相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

唯一の新田義貞所縁の寺「内裏山九品寺」

2017-06-28 11:14:18 | 寺院
鎌倉市材木座に唯一の新田義貞ゆかりの浄土宗の寺院「内裏山九品寺」がある。創建は建武3年(1336)。新田義貞が元弘3年(1333)の鎌倉攻めで北条方の戦死者を弔うため本陣跡地に建てたのが「九品寺」である。本尊は南北朝時代作の阿弥陀如来である。九品とは九種類(上品、中品、下品のそれぞれ上生、中生、下生の九品をいう)の往生の有様をいう。「山門」の「内裏山」、「本堂」の「九品寺」は新田義貞自筆を掲額である。静寂な境内に正面にに「本堂」がある。こじんまりとした境内の一角に松の木、鹿おどしの小庭園、境内左手には梅雨期の主役「あじさい」が寺域を彩っている。当寺は鎌倉観音霊場第十六番札所である。(1706)








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浄土宗の関東大本山「天照山光明寺」

2017-06-27 17:09:42 | 寺院
鎌倉市材木座に浄土宗の関東大本山、関東十八檀林の第一位の寺として栄えた「天照山光明寺」(蓮華院)はある。創建(伝)は寛元元年(1243)。本尊は阿弥陀如来。開基以降浄土宗が関東以北に広がる礎となり、江戸期には徳川家康が浄土宗の「学問所」として関東の寺院を十八壇林と定め光明寺をその筆頭にしたことで大いに栄えた。朝廷との関係も深く「山門」には後花園天皇直筆と伝えられる「天照山」の額が掲げられている。境内にはまず「総門」、そして正面に鎌倉最大の規模といわれ弘化4年(1847)の再建。鶴岡八幡宮から移築された壮大な構えの「山門」、その奥正面に元禄11年(1698)の建立、入母屋造、銅板棒瓦葺きで間口奥行ともに約25メートルの鎌倉地方では最大級の「本堂」がある。本堂の左横に「開山堂」、その前に「善導大師像」、「記主庭園と大聖閣」、本堂右前に「鐘楼」、本堂右側の回廊より「三尊五祖の石庭」を見ることができる。「客殿」、「庫裏本坊」、「書院」、「寺務所」からなる。「繁栄稲荷社」の奥には延岡藩歴代藩主、その正室など200基以上の石塔が立つ「内藤家墓所」がある。当寺は鎌倉三十三観音18番、鎌倉二十四地蔵22番札所である。また東国花の寺百ヶ寺 鎌倉2番。当寺は建長寺、円覚寺、遊行寺と並び鎌倉最大規模の大寺寺院(鎌倉四大寺)の1つに列させられている。その寺域の広さと言い、国宝、重文級の文化財といい、数々の重厚な伽藍には大寺に相応しい風格が漂う。記主庭園に咲くハスは「かながわの花の名所100選」に選ばれたハスの花の名所で、来月には「観蓮会」のイベントも開催される。(1706)










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「四条山収玄寺」は今、「あじさい」に包まれて!! 

2017-06-27 10:10:04 | 寺院
鎌倉市長谷、鎌倉大仏方向の通りに日蓮宗寺院「四条山収玄寺」はある。収玄寺は江戸時代に四条金吾の屋敷跡に妙詣尼が「収玄庵」を開いたのが興りである。創建は文政年間(1818年~1829年)。本尊は十界曼荼羅。「山門」を抜けると左側に一際大きい「四条金吾邸址」(東郷平八郎の揮毫)の石碑が目を惹く。境内正面には1923年に日慈が再建したと伝えられている銅葺屋根が美しい「本堂」がある。堂内には日蓮と四条金吾夫妻像が奉られている。四条金吾は日蓮宗立宗当初から中心的門徒で鎌倉武士であった四条金吾は日蓮捕縛の報に自らも切腹覚悟で龍の口の刑場に向ったほど信心篤つき人物であった。四季の花木や野草が咲き乱れる境内は今、幾色かの「あじさい」で彩られて華やいでいる。(1706)






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東北絆まつりパレード「福島のわらじまつり」やっぱり大きい!!

2017-06-26 14:09:39 | 祭り・イベント
東北絆まつりパレード」もいよいよ中盤、東北六魂祭の一つに数えられ、古来より健脚を願い、地元羽黒神社に奉納される「大わらじ」にちなんで開催されている祭り「福島のわらじまつり」である。日本一と称される長さ12メートル、重さ2トンの大わらじパレードは異色で希少価値があり必見というふれこみであった。レゲエ調の「平成わらじ音頭」とヒップホップ調のダンシング「そーだナイト」は祭りに欠かせない見どころである。今年地元での開催は8月4日・5日の両日。昨年は2日間で約26万人が来場した。この祭りは江戸時代から300年以上の歴史がある「信夫三山暁まいり」を参考に1970年より始まった。本日は担ぎ手・踊り手約180名の出演である。担がれた「大わらじ」目の前に近寄ってくるとその大きさに驚くばかりである。(1706)






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鎌倉権五郎神社として知られている「御霊神社」

2017-06-26 11:20:13 | 神社
鎌倉市坂ノ下に「鎌倉権五郎神社」として知られている神社「御霊神社」はある。創建年代は不明であるが、御霊信仰思想の広がりと鎌倉氏による地方開発の展開などから平安時代後期と推定される。もとは関東平氏五家の始祖、鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5霊を祀った神社であることから「御霊神社」と呼ばれるようになった。後に祭神は「鎌倉権五郎景政」の一柱のみとされ祭神の名から鎌倉「権五郎神社」と呼ばれた。長谷寺の裏、鎌倉坂ノ下にあり「鳥居」のすぐそばには踏切があり「江ノ電」が走りあじさいとのショットを狙った人で賑わっている。鳥居を抜けると右手に社務所、正面に「社殿=拝殿」がある。社殿の左横には「神輿庫」がある。境内にはいたるところにあじさいが咲き、伏見稲荷大社より勧請した「稲荷神社」、「秋葉神社」、「第六天社」、「祖霊社」、「御嶽神社」、「金毘羅社」、「石上神社」などの境内社がある。当社はまた鎌倉江の島七福神(福禄寿)札所である。(1706)










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