きぼう屋

生きているから生きている

強行採決体質と戦争

2015年07月14日 | 平和のこと
安保法案が強行採決されようとしています。

とても嫌です。
気持ち悪いです。

安保法案の中身と精神がそもそも嫌で気持ち悪いけれども、
強行採決をするという体質も同じだけ気持ち悪いです。
そもそも、強行採決体質だから安保法案も生まれるだろうと思っています。

強制採決体質とは、
つまり
はじめに答えありき!体質だと思います。

こういう体質が嫌で気持ち悪いです。

いくら民主制、会衆制と叫んでみても、「はじめに答えありき」であるうちは、実は民主制で会衆制でもないことを再確認せねば!とあせっています。

制度的に民主制である場合の「はじめに答えありき」が一番面倒くさいです。
その答えで進むことしか考えていないのに、それを通すために、民主制を利用するもんだから、その答えがよろしくなくても、「みんなで決めた」という理由が成立してしまうから。

民主制というのは、
みんなであつまってわいわいと議論するなかで、
その場でいろんな意見がでるゆえに、中身が自由に変わっていくという奇跡的な出来事があるものだと思っています。
さらに、そういう中で新しいものが生まれてくるということに、期待するゆえにわくわくして、その議論にますます加わりたくなるというものだろうと思っています。

そういう民主精神ならば、
そもそも安保法案のような中身は生まれないだろうと思います。
というのは、
安保法案は根本に現状を守りきるという精神があるからです。
でも民主制は、現状が自由に変化し新しく生まれ変わるところに期待するという精神で、つまり安保法案とは逆を向いていると思うからです。

で、
みんなでよってたかってわいわいする中で新しいものが芽生えていくというのが
実はあまりに高度な精神性を要求するものであるからして、
なかなかむずかしいから、
二大政党で意見を戦わせるということで、
少しでも民主制を獲得しようと言う感じなんだろうと思っております。

で、
しかし、

これが家族とか地域とか教会とか自分が歩いていくことの出来る距離でもってかかわる共同体性を帯びるところでは、
よってたかってわいわいというなかで新しいものが芽生えることに期待して、その新しいものに信頼し期待し生きるということが、
その集まり、交わりの精神性の健康を保つし、保つ故に戦争の方向とが逆の方向で新しいものが芽生えるに違いないと思っています。

はじめに答えありき!のうちは、
民主制を取っているとしても、そのシステムという衣服でもって中身が見えない故に、
衣服を見る限りは、うまくその集まり、交わりが整っているように見えるのだけれども、
しかし、衣類の下の身は傷だらけであったりするだろうと思います。

はじめに答えありき!のうちは、
本当はその答えをつくる数人がいればいいわけで、
民主制といいながら、カルトである場合も実は多々あるわけです。

なんか、そういう気持ち悪さを、強行採決体質から覚えています。

もう本当に嫌なんだなあ。

戦争は当然嫌!
同じくして
はじめに答えありきはとても嫌!

だからたたかう。
安保法案に反対する!
と同時に
まず家族の交わりを、今後も、みんなでよってたかってわいわいと新しいものを生み出すものにする!

戦争と嘘と積極性と憲法

2015年06月05日 | 平和のこと
変なタイトルでごめんなさい。

で、

安保関連法案は違憲。
と、憲法審査会に呼ばれた専門家全員が言いまして。

至極全うでありまして。

でも全うが全うとならない行為が、逆に全うとされるような政府があるので、
全うなことが全うとされないような雰囲気がなお醸し出されてもおりまして、
なんとも変な感じなのでありますが、

しかし、政府に限らず、
全うであるものから批判を受けつつ生きるのではなくて、
欲しているものが全うであると言い切って生きることは、
人の世では常にはびこることなのだろうと反省しているところでもあります。

だから、安保関連法案が合憲であると言い切ることは
嘘であるけれども嘘であるという感覚すらなくなるくらい、全うなことだと言い切ることの出来る精神が既にあるだろうと思っています。

自らの欲するものを手に入れるために、それが正しく全うであると自分に言い聞かせるばかりでなく、それを他者にも説明でき、さらに他者もそれに同意してしまうくらいの、
それくらい、今のわれわれが、自分の欲するものを実現したいということに夢中になっているという、そういう精神が既にあるのだろうと思っています。

