きぼう屋

生きているから生きている

イラク派兵は違憲じゃよ!

2006年11月30日 | 平和のこと
本日午前中は裁判に行ってきました。
イラク戦争に自衛隊を派遣したことは憲法違反だー
という裁判です。

通称「ストップイラク派兵訴訟・京都」

で、わたしは原告のひとりです。

で、本日は意見陳述をしてきました。

で、そのしゃべってきたものをまず。。。
長いですが・・・


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陳述書
原告本人 大谷心基

 「殺してはならない(聖書:出エジプト記20章13節)」
 「敵を愛しなさい(聖書:マタイによる福音書5章44節)」

 私は日本バプテスト京都教会の牧師です。キリスト者の家系で生まれ、教会にて聖書から学びつつ育ちました。そしてキリスト教会が聖書から学ぶところの、人が生きるために不可欠な行為の中心は、以上の二つであると、神学的吟味をした上で、結論づけているところです。

 イラク戦争開始後に、武力干渉により殺されたイラク市民の数は50,000人前後と言われています(インターネット調べ「www.iraqbodycount.net」)。また、その後のテロ等も含めると65万人のイラク人が死んだとの報告もあります。米国防省は、米兵の死者が2,500人を突破したと伝えています。メディア等の発表する数字の信憑性の問題はありますが、あまりにもたくさんの人が殺されていることは誰にでもわかります。
さらに、最近では23日にバグダードで車の爆弾テロが相次ぎ、200人以上が死亡したと報道されました。
 また、去る10月3日に、日本バプテスト京都教会を会場として、「バグダードから京都へ~イラク・日本 市民交流会」が開催されました。バグダードより、おふたりの芸術家が来洛され、バグダードの現状を語ってくださいました。その中で、ハニ・デラ・アリさんは、この夏に、彼のいとこが、外出しただけで米兵に頭を撃ちぬかれて殺されたことを証言されました。また、毎日百人は米兵に撃ち殺されていること、13歳以下の少年少女が米兵にレイプされていることも証言されました。
 もちろん、先ほどの死者の数と同じく、上述の報道、証言が真実であるか確認することは困難ではありますが、しかし、今でもイラクでは日常に殺しがあり、その殺しの循環とも言うべき状況から解放されていないことは、認識することができます。

 そしてこのように互いに殺しあう状況、また、その背景としての互いに憎みあう状況、さらに心理的に掘り下げるならば、互いに生命が脅かされている恐怖の中で、人間らしさを失っている状況は、起こるべくして起こったと思います。
 思想家カントは、人間の自然状態は常に敵対行為が生じており、決して平和状態ではなく、平和状態は創設されねばならないと言います(「永遠平和のために」岩波文庫 26ページ)。
 平和は創らねばならないものです。平和は人間の自然な感情では成り得ないものです。つまり、自らの生命維持のために、危険だと思われるものは排除するという、端的に言うなら弱肉強食という自然性と、そこから湧き出る感情からは、互いの殺し合いは起こっても、平和は成らないのです。
 よって、たとえフセインの暴力を戦争という暴力で止めて平和にするという論があったとしても、それが戦争を起こす理由になることは、人間の知恵からはあり得ないのです。
 さらには、大量破壊兵器保持を戦争の理由としつつも、それがなかったことがわかっていますし、そもそも大量破壊兵器を最も多く保持している米国が、その理由を挙げることは大きな矛盾ですから、知恵ある者ならば、あまりに明確に、イラク戦争をすべき理由のないことがわかります。
 いずれにしましても、戦争を通して平和が起こることはあり得ず、戦争は、憎しみと暴力と殺しの連鎖を生むだけです。だからこそ「殺してはならない」というのは、条件抜きで、人間が行うべきことです。
そして日本国憲法第九条は、あらゆる条件を排して、端的に「殺す」ことの放棄を語るわけです。

さらには、その憎しみと暴力と殺しの連鎖は、具体的に砲弾が飛ばない社会のなかでも息づいています。それはたとえば昨今再び注目されているいじめ問題などでよくわかります。これは学校社会の子どもたちだけに起こっている問題ではありません。企業をはじめとする大人の社会でも、家庭の社会でも、おそらく宗教界や法曹界においても、あらゆる社会において、憎しみと暴力の連鎖が息づいており、いじめは、その大小があろうと、気づこうと気づくまいと、意識してようと無意識であろうと、起こっているはずです。

