きぼう屋

生きているから生きている

左投げの少年用キャッチャーミットはどこに

2007年03月26日 | 「生きる」こと
キャッチャーミットが欲しい
と長男が言い出しまして・・・

彼の愛読書の野球雑誌の広告の
キャッチャーミットの写真部分を枕元において寝るという・・・

いったいなぜ?

と思ってしばらく考えてみて
なるほど
彼は弟3人をいつも確かに受け止めているわけで・・・
もっというと親のわたしをも受け止めていまして・・・

そういう環境がもらたすものなのでしょうか??

まあ誕生日やな

わたし言うわけですが
すると彼の誕生日は6月下旬なのに
もうそれまでの日数を数えはじめまして
そういうのっていいなあと思いつつ・・・

問題は
彼が左利きだということなんです。
ネットでちょっと調べてみました。
キャッチャーミットの少年用の左投げ用
3つ見つかりましたがどれも売り切れ
しかもどうしても高価

うーん
6月までにはなんとかそれでも手配せねば・・・

と言いつつ
わたしもなぜかウキウキするのでした。。。


ストップイラク派兵訴訟判決

2007年03月24日 | 平和のこと
敗訴でありました。
イラク派兵訴訟

派兵差し止めは却下
損害賠償請求は棄却

とまあ
こんな時代なのでこうなるのはわかっていたけれど

判決文の短さに唖然としました。
読んでみてさらに愕然としました。

そして
くやしいとか
怒るとか
そういう風に身体が反応するのではなくて

悲しく
寂しく
切ない気持ちになり
涙がたまってきました。

平和を求める良心とその自由という事柄でもって
丁寧に裁判をすすめていったけれども

その事柄との対話が全くない判決文でした。

そう、対話がないわけです。

わたしもそのひとりでしたが
多くの人が法廷で意見陳述しました。

生々しい戦争体験がそこでは語られていきました。
ひとりひとりが実体験から
平和を熟成させてきている
その熟成の物語が熱く語られていきました。

けれども

それらをすべて無視して
まったくキャッチボールすることなく
時代時代に生まれる大きな力による原理が
判決文の書き方というものもつくっていく
そういう判決文で
ばっさり切り捨てたということが起こりました。

あの話を聞いてもらえない悲しさ
あの勝手にあちらの考えを押し付けられる中で
こちらが消されていく寂しさ

なるほど

こうやって生命が人格が消されていくというのが
まさに平和でないということであり

そういう平和でない循環の中で平和を求める良心というのは
こうも見事に無視されていくという・・・

切ない

思いがあふれます。

しかし振り返ると
4人の息子たちの親をさせていただく中で
彼らが懸命に訴えていることを
こっちの考えでもってばっさり切ってしまうこともしばしばあり・・・

なんか
人間の弱さは

対話する力がないこと
聞く力がないこと
そんなことに時間と力をかけるなら
自分の安全と安定と気持ちよさを追求したいと思うこと
たとえ8000キロ先のイラクで誰かが殺されようと
いや
きっと身近なところで誰かが殺されても
それもまた
悲しむ者たちと対話するんじゃあなくて
すでに持っている原理でさっさと完結しといて
あとはできるだけ自分の気持ちよさのためにエネルギーを使うという

こういう弱さだと思いました。

そしてこれが平和を崩すのだと思いました。

と同時に

だったら
平和はつくることができると思いました。
聞いて
対話していくことにいのちをかければいいと思いました。

平和は
ひとりひとりの物語の証言の積み重ねからしかつくられない!
平和は
原理原則化されえない!


あと
若い弁護士も言っていましたが
私も判決文を読んでまずそう思いました。

それは、良心の自由を民主主義でもって否定したということです。

自由が民主主義で否定された!

民主主義もまた暴力!というベンヤミンの言葉が思い出され・・・

民主主義から平和は起こりえない!平和から本当の民主主義は起こりうる!という姜尚中の言葉が思い出され・・・
(これは金大中の太陽政策を評価する場面で語られていたと思う)

いやいや
控訴して
まだまだ
がんばりますか。

平和をつくるのだぁ!!


