週の礼拝だったのだろうと思います。

そしてぜひとも今後もみんなで互いに証をする教会とされ続けたいと思います。

そしてそのためのポイントは、
聖書が語るところの教会の交わりとして、
つまりキリストの体として、生きることであり、
それこそが救いであり解放であり幸福であることを
繰り返し経験することです。

そしてその経験がおのずと証を産み出します。

さて、私は赴任後、
私たち京都教会がキリスト教会とされることを目指してきました。
そして今それは実を結んでいる認識します。
つまり礼拝に参加する訓練からはじまり、
教会学校や委員会など、教会の交わりのかたちをつくるなかで、
具体的な交わりがあちこちで起こされ、
共に祈り、礼拝し、証をすることが起っています。

そして私は、
今後5年で私たち京都教会がバプテスト教会とされることを目指したいと思います。
それは、ますます交わりの中からすべてが生まれることを目指すことです。

まずは、献金の恵みを頂く訓練がはじまりつつあります。
献金は具体的な交わり抜きには成り立ちません。
共に生きる交わりを知るときに、
その中心の主のために、
そして共に生きる他者のために、
その交わりのために、
献金をささげることが起こされます。

そしてさらに、
牧師主導ではなく、交わり主導(=その中心の主イエス主導ということ)による
礼拝、祈祷会、教会学校、執事会、委員会を目指したいと思います。

つまり、それぞれの理念決定、作業選択、奉仕、反省にいたるまで、
またできれば活動のための会計も、
そのチームで担うようになるということです。

そしてそのためには、
自分のイメージではなく、
交わりの中で生きる中から生まれるものを大切にすることが大事です。
そこに主イエスが生まれるわけですから。

そして牧師は
その活動の中で行き詰ったときなどに
カウンセリングをなし、聖書を解き明かし、祈る者として存在できればなによりです。

これからは「バプテスト」を意識し、またそれについて学んでいきたいと思います。

もうすぐバザー

2010年10月21日 | 教会のこと
遅くなりましたが
今週の週報巻頭言です。

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「もうすぐバザー」

あっという間にバザーの季節です。
すでに準備は着々と進んでいます。
毎週火曜日の献品への値段付けと整理はすでにプロの業と言えるほどに熟練の域に入っています。
ポスターとチラシも整いました。
献品もぞくぞく集まっております。

そして今週から地域に案内チラシを配布します。
また来週からは会場設営に入ります。

ぜひみんなでバザーをつくってまいりましょう。

2003年に「バザーをつくる」というパンフレットを作成し、
それをもとに学び、
みんなでバザーを地域へのキリストの働きとして担ってすでに8回目となります。
そしてみんなでバザーを担うことが体に染みつくほどに祝されていると思います。

バザーに多くの人が(千人以上が)集まるのは、
「みんなで」という出来事が満ち満ちているからだと思います。
そのような現場は誰が足を運んでも気持ちのいいものです。
それは商店であれ食堂であれ旅館であれ、
どこにおいても、
迎える側が「みんなで」担う場所に人は惹かれるものです。

先日、
日本バプテスト医療団の山岡理事長と懇談させていただいた折、
彼がキリスト教精神に基づく病院の経営がうまくいく秘密について教えてくださいました。
それは、
キリスト者スタッフが「みんなで」チームになって患者にかかわり、
「みんなで」祈り、
「みんなで」証をたてるという行為が当たり前のものとなること、
ということです。
そしてそれこそ医療団の標語である「全人医療」であると言われました。

実はバザーにおいて、
当教会は同じことをさせていただいているのだなあ、と思いました。
言うなればバザーは
「全人医療」と同じ中身を持つ「全地域救済事業」なわけです。

そしてこのバザーを担う感触で、実は教会のすべてが担われる祝福に与るとき、
当教会はすぐに100人会員、100人礼拝となるでしょうし、
さらに輪をかけて一人ひとりに行き届いた相互ケアが起こされる教会となることでしょう。

食事、清掃、教会学校、行事、そしてなにより礼拝、祈祷会、そして献金。
私たちは「みんなで」という恵みの上に立って歩みます。
実に「みんなで」は、聖書の奥義なのです。