そして、そのような現実と出会うゆえに、確かにわたしは1970年生まれであり、戦争を直接経験してはいませんが、憎しみと暴力の連鎖という本質を異なるかたちで経験することにより、戦争を極めて深く追体験出来るし、知ることもできます。23日に逝去された灰谷健次郎さんの「太陽の子」は、沖縄の地上戦を経験していない子どもたちも、イジメなどから戦争をそれこそ経験していくという作品であり、こういう事実を描いているものでありましょう。

具体的戦争経験のない者も、このようにして、戦争の本質、つまり憎しみと暴力の連鎖、さらには殺しの連鎖を経験します。

そして、とりわけ日本国憲法第九条を生きるこの国の私たちは、戦争の本質である暴力の連鎖につながるのではなく、むしろ断ち切ることを、明確に宣言しています。交戦権も武器保持も認めないというのは、カントの言葉を借りるならば、いじめ問題にも見られるような、人間の自然状態から生み出される暴力の連鎖という戦争の本質を断ち切り、平和を創設するという宣言でもありましょう。

ですから、理由すらも成立しないイラク戦争に日本が協力することは、明らかに憲法違反であり、あってはならないことです。さらに言うならば、日本は、今なお増え続ける殺し合いと死者の数からよくわかるところの、憎しみと暴力と殺しの連鎖に、協力しているにすぎません。繰り返しますが、これは憲法に反しており、断じて許されません。

 さて、最後に、人間の自然状態である、憎しみと暴力の連鎖から脱出するためには、私たちはどうすればよいのかということを分かち合いたいと思います。
 「敵を愛しなさい」と聖書は、キリスト教会およびキリスト者に教えます。また、ガンジーから学ぶならば、仏教徒も同じ知恵を持つようです。
 つまり、人間の自然な感情ではまずおこり得ないところの、敵を愛するということを、平和創設のために人間はすべきであるという知恵はすでに生まれています。しかも、上述以外の宗教から、また思想からも、この知恵が語られていることは、よく知られるところです。
 そして日本国憲法第九条において私たちは、まさにその知恵を受け継ぎ、自然な感情を越えて、相手を「敵」と認識しようとも、それにもかかわらず、戦うこと、武器を持つことを放棄することを選び取り、平和を創設することを選びとっているわけです。
 つまり、愛と非暴力の連鎖をはじめることによって、平和を創設することを、この国の私たちは選び取っています。
 
 カントは、平和創設のために「法」を論じ、今、国連というかたちで動いている「自由な諸国家の連合制度」を提案しつつも、人間の自然状態と平和創設の間の難しい問題に苦慮しつつ、永遠の平和を保障するのは「摂理」としか表現できませんでした(同上書54ページ)。「平和」を語るのはこのように難しいことです。しかし、今、彼が生きていて日本国憲法第九条を見るならば、大いに喜び、論文を書き直し、国連の中心の法に据えるだろうとも、私は想像します。また実際に、彼の知恵を受け継いで語り継ぐ思想家がたくさんいることも、やはりよく知られているところです。

つまり、日本国憲法第九条は、そういう知恵を受け継いだ、地球における最先端の憲法です。そして、この憲法を持ち、これを選び取って生きるこの国の私たちの歩みは、平和創設の最先端の歩みです。


日本国憲法第九条は、このような知恵深い条文であり、この深みから解釈されねばなりません。

そして、イラクへの自衛隊派遣は、殺しの循環に協力していることであり、決して平和創設に適う事柄ではないため、明らかに憲法違反であると考えます。また、この国の私たちの、平和創設の最先端の歩みを逆行させるものでもあります。

ぜひとも、この裁判におきましては、豊かな深い人間の知恵を持って、知恵ある憲法判断をお願いしたく存じます。


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お読みいただき感謝。
ねえ。長かったでしょう!!

