きぼう屋

生きているから生きている

感動

2011年01月31日 | 教会のこと
昨日は礼拝にてSちゃんの信仰告白とバプテスマ
5歳からひとりで教会にこられるようになって今年はすでに高2

あんなちっちゃかったSちゃんが今ではモデルさんのよう

感動です

信仰告白は私が最後に確認してからさらにバージョンアップ
とりわけ他者性が豊かに表現されていてびっくり
すばらしい

Sちゃんの親戚には僧侶もおられる仏教の家
しかし大事なお嬢様のバプテスマを認められたご家族の愛にあらためて感動

しかもお父さんはお仕事(ケーキ屋さん)があるのに礼拝に来てくださり
さらに「祝 バプテスマ」と書かれた大きなケーキを用意してくださいました
心が熱くなるほどに感激です

バプテスマ式では
わたしは泣かないためにがんばっておりましたが、
バプテストリーの中から会衆を見ますと
ぽろぽろとたくさん涙がこぼれておりまして
とてもやばかったです
ぎりぎりで泣かずに式を行うことができました


夜寝る前に
思い出して
ポロポロ


礼拝参加者も89名
私が赴任してきてからは
(といいますか、1960年以降では)
クリスマスとかイースターなどの特別な礼拝ではなく
いつもの主日礼拝では
たぶん最高の数となりました

3年後くらいはこれくらいの礼拝が常となっているのだろうなあと予想し
礼拝中に89名という雰囲気を学んでもいました

午後は小学生たちがスケートリンクへ

こんなに子どもたちが増えたんだなあと感動

なにしろSちゃんが5歳のころは
同世代がいなかったわけですから

なのにつながりつづけたというところに
キリストの業をみるわけでございまして

そしてSちゃんが後輩にかかわるなかで
どんどん増えてきたということでもあり


すごいなあ


また小学生たちにあたたかくかかわってくれる若い教会メンバーに感謝感謝
そして感謝
どれだけ感謝してもしきれません

なんだか
毎週毎週あったかくてステキなことが起こり続けるけど
イエスさまは当教会に何を求めておられるのだろう??

祈って祈って祈って
イエスさまに従いたいのでございます

Sちゃん
みなさま

今後ともヨロシクお願いいたします

チーム・キリスト

2011年01月25日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

******************

「チーム・キリスト」

本日はみなさまに大変なご迷惑をおかけし、心よりお詫び申し上げます。
私はインフルエンザを患っております。
無理すれば礼拝説教などの働きを担うこともできますが、
医師でもあるH執事と相談をした結果、
最も感染力が強い時期であるため、
みなさまにうつることがないよう、
本日は牧師館で静かに祈ることにいたしました。

わたしは当教会がバプテストであることを喜んでおります。
バプテスト教会は、
信徒のみで主の日のプログラムをこなすことは普通にできるという教会です。

ならば牧師とは何か、
ということですが、
牧師は、
信徒による共同体が主体的に(牧師に従うのではなく)キリストに従うところから
全てを選び取っていけるように、
キリストへの道備えをします。

人はだいたい人生におけるあらゆることに目的や理由を求めます。
そしてその目的や理由の多くが、
教会やキリスト者といえども、
時代と地域に制約されたところの、聖書とは異なるものとなるケースが多いのが日常です。

信仰理解や聖書解釈でさえ、時代と地域に制約された論理で説明されることが多いのも事実です。

そこで牧師は、
聖書のプロとして、また教会共同体のプロとして、
(ここで牧師はプロなわけです)
人生の目的や理由を、また聖書解釈や信仰理解を、
キリストに、
とりわけキリストの十字架の具体につなげるということを繰り返し行います。

実はそれのみで労働基準法に違反せねばできないだけの量の働きとなります。

そしてバプテストは、
具体的な教会運営や礼拝運営は信徒の対話の中で進められることを目指しています。
説教や礼典も信徒にて行うことまでが視野に入っています。
牧会も信徒同志で行うことを目指します。こちらは万人祭司という有名な言葉にもなっています。