自分の目標を達成するための諸々
自分が気分良くなるための刺激、興奮
自己実現

これらはもはや精神として、かなりもてはやされつつ存在しているのだろうと思います。

そしてこの精神の基準は、自分ではかることの出来るものであり、
それもおそらく、かなりわかりやすくはかることのできることであり、
おそらく、いや、間違いなく、快感、刺激、満足感と呼ばれるようなものたちだと思います。


そして、この精神は、必ず、
嘘や隠し事と肩を組むしかないものでもあるに違いないと思います。

目的を達成する快感、気分が良くなるための刺激は、何かを隠し、事実を曲げてでも、獲得されるものとなっているようであります。
このように獲得することを積極性と呼び、
それがポジティヴシンキングと呼ばれることも多いと感じています。

ナチスが戦争に賛成するキリスト者を積極的キリスト者と呼んだり、
安倍さんが、戦争の出来る状態を積極的平和主義と言ったりするのは、
偶然ではなく、この精神が横たわっているゆえと思ったりします。

そこでは、
過去の、都合の悪い事柄は隠され、
欲するものを手に入れるために、逆に過去が修正され、美化され、
そのためには、嘘がつかれる、
けれども、
その隠すこと、嘘をつくことにも気づくことが出来ないという、
また隠されていること、嘘をつかれていることにも気づくことが出来ないという、
そういう精神が、強固に、横たわっているのだと思います。

積極的に生きるという名の刺激と快感と自己実現は、
戦争と肩を組むしかなく、
嘘と隠し事と肩を組むしかなく、

そうなると、

違憲も合憲ということになっていくのだろうと、、、。

だから
欲するものを手に入れるための精神は、
単純な刺激や快感や自己実現が、全うなものを覆い隠すゆえに、

逆に、
全うなものから常に批判されつつ歩むところに、
平和を見たいと願うのありまして。

憲法はそのための全うなものとしてあるだろうなあと。

私の場合は、十字架のキリストから、全うなる十字架のキリストから、批判されつつ歩みたいわけでありまして。










我が窮状

2008年09月20日 | 平和のこと
うれしいですねえ。

沢田研二さんがやってくれました

「我が窮状」


まずは聴いてくださいませ


わたしは最後の

「許し合い 信じよう」

という歌詞に参りました

感謝


沢田さんの出身高校は
我が家と同じ通りにありまして
徒歩3分という位置関係なのですが

だからなんなの
ということでもありますが
勝手に親近感を抱いてもおりましたので

うれしいですねえ

遅ればせながら

2008年09月12日 | 平和のこと
本日は

遅ればせながら

6月に発足した

憲法9条京都の会

を紹介!



わたしはこのかん
こちらの運動にかんしては
さぼっておりまして
申し訳ないかぎりですが

こちらの運動が
このようにしっかりしたので

予定がいくつか重なった時に
別のことに時間を使うこともできるようになった

というわけでありますが

しかし

さらに盛り上げていきたいのです








キャンドル・ビジル

2008年08月30日 | 平和のこと
明日の夕暮れに集まり祈ります
以下転載

~~~~~~~~~~~~
「ペシャワール会の伊藤和也さんの死と、
これまでに亡くなったアフガニスタンやイラクの人々を思って。」

2008年 8月 31日(日)
キャンドル・ビジル
午後5時~7時
三条大橋 北側 東詰め周辺集合
主催:ピースウォーク京都
連絡先:090-6325-8054

キャンドルを灯し、亡くなった方たちに思いをはせ、
街に立って、意志表示しましょう。

自分でプラカードを用意できる人は作って来てください。

~~~~~~~~~~~~
また一つ命の火がかき消されてしまった。
先頃にもイラクで、90名もの女性とこどもの命が奪われてしまった。
それらは、単なる死ではなく「殺されてしまった」という死。
誰であろうとどんな理由であろうと、殺すことは暴力でしかない。

アフガニスタンやイラクだけではない。
パレスチナやチェチェン、中国、比べることもできない。
世界中で起こる戦争や紛争、暴力が暴力を生み出す連鎖を止めたい。

昨年の夏、ペシャワール会代表の中村哲さんは、
こんなメッセージを発信した。
「殺しながら助ける」支援というものがあり得るのか。干渉せず、生命
を尊ぶ協力こそが、対立を和らげ、武力以上の現実的な「安全保障」に
なることがある。これまで現地が親日的であった歴史的根拠の一つは、
日本が他国の紛争に軍事介入しなかったことにあった。他人事ではな
い。特措法延長で米国同盟軍と見なされれば反日感情に火がつき、アフ
ガンで活動をする私たちの安全が脅かされるのは必至である。繰り返す
が、「国際社会」や「日米同盟」という虚構ではなく、最大の被害者で
あるアフガン農民の視点にたって、テロ特措法の是非を考えていただき
たい。