で、これが味わい深い裁判なんです。
原告代理の弁護士団は、
「平和を求める良心」でもって、たたかっていまして・・・・
憲法9条の解釈は二の次なんです。
これは、日本裁判史上初だと思います。

だから、人間性の深みが語られる裁判なんです。

で、本日の最終準備書面ですが・・・・

これがまたすごかった。
博士論文として通用すると思います。これ。

ただで、情熱あふれる講演を聴いてしまった!!!
というところでしょうか。。。

しかも、相手さんの方々も裁判官も
相当聴き入っておりました。。。

で、今回最終で

次回は判決です。
3月23日。10時~。京都地裁にて。。。

響きあい

2006年11月29日 | 平和のこと
ずっと書けてなかったときのことでちょっと古めですが

11月18日に「下鴨3学区記念のつどい」に参加できました。
これは
憲法九条・松ヶ崎の会
下鴨「九条の会」
葵・九条の会
によるプログラムでした。

心がびりびりいうほどに響きまくりました。
臓腑がぐいぐい言いつつ
悲しみ痛みを覚えつつ希望にあふれるという
そういう経験をしました。

わたしは講演をさせていただいたのですが、
その後、シンガーソングライターの阿部ひろ江さんが歌を披露してくれました。
歌というより詩を届けてくれたというべきかもしれません。

響きました。

それも、用意されていた歌をいったん吹っ飛ばして
わたしの話に響きあったところから
その場で歌を選んで届けてくれたという・・・

そういう響きあいに今でも感動しています。

また、その後
戦争体験をなんにんもの人が話してくれました。
身体震わせ
涙流し

わたしの講演も
阿部さんの歌も

その体験談の前座だったわけです。
前座になれたわけです。

だから

重く痛く悲しくも
希望を見つつ笑うことができた

そういう企画でした。。。。。

感謝。。。。。

国民保護法という虚構

2006年11月28日 | 平和のこと
昨晩は守ろう憲法と平和きょうとネットの例会で
国民保護法について分かち合いました。

各地域行政ごとに国民保護の計画づくりが進んでいるところですが、
その会議に市民として足を運び続けている田中三郎さんより、
その問題点と考えるべきことを教えていただきました。

この法律は有事法に基づくもので、
戦争やテロが起こった場合の避難方法等を取り決めているものですが・・・

中身は、戦争ができる国づくりに市民を巻き込む国家レベルの運動ということです。

たぶんこれからどんどん街あげての戦争時に備える避難訓練が始まると思います。
そこではちゃんと表現されなくとも
明らかに「北朝鮮」を敵とするところの訓練が行われます。
するとまずは在日朝鮮人のみなさんも敵とされるケースが増加します。
もちろん北朝鮮という国、国民に、戦争なんてなんにも起こっていない段階から敵意を抱くことになります。
同時にアラブ人によるテロも想定されます。
するとアラブ人にも必要のない敵意を自然と抱くようになります。

さらに訓練で国家斉唱などが出てきそうな気配です。
もちろん日の丸にもとに集まったりするでしょう。

こんなことを
天災による避難訓練とごちゃまぜにしながら行う時がもう目前です。

で、
意見交換をしたのですが
戦争を経験している方おふたりがずばり言いました。

-戦争がはじまったら、どこに避難しようと、訓練どおりしようと、それでも死んでしまう。60年前そうだった。
-沖縄では軍隊が民間人を殺した。政府、軍隊は民間人を法律があたって守らない。

つまり、戦争があったら・・・
なんて想定して法律を作ることがあまりにも無駄で
これはただただ
戦争をしないために努力するしかなく、
戦争が起こったら、法律もぶっ壊されるということです。

法律制定の前提がない!法律だということ・・・・・

またアムネスティにかかわり
韓国軍事政権化で、そういう民間人訓練に参加経験のある方も言いました。

-訓練でも、それに同調しきらないと、つかまる・・・

この国は、そういう道へと着々と、
しかし結構な速度で
進んでおりまして・・・・・・・・・



世界祈祷週間と灰谷健次郎

2006年11月27日 | 教会のこと
灰谷健次郎さんが亡くなった。
ぽっかり胸に穴があいた感触がある。
わたし自身が形成される上で、彼の作品は大きな影響があったことを
あらためて知った・・・