そして私はこのバプテストの姿をチーム・キリストと呼んでいます。
牧師に従うでもなく、誰かのイメージに従うでもなく、
みんなで祈り対話する中から発見される十字架の主のわざをみんなで担うというものです。

本日は、
せっかく牧師が倒れているので、
チーム・キリストを意識して主の日を過ごしていただけますならば幸いです。


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というわけで
おとといの礼拝はお休みしました

礼拝説教は説教原稿をF執事が代読してくださいました
ふだんわたしは原稿をつくらずフローチャートのみで説教をするからだと思いますが
原稿がある!ということで
原稿がほしいという依頼をたくさんいただいてびっくりしました

またこれは
代読者が
教会を身体化している方であったことも大きい要因だと思います

教会そのものとして生きている人は
代読というかたちで主の言葉を取次ぐことができるわけです
これは慣れの問題でもスキルの問題でもなく
キリスト者という決断的生の問題なわけです

主とFさんに心から感謝するばかり

わたしの体調ですが
昨日微熱になり
本日は熱が下がりました

せきと頭痛が少し残っています

明日の晩の祈祷会は全快で臨めると思っています。

みなさまのお祈りを心より感謝するばかりです

またぜひともインフルエンザにはご注意くださいませ



乞祈祷

2011年01月21日 | 「生きる」こと
水曜日の夜に咳がではじめまして
木曜日の朝に寒気がおそいまして
しかしはずせない奉仕のためにお出かけしてをいたしまして
そして戻ってきて牧師室で机仕事をしてまして
するとどんどん寒気がしてきまして
熱を測ると38度でございまして

だから昨晩の木曜夜の集いに出られず
面談もキャンセルし

本日もずっと38度ですので
これからの炊き出しも出られません。

なんとも歯がゆいです

3年ぶりくらいの高熱


たしかにずっと忙しくて

疲れを取るために
何しろ食べる!ということをしているのに
(たぶん一日に4千キロカロリーくらい)
忙しすぎて痩せてしまうという感じでしたので
この機会に休むしかなさそうです。

しかし高熱では節々が痛くてなかなか休めないですねえ
やれやれです

しかしたまたま来週前半までは余裕があるのでなんとかなりそうです
でも来週後半からは忙しくなるので
それまでに回復できればと願っております。


ふー

ではでは



定期総会に向けて

2011年01月16日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

****************

「定期総会にむけて」

当教会の定期総会は2月27日の予定されております。
すでにそのための準備が始まっております。

私は今回の総会を、
赴任以後二回目の転機の総会としたいと
実は考えております。

一回目の転機は、10年前の出来事
年一度であった総会を二度とし、さらに総会資料を2週間前に配布することでした。

赴任当時、当教会では総会当日に資料が渡されておりました。
また総会資料執筆者は実質2名でした。
さらに総会での質疑への応答のほとんどが
「執事会で検討する」というものでした。

そこで、
まずは総会資料を2週間前に配布し事前に読むことが出来るようにし、
総会を二度にわけ、時間を増やしテーマを分けることで
執事会に持って帰らずに総会の中で検討できるようにしました。

そして現在は総会参加者が増え、
発言内容も責任を伴う成熟したものとなってきまして
主とみなさまに感謝するばかりです。

そして今年の総会からは、
活動の評価とそこから生まれる次の活動内容が各委員会で丁寧にもまれ、
そのもまれたものが総会資料に反映されたらと願っております。

それはつまり
まず執筆者の数が増えることでありましょうし、
さらには執筆者のみの意見でなく、
その活動にかかわったみんなの意見が執筆者によって反映されるものとなることを意味します。

そしてそのために、
まず執事会が
執事会の報告とビジョンを丁寧に総会資料に反映させるために努力しているところです。

当教会に残っている1960年以降の総会資料をすべて読みますと、
執事会の資料が提出されているのは4割ほどであることがわかります。
またその場合も執事会というよりはどなたか執事お一人の意見として書かれていることもわかります。