それから1年、「殺す」ことではなく、誰よりも緑の大地の回復を願っ
た若者が犠牲になった。

私たちは、何をしていたのか、自らを問いたい。殺された命を悲しみ、
もう一度、最初の一歩に立ちたい。

軍隊で「平和」は創れない。

~~~~~~~~~~~~~~~~

アフガニスタンで現地ボランティアとして5年、一番経歴が長かった
伊藤さん。
現地の言葉も覚え、現地のこどもたちもかけ集まって来るほど、
親しまれながら、農業スタッフとして働いておられました。
ペシャワール会ホームページにある現地からの農業報告には、
報告の合間の文章にユーモアが溢れ、
伊藤さんの人柄が垣間見れます。

旧ソ連の侵攻に続き、大干ばつ。400万人が飢餓線上と言われ、
今も干ばつは続いています。そしてアメリカの侵攻と空爆。
たくさんの民間人が殺されてしまいました。
自給自足の農業国と言っても良いほどのアフガニスタンで、
難民となった人々のほとんどは、干ばつと、戦闘や空爆のために
畑を失い村を捨てざるを得なかった人々でした。

診療所で、病に倒れるより先に、水がなくて衰弱して死んでゆく人々を
生かすため、井戸を掘り、水利事業を進めていたペシャワール会の
活動に伊藤さんは参加されたのでした。

駐留するアメリカと諸外国の軍隊は、
自給率が6割以下に低下し、食糧危機に陥っている
アフガニスタンに対し、何もできていません。
ただ自分たちの軍事力を強化するだけです。
本当の復興は、少しでも現地の人たちの手で現地の人たちの生活を
取り戻せることであるのは明白であるのに、
そして、ほとんどの戦闘が外国諸国の軍隊のいるところで
起こっているのに、尚も駐留し続けています。
しかもアメリカ軍による「誤爆」の連続。アフガニスタンの人々の、
アメリカ軍や外国軍への怒りは日増しに高まっています。
そんな中、ペシャワール会は「丸腰で」干からびた土地に運河を通し、
緑の大地を復活させてきました。

治安が悪いという状況はあります。
しかし、悪化したのは何故でしょうか。
世界各国は、干ばつに手を差し伸べることをしたでしょうか。
報復戦争を始め、たくさんの民間人をも殺したアメリカ軍と、
その戦争と占領を支援し続けている外国諸国の
横暴があるからではないでしょうか。
伊藤さんの捜索に現地の人々が1000人もあたったそうです。
何が「支援」であるかというその答えは、現地の人々の胸にあるで
しょう。

日本はこれから何をするべきか、世界は何をするべきか、
私たちは何をするべきなのか、追悼すると共に静かに考えたいと思い
ます。
伊藤さんの遺した温かい思いを、みんなで分かち合いながら。

ペシャワール会ホームページの伊藤さんの記事
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/inochi/inochi-r%20124%20a.htm

ペシャワール会ホームページ http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/


平和宣言 その弐

2008年08月07日 | 平和のこと
今年の広島平和宣言から
わたしは次のみっつのテーマを
しっかり考えてみたいと思いました

被爆者が永遠に忘れることのできない
地獄に消えた声、顔、姿を
私たちも胸に刻み、
「こんな思いを他の誰(だれ)にもさせない」ための
決意を新たにする日

悲劇と苦悩の中から生れた
「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」
という真理

日本国憲法は、
こうした都市間関係をモデルとして世界を考える
「パラダイム転換」の出発点


考えるのはまた今度なのですが・・・

平和宣言

2008年08月06日 | 平和のこと
今朝はテレビを通して
広島の平和祈念式典に祈りをあわせます

秋葉市長による平和宣言
今年は戦略的で政治的で運動的な宣言でした
小学生による平和の誓いもそう聞こえました

しかしそうなのだろうと思いました

小泉時代
安倍時代
またアメリカがブッシュばりばり時代

宣言が
どんなに戦略的に語られようとも
意味をなさないほどに
平和をないがしろにする時代であって

それはとくに

希望

の見えない時代だったわけですが

だから
平和宣言も平和の誓いも

半ばやけくそになっても
本質のみ語りきり
希望の無い世界で
希望を語りきる

ものとなってきただろうと思います

それは叫びであり
嘆きであるという言葉だったと
記憶します


しかし

日本は首相がかわっており
