厚木市依知、相模川に架かる「昭和橋」を渡った袂に厚木依知郷を護る総鎮守社とされる「依知神社」は鎮座している。創建年代等(不詳)、社伝によると古くは「赤木明神社」と称し、鎌倉幕府二大将軍頼家が創建。1200年頃?旧社領は源頼朝よりの寄進と伝えられ、境内では時々競馬も行われ、祭典には金田まで神輿が渡御する依智郷の鎮守社と伝わる。徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には社領1石斗の御朱印は天正十九年賜を拝領、上依知村の鎮守として祀られ、明治6年に「依知神社」と改称、村社に列していた。祭神は磐筒之男命。石鳥居を抜けると「社殿」、反対側に「神楽殿」があり境内社が二つある。また当社には頼家が再建時植えたとされる2本の「大イチョウ」がある。厚木市指定天然記念物、神奈川県名木百選にも選ばれている。樹高は36m/35m、目通り幹囲は6.8m/5.5mである。秋には黄金色に輝く黄葉時には大勢の人が訪れる。寛文年中大洪水の為、境内を大きく崩壊、この「昭和橋」建設及び国道(129)が造られたことで社域&境内は分断された経緯がある。(2409)
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