昨日の教会週報巻頭言です。
ちなみにこちらは原版です。
週報には、字数の関係で、端折っている部分もありましたので、教会員の方もぜひお読みください。

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 大変ショックです。23日に灰谷健次郎さん(作家、教育学者)が亡くなりました。ちょうど今、私は彼の作品を読み直しているところでした。論述というコトバの狭さを感じていて、物語というコトバの奥深さと意味を今一度味わいたいと思ったからです。
 そのことを22日の祈祷会で話したりした直後の23日の出来事・・・。悲しみを覚えています。
 彼の物語は人間を人間に戻してくれます。人間を人間に成長させてくれます。人間が神にもならず、モノにもならない場所へと導いてくれます。そういう意味では、聖書の物語と極めて近い働きをしていると思います。
 そして私は彼の「太陽の子」の中での次の言葉が好きです。
 「人間が動物と違うところは、他人の痛みを、自分の痛みのように感じてしまうところなんや。ひょっとすれば、いい人というのは、自分のほかに、どれだけ、自分以外の人間が住んでいるかということで決まるのやないやろか(新潮文庫318ページ)」。
 この物語は、沖縄地上戦を経て神戸に移り住んだ沖縄出身の人々の抱えるあまりにも複雑な出来事を見事に表現しているものです。まだ読んでいない方はぜひとも今すぐ書店へ。
 さて、これは聖書が語ることそのものでもあります。
 キリストが私たちの心にいます。しかしそれはキリストのみがいるわけではありません。キリストはキリストの身体として、つまり、世界の隣人たちそのものとして、私たち一人ひとりの心に飛び込みます。もっと言うと、世界の十字架を背負ったキリストが、世界の十字架そのものとして、私たち一人ひとりの心に飛び込んで、生活し始めます。同時に、世界中の隣人が生活し始めます。そしてこれが救いです。
 ホームレス襲撃事件がまた起きてしまいました。そこで大阪の小学校では、ホームレス生活者を招いて特別授業をした様子が朝日新聞社会面に掲載されました。その中で、ルポライターの北村年子さんが、「襲撃する子どもは心のホームレス」と語っています。
 心に自分以外の誰も住んでいないということです。心に自分だけが孤独のままにいるということです。そうすると、弱い者いじめをするようになるということでしょうか。つまり、心に自分しかいないということは、自分をも他者をも人間でなくしてしまう・・・神かモノに変質させてしまうという出来事なわけです。
 だからこそ、心にキリストがあらゆる隣人とその十字架をひっさげて飛び込んでくることこそ、人間が人間となるという、まさに救いです。
 そこで私たちは初めて、飛び込んでもらったことによって、神、世界、隣人に目覚めます。そこへと解放されます。
 今週は世界バプテスト祈祷週間です。これは、私たちの心に世界の隣人が住むという出来事です。本日、古川博子姉の証しを通して、インドプリ子どもの家の子どもたちが、私たちの心に住み、また先週の礼拝説教を通してルワンダの傷み悲しむ人が、私たちの心に住むということです。
心に自分以外の人が何人住んでいますか。
またこの問いは、次の問いと全く同じ問いでもあります。
心にキリストが住んでいますか。
(日本バプテスト京都教会2006年11月26日週報巻頭言)


教育基本法改悪反対!!

2006年11月27日 | 教会のこと
教育基本法が・・・

かえられようとしていまして・・・

あまりにめちゃくちゃでわけがわかりません・・・
ただただ個人の尊厳なんて面倒くさいのはもうやめて
権力者の別名である国家が支配する!
という法律になるわけですが・・・

少年犯罪のたびに「今の教育基本法のせいだ」
と言っている、今の閣僚のみなさま
イジメ問題のたびに「今の教育基本法のせいだ」
と今回もやっぱり言った、今の閣僚のみなさま

こういう構図が見えると、
この法律通すために
いままでは隠しておいたほうが都合がよかったイジメ自殺を
今度は大々的に報道してみた
っていうところなんだろうなあと予想します。

でも
現法と、法案の違いを述べる閣僚は、
いない・・・
マスコミも
いない・・・

なぜ?
うそだから・・・


日本バプテスト連盟は先週の定期総会中に衆院通過を受けて声明を発表しました。
貼り付けます。

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「教育基本法『改正』法案」衆議院強行採決に抗議する緊急声明