アメリカもまもなく大統領がかわるというとき

希望を背景に
獲得できる事柄を獲得する!

ための
平和宣言と平和の誓いが
語られるというのは

とてもただしい知恵だと思いました


時間ができたら
じっくりと宣言文を読んで
もう少し考えてみたいなあ
と思います




教育

2008年06月28日 | 平和のこと
昨晩は
守ろう憲法と平和きょうとネットの例会で
教育基本法が変わってから
どんなことが起きているかを
学びました

現場で体感している現役の先生が
おはなしをしてくれました

わたしの感想としては

子どもや親は
義務教育期間内において
学校内で
子と先生
子と勉強
という出会いがなくても

義務教育後や
学校外で
そういう出会いを見つけていくという
したたかさを持って生きることができるし

しかし
人が集まるという時点で
どんなにえらい人たちによって
規制されようとも
そこでは出会いがおこるものだから

致命傷にはならないと思うのですが

先生たちにとっては
致命傷になる
と思いました

先生たちおひとりおひとりの
人格というものが反映されない
教育システムになるんだなあ

悲しく切なくなりました

人格と人格
事柄と事柄
との出会いに期待しない場合
あるいは
それらの凄みと超越性を信じない場合

そういう人の集まる場所は
機械とされるんだなあ

むかついてきました


また
どちらかというと
どんどんかわる教育において
子がいわば洗脳される
というよりも
親や地域が利用されることによって
そこでの利害に巻き込まれ
抜け出せなくなる
という現象がおこるだろうなあ
と思ったりしました

わたしは教会の人間なので
そういうのに巻き込まれる心配がないのですが

地域で商売する方々はそうはいかないし
教会などの具体的な共同体に生きていない方々もそうはいかないし

このあたりが
教育基本法が変わったことによる
社会の変化なんだろうと思いました

教育勅語制定後

同じ感じなのかなあ


残念な流れですなあ

40分後

2008年06月24日 | 平和のこと
あと40分後に
憲法9条京都の会実行委員会が開催されます
場所は当教会集会室
いよいよ次週29日(日)午後2時から
シルクホールで
発足集会をします

鶴見俊輔さんの講演と
瀬戸内寂聴さんと鶴見さんの対談など
もりだくさんです

そして
代表呼びかけ人として
さらに梅原猛さんがなってくれるということで

有馬頼底さん
安斎育郎さん
梅原猛さん
茂山千之丞さん
瀬戸内寂聴さん
鶴見俊輔さん

という顔ぶれがそろいました

ここに至るまでには
なかなかしんどいときもありましたが
希望を棄てず
ねばりづよく続けてきた
それこそ
数百時間という時間をささげてきた
名があがることのない人たちの
愛と情熱と人格を

今後わたしは
しっかりと記憶し
語り継がねばならないと思っているところです



こういう大きな運動になってきまして
さらにおおきなうねりにするには
代表に立ってくださったビッグネームの
愛と情熱と人格が
うごめくことが不可欠でありまして

大きな期待を寄せております

さて

恒久平和をつくる運動はまさにこれから!!
そしてわたしは
これからは
願っていたところの
名のあがらない市民のひとりとなって
なお
ねばりづよくやってきたいと
強く思っております

29日の発足集会では司会をしろ!
ということすが・・・
日曜日で
教会のすべてが終わって向かうしかないけど
そうすると遅刻することがわかっているし・・・
だれか
かわりに担ってくれる方
おられないかなあ・・・
と願いつつ
しかし
最後の大仕事ということで
する責任もあるのかなあ
とも思いつつ

うーむ・・・

そろった!憲法九条京都の会呼びかけ人代表

2008年05月23日 | 平和のこと
憲法九条京都の会を
6月29日に発足するべく
準備をすすめておりますが

すばらしい!!!

というのは

瀬戸内寂聴さんが、代表呼びかけ人になってくれました

これで
代表呼びかけ人5人がそろいました

有馬頼底さん
安斎育郎さん
茂山千之丞さん
瀬戸内寂聴さん
鶴見俊輔さん


そしてわたしは
解放!!!!!


会員を募集しています
どなたでもOK

また
賛同金を出すことの可能な方は
年間(4-3月)一口1,000円

10,000人の会員をまずは目指しますが

もっと多くなると思います


くわしくはこちらにて

サミットということらしく

2008年05月09日 | 平和のこと
昨日

警察のけっこうえらい方が
わざわざ教会まで来られて

サミットの警備協力を
教会にもお願いするという趣旨のことを