そこで歴史の反省を踏まえ、
今回は執事が手分けして
教会の各活動の評価文責を担っております。
おそらく執事会から提出される資料の量もこれまでの数倍になると思います。

そして、今後数年かけて、
すべての活動体が総会のためにさらに丁寧に準備をするようになることを願っております。

バプテスト教会の特徴は、
牧師や執事でなく、総会が決定するというものです。
総会の成熟が、教会と信仰者の成熟となります。

各委員会や各会で、ぜひ丁寧に資料作りをしてみてください。

祈りつつ。


クリスマス・カード

2011年01月15日 | 「生きる」こと
みなさま

今回もおわびするしかございません

我が家からのクリスマス・カード(年賀状含む)は
いまだ発送できておりません

今月中にはなんとか発送したく願っておりますが
もっとおそくなるかもしれません

すみません

す み ま せ ん














時間がふってきてくれたなあ

といいながら

今からは
教会にお泊りする仲間と銭湯に行ってきます


そんな暇あったらカードを作れ!
とは
どうか
おっしゃられずに・・・



ウチにもタイガーマスク

2011年01月14日 | ホームレス支援のこと
本夕

日が暮れる寸前

ピーンポーン

「献金をささげさせてください」
「ありがとうございます。でもまたどうして当教会に?」
「『百万人の福音』を読んでいます。」
「ではホームレス支援で用いさせていただいてよろしいでしょうか」
「ぜひそうしてください」
「お名前は?」
「名乗るほどのものではございません」
「でもぜひともお礼状を差し上げたいので」
「では伊達直人ということで」


60歳ほどに見える壮年の方

多額のカンパでした

心より感謝申し上げます

食卓の交わり

2011年01月12日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「冬期休暇感謝」

先週の月曜日から水曜日にかけて、私たち家族は休暇をいただき、高知に行ってまいりました。
宿泊は高知伊勢崎教会にお世話になり、
平林稔牧師夫妻(お連れ合いは9条Tシャツを通して地球規模で平和を訴えておられるくずめよしさん)と共に時間を過ごしました。
またこの教会は岡部前協力牧師の出身教会でもあります。

教会からすぐのところに「ひろめ市場」があります。
テレビでよく紹介される有名な場とのことです。
そこはいわゆるフードコート。
中央にテーブルが並び、まわりに様々な食べ物が売られています。
高知ですので、かつおのたたきやくじらもあります。
ちょっと贅沢に堪能してまいりました。

そしてわたしは「ひろめ市場」における人のあり方にいたく感動しました。

例えば
昼間に町の壮年婦人たちがお酒を交わしながら
(正月でしたので)
ちょっと猥談をしている
その横のテーブルで、
学生が分厚い本を読みながら食事をしていますし、
その反対のテーブルでは
小さな子連れの家族が団欒しています。

