独り心静かに元旦参りをいたしました。


久方ぶりに自分のブログを開いてみました。そしたら思いもかけず多くの方から励ましのお言葉を頂いていることがわかりとても嬉しく思いました。お礼のコメントなど申しあげなかったことを深くお詫び申しあげそして心を籠めて感謝申しあげます。
明日正月3日で私は晴れて90歳になります。
喜びも悲しみも絶望さえもあるだろう90歳代だと思います。でも90年喜びや悲しみや絶望を乗り越えて生きてきた私です。最後までせいいっぱい生き抜きたいと元旦参りの神さんの前で心に誓いました。
生きるって新しい未来への開拓ですよね。
ボケも進むだろうし、すっかり耳の遠くなってしまった私です。体の機能の衰えも進むだろうと思います。ですから悲しいこと、絶望することの多い90歳代にま違いありません。
でもその新しい道をしっかりと味わって生きてみようと思っている私です。
それに87歳になる家内のばばちゃんは、膝の痛みを訴えながら週2回のデーサービスに通いながら楽しんで生きております。それをしっかりとサポートしながら、ばばちゃんはばばちゃんの人生を、私は私の人生を、それぞれの人生を大事にしながら生きていきたいと思っているんです。
それぞれに激しい個性、全く正反対の個性をもつ二人です。平和でばかりであるはずがありません。たいへんなバトルもしょっちゅうです。でも私はそんな時はじっと耐えて沈黙します。荒げたことばなど吐けば完敗することを経験上身にしみて分かっているからです。でもちょとのろけさして頂ければ激しいバトルの明けた朝、顔を合わせると明るい顔で「おはよう」となんでもなっかたように笑顔で挨拶するばばちゃんなんです。そのとき負けたとしんそこ思う私です。まあばばちゃんのほうが1枚も2枚も上手で心の中では私の家はばばちゃんでもっていると思っているんです。でもそれは私だけでなく私らみたいな老夫婦は大なり小なり婦唱夫随のような気がします。
私はこの1ヶ月ほどブログからすっかり離れて暮らしました。こころざしを立ててしっかり読書しようと「古事記と奥の細道と会津坂下町史民俗編」を読んでみようと計画したんです。なにせ勉強しなければならない少年時代をりっぱに戦って死ぬための軍事教練やら食糧増産の援農作業やら、ゼロ戦に載せる機関砲を作る軍需工場で空腹とシラミと寒さに苦しみながらの学徒動員やら、あと3年もすると大君のため国のために若くして死ななければならない恐怖やらに耐えて生きてきて大事な古典など名前を聞いただけで読んでいなかったつけを取り戻そうと思ったからなんです。
でも90歳近い老体は悲しいことに辞書を片手に読み始めるとすぐにあくびが出て気がつくと机に伏して眠っているんです。
ということで楽しんで読んだ本は「安部穣二の屏の中の懲りない面々」「妹尾河童の少年H
上下」「池部良の随筆そよ風ときにはつむじ風」の四冊でした。おもしろかったんっです。心豊かに楽しみました。
さあて・・あしたから90歳の新しい生活が始まります。せくほどのほどのことはありません。のんびりと楽しんでいきていくつもりです。