話していかれました

怪しい人がいたらすぐに連絡をしてくれとのこと
また
前回のサミット(どこの国だったかなあ)では
会場近隣の公共施設が壊されたりしたから
十分に警戒を
というような恐怖を与えるかたちで理解を求めるという

昨今の最も多い理解獲得方法であり
しかし子どもの教育においてはすべきでないと
多くの学者のいう方法が

あまりにあたりまえに
無意識のうちに
使用されていました

怪しい人の基準って何なのでしょう?

わたしがはっきりとわかることは
世の中が何を選ぶかで
自分以外のみんなが怪しくなるか
誰もまったく怪しくないとなるか
しかない!ということです


さて
サミットのときは
ものすごい数の警察官が
全国から集まるとのことです

2年前にブッシュさんが京都御所に来たときと
同じ規模かそれ以上とのことです

御所の近所のここらへんは
あのとき
住民よりも警察官の方が多いのでは?
というくらいの人数でした

あのとき
わたしは自転車で家に帰るだけなのに
道の角々で
4回も警察官に止められて
事情聴取されました

そんな世界を
もう一度経験しないとならないようです

ここでわたしがはっきりとわかるのは

警察が守ってくれるのは
市民ではなく
政治・経済で力のある人だ!
ということです

軍隊はもちろん警察以上にそうです


こういう世界の循環
主イエスの語るのとまったく逆になっている循環
というのは

内部と外部をつくり
普通の人と怪しい人をつくり
護ることと攻撃することに躍起になる
という循環は

まさに人間ゆえのことなのでしょう
信仰的にいうなら
罪人ゆえのことなのでしょう


だから
せめてわたしは
主イエスの循環を
主イエスと共に
歩み続けると
硬く覚悟を持って決断するわけです

これぞ
保守本流の福音派!!

自称しつつ生きております

ではでは。

ホッ

2008年05月07日 | 平和のこと
2008.5.3の
「生きるために 今 憲法! 5.3憲法集会in京都」
における冒頭のあいさつです

これ以外に余計なことも
今回もしゃべってしまっておりますが・・・
ここでは本筋のみを。

********************

有事法ができるに際しての
小泉前首相の言葉を今でもたびたび思い出す。
「あなたの家族が、
いま、強盗に殺されようとしても、
あなたは家族を守らないのか。
丸腰なのか!」

明らかに憲法9条二項を意識した言葉であると同時に
戦争をしたいときに権力者がまずいうところの言葉です

この言葉は
人間のどうにもならない生命維持本能を剥き出しにします。
それによって人間は自然に
家族が危険なときは家族以外を殺してもいい
という感触を抱くでしょうし
それはさらに
仲間内が危険なときはその外部を殺してもいい
国民が危険なときは外国人を殺していい
という感触にまでつながるのだろうと思います。

殺してもいい世界。
どうも今の日本は殺してもいいことが前提であるところの世界
になっているのではないかと思っています。

殺してもいいことが前提の世界では
当然
搾取も収奪も独占も
いじめも殺しも自殺も
戦争も
なくならないはずです。

だからわたしたちは
本日このように集まって
もうひとつの世界をつくる!
ということを
確認したいと願います。

もうひとつの世界
それは殺してはならない世界です。
生かされて生かし生きる世界です。
 
そして
世界の中でこのもうひとつの世界を
もっとも明確に提示しているのは、
現憲法第9条ではないでしょうか。

本日は講師の安斎育郎さんを通して
憲法9条を分かち合います。
 
そしてさらに、
生かされて生かし生きる世界を前提とすべく、
憲法第25条をも本日は分かち合います。
反貧困ネットワーク事務局長の
湯浅誠さんに講演していただきます。

今は、
ホームレス生活者、
非正規雇用労働者、
貧困な者たちが
外部とされていると思います。
外部として殺されても仕方がない人間
とされているといっても
過言ではないと思います。
少なくとも、
彼らの人権なんて関係ない
という世界を私たちは経験しています。
 
本日は、ご一緒に、
それに、否!と叫びたく願います。

集会の最後まで、
できれば憲法ウォークまで
ご一緒できますならば幸いです。


******************

しかし
湯浅さんの話も
安斎先生の話も質の高い内容が詰まっていて
でもわかりやすくて
たいへんよかったです。

湯浅さんの

批判することは大事
それが的を得ていることも多い
でもそれだけでは学者にしかなれない
生活の場での運動は