このかん

2010年10月11日 | 「生きる」こと
なんだか
とっても有意義で
とっても幸せですが
かなり忙しい日々でして
ブログの更新ができなくて申し訳ないばかりです

週一ほどしか更新できなくなっている期間に
わたしはいろんなことを凝縮して学ぶことがゆるされております

それは知識が増えたとか
技術が身についたとかではなくて

自分が変化していることを
自分でも全身体をもってわかるという学びであります

それを
出会いといってもいいのだと思います

さてさて
こうやって時間が取れるのも明日からはまたなくなりますので
今のうちにまとめてこの間の報告を

まずは
バプテスマクラスが二人
転会クラスが一人
ということで
この間はずっとクラスがあるというがまたまた日常となって
うれしいかぎり

夕食はまずほとんど戸籍上の家族以外の人が一緒でうれしいかぎり

3日(日)の午後は第二回リトロバ・デー
子どもたちのためのプログラム
クリスマスのでっかいでっかい看板をみんなで書いていきます

でも残念ながら私は執事会のためその場におられず・・・
でも執事会もキリストに従う香り漂って
執事会で癒されるといううれしいことに

世の現実に従うのではなくキリストに従う

執事会の変化が見えてきました

平行して炊き出し準備も行われておりました
執事会がおわって集会室にいったらカレーのいいにおい

4日(月)は炊き出し
ひさしぶりの大雨
でもみんなで顔を合わせてこれまた癒されました

炊き出しが終わって締め切りを10日ほど過ぎている原稿に集中

5日(火)はバザー準備
地域のみなさまから献品いただいたものに値段をつけて
種類別にして整理していきます

今年もすでに100件以上の献品をいただいております
品数にしたら5000ほどかと思います
そして例年は
ここからさらに10000ほどの品が届きます
感謝感謝でございます
しかも今年も品々の物語をたくさん献品者から聞いております
それはまた後日

バザー準備奉仕をしてくださる方々の
その奉仕は
すでにプロ

もちろん無給だし
それどころか手弁当での奉仕ですが

わたしはアマチュアとはいいません
本当にプロフェッショナルです

6日(水)は沖縄を覚え平和を祈る特別礼拝
沖縄から平良修牧師を迎えます

平良先生との出会いは大きかった
キリストにより行動する者同士だからつうじる
あの
ものすごいやつ

ビリビリとやってきました

さらに
現場からの
本当の現場からの
現場に献身しているからこその
生死をかけている現場からのことばは

わたしのあらゆるものをはじかせるに十分でした

本土で語られる沖縄についての違和感のありかが見えてきました
この手の運動にありがちな実存運動という名の原理の突破口を嗅覚でつかんだ気がします

7日(木)も
関西地方教会連合女性会修養会ということで
平良修牧師が
ありがたいことに当教会で
90分の講演を二回もしてくれました

まずは90分を二回こなす体力精神力にびっくり

さらに
その会合が3時に終わっても
その後も集会室でみんなと一緒にいて
どんな質問にも丁寧にこたえておられるし

さらに
ウチの教会の青年たちのハイテンションにも付き合ってくださいますし

7時半からの青年たちの夕食にも
豚丼のみというメニューにもかかわらず(せっかくの京都なのに)
ご一緒してくださいまして

さらに
先生に会いたいという学生が来るのを9時すぎまで待ってくれて
その学生につきあってくださいますし

つまり集会終了後に6時間以上もウチの教会の集会室にいてくださいまして
しかも私はその間ほとんど一緒にいることができず
途中でバプテスマクラスがあり
飛び込みの訪問者があって牧会カウンセリングがあり
ホームレス者の自立支援があり
つまり私の日常がそのまま起っており
ということは
いつものごちゃごちゃとして京都教会の平日のまんまであり
それを
平良先生も一緒に過ごしてくださったということで
なんとも頭が下がります


わたしは明らかに平良先生に牧会していただきました
癒されました

感謝感謝

8日(金)からは全国ろう者修養会
これまた癒されるう

修養会の中で手話が音声言語より圧倒的に優れている部分を教えていただきました

それは
向き合うことからしか言葉(手話)が通じないということ

音声では
顔が見えなくても
下を向いていても
はすに構えていても
通じたように思ってしまいますが
(本当は通じていないのでしょうが)

手話では
向き合わねば手話が見えなくて
会話すら出来ないということ

これは
手話が
人間が人間であるために
極めて有用な言語であることを証明するものであり
だからこそ
手話を学ぶ者も増えているのだと思いました

9日も全国ろう者修養会
夜はみんなで乾杯
これが毎年の楽しみ

10日(日)は教会のプログラムが全部終わってから

中部連合と関西連合の青年たちの修養会がウチの教会で開催されまして
ステキな若者がぞくぞくと教会へ
ほんとにステキなんです

よくバプテストの将来を心配する声を聞きますが
わたしは若者と出会えば出会うほどに
将来が楽しみでたまらなくなります

夜10時半くらいまでわたしも紛れ込んで交わりに加えさせていただきました
楽しかったあ
癒されたあ

11日(本日)はバプテストの老人ホームのワーク
鎌を持って草を刈り続けます

この間の忙しさと
(といいますか
 ずっと教会にどなたかが宿泊していたので
 夜更かしが続いたということなのですが)
草刈の気持ちのよい疲れのなかで
閉会礼拝はふかーい眠りに落ちてしまいました

