安保法案が強行採決されようとしています。
とても嫌です。
気持ち悪いです。
安保法案の中身と精神がそもそも嫌で気持ち悪いけれども、
強行採決をするという体質も同じだけ気持ち悪いです。
そもそも、強行採決体質だから安保法案も生まれるだろうと思っています。
強制採決体質とは、
つまり
はじめに答えありき!体質だと思います。
こういう体質が嫌で気持ち悪いです。
いくら民主制、会衆制と叫んでみても、「はじめに答えありき」であるうちは、実は民主制で会衆制でもないことを再確認せねば!とあせっています。
制度的に民主制である場合の「はじめに答えありき」が一番面倒くさいです。
その答えで進むことしか考えていないのに、それを通すために、民主制を利用するもんだから、その答えがよろしくなくても、「みんなで決めた」という理由が成立してしまうから。
民主制というのは、
みんなであつまってわいわいと議論するなかで、
その場でいろんな意見がでるゆえに、中身が自由に変わっていくという奇跡的な出来事があるものだと思っています。
さらに、そういう中で新しいものが生まれてくるということに、期待するゆえにわくわくして、その議論にますます加わりたくなるというものだろうと思っています。
そういう民主精神ならば、
そもそも安保法案のような中身は生まれないだろうと思います。
というのは、
安保法案は根本に現状を守りきるという精神があるからです。
でも民主制は、現状が自由に変化し新しく生まれ変わるところに期待するという精神で、つまり安保法案とは逆を向いていると思うからです。
で、
みんなでよってたかってわいわいする中で新しいものが芽生えていくというのが
実はあまりに高度な精神性を要求するものであるからして、
なかなかむずかしいから、
二大政党で意見を戦わせるということで、
少しでも民主制を獲得しようと言う感じなんだろうと思っております。
で、
しかし、
これが家族とか地域とか教会とか自分が歩いていくことの出来る距離でもってかかわる共同体性を帯びるところでは、
よってたかってわいわいというなかで新しいものが芽生えることに期待して、その新しいものに信頼し期待し生きるということが、
その集まり、交わりの精神性の健康を保つし、保つ故に戦争の方向とが逆の方向で新しいものが芽生えるに違いないと思っています。
はじめに答えありき!のうちは、
民主制を取っているとしても、そのシステムという衣服でもって中身が見えない故に、
衣服を見る限りは、うまくその集まり、交わりが整っているように見えるのだけれども、
しかし、衣類の下の身は傷だらけであったりするだろうと思います。
はじめに答えありき!のうちは、
本当はその答えをつくる数人がいればいいわけで、
民主制といいながら、カルトである場合も実は多々あるわけです。
なんか、そういう気持ち悪さを、強行採決体質から覚えています。
もう本当に嫌なんだなあ。
戦争は当然嫌!
同じくして
はじめに答えありきはとても嫌!
だからたたかう。
安保法案に反対する!
と同時に
まず家族の交わりを、今後も、みんなでよってたかってわいわいと新しいものを生み出すものにする!
とても嫌です。
気持ち悪いです。
安保法案の中身と精神がそもそも嫌で気持ち悪いけれども、
強行採決をするという体質も同じだけ気持ち悪いです。
そもそも、強行採決体質だから安保法案も生まれるだろうと思っています。
強制採決体質とは、
つまり
はじめに答えありき!体質だと思います。
こういう体質が嫌で気持ち悪いです。
いくら民主制、会衆制と叫んでみても、「はじめに答えありき」であるうちは、実は民主制で会衆制でもないことを再確認せねば!とあせっています。
制度的に民主制である場合の「はじめに答えありき」が一番面倒くさいです。
その答えで進むことしか考えていないのに、それを通すために、民主制を利用するもんだから、その答えがよろしくなくても、「みんなで決めた」という理由が成立してしまうから。
民主制というのは、
みんなであつまってわいわいと議論するなかで、
その場でいろんな意見がでるゆえに、中身が自由に変わっていくという奇跡的な出来事があるものだと思っています。
さらに、そういう中で新しいものが生まれてくるということに、期待するゆえにわくわくして、その議論にますます加わりたくなるというものだろうと思っています。
そういう民主精神ならば、
そもそも安保法案のような中身は生まれないだろうと思います。
というのは、
安保法案は根本に現状を守りきるという精神があるからです。
でも民主制は、現状が自由に変化し新しく生まれ変わるところに期待するという精神で、つまり安保法案とは逆を向いていると思うからです。
で、
みんなでよってたかってわいわいする中で新しいものが芽生えていくというのが
実はあまりに高度な精神性を要求するものであるからして、
なかなかむずかしいから、
二大政党で意見を戦わせるということで、
少しでも民主制を獲得しようと言う感じなんだろうと思っております。
で、
しかし、
これが家族とか地域とか教会とか自分が歩いていくことの出来る距離でもってかかわる共同体性を帯びるところでは、
よってたかってわいわいというなかで新しいものが芽生えることに期待して、その新しいものに信頼し期待し生きるということが、
その集まり、交わりの精神性の健康を保つし、保つ故に戦争の方向とが逆の方向で新しいものが芽生えるに違いないと思っています。
はじめに答えありき!のうちは、
民主制を取っているとしても、そのシステムという衣服でもって中身が見えない故に、
衣服を見る限りは、うまくその集まり、交わりが整っているように見えるのだけれども、
しかし、衣類の下の身は傷だらけであったりするだろうと思います。
はじめに答えありき!のうちは、
本当はその答えをつくる数人がいればいいわけで、
民主制といいながら、カルトである場合も実は多々あるわけです。
なんか、そういう気持ち悪さを、強行採決体質から覚えています。
もう本当に嫌なんだなあ。
戦争は当然嫌!
同じくして
はじめに答えありきはとても嫌!
だからたたかう。
安保法案に反対する!
と同時に
まず家族の交わりを、今後も、みんなでよってたかってわいわいと新しいものを生み出すものにする!