きぼう屋

生きているから生きている

強行採決体質と戦争

2015年07月14日 | 平和のこと
安保法案が強行採決されようとしています。

とても嫌です。
気持ち悪いです。

安保法案の中身と精神がそもそも嫌で気持ち悪いけれども、
強行採決をするという体質も同じだけ気持ち悪いです。
そもそも、強行採決体質だから安保法案も生まれるだろうと思っています。

強制採決体質とは、
つまり
はじめに答えありき!体質だと思います。

こういう体質が嫌で気持ち悪いです。

いくら民主制、会衆制と叫んでみても、「はじめに答えありき」であるうちは、実は民主制で会衆制でもないことを再確認せねば!とあせっています。

制度的に民主制である場合の「はじめに答えありき」が一番面倒くさいです。
その答えで進むことしか考えていないのに、それを通すために、民主制を利用するもんだから、その答えがよろしくなくても、「みんなで決めた」という理由が成立してしまうから。

民主制というのは、
みんなであつまってわいわいと議論するなかで、
その場でいろんな意見がでるゆえに、中身が自由に変わっていくという奇跡的な出来事があるものだと思っています。
さらに、そういう中で新しいものが生まれてくるということに、期待するゆえにわくわくして、その議論にますます加わりたくなるというものだろうと思っています。

そういう民主精神ならば、
そもそも安保法案のような中身は生まれないだろうと思います。
というのは、
安保法案は根本に現状を守りきるという精神があるからです。
でも民主制は、現状が自由に変化し新しく生まれ変わるところに期待するという精神で、つまり安保法案とは逆を向いていると思うからです。

で、
みんなでよってたかってわいわいする中で新しいものが芽生えていくというのが
実はあまりに高度な精神性を要求するものであるからして、
なかなかむずかしいから、
二大政党で意見を戦わせるということで、
少しでも民主制を獲得しようと言う感じなんだろうと思っております。

で、
しかし、

これが家族とか地域とか教会とか自分が歩いていくことの出来る距離でもってかかわる共同体性を帯びるところでは、
よってたかってわいわいというなかで新しいものが芽生えることに期待して、その新しいものに信頼し期待し生きるということが、
その集まり、交わりの精神性の健康を保つし、保つ故に戦争の方向とが逆の方向で新しいものが芽生えるに違いないと思っています。

はじめに答えありき!のうちは、
民主制を取っているとしても、そのシステムという衣服でもって中身が見えない故に、
衣服を見る限りは、うまくその集まり、交わりが整っているように見えるのだけれども、
しかし、衣類の下の身は傷だらけであったりするだろうと思います。

はじめに答えありき!のうちは、
本当はその答えをつくる数人がいればいいわけで、
民主制といいながら、カルトである場合も実は多々あるわけです。

なんか、そういう気持ち悪さを、強行採決体質から覚えています。

もう本当に嫌なんだなあ。

戦争は当然嫌!
同じくして
はじめに答えありきはとても嫌!

だからたたかう。
安保法案に反対する!
と同時に
まず家族の交わりを、今後も、みんなでよってたかってわいわいと新しいものを生み出すものにする!

101

2015年07月10日 | 聖書を読んでみました
今週の日曜日。
次男君のサッカー部が区内大会で優勝して家族で盛り上がって、
みんなでウキウキしながら眠りについた夜中。

祖父が召されたという連絡が入る。
101歳。

わたしにとって、おじいちゃんであると同時に、人生の先生だった人。

朝日新聞で記者として活躍し、
引退後は鹿児島にテレビ局をつくった人。

高校時代、我が家から徒歩5分のところに引退したおじいちゃんは住んでいた。
学校から家には帰らずにおじいちゃん家に帰り、いろんな話をさせていただいた。

とにかくスポーツ好きな人だったから、その手の話は盛り上がった。
政治の話、経済の話、俗な話、なんでもピンピンとはじけながら会話が進むのが楽しかった。
なにしろいいときの朝日新聞の人だから、
私の立ち位置がそこで決まったと言っても過言ではない。


でも、困ったときに親身になってくれるのがなによりありがたかった。
あの時間でだいぶ救われた。

わたしの今の子たちとの向き合い方は、なんかおじいちゃんに似ているなあと思っている。

参考書代をもらったっけ。
友人や彼女と遊びにいくお金も助けてもらったなあ。

おばあちゃんの葬儀のあとに聞いた思い出話に、ひとつひとつ意味が込められていて感動した。
私が司式をしたもんだから、式の前にそこまで話してもらいたかったよ、なんて言った記憶が。

おい!わしの葬儀も頼むぞ、と言われて、もちろん!と、固く握手をかわした。
のに、
その約束を果たせなかったのは申し訳ない。

月曜日
長男くんが修学旅行に出かける日。
早朝にひいじいじが召されたと伝える。
彼は静かに涙を流しつつ旅行に出かけた。

長男はいないし次男は市内大会に向けた練習があり、
わたしは、仕事で、この2、3日でどうにかしないと家を失うという人とかかわっており、
かけつけることは断念する。

いつか子たちと丁寧に墓参りをして、ひいじいじのことをいっぱい伝えよう。

この間はどうしても当時のピンピンにはねるじいさんではなくて、
なんでもいい感じで忘れるじいさんだったから、
相談したくてもできなかったけど、
本当は相談したいことだらけだったんだよなあ。

そのあたりは天国で、ということで。

おじいちゃん、ありがとう。。。またね。