今国会において政府により提出され、審議されている教育基本法改正法案(以下、改正法案という)にわたしたちは反対し、衆議院における強行採決に抗議します。
国とはそれを構成しているわたしたち一人ひとりであり、教育の主体もそこにあります。しかし、改正法案ではその教育の主体が国家にあるとされ、個人よりも国家が重要視されている点に危険性があります。
天皇の発布した「教育勅語」を基礎とした戦前戦中の教育は、国家が教育を支配することによって成立していました。それが侵略戦争遂行の力となりました。教育基本法は、その戦争に対する反省を踏まえ、新しく制定された日本国憲法に則り、憲法の規定する崇高な理想を実現するために制定されました。すなわち教育は個々人のものであり、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」(現法10条)ことが明記されたのでした。このことによって、敗戦後どのように生きていけばよいのか分からなくなっていた人々は、教育における解放と自由を獲得したのでした。教育は個々人のためのものであって、国家に資する人材確保の手段ではなくなったのです。
しかし今回の改正法案は、平和主義、基本的人権の尊重、国民主権をその柱としている日本国憲法の精神に真っ向から反対するものであり、国家による教育の支配を再び可能にするものです。改正法案第2条には、「教育の目標」と称し、国家が教育の内容を規定しています。これは戦後の民主的な教育に対して、個の生き方を国家のための生き方に変容させるものです。
改正法案前文には「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する」とあります。「伝統」や「新しい文化」が、国家によって意味づけられ、それが一旦戦争のために用いられるとき悲劇は繰り返されます。国家が規定する「伝統」や「文化」が、個人の持つ普遍的価値を否定した歴史をわたしたちは忘れることはできません。国家が言う「新しい文化」が、国のために死ぬことを美徳とする文化であるなら、これは決して「新しい」ものではなくむしろ古い天皇主権下の戦前思想そのものです。
真にわたしたちが創造していかなければならない「新しい文化」は、多様な文化の交わりの中で周辺諸国と対話ができる関係です。それはわたしたちがアジア諸国で犯した侵略戦争による罪責と向き合うことからはじまる関係です。60年前教育基本法によって示されたことは、このような「新しい」生き方そのものであったのです。
ゆえにわたしたちは、教育基本法を「改正」する必要はなく、いまこそ逆に現在の教育基本法に基づいた教育を徹底させなければならないと考えます。憲法に基礎を置く教育基本法の「改正」が、憲法そのものの「改正」へと直結することを危惧します。すなわち憲法「改正」により平和主義が破棄され戦争遂行国家が成立し、一方で教育基本法「改正」により戦争をする人間を育てる体制が整えられることが問題なのです。平和を求める私たちは、これらのことを看過することはできません。
教育という基本的な、そしてすべての人々が享受できるものを再び「国家」の下に絡め取ろうとするこの改正法案が、十分な審議もなされないまま衆議院において強行採決されたことに対しわたしたちは強く抗議します。

キリストはこの自由へと私たちを解き放って下さったのだ。それゆえに、あなたがたは堅く立って、再び奴隷状態の軛にはまってはならない。 ガラテヤ人への手紙5章1節

2006年11月17日
第52回日本バプテスト連盟定期総会

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裏話しても仕方がないけど・・・
わたしの同級生の松坂牧師が
総会日程中の夜中に
がんばって書き上げました・・・

そのがんばりに敬意を表して
ここにて、その歴史の足跡を残したいと思います・・・

かっちゃん
ありがとう!!!

で、
声高に宣言します。この声明!!!

つながれ!つなげる!

2006年11月26日 | 京都寄り添いネットのお知らせ
なんか忙しくて
ぜんぜん更新できていませんが
書きたいこといっぱいあって・・・


名古屋でまたもホームレスを強いられていた女性が殺されました。
ホームレス襲撃はあとをたちません。

さらにわるいことには
彼ら自身が「自分は襲撃されるはずの者」と認識していることが多いこと・・・
このあたりが支援活動をしていて最も悲しいところ・・・

それくらい
人間性ってのは
いつのまにか消えていく・・・

暴力をする方もされる方も・・・

いつの間にか
モノとなっていく・・・

朝日新聞社会面の報道で
ルポライターの北村年子さんが
ホームレス襲撃する子どもたちは「心のホームレス」と言っています。

そのとおり。
そしてこの認識が広まっていることに希望を持ちます。

これはそもそも
北九州で中学生に襲撃されたおじさんが
その中学生こそ、夜中に自転車で走り回ってホームレスを襲撃するほどに
帰る家がない・・・
と、言われたところからはじまった認識・・・

北九州で分かち合われ
バプテスト全体で分かち合われ
社会学者が用い始め
いま、ルポライターが用い始めた・・・

いじめ問題など
互いに互いの暴力に
互いにモノ扱いされることに
おびえつつ生きる子どもと大人

同じ根っこの問題を抱える。
問題の本質
それは

関係性の喪失

もっというと
愛の喪失
それゆえの
人間性、関係性の喪失


ホームレス支援機構京都寄り添いネットの今後の予定は次のとおりです。

12月2日(土) 鴨川パトロール 
        午後1時教会集合
12月4日(月) みんなで寒い冬を乗り切ろう!焼肉大会! (炊き出し) 
        午前10時教会集合

以上、よろしくお願いいたします。


「ついて」でなく「向かって」

2006年11月13日 | 教会のこと
いい電話をいただいた。

もちろんその中身なんぞは書かないけど

そのとおり!!!


