今日(もう昨日)はとてもホッとしました
深い困窮にある方が
それこそ復活への第一歩を歩み始めることができたからです
育ちが複雑で
ずっと貧しくて
会うことのできる家族がいなくて
孤独のまま
生きることの意味を見出せない人たちは
実はものすごくたくさんおられます!!
今日はひとりの若者が
その状況から
仲間とともに歩むことを
静かに決意されました
わたしはこの10年間
徹底的にそういう方々とかかわりつづける道を選んでおります
出会ったらかかわるしかないわけですし
しかし残念ながら
そういう出会いを通して
そういう方々が教会に来たとしても
長続きしないケースが
ウチの教会でもたぶん9割ほど
彼らのセンサーは
教会も
他の多くの共同体同様に
受け入れてくれない
ということを察知できてしまうのです
彼らのような境遇で育った人たちに
通用しないことはありまして
しかも通用しないものが
実は本当にキリストにとって必要ないものだったりするので
彼らのセンサーはひとつの指標にもなってくれます
素直に反省しつつ
教会は
またあらゆる宗教共同体は
復活させていただくのであります
せめて教会だけは
だれもが家族になれる場になりたいですし
本来そうなるようになっているわけです
で
そういう意味で共同体全体として家族として迎えるということが具体的に起こらない場合は
その責任を引き受けて
せめて牧師家族は
徹底的にかかわらねばキリストが承知しないと思っています
だから
できるかぎりかかわります
かかわりきれない罪人性をかかえながら
しかしキリストを通してゆるされていることを信じ
繰り返しチャレンジしつつ
でもそんなかんじで牧師をしておりますと
そういう人にかかわってばかりいるのではなく
教会メンバーにかかわれ
という指摘を受けたこともありますが
申し訳ないことに
教会共同体が
キリストに従う者として
彼らにかかわることを当然の喜びとするに至って
その指摘を聞くことができるわけでして
こういうことにおいてはものすごく恐い人間になる私は
強烈にその言葉を打ち返しているというこの10年であります
そうとうにこわいみたいですねえ
すみません
しかしありがたいことに当教会の事情は変化もしてきております
そういう彼らと共に生きることが
聖書に書かれていることそのものであり
そのためにこそキリストがおられるということを
身体で知るという出来事がどんどん起こされております
繰り返しますが
そのあたりのことにかんしては
わたしはみんなが怖さを覚えるほどまでに
厳しい態度になるもんですから
もしかしたら
半分おどされて
しかし
半分は本当に信仰で
かかわることにチャレンジしてくれているのだろうなあ
と
感謝しつつ思っております
でも
たとえおどしからはじまったとしても
結果的に
かなり幸せでしょ!!
しかもそれにより
困窮から解放されるでしょ!!
ゆるしと救いを味わうでしょ!!
だから
今日決意した若者は
いずれ教会で生きることができるのではないかと
祈りつつ期待しております
で
そんなかかわりを朝から昼にかけてしていたら
地方連合の用事で兵庫まで出かける時間がきてしまいまして
なんとも残念ではありましたが
(一日ずっと一緒に彼と行動をともにしたかったのですが)
しかし
うれしくて体も軽く兵庫へと出かけることができました
祈りつつ
深い困窮にある方が
それこそ復活への第一歩を歩み始めることができたからです
育ちが複雑で
ずっと貧しくて
会うことのできる家族がいなくて
孤独のまま
生きることの意味を見出せない人たちは
実はものすごくたくさんおられます!!
今日はひとりの若者が
その状況から
仲間とともに歩むことを
静かに決意されました
わたしはこの10年間
徹底的にそういう方々とかかわりつづける道を選んでおります
出会ったらかかわるしかないわけですし
しかし残念ながら
そういう出会いを通して
そういう方々が教会に来たとしても
長続きしないケースが
ウチの教会でもたぶん9割ほど
彼らのセンサーは
教会も
他の多くの共同体同様に
受け入れてくれない
ということを察知できてしまうのです
彼らのような境遇で育った人たちに
通用しないことはありまして
しかも通用しないものが
実は本当にキリストにとって必要ないものだったりするので
彼らのセンサーはひとつの指標にもなってくれます
素直に反省しつつ
教会は
またあらゆる宗教共同体は
復活させていただくのであります
せめて教会だけは
だれもが家族になれる場になりたいですし
本来そうなるようになっているわけです
で
そういう意味で共同体全体として家族として迎えるということが具体的に起こらない場合は
その責任を引き受けて
せめて牧師家族は
徹底的にかかわらねばキリストが承知しないと思っています
だから
できるかぎりかかわります
かかわりきれない罪人性をかかえながら
しかしキリストを通してゆるされていることを信じ
繰り返しチャレンジしつつ
でもそんなかんじで牧師をしておりますと
そういう人にかかわってばかりいるのではなく
教会メンバーにかかわれ
という指摘を受けたこともありますが
申し訳ないことに
教会共同体が
キリストに従う者として
彼らにかかわることを当然の喜びとするに至って
その指摘を聞くことができるわけでして
こういうことにおいてはものすごく恐い人間になる私は
強烈にその言葉を打ち返しているというこの10年であります
そうとうにこわいみたいですねえ
すみません
しかしありがたいことに当教会の事情は変化もしてきております
そういう彼らと共に生きることが
聖書に書かれていることそのものであり
そのためにこそキリストがおられるということを
身体で知るという出来事がどんどん起こされております
繰り返しますが
そのあたりのことにかんしては
わたしはみんなが怖さを覚えるほどまでに
厳しい態度になるもんですから
もしかしたら
半分おどされて
しかし
半分は本当に信仰で
かかわることにチャレンジしてくれているのだろうなあ
と
感謝しつつ思っております
でも
たとえおどしからはじまったとしても
結果的に
かなり幸せでしょ!!
しかもそれにより
困窮から解放されるでしょ!!
ゆるしと救いを味わうでしょ!!
だから
今日決意した若者は
いずれ教会で生きることができるのではないかと
祈りつつ期待しております
で
そんなかかわりを朝から昼にかけてしていたら
地方連合の用事で兵庫まで出かける時間がきてしまいまして
なんとも残念ではありましたが
(一日ずっと一緒に彼と行動をともにしたかったのですが)
しかし
うれしくて体も軽く兵庫へと出かけることができました
祈りつつ