批判しつつ
しかし共通点を探し
共に歩むことが求められる

という言葉は
なかなか面白いものでした


運動の交流も熱かったです

ママ友9条の会は
手話と共に歌をうたってくれて
子どもたちも一緒に手話をしていて
同じように小さな子どもを与えられている私としては
実はその時は壇上に座っていないといけないときで
大変目立つところいたにもかかわらず
涙があふれて止まりませんでした

感謝感謝

非正規雇用における人権を訴えるユニオンぼちぼち
「人間としておかしいと直感で思って
 そういう風に声をあげたあとに憲法を読んだら
 なんと憲法にしっかり書いてあって感激した」
という正直な言葉は
しかしすごく力がありました

わたしも15年ほど前に
そんな経験をしています

最低賃金で100日間
実験的に生活をした若者たちは
その経験ゆえに
最低賃金の非人間性を見事に語ってくれました
重たい言葉でした

京都のホームレスの状況と支援の状況など
これまたNさんが熱く語ってくださり
感謝でありました



わたしが実行委員長を担う憲法集会は
これが最後
次回からは
憲法九条京都の会が主催するので
それこそスーパー著名人たちが
呼びかけ人代表として
前面に出てくれることになると思います

なんか肩の荷がおりたという感触を
味わっております

そしてとてもホッとしています
つまり
わたしが8年くらい前から
イメージしていたところの
強く確実な運動組織が
発足するからです

ここまでの
みんなの地道な努力と
そこから広がっている交わりの深まりが
豊かに実を結ぶわけで

ホッとしてしまうのですが

しかし情勢はそれほどホッとしすぎてもいけませんので

平和のために

私の場合は
はっきりしているから
はっきり言いますが

キリストの平和のために!!

なお
献身し続けたいと願うばかりなわけです


でも
ホッとしております・・・・

感謝!なおこれからも!

2008年05月05日 | 平和のこと
生きるために 今 憲法! 5.3憲法集会in京都
を覚えてくださったみなさま

感謝

京都では、憲法9条改悪をなんとしても止めようと、
主義、主張、思想、信条、信仰を超えて、
みんなで、互いの持つ知恵と力をあわせ、
また分かち合いつつ行動しはじめて、
10年目を迎えます。

おそらく10年というのは、
ひとつの運動の中身が詰まり
それが熟成される年数でもあろうと思います。

だから私たちは、京都の地で、
貧困が解消され、
偏狭なグローバリズムとナショナリズムから解放され、
平和を生きるという願いが、
私たちの気が付かないところに至るまで
根付いていると、
自信を持って考えていいのはないかと思っています。

つまり、だからこそ今年の5・3憲法集会も、
1, 700人以上の方々と
共に集うことができたのではないでしょうか。
また、円山野外音楽堂に様々な事情で足を運べなくとも、
それぞれの場で、集会を覚えてくださった方々が
たくさんおられたことも知っています。
心から感謝します。

さらに今年は、
子どもたち、十代、二十代の若者たち、
若いお父さん、お母さんたちの参加がとても多く、
感激しております。
運動の交流におけるママ友9条の会のアピールには、
思わず目頭が熱くなりましたが、
このようないわゆる次世代、次々世代に
平和を願う心が浸透しはじめていることを、
彼(女)らが象徴してくれたと思います。
重ねて感謝します。
 
私は、5月3日の朝、
新聞に踊る
憲法9条改正(悪)反対66%
という衝撃的な見出しを見て大変興奮しましたが、
この世論調査の結果からわかるように、
憲法9条の精神に生きたいという思いは、
京都のみならず全国的にも
相当に根付きはじていると信じたく願っています。

さて、今回も、
実行委員会でご尽力いただいたみなさんには
特別に感謝せねばなりません。
彼(女)らの献身的な働きがあってこその成功
であることを、忘れてはなりません。
心から感謝します。
またとりわけ小笠原事務局長には厚く感謝する次第であります。

そしていよいよ、
みんなで手と心を結んで行われている
憲法9条改悪反対の運動は、
10年目の今年の6月29日に、
「憲法9条京都の会」として
なお大きなうねりとなるべく新しい展開を迎えます。

わたしは、
ぜひともより主体的積極的に、
皆々様に憲法9条京都の会に
あらゆるかたちで参加していただきたく、
強く心からお願いする次第であります。

ぜひご一緒に、
今後とも、
平和を創っていきましょう!
憲法9条改悪に反対していきましょう!

皆様のご生活、ご健康を祈りつつ


2008年5月