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神について語るんじゃあない!
神に向かって語れ!

平和について語るんじゃあない!
平和に向かって語れ!

愛について語るんじゃあない!
愛に向かって語れ!

希望について語るんじゃあない!
希望に向かって語れ!

世界について語るんじゃあない!
世界に向かって語れ!

他者について語るんじゃあない!
他者に向かって語れ!

自分について語るんじゃあない!
自分に向かって語れ!

創造について語るんじゃあない!
創造に向かって語れ!

十字架について語るんじゃあない!
十字架に向かって語れ!

復活について語るんじゃあない!
復活に向かって語れ!

終末について語るんじゃあない!
終末に向かって語れ!

繰り返すが

神について語るんじゃあない!
神に向かって語れ!

なかまたち

2006年11月12日 | 「生きる」こと
もう一週間もたちました。
でもほんの数日前のような気がしますが・・・

先週の日曜日
ウタちゃん家族と一緒に夕食を食べに行きました。
いつか行きたいねえとずっと言ってたから
思いかなって嬉しかったです。

ウタちゃんおとうさんは、その日のあった保育園のバザーの
責任を担っていたものだからそうとうお疲れだったと思いました。

かく言うわたしも、教会バザー明けの礼拝と役員会で
これまたそうとうお疲れであったわけですが・・・

だからなんかのんびりして
ぼんやりして
せっかくの機会のわりには
はなしがゆっくりできたとか
深くできたというわけでもなく
でも
こののんびりと
ぼんやりと

そして
あっちが3人
こっちが4人

子どもたちが、
保育園のごとく焼肉屋でさわぎ

あかんやろなあ
と思いつつも、
のんびりぼんやり

隣のお客さんに注意されても
のんびりぼんやり

この
のんびりぼんやりが
ぼくらの信念を貫かせてくれた・・・・・
つまり
子どもは騒ぐもので
みんなでよってたかってじゃれあうもので
場所なんて関係ない!
を貫かせてくれた・・・・・・

というなんとも迷惑なぼくらの
なんとも楽しいぼくらだったのでした。


なぜかご馳走になってしまって・・・
だから
そのおかげで
次の機会があることが確約されました・・・

次はウチがご馳走するのです。

いやはや楽しみ・・・

しかし
じっくりお話がしたいなあと思いつつも
なんかのんびりぼんやりしてしまう
ったのが
実はありがたい仲間たちなんだなあと感謝しつつ・・・

次は周さんちに食べに行きましょ!!

感謝感謝。

訪ねてもらって感激です。

2006年11月10日 | 平和のこと
昨日マキタさんが訪ねてくれました。
大好きな人なので、なにしろ嬉しいです。

教育基本法改悪反対の新しいパンフをくださいました。
これまでのは45万部すべて誰かの手に渡ったそうです。

感謝感謝。

今度の日曜日の東京でのでっかい集会のポスターとチラシ
そしてこのパンフ

実は教会には、さいたま市の教派の事務所から送られてきました。

面白いでしょう。

京都は左京区のマキタさんたち数人の仲間たちで作ったパンフとチラシが
いったん関東に行って
そして戻ってくる・・・

しかし日本バプテスト連盟の教育室はえらい!!!
こういうのを全国発送しているのだから・・・

これを宣教と呼ばずして何を宣教と呼ぼうか!!!


あのポスターの原画がマキタさんのとこにあるというので
今度時間つくって見に行かないと・・・


さっき
このたび小森陽一さん(東大、近代文学研究者)の新著
「ことばの力 平和の力」が出版されたということで
出版社の方が訪ねて下さって
本をくれました。
すっごく嬉しい!!
興味あったんです。この本。
樋口一葉、夏目漱石、宮沢賢治、大江健三郎のことばから
「平和」を見つめる・・・

もちろんタダでもらったけどタダではなく・・・
書評を書くようにということですが・・・

喜んで書きまーす。

ひーじーじ

2006年11月07日 | 「生きる」こと
しばらく忙しかったのと
バザーや11.3京都集会があって
公っぽい記事しか書いていませんでしたが

その間もいろいろあって・・・
少しずつ思い出しつつ書いていきたいなあと思います。。。

ひーじーじが京都にやってきました。
93歳です。
ひーばーばの墓参りに岡山に行き
そこで甥っ子と一緒に温泉に行き
その後に京都の孫の私と妻と、ひ孫たち4人に会いに来ました。

元気で何よりです。
なんといってもまだ現役で仕事もしてまして・・・
あっぱれ!!

