相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「お伊勢の森」に鎮座する「高石神社」

2019-11-05 18:36:58 | 神社
小田急線「百合丘駅」左側の高石と細川一帯は今から60年前に三井不動産によって造成開発され細川地区には「読売ランド」が完成した。当地は百合丘と言われるくらい小山&丘で結構急こう配の坂道が多い。江戸時代は麻生区高石は「伊勢宮」と言われ、この辺りは「お伊勢の森」と呼ばれていた。ここ高石に承応3年(1654)に創建され鎮座していた「高石神明社」が明治6年(1873)に改称され「高石神社」となる。大正11年高石村内の熊野社、御嶽社、春日社、富士浅間社、八幡社等を合祀した。主祭神は天照大神。百合ヶ丘駅から北方住宅地の急な坂道を登りきった高台に鎮座。一の鳥居を抜け、更に二の鳥居より70段ほどの急勾配の石段を上がると境内となりその正面に宮づくりの「社殿」があり、左に「社務所」、三の鳥居の横に手水舎がある。また神社境内には「さざなみ俳句会」による50余基の句碑が並んでいる。標高117mの高台、晴れた日には眺望が素晴らしく、遠く読売ランド、香林寺の五重塔が見える。(1910)
 
 
 
 
 
 
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後白河天皇の笹子内親王ゆかりの寺「高石山法雲寺」

2019-11-05 09:53:23 | 寺院
川崎市麻生区高石に開創当時は真言宗高野山の直末寺院で後に曹洞宗に改宗再興の「高石山法雲寺」はある。寺伝では平安時代の朝廷(後白河天皇)の第三皇女である笹子内親王(笹子姫)が平家の抑圧から逃れるために従者と共にここ麻生区に流れ着き高石村を開いた。後白河天皇は姫の安泰を祈願して阿弥陀如来坐像を授け安置する堂宇が現在の法雲寺とされる。本尊は阿弥陀如来坐像(藤原様式、寄木造り)。この像は数少ない平安仏として重要文財財、市の重要歴史記念物(昭和50年)指定されている。「山門」を抜けると正面に「延命地蔵尊」、右に石仏像、絵が描かれた石版の参道を進むと正面に入り母屋づくりの「本堂」、右に「庫裏」がある。本堂右手には「観音霊場(七体観音像)」がある。(1910)





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