実行委員長 大谷心基

さわやかすぎる朝

2008年05月03日 | 平和のこと
おはようございます

5月3日の朝でございます

さっきようやくふとんからでることができました

本日はホームレス支援炊き出しと憲法集会があるため
昨晩中に日曜日の準備をするため
とってもおそく寝ることになったので
起きるのもおそくなってしまいましたが

インターホンがなり
目を覚ましたわけですが

届きましたよ

ACTION FOR PEACE
と書かれたボールペン

これ
びろーーーーーん
とシートがボディからのびるボールペンでありまして
そのシートには憲法9条が日本文と英文で書かれています
またその裏には(表?には)
バプ連の憲法共同アクションのロゴも付いています

200本ほどわたしのところに届きました
これはひとつ200円

売りますから買ってください




なんともさわやかな朝で
おもわずモーツァルトをかけてしまいました

それもフルート協奏曲



朝刊を見たら
もっとさわやかになりました

「憲法9条改正(悪)反対66%」

というトップの見出し!!!

自民党支持者も反対が57%

この間のマインドコントロールから解き放たれ始めたのでしょうか


すばらしい!!!




本日は
ホームレス支援パトロールは12時集合
場所は教会

生きるために 今 憲法 5.3憲法集会in京都は
円山野音で午後3時から

昨年は2500名ほどの参加でしたが
本日はそれ以上になってくれるだろうと
期待しています


では
また後ほどお会いしましょう

預言者

2008年04月18日 | 平和のこと
名古屋ですばらしい判決がでました

キリスト者という立場でいうなら
聖書的な判決とも言っていいだろうと思います

ちょっと長いけど
新聞の記事をどうぞ

******************

<イラク自衛隊>多国籍軍空輸は違憲 名古屋高裁が初の判断
4月17日14時44分配信 毎日新聞

イラクへの自衛隊派遣は違憲だとして、市民団体などが国に派遣差し止めなどを求めた訴訟の控訴審判決が17日、名古屋高裁であった。青山邦夫裁判長(高田健一裁判長代読)は原告の請求を却下するなどした1審・名古屋地裁判決を支持し、控訴を棄却したが、「航空自衛隊による多国籍軍の空輸活動は憲法9条に違反している」との判断を示した。

 全国で行われている同種の訴訟で空自の活動の一部を違憲と認定したのは初めて。原告団は「控訴は棄却されたが、違憲の司法判断が示された」として上告しない方針で、勝訴した国は上告できないため判決が確定する。

 青山裁判長は判決で「イラクでは、多国籍軍と国内の武装勢力の間で国際的な武力紛争が行われ、特に首都バグダッドは多数の犠牲者が出ている地域でイラク復興特別措置法でいう『戦闘地域』に該当する」と認定。クウェートからバグダッドへ多国籍軍の兵士を空輸する空自の活動について「戦闘行為に必要不可欠な後方支援を行っており、他国による武力行使と一体化した行動」と述べ、武力行使を禁止した憲法9条1項とイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反すると判断した。

 また原告は派遣により平和的生存権が侵害されると訴えていたが、判決は平和的生存権を「憲法上の法的な権利」と認定。「戦争への協力の強制など憲法9条に違反する国の行為により個人の生命が侵害されるような場合には、裁判所に違憲行為の差し止めを請求するなどの具体的権利性がある」と判断した。

 そのうえで、今回の原告の請求については「戦争への協力を強制されるまでの事態が生じているとは言えない」などとして控訴を全面的に棄却した。

 同訴訟原告団は04~06年、自衛隊の派遣差し止めと違憲確認、原告1人当たり1万円の損害賠償を求め、7次に分かれて計3268人が集団提訴し、うち1122人が控訴していた。原告団によると、自衛隊のイラク派遣を巡り、全国の11地裁で提訴されているが、判決はいずれも原告側の訴えを退けている。【秋山信一】

 ▽弁護団長の内河恵一弁護士の話 ようやく勝ち取った違憲判決。裁判所がしっかりした考えを出してくれたことを法律家として誇りに思う。


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わたしはイラク派兵は違憲である!
ということで、京都における裁判の原告のひとりでもあり
京都地裁では意見陳述もさせてもらいました
こんな陳述です



京都では見事にすべてを
もっとも無視する形で葬られてしまいましたが
それはこんな感じでした