まいにちの生活

2007年03月23日 | 「生きる」こと

まいにちの生活が
せいかくな時間とうごきで
すきがなく
みごとにぶなんに役わりをこなし
みごとにぶなんに他人と接し
内外からすごいとうやまわれ
えらいとほめられるような

そういう機械らしくありませんように


まいにちの生活が
行き詰まってばかりで
立ち止まってばかりで
計画してみても大半はむだになって
ぐちゃぐちゃになって
ばらばらになって
内外から理解されるなんて
出来っこないように出来なくて
うやまわれたりほめられたりする基準に
あてはまるはずがないようにあてはまらない

そういう人間らしくありますように




10周年

2007年03月22日 | 「生きる」こと
本日で
結婚10周年です。

照れもせず言いますけれども
ますます幸せです。

あっという間の10年でして・・・

互いにこれでもかっていうくらいに対話を重ね
互いの弱さを担いあい
いろいろと越えてくることができました。
感謝です。

いろいろあった困難を
ごまかすこともせず
逃げることもせず
隠すこともせず
どれも真正面から、
苦しみつつも
悲しみつつも
涙しつつも
ひざをつきあわせて祈りつつ
越えてきたことが

いま
肩を抱き合うたびに
互いにうれしく目頭をあつくするという
そんな関係に導いたのだろうなあと思っています。

そして今でも二人で繰り返し語り合うのは

あまりにも悲しすぎる死の出来事に直面するたびに
全身全霊で励まし慰めてくれた仲間がいたこと
一緒に泣いてくれた仲間がいたこと
500キロ先からすぐに飛んできてくれた仲間がいたこと
そしてこの十字架を背負え!一緒に背負おう!キリストが背負っている!
と言ってくれる仲間がいたこと

そのおかげで
その死の出来事から逃げずに
それと向き合うことができたこと



あまりにいろいろありました

おかげで人間になってきたような気がします

機械的に生活をこなすことから解放されはじめたような気がします

おもろい人間とたくさん出会いました



この10年まさにひとつの仕事を二人三脚でやってきました
そして
いま、それぞれがそれぞれにかかわる他者を新たに与えられ始めました
妻が東九条の隣人たちと出会い、その歴史を共有できる可能性がないというしかない中で共有しはじめました
私は4月から学生たちと出会う決断をしました。



そんな中で
次の10年のテーマが見えつつあります

それは

内緒。。。

というか
深すぎて言葉にできない
まだ・・・

しかし

次の10年が楽しみ


感謝感謝

すみません

2007年03月20日 | 「生きる」こと
インフルエンザでした。

実はわたし、東京出張中に高熱が出てぶっ倒れたのですが、
これどうも
インフルエンザでした。

というのは
我が家に帰ってしばらくしたら、
長男が倒れ
四男が倒れ
次男が倒れ
医者にいったら、B型のインフルエンザということで・・・

すみません
すみません

出張でご一緒だったみなさま
いまごろ
苦しんでないでしょうか・・・


なぜか
いつものことですが
三男にはうつらないのです。


三男が言うのです
-ぼくも薬のみたい
-ぼくも冷えピタしたい

さらに
-僕も熱でたい
-インフルエンザになりたい

なんとも・・・・・・

しかしそんなにみんなひどくならず一安心。

さてさて
どんどん忙しくなるので
だからこそ
とってもゆっくりいろいろとこなしていきたいなあと思います。

というわけで
催促されていた
カトリック正義と平和京都協議会の原稿
今、完成しました。

いつもおそくてすみません。
ほんとうにすみません。

宇宙

2007年03月18日 | 教会のこと
3月18日の
京都教会の週報巻頭言です。

***********************


神は宇宙全体を創りつづける
宇宙のいのちたちの有機的なつながりとかかわりは
人間にはつくることができない神の業であり
私たちはその業にあずかって生きるのみ

けれども人間はこの宇宙全体という神の業に素直にはあずからない
この宇宙をとてもとても小さい、
いわば小宇宙として分割し
ひとつひとつで完結させてしまう

たとえばそれは国
国なる小宇宙に閉じこもり
その内部のみでいのちたちが生きられるかのように
またそこのみですべてが完成するかのように錯覚する

たとえばそれは家族
家族というグループでひとつの完成を目指し
そこに実は閉じこもってしまう

たとえばそれは個人
自分の知力・体力で自己完結してしまう
それも
個人の心は宇宙的ひろがりを持つという理由で正当化されつつ

また学校や企業や地域も
教会でさえも
その内部のみで自己完結する小宇宙を私たちは求めるだろう

たぶんそうして私たちは
なんとなく覚える安定と安心を求めるのだろう

でもこれは人間が考えられる範囲のみのまさに小宇宙
決して神の創造する宇宙全体ではない
またこれは心理学の話ではあっても
決して聖書、信仰、キリストの話ではない
無論その小宇宙で覚える安心と安定は
キリストの平安とは無関係

逆にキリストは、そういう小宇宙を破る。
十字架で破って小宇宙に飛び込んでくる
キリストはそうやって小宇宙から宇宙全体へと私たちを解放する

だから隠さないでいい!むしろ探そう!
わたしの破れを!
家族の破れを!
教会の破れを!
あらゆるグループの破れを!
すなわちキリストの十字架の立っている破れを!