さらにお店の人も交じって一緒にお酒を飲んでいます。
初めてこの場所に来た私たち家族にも前々からの知り合いのように会話をしてくれます。

そこは「立場」「肩書き」「キャラ」が役に立たない場所のようです。

端的に集まるみんなが「人間」となり、「人間」なのであらゆる他者と共にいます。


私は、イエスさまはこういう風景を好んでおられたのではないかと思いました。
主の晩餐というのはこういう感じだったかもしれないと思いました。

イエスさまの活動された当時の中東社会では、
「立場」「肩書き」「キャラ」が最も大切にされ、
そのイメージが崩されることは恥として最も嫌われておりました。

食事など人が集まる場面では、
立場ごとに儀式的に行動が決まってもいました。

しかしそれが社会を窮屈にし、
人は歪みいじわるになり、
競争と差別が生まれる大きな原因にもなりました。

そんな中でイエスさまは、
「立場」などが役に立たない食事の交わりを繰り返し起こされたのではないでしょうか。

というわけで
ステキな休暇を感謝するばかりです。


ひろめ

2011年01月08日 | 「生きる」こと
ようやく机から離れられますう



しばらく更新していないので
何も考えず
ただキーボードを打ってみます

本日は

教会での面談3件に大阪への訪問と路上で生活する仲間訪問と
メール対応多数
電話は二本
役員会の資料作成
という一日

いろいろ出会って幸せな日

でもさすがに疲労もありますなあ


雑誌の原稿には手をつけられずまた明日
編集者のみなさん
すみません
ほんとにすみません

今週は水曜日まで休暇をいただきまして
実は高知に行っておりました

高知伊勢崎キリスト教会にお世話になりました
平林牧師とよしさんに感謝感謝
さらに
感謝感謝でまた感謝なのです

よしさんのお母様にもお世話いただきさらに感謝

バプテストネットワークはあったかい

坂本さんを見上げ
桂浜で五色石を拾い
長浜で息子と日が暮れるまではしゃぎ
高知城に登り
わんパークでうさぎとやぎとかめとふれあい
「ひろめ」でゆずサワーを飲んで
かつおとくじらをたらふく食べて
教会ではなべとすきやきをして希望を語り合い
朝は雑煮とおせちを満喫し
せっかくの高知だから
自由民権運動関連を学ぼうと資料館に行くも閉館日で
路面電車に乗り
空くんは天城山荘で出会った同級生に公園で再会し
そして毎晩ばったんきゅーでじっくり眠ることができた
という

しあわせでぽかぽかですっきりの休暇でした

しかも京都から高知は近く感じます
道が楽しいからだと思います

また行ってしまうと思います


「ひろめ」が最高でした
いわゆるフードコートなのですが
みんながわきあいあいとなる台湾的というかアジア的というか
そういうぐちゃぐちゃの場所でして
実は精神的に高度な場だと思いました


これまで行かせていただいたところでは

道後と宮崎とならんで
好きな町でした



もう眠いので
寝ます

また明日









今年もよろしく

2011年01月02日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言です。

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「今年もよろしくお願いいたします」

三ヶ月かけて学んだローマ書の最後の学びで
パウロがローマの教会に宛てた手紙で彼の友人を紹介しつつ
「よろしく」と友人をローマの教会に託していることの意味を
私たちは学びました。

私たちが生活の中で誰かに「よろしく」という場合、
そのほとんどは、「私をよろしく」ということではないでしょうか。

この社会は、
自分で自分をプロデュースし、自分でプレゼンテーションすることで、
周りから評価され、受容されるという暗黙のルールを持っています。
それが得意な人は社会で成功もしやすくなります。

しかし逆にナルシストという病を生み出し、
自己肥大化を生み出し、
また若者の間ではキャラ作りを生み出してもいます。

するとそれに窮屈になり、対処法も考えられます。
ストレス発散方法や、本当の自分を出せる場所探しや、「ありのままの自分」探しなどがあります。

でもパウロは異なる対処法を持ちます。
いいえ、対処法ではなく、
人間としてのあり方が根本的に異なるような
しかし人間の本質であることを二千年前に獲得しています。

それは、
「わたしをよろしく」ではなく、
「わたしの出会ったAさん、Bさんをよろしく」が、
人間の挨拶の本質的であるというものです。
これは大事です。

その根本には、
主イエス・キリストが神さまに対して、
例えば「大谷をよろしく」と紹介してくださり、
さらには大谷の罪も醜さも汚さも苦しみも悲しみも寂しさも主が十字架で引き受け、
大谷を赦してまで
「大谷をよろしく」と紹介してくださることがあります。

そしてそれを恵みとして受けている私たちは、
それぞれ主により出会っている
(つまりはすべての存在と出会うことになっているわけですが)
具体的な「Aさん、Bさんをよろしく」と、
主に、また他者に紹介することになるはずです。

