さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

懐かしいイナゴの佃煮できそううよ、おばさん

2017-09-09 | 日記
今年の秋の散歩で農道を歩っていると道脇の草むらからたくさんのイナゴが田圃の稲に向かって飛んで行くのが見られるのです






ただ昔のイナゴとちょっと違うのは♂のイナゴの羽が発達していて軽やかに飛ぶことが出来るのです。農薬への耐性が出来た新しいイナゴかも知れません


  
イナゴだけではありません、昭和の秋のアキアカネの大群ほどには遠くおよびませんけど綺麗なアキアカネを撮ることができるんです。それに用水堀の上を一直線にオニヤンマらしいちょっと大きめなトンボが飛ぶのも見たこともあります。



いずれにしても僅かでも自然が復活するのはとても嬉しいです。

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4 コメント

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四郎平さん (M・H)
2017-09-10 19:39:05
「四郎平さん」懐かしい名前です。晩年、よくバイクに乗っていらしゃいました。新聞店を営まれているお宅ですね。現在も新聞店を経営されております。四郎平さんのお孫さんが、80歳位のように思います。四郎平さんは、髭を生やし、背の高い方でした。村議会の議長などもされていたように思います。「オオナデブチ」などという言葉も、今、村で知っている人は少なくなって来ています。記憶にあってもそれを語る人には出会ったことはありません。さんたろうさんは、村の歴史の語り部になる方ですね。私は、四郎平さんの家にテレビを見せてもらった記憶があります。村中央にあった広場のことも、記憶にあります。その当時の村の住人でお名前を記憶されている方がありましたら、お知らせいただければ幸いです。
 さんたろうさんの子ども時代も、私の子ども時代も村の景色はそんなに変わりがないように思います。日本は、そういう時代が長く続いていたんだと思います。しかし、その時代は、ここ60年ぐらいの間に跡形も消滅してしまいました。
 私も、その時代のことを妻や自分の子ども達に話そうとしても、誰も関心を持ってくれません。
 しかし、それではあまりにも寂しすぎます。
 とりとめの無いことを書きました。失礼しました。(失礼ながら、一杯飲みながら書いております)お許しください。
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M・Hさん (さんたろう)
2017-09-11 18:18:51
四郎平さんて髭を蓄えた長身の紳士で村会議長をなさっている村の有志でいらっしゃたんですね。その頃はもう大川村は伊南村と合併していたでしょうから伊南村の村会議長さんだったんでしょねね。分かってとても嬉しいです。

もう、大原・小立岩。大桃には90歳以上の男はいらっしゃってもきわめて少ないだろうと思います。くらきち君はもう木伏のお婿さんですし。もう会えることは不可能ですけども、二人で昔の思い出をしみじみと話し合えったらどんなにか楽しいことだろうと思います。同級生の男と言えばくらきち君と私と二人だけですから。目をつむれば小立岩での楽しかった思い出が次から次から湧いてきます。

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イナゴ (sasanoha7920)
2017-09-12 12:06:59
都会育ちの私にはイナゴは稲の害虫だから佃煮にして食べられるのは当然の報いと教わりましたし、近頃田圃でイナゴが見かけなくなった話は農薬の影響と伺っていましたが、道の駅等でイナゴの佃煮が売られていると、どこからこんな沢山のイナゴを集めて来るのかと不思議に思ったものでした。私のイナゴのイメージは小さくて可愛らしい、原っぱのバッタとは又違う印象なのですが、さんたろうさんのイナゴの写真では余りにもリアルで残念ですがイナゴの佃煮は当分口にする気になりません。尤もイナゴの佃煮は結構高い事もあり、成田参道の佃煮店でも川エビ、雑魚の佃煮等にどうしても手が行きます。食いしん坊年寄りの我儘とお許しください。
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sasanaha 7920さん (さんたろう)
2017-09-12 15:37:06
正直言いますと私は昔から虫のイナゴの佃煮はあまり好きではありませんでした。
でも60年ほど昔の昭和30年台はまだ日本は貧しくて小中学校では稲刈りが終わると一日は授業を休んで落穂拾いを、そしてもう一日はイナゴ獲りをしました。結構なお金になって運動用具購入資金などのなりました。

10年ほど前までは稲刈りが終わるとおばさんたちが袋を持ってイナゴを獲り仲間集まりのお茶菓子代わりにしていました。

そんな思い出がありますから一時は絶滅したと思っていたイナゴを見てとても懐かしくなったんです。
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