相模原市南区東大沼に第12代・景行天皇の皇子の日本武尊が御東征時、大沼にて災難に遭われこの時、鎮の神として日本武尊により勧請されたと伝えられる「大沼神社」は鎮座している。創建は享保21年(1736)。「弁財天社」として新田への入植者によって祀られた、建武元年(1334)南朝の忠臣「小山田小太郎」の敬神の念篤く「相模国大沼弁財天」を守護神として出陣の欅製の木版を作製したものが起元との諸説がある。祭神は市杵島姫命である。新田集落の守り神として創建された大沼神社(大沼弁財天)には数々の伝説がある。「鳥居」を抜けると堀で囲まれ「社殿」が正面にある。堀には「石橋」が架けられている。この堀は相模大野近辺を通り境川に注ぐ「深堀川」の源泉である。江戸時代の頃、相模原の台地上にあってわずかに窪んだ地形で大沼という沼があったというから、今(宅地造成後)その面影はここだけである。おりしも石橋の傍ではフユザクラが見頃となっていた。(2401)
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