同時に復活のキリストが立つ
そこから愛が流れ入る!
赦しが飛び込む!
和解が生まれる!

キリストがすでに自己完結なる小宇宙から
私たちを救い出そうと動きまくっている!

合理性利便性功利性の果て

2007年03月05日 | 「生きる」こと
昨晩
あまりにさわやかで窓をあけました・・・

昼間もきっと
花粉さえ飛ばなければ
とてもさわやかなんだろうなあと
花粉をうらんでみたのですが

こんなふうに花粉が飛ぶのも
人間の
合理性、利便性を信奉するところによる
杉の植林によるわけで・・・

すると
花粉症みたいなのがでてきて
実は
見事に非合理的で不便な社会になるという・・・

なんとも・・・

これも人災やな。。。




どの仕事も忙しすぎると
本気で心配しています・・・

合理性、利便性を信じてしまって
追求した結果

実は休むことすらできないという
最悪な社会を招いたようです。

企業も病院も福祉関係も学校もなにからなにまで
動き続けないとならない

便利になるためには
こっちも便利にこき使われるということは当然で・・・

合理的に金を得たいとおもうなら
人間が合理的に機械とされるのも当然で・・・

日曜日は教会で礼拝だ
と言える国々、地域は
まだストップがかかるけど
日本は
そうなることはないやろねえ。

どうなるんでしょうか・・・

牧師は
「そんな社会と一旦縁を切り!」
って言わねばならない時代かも・・・

なにしろ「共に」なんだけど・・・

2007年03月02日 | 「生きる」こと
来年度担当する
「人権論」
のシラバスを提出しなければならなくて・・・

学生たちと一緒に考えたいことがありすぎて・・・
どのテーマから掘り下げるべきか
決断できないでいまして・・・

どのテーマから掘り下げても
行き着くところは

人間は人間であり
神にもモノにもなれず
人間が人間であり続けるためには
人間は人間と共に生きるしかなく
生きる地である地球と共に生きるしかなく
そして共に生きることにこそ
人間が人間であり続ける秘儀が隠されており
その共に生きるという
関係性の恢復と
それと共に起こる人間性の恢復を
共に内臓から叫び求め
行動していきたい

ということなのですが・・・


とりわけ
いじめのこと
は、分かち合いたいし・・・

そして
高齢者や子どもの虐待と、夫婦間、恋人間のDVの問題

また
わたしがかかわるホームレス問題

さらには

人権獲得の戦いの歴史
つまり

女性、子ども、高齢者、障害者、被差別、在日朝鮮人、外国人の人権、ハンセン病、エイズ患者の人権獲得の戦いの歴史

は欠かせないだろうし・・・

そしてこれらの根底にある
権威と権力
戦争と暴力
政治と経済

をも、分かち合わねばならないと思うし・・・


といっても

シラバスどおりにいくはずもなく
学生から与えられるテーマで
講義が自由に変化するだろうから
悩みすぎることもないのですが・・・



身体全体で学ぶことができる
ゲーム的なものもやりたいなあ・・・

と思っていて・・・

うーん・・・





平和憲法60周年

2007年03月01日 | 平和のこと
今年もやります。
5月3日は「平和憲法60周年のつどい」です。
場所は京都会館第一ホール。

まずは、呼びかけ文を。


*****************************

平和憲法60周年のつどいの呼びかけ

日本国憲法は、本年5月3日に施行60周年を迎えます。

 日本国憲法は、平和主義について、全ての戦争を放棄するだけでなく、その手段となる戦力を一切保持せず、国の交戦権も認めないという徹底した立場を九条で鮮明にしています。基本的人権について、これを侵すことのできない永久の権利として保障し、単に伝統的な自由権のみならず社会権をも保障する豊かな内容をもっています。国民主権について、国の政治のあり方は最終的には国民が決定するという原理が人類普遍の原理であるとして、これに反する一切の憲法、法令を排除しています。