名古屋ではその逆となりました


さてさて
おそらくこれから
この判決を出した裁判長がどれだけくだらないやつか
という論客から出てくると思います

福岡の靖国違憲判決でも
大阪のそれでも
必ず裁判長が個人的にどうしょうもないやつ
という論でもって
判決がおかしいということを正当化する試みが繰り返されています

そして
その背景には
その裁判官個人や
この裁判の原告のような一部がおかしいのであって
他の日本人は
(この場合「日本人」という枠組みとなる)
まともだ!
というところを
確保したいのだろうと思います

ここでなにがわかるか
と言いますと

たくさんの普通の日本人
という
集団に属することでしか安心感を得ることができない社会があり

そういう集団の安定という安心をすこしでもみだす
この裁判長や原告たちみたいな人が

とてもこわいので
必要以上にこわがるしかない社会構造なので

そういう人たちを
排除したくなるのだろう
と思います



その集団における安心というときの
護教的論理として
靖国神社や自衛隊は必須になっている
そういう国のそういう時代だなあと思います

これは逆に言うと

単独者として立つことができない

という欠点を
この社会が持っているということでもありましょう

そして集団の中で匿名になるから
インターネット上では
匿名者が活躍もできるわけですが

しかし
そこでよくわかることが
集団での安心がないとこわい場合に
人は集団のかげで匿名を選び
そして
集団での安心を乱すと
その人が考える人に対して
(それは結局自分の想像
 いや妄想といってもおかしくないところのものにおいて
 勝手にこわがって勝手に嫌う他者に対して)
攻撃をするのだろうと思います

だから

ネットでは

保守的な人の匿名による発言が群を抜いて多いわけです


それは逆に言うなら

単独者として立つことができない
名前を持つ者として名を名乗ることがこわくてできない

そういうところにはまった場合の発言でもあるわけです


だから
この裁判長は大変だなあと思います

かつて大阪高裁で
こういう集団の安心を覆す判決を出した裁判長が
直後に自殺するということもありました

京都におけるイラク派兵違憲訴訟では

もと裁判官で現在弁護士の方が
裁判長に向かって
そういう集団の安心を覆すこと
(彼は国の方針に反対すること
 と表現したと思いますが)

裁判官としてすごく勇気がいるけど・・・

と公判で述べておりました


ネットでも雑誌でも
一部新聞でも
政治家からも
叩かれに叩かれると思います

しかし
わたしがこの記事の最初に
聖書的な判決
と言ったのは

まさにここです

主イエスは
集団の安心をこわすばかりに
「十字架に付けろ」
と言われたわけです

このわたしも
主イエスにそう言うわけです

それくらい
集団の安心というものは
我々にとって権力となります

会堂で汚れた霊に取り付かれた男が
主イエスに
「おれにかかわるな!」
と言ったとき
主イエスは言ったわけです
「黙れ!汚れた霊よ!出て行け!」
と言いましたが

ここにおける汚れた霊とは
まさに
集団における安心という権力だと思います

今なら
群集心理
大衆心理
集合沸騰
などの用語で表される事柄であったのではないかと思います

でも
そういう事柄が
霊というわねばならないほどの
人格として我々に迫り

我々はその力に
無意識に
しかも喜んで受け入れつつ
屈服し
そして
主イエスのことを
「十字架につけろ」
と突き放すわけです


だから
そういう集団の安心という権力に
打ち勝つ
ことを信じることは

復活を信じるということでもあります

十字架で死んだ主イエスの復活の出来事なわけです



そういう復活の場に立つとき

人間は集団の安心から解放されて

単独者として

立つわけです

これこそ預言者!!


言うなれば

裁判長は預言者的行動をとった

と聖書的に述べても過言ではないわけです


あとそうそう
この裁判で
平和的生存権が具体性を持つことが示され
感激しました

これまでのどの裁判でも
抽象的で意味なし!
と切り捨てられていましたので・・・

また
最近は
高裁において
違憲判決を出しつつ裁判では負けにする

というものが続いていますが

それは
最高裁は
もはや権力が分立していなくて
政府どおりの判決しかでない
ということに対する
プロテスト
なんだろうなあ
と思えて仕方がありません

そして
きわめてすぐれた
知恵だと思います


集団の安心とか安全でなく
主の平和がなるよう
切に祈ります

アーメン