そこでは同時に、
自分のことは誰かが愛をもって誰かに紹介してくれていて、
新たな他者とさらにつながるということが起こっていくことでもあります。

というわけで、そういう「よろしく」を今年は互いに味わいたいと思います。


新年感謝

2011年01月01日 | 教会のこと
新年おめでとうございます
今年もよろしくおねがいいたします

元日ですが
わたしのような職務を担う者は
お仕事です
でも
いちおう終わりました


本日は元旦礼拝がありました

朝少し寝坊しました
起きたら8時でした
でも飛び上がりました

といいますのは
この雪ですので
雪かきがあるわけです

なにしろ
教会にやってくる方々と車がすべらないように
うまいこと雪を処理する必要があります

あわてて顔を洗わずに家を飛び出しましたら
もうすでに若菜さんがせっせとやっておりました

さらに

タサキさんが早く来てくれて一緒にやってくれておりました

そして私が若菜さんとバトンタッチしまして
タサキさんとともにみっちり1時間半ほど急ピッチで作業しまして

寒いし足元びしょびしょでも汗をかくほど動きまして

そして9時半にいったん休憩して朝食

若菜さんのつくった雑煮(めちゃうま)と
なんと
ホームレス生活をされている仲間からいただいた超豪華なおせち料理

例年いただくのですが
そうとうに高価な食材が用いられておりちょっと自分では買えないようなものなのですが

ぎりぎりで生活されている仲間が
わたしども夫婦のために
毎年届けてくださいます

このおせち料理のためにどれだけの汗と涙が流されているか
がよーくわかるので
胸がきゅーってなるのですが

そのきゅーを味わうのが
私の元旦の恒例行事でありまして

身が引き締まるのであります


タサキさんもいっしょにそれらをおいしくいただきます

そして申し訳なくもわたしは礼拝準備に

タサキさんは仕上げの雪かき


今年の元旦礼拝はもともと欠席届が多く(なんと34名)
(今年は仕事をしている人にとっては休みが少なく、また二日が主の日なので
 元日に家族と会うわけです)
しかもこの天候なので

37名でこじんまりとした礼拝をもちました

それがそれが家族的で
しかも京都教会としてはなつかしい規模でもありまして
なんだかあったかくてうれしい礼拝となりました


礼拝後は
これまた我が家の恒例ですが

ご近所のかぎやさんにごはんを食べにいきます

そう!さおりちゃんのおうちです

かつては妻と息子といっておりましたが

だんだんと
元日をひとりで過ごす仲間も一緒にいくようになり

昨今は結構な団体さんとしてお邪魔しています


まず昼食
そしてケーキセット

みんなのぶんが我が家の予算で最初から組み込まれておりますから
みんな家族として遠慮なく食べていただきます

うーん
たのしかった


そしてとても眠かった・・・

雪かきをしたあとに
ぽかぽかの礼拝堂で礼拝をしましたから
わたし
前に立っていながらとても眠いという
なんとも不思議なそして情けない状況でありまして
さらに昼食を食べて眠くなって
かぎやさんから帰ってきたら
バタンキューでした


いやあ

クリスマスから年末も最高にうれしかったし
たくさんの新たな出会いもあったし

そもそも昨年がまた新たな出会いをたくさんした年でしたし

それも京都教会という現場で出会いがたくさん起こりましたし
確実に教会が言葉に出来ない部分の豊かさを獲得しておりますし
教会に集う者がそれぞれ深い色合いを帯びてきましたし

たしかに私ども夫婦もよーく動きましたが
いろんなことが結果として見えているのが
不思議でうれしいです


昨年をもって
当教会は生活困窮者が癒される交わりとなり
対人援助職につく者がいい意味で言葉にならない衝撃を受ける交わりとなっていることが
ご本人たちの証言からわかってきました

これはめちゃくちゃうれしいことです

今年は
いよいよ
本当の意味で
スポーツ風に言うならば
教会にとって勝負の年

今年で今後10年が決まるという年でもあります

つまり
そういう歩み方ができるまで成熟しているということでもあって

なんともうれしく楽しみです


キーワードは

交わり力
キリストの体
チーム・キリスト

そして
他者への愛
他者への責任
他者の十字架の引き受け


日本バプテスト京都教会は

キリストに愛された者として
この地球に愛を注ぐ場となります

それも
精神的になんてもんではなく
極めて具体的に!!!!!

乞うご期待