このように、日本国憲法は、一人ひとりの自由や生存、意思決定が尊重され、戦争のない平和な社会を創り上げていく際の、日本の国の最高法規なのです。

 そして、私たちは、日本国憲法の原理である平和主義、基本的人権の尊重、国民主権が、今も世界の憲法の中で普遍性と先進性を有しており、これからますますその存在意義が高まっていくものと確信しています。



ところが、いま、日本国憲法は大きな危難に直面しています。

 日本国憲法の原理と矛盾する政治が続けられてきたために、社会における格差が著しく拡大し、貧困が社会全体に進行し、一人ひとりの生存が脅かされる事態になってきています。青年の就職難や劣悪な労働条件、労働者の働く権利の後退なども無関係ではありません。自衛隊の海外派遣を本来任務とし、集団的自衛権までも認めようとする政治はもはや九条の枠組みすら逸脱し始めています。

また、九条を中心に日本国憲法を全面「改正」しようとする動きが、具体的な日程を示しながら、これまで以上の規模で台頭してきています。その狙いは、日本を、アメリカと一緒になって戦争をする国へと変貌させることにあります。平和を希求する人間の育成を謳った教育基本法を「改正」し、教育現場へ「国家的価値」を導入して子どもたちに戦争をする国を担わせようとしているのも、その流れの一環として位置づけられます。その行き着く先は、戦争に勝つことが全てに優先される国家であり、基本的人権の尊重や国民主権は大きく後退させられる社会です。国の財政も軍事優先となり、社会福祉や社会保障のための予算が削られることは目に見えています。

私たちは、このような日本の社会の転換を認めることはできません。

 福祉、教育、労働、環境、医療、芸術、文化、宗教、司法、平和など生活の様々な分野で日本の現状や明文改憲の動きを憂い、あるいはこれらに反対している多くの皆さんとともに、こうした改憲の動きを阻んでいきたいと考えています。



私たちは、5月3日憲法記念日を迎えるにあたり、一人ひとりの人間を大切にすることを原理としている日本国憲法の存在意義をあらためて確認しあい、とりわけ日本と世界の平和のために日本国憲法九条を全世界に輝かせたいと考えて、ここ京都の地で、日本国憲法施行60周年のつどいを開くことを呼びかけます。



                            2007年2月



呼びかけ人(第二次発表分)



足立  明(京の道と交通を考えるネットワーク代表)  
阿南 孝也(カトリック正義と平和京都協議会会長)
有馬 頼底(臨済宗相国寺派管長)  
安斎 育郎(憲法9条メッセージプロジェクト代表)
石井 麻子(ニットアーティスト)   
上田 勝美(京都憲法会議代表幹事)
大江 真道(日本聖公会司祭)     
大島 亮準(大原念仏寺住職)
大谷 心基(日本バプテスト京都教会牧師)  
垣田さち子(京都府保険医協会副理事長)
加藤 利三(京都大学名誉教授)    
神谷 雅子(映画コーディネーター)
川村 哲嗣(京都キリスト教協議会会長) 
神 清一(京都YMCA総主事)
工藤美彌子(平和憲法の会・京都共同代表) 
黒木 順子(守ろう憲法と平和 きょうとネット代表幹事)
澤野 義一(憲法を生かす会・京都 代表)  
信楽 香仁(鞍馬寺貫主)
須田  稔(立命館大学名誉教授)   
澄田健一郎(広げよう世界へ!生かせ憲法九条の会・京都代表)
田中  正(京都大学名誉教授)    
鶴見 俊輔(哲学者)
出口 治男(弁護士)         
永田  萠(イラストレーター)
西野 猛生(カトリック正義と平和京都協議会・担当司祭) 
野田 道法(天理教元分教会長)
橋本瑠璃子(カトリック大阪教会管区問題活動センター)
長谷川千秋(元朝日新聞大阪本社編集局長)
浜  広信(核戦争防止核兵器廃絶を訴える京都医師の会代表) 
ひらのりょうこ(詩 人)
府上 征三(日本キリスト教団洛陽教会牧師) 
帆足 正規(能楽笛方・狂言作者)
松本  昭(京都中小企業九条の会・事務局長) 
望田 幸男(同志社大学名誉教授)
森  清範(清水寺貫主)