というわけで

まずはこの一週間のあいだに教会を訪れてくれた
命からがらの仲間を覚えて祈ります

死ぬことから生きることへ向きを変えたAさん
生きることの困難さの只中にあるBさん
新たな希望をなんとか見出したCさん
入院することになったDさん

共に生きてまいりましょう



今からは明日の同志社高校でのおはなしを考えます

ではでは




和解と癒し その4

2010年10月11日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「和解と癒し その4」

世界教会協議会(WCC)の研究
「和解と癒し・21世紀における世界の伝道・宣教論」の述べられているところから、
本日分かち合いたいテーマ。

「グローバリゼーションの結果、
多くの人が家族や地域的基盤を失い、移民とならざるを得ないのに、
入国拒否がいたるところで起っている。
多くの人が帰属できる共同体を必要とし、支援を必要としている。
この状況の中で、
私たち教会は和解と癒しの共同体であるよう神に呼び出されている」。

上述からわかることは、
教会は和解と癒しの共同体であるべきということだ。

そこで私たちは問われる。
当教会をはじめ、教会がそうであるかどうか、を。

まずは単純に記憶を呼び起こしつつ、
教会で起った和解を覚え、また和解されていないことを覚えたい。
教会で起った癒しを覚え、同時に癒されていないことを覚えたい。

さらに、和解と癒しは、
常に新しく教会に飛び込んでくる他者に開かれており、
その他者に全身全霊が向かっており、
その他者のために行為が選ばれており、
その他者を愛するというところで起こされることを覚えたい。

つまり、
教会は他者との出会いを心底主のわざとして喜び受けているか、を確認したい。

さらに、
教会に新たに飛び込む他者は、
帰属する場所、帰ることのできる場所を
意識的、無意識的に求めて教会に来られることを、
すでに教会家族とされている者は知らねばならない。

彼らは、
言葉を聞いてくれる人を必要とし、
共にいてくれる人を必要とし、
助けてくれる人を必要とし、
愛してくれる人を必要としている。

そして同時に彼らは、
言葉を聞くことを必要とし、
共にいることを必要とし、
助けることを必要とし、
愛することを必要としている。

実に彼らは
教会にすでに集う者と同じ事柄を必要とし、
全ての人間に必要なことを必要としている。

ただ、その緊迫感は圧倒的に異なる。
私たち教会は、
人間が本来必要とする事柄を
命からがらに求めている新たに教会に飛び込む他者を通して、
本当に必要なことが何であるか、

常に目覚める。

だから、
教会は国家のように閉じこもってはならないし、閉じこもることはできない。
教会は何が何でもキリストにおいて全ての人に開かれている。
これが主の奇跡。
それもキレイな言葉としてではなく、ぐちゃぐちゃの現実として開かれている。

新たな他者と
「キリスト」という理由のみで
同じ家に住む家族同様の(本来はそれ以上の)近しい関係に
覚悟を決めてなること
を主から受け取ることがゆるされている。

このぐちゃぐちゃこそが、和解であり癒しだ。

京都教会は、和解と癒しの共同体である。

和解と癒し その3

2010年10月05日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「和解と癒し その3」

世界教会協議会(WCC)の研究「和解と癒し・21世紀における世界の伝道・宣教論」は
今世紀のグローバリゼーションがもたらしたものを次のように分析する。

「経済的なグローバリゼーションは際立った両義性を持つ。
自由貿易と競争はある国々で経済成長をもたらしたが、
富める国の経済政策は、すさまじいダメージを貧しい国々にもたらした。
そこでは利益を得ている人より多くの犠牲者が生まれている。
しかし不公平な貿易法は富める国を守り、貧しい国を排除する。
貧しい国は搾取される。
グローバルなシステムは現地の知恵を顧みない」。

そしてその只中でキリスト者と教会のすべきことを次のように提言する。
「富める者たちの悔い改めと、貧しい者たちに正義をもたらす真実の和解が緊急に必要である」。
 
私たちは富める国のキリスト者として、
富める国での普通の生活が、貧しい国の者たちを犠牲にすることを覚えたい。
私たちはグローバリゼーションに依存してしか生きられない。
だからこの時代に日本に生きる私たちキリスト者と教会は、
他の時代と地域で生きる者とは異なる現実を神から突きつけられている。

それは、

普通に生きることが、
たとえ日本では貧しいほうであっても、
罪である
という現実だ。

本当に私が一人普通に生きるゆえに貧しい国の誰かの命が一人以上犠牲になっている。

だから主イエスが、
犠牲となっている命を抱え、
同時に私たちの罪を抱え、
十字架で苦しみ叫んでいる。

そして主イエスは、
私たちが罪を知り悔い改め、
利益の独占と搾取がなくなり、
全ての者の知恵が分かち合われるために、
キリスト者と教会を用いられる。

主を信じる私たちは、
主と共に、
具体的な活動として、
グローバリゼーションに代わる神の国をつくる。

そう!具体的に!

具体的にAさん、Bさんが経済的犠牲から救われるための神の国をつくる。

世界中の教会のスタイルは今後変化する。
世界規模における私たちと隣人のための教会となる。

「隣人の」が新たに加わる。

そしてそれが私たちの悔い改めであり、
それが私たちの本当の救いとなるのだ。