で、京都に来たのにはもうひとつ理由がありました。

「若き哲学徒の手記」がベストセラーになった
戦中に日本海で沈んだ船で消えてしまった京都大学でカントを学んでいた青年
その折に、救命ボートに他の人を優先し
「どうぞお先に」
という言葉をみんなに残して、自分は死んでしまったという青年

弘津さんという名の青年ですが・・・

この沈没事件は、翌日の朝日新聞トップで、
「お先にどうぞ」の言葉と共に報道されたわけですが・・・

その記事を現地で聞き取りをして書いたのが
若き日のひーじーじだったということです。

そしてその弘津さんの弟さんが京都在住で・・・
34年ぶりに会うために京都に来ました。

そこにわたしも同席させて頂いて
いろいろと話を伺いました。

そうしたら不思議なもので
その弘津さんの奥様は紫野教会のオルガニストというではありませんか。
しかもバプテスト病院の小児科で長年活躍してくれている
同じく紫野教会の谷岡先生夫妻とは、
それこそ「若き哲学徒の手記」の弟さん夫婦ということで知り合い
一緒に旅行に行く仲だというではありませんか。

つながりの不思議を経験しました。

若き哲学徒の先生は京大の天野先生で、
私が知りうるところでは
戦後、日の丸君が代を学校でちゃんとやるべきと言い始めた印象悪い先生ですが・・・

そんなところとも何となくつながり・・・


で、
そのひーじーじの記事ですが

1965年から69年の
東京書籍発行の国語の教科書に載っていたとのこと・・・
あわてて東京書籍に問い合わせ・・・
懸命に探してくれたのですが・・・
在庫なしとのこと・・・

誰か持っていないかなあ・・・

これを探し当てるのが最後のひーじーじへの恩返しとなるかなあと
思っているところでありまして・・・

わたし
父親側のじいさまが牧師で
そっちの影響受けてると思われがちですが

残念

母親側のこっちのじいさまの影響を受けておりまして・・・
昔の学校の文集を開くと
将来の夢は「新聞記者」と書き続けているんですが・・・
なぜか牧師していますが・・・

ひーじーじ
100歳まで現役を続けてみてくださいな。


11.3京都集会。心から感謝。

2006年11月06日 | 平和のこと
戦争はイヤ!平和がいい!いのち守ろう 11.3京都集会
4,000人の参加をいただき
皆々皆様、本当にありがとうございました。

おじいさん、おばあさんの、青年たち子どもたちの参加。ぜんぶ感謝です。
ご近所からの、また遠方からの参加。ぜんぶ感謝です。
半年前の準備からの、また当日の憲法ウォークからの参加。ぜんぶ感謝です。
また体調の関係などで見える形ではなくとも、ずっと覚え続けてくれたという形での参加。
すこぶる感謝です。

でもこれだけは特別に感謝させてください。
実行委員会に加わって下さった皆さん。
本当にありがとうございました。
お疲れ様でした。

だれひとり欠けたらこの集会はこの集会ではなかったでしょう。
みんながこの集会というひとつの人格の重要な一部となって
それぞれが薫りたって
それでこそのこの集会でした。
感謝感謝。

また、とりわけ私が事務局の責任を担っていながら
当日は教会のバザーで参加できないということもあり、
全く行き届いていなかったことを心からお詫び申し上げます。

多くの方々が私のフォローをしてくださり、
ここまでの集会を形作ってくれました。
感謝に耐えません。

しかし責任者の私が中途半端でしたので
同時に不手際のあったことと思います。
今後のために、何かとご指摘いただけますならば幸いです。
また、お許しいただけますならば幸いです。

教育基本法がいよいよ変えられようとしています。
最後のあがき!でもいいから、でっかい声をあげたいと願います。
また、今あげた声は歴史の足跡として確実に残ると確信します。
そして実は最後!ではなくて、
え!というところで、こういう声が生かされる時がかならずあるとも確信します。

そして、まだまだこれからも
みんなのいのちが大切にされるように
平和がつくられるように
ご一緒に
じゃんじゃんばりばり
声をあげていきたいと切に願っております。

11.3集会
成功と言わせてください。

本当にありがとうございました。


バザー みんなの愛で大成功

2006年11月04日 | 教会のこと
ありがとう。ありがとう。
みんなみんなみんな。

日本バプテスト京都教会のバザーを終えました。
来場者は600人。
年々確実に増えていて嬉しい限りです。
またこのバザーを楽しみにしている人がたくさんいて・・・
「楽しみにしています」なんていう電話を事前に何本も受けてびっくりでした。

両手いっぱいにかかえて計算して590円。
ちょっと安すぎかなあ。
「安すぎてごめんなさい」
何度もアナウンスしていまいました・・・
子どもコーナーの駄菓子なんて一個10円で、じゃんけんして買ったら一個おまけという
売れば売るほど赤字になることなんぞしてまして・・・

これがバザーなのです。

地域の人がバザーで顔をあわせて「久しぶり」。
荒神口通りの8割の人は来てくれました。
地域のバザーとなることができました。感謝感謝。

これがバザーなのです。

子どもも50人くらいきてくれました。
止揚学園の仲間からお話を聞きました。
ものすごい真剣なまなざし!
強烈な出会いと触発が体験されたこと間違いなし!
「お父さん、お母さん、子どもたちに止揚学園の働きを伝えさせてください」
笑わすことばっかのアナウンスから一転
真面目に言いましたよ。

これがバザーなのです。

奉仕してくれた教会のみんな
ありがとう。
しかし教会のバザーでも教会の人だけでやっているわけではなくて・・・
奉仕してくれた地域のみんな
ありがとう
教会のメンバーの友人のみんな
ありがとう
ホームレス支援機構・京都寄り添いネットのみんな
ありがとう
他の教会のメンバーのみんな
ありがとう
なぜか輪が広がってみんなでやるのがウチのバザー

これがバザーなのです。

国際色豊か
中近東に東南アジアに東アジアの人がたくさん
西欧でないのがウチなのよ。
イスラム教会との接触があるウチならでは。

これがバザーなのです。

明らかに骨董品のプロの方も
ここで毎年その冬の洋服を調達する方も
もうすぐはじめる食堂の食器をまとめ買いした方も
ふくろに無断で商品いれてしまった方も
みんな来てみんないい。

これがバザーなのです。

バザー責任者のオサカさんが反省会で
「こっそりもっていくのは別にいいとして」とあっさり言ってのけた精神
これなのよ。

これがバザーなのです。

食事も今年も売り切れましたが
お好み焼きのうまさにみんな仰天!
これはすごかった。
焼きソバもカレーももちろんうまかった!
そして抹茶はすごかった!
お茶の先生の先生の先生の先生
まあいわば重鎮のたてるお茶の泡の質の違うこと違うこと。
感動!!
惣菜も今年も完売!
手作りの梅干やジャム、シソの実は、ファンががっちりつきました。

これがバザーなのです。

30分前から並んでくれた方
終わりぎりぎりに来てまったりしてくれた方
どうしても教会に来たくてずっと前から照準あわせて整えてきてくれた病を担う方
どんな参加の仕方もすっごく嬉しいかぎり。

これがバザーなのです。

で、涙ちょちょぎれてしまうのが
奉仕してくれた人たちが互いに
「ちょっと休んだら」
「お昼食べた」
って声掛け合っていたこと
あったかいねえ。

これがバザーそのものなんです。

中学生から96歳のおばあちゃんまで奉仕しました。

圧巻!!

これがバザーなのです。

みんな本当にありがとう
お疲れ様でした。
楽しかった。
来場してくれたみんなも笑顔で帰っていったこれまた嬉しい。

間違いなく奉仕してくれたみんなは疲れているから
わたしじゃんじゃんばりばり祈ってます。

病み上がりの方も病みの中にある方も
かなり無理したから
ぜひぜひゆっくりお休みを。
神の癒しを味わって下さい。

で、
うちの末っ子をずっと面倒みてくれた中学生のサオリちゃん。
本当にありがとう・・・
助かった・・・


うちの息子三人をすっと持ち去って下さって
夕食をごちそうしてくれてお風呂にもいれてくれて
そっと返してくれたUさん家族
本当にありがとう・・・
助かった・・・

こういう地域のあたたかい仲間がいてくれて
妻とふたりで泣きながら笑って感動しています。
本当にありがとう。
ありがとう。

みんな
ありがとう。