さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

爽やかに空も稲穂も輝いて

2017-09-07 | 日記
すっかり秋になりました



日照の少ない涼しい夏でしたけど今年の稲作の出来はやや良なんだそうです。七月から八月初めの天候に恵まれたからなんだそうです。よかったです。

あのね、今年の秋はほんの少しですけど虫が多く見られたんですよ。農薬への耐性が虫たちに出来たンでしょうか、それとも使用された農薬が変わったんでしょうか。田圃で差はあるみたいですけど小さな虫が稲穂についているのが目につきました。



何年ぶりでしょうか稲穂についているイナゴを見ました。撮ることは出来ませんでしたけどやせ形のイナゴらしい虫が道脇の草むらから田圃の稲にたくさん飛んで行きました。写真は佃煮にすると美味しそうな雌のイナゴです。懐かしかったんです。



それに数は少ないんですけどアキアカネも



なかなか撮れないんですけどキアゲハチョウも目につきました。



モンシロチョウやヒメアカタテハチョウたくさん見ました。驚いたのは里では目にしたことのないキアゲハチョウより少し大きな黒いチョウが早いスピードで飛んでいるのを二度ほど目にしました。私の二階の部屋に蝙蝠がとびこんできて驚いたことがありますのであれっコウモリ?と一瞬思いました。ひらひら飛ぶ姿が似ていました。

そんなこんな、ほんの少しですけども自然が少し復活?してるんかな思われた嬉しい今年の秋でした。

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
秋空凄いですね (基左衛門)
2017-09-07 18:45:01
 いつも名機で凄い風景を有難うございます、イナゴなど本当に何年ぶりに見ました、自然が一番いいですね。
 また見せてください、お元気で
                上州の八十爺
            
返信する
基左衛門さん (さんたろう)
2017-09-08 10:01:50
つまらないブログの写真見ていただいてとても嬉しく思っております。

つかっているカメラは名機などではありません。高級カメラは欲しいんですけど年金暮らしで貧しい小遣いしかもらえません。ミドルクラスの安カメラを楽しんで使っています。

散歩でイナゴを撮ったときはとても嬉かったんですよ。
返信する
爺について (M・H)
2017-09-08 21:50:02
さんたろうさん、ご無沙汰しております。毎日さんたろうさんのブログを楽しみにしております。しかし、それはお伝えしなければ伝わりませんね。
 さんたろうさんは、ご自分を「爺」とよくおっしゃていますが、ブログの表紙に90歳と書かれていなければ、ブログの内容だけでは、まだ、40歳50歳の人のブログと思って見てしまうと思います。
 さんたろうさんは「爺」というイメージとはかけ離れた方に見えます。
 「爺」という言葉は、人生50年くらいに作られた言葉のような気がします。
 人生100年とも言われるこの時代
 「爺」に代わる言葉があっても良いように思います。
 しかし、さんたろうさんは「爺」を楽しんでいらっしゃるようですから、余計な話ですね。
「小爺・・71歳」よりご無沙汰のご挨拶代わりです。
 これから、寒さの時期が来ます。お身体をお大切にしてください。
返信する
M、Hさん (さんたろう)
2017-09-09 15:33:44
40歳・50歳の人のブログ・・そんなこと言って頂くととても嬉しいんですけども、現実はやっぱりよぼよぼのボケ爺いに変わりはありません。

でも、80年昔の小立岩のことを思う時はすっかり10歳前後の子供の時の心になってしまうんです。M・H さんは私より20歳もお若くいらしゃるんですから[しろへいさん]などという方のお名前などはご存じないと思いますけど、集落の中央のちょっと奥まったところに立派なお屋敷を構えておられて、私たち子供も大人も夜になると「しろへいさん」のお宅の座敷に寄せて頂いて集落のたった一台のラジオで浪曲や講談や大相撲の実況中継などを聞いて楽しませて頂いていました。東京の中央放送局から遠く離れた山の中ですので当時のラジオでは夜しか電波が届かなかったんですよ。

沼田街道から「しろへいさん」への入口の場所はちょっとした広場になっていました。そこは私たち子供の集会場所そして遊び場所でした。懐かしいです。昨年の12月小立岩の古里を訪れた時には沼田街道は広い二車線の舗装道路になっていてその面影は消えていましたけど。

今M・Hさんのお宅のあるところには小さな茅葺きの小学校があって夜になると裏の杉林の中でばんどり(むささび)の叫び声が聞こえておりました。月夜の晩などには「ばんどり」を撃つまたぎさんの銃声がよく聞こえていました。当時ばんどりの毛皮は高価に売れたのです。

初夏の頃提灯を持ってみんなで田表にホタル狩りに出ました。ある曇り日の暗い夜「おうなでぶち」下の檜枝岐川のこちらの林の上から赤い火の玉がすーっとお寺さんに向かって飛んで行くのを見ました。おうなでぶち下の檜枝岐川の淵で溺れて死んだ子供の霊がお寺に向かって飛んでいったんだ、とみんなで話し合いました。

80年も昔のことです。それはたぶん夢に見たことが現実の思い出になってしまっているんだと思います。だって江戸時代でもあらばともかく昭和の現代で赤い火の玉などが飛ぶなんてことなどあり得ませんから・・・

なにせ小立岩・大原・大桃などとつぶやいただけでいろんな思い出が甦ってくるんです。懐かしいです。
返